第55話「水底の階段と次なる舞台」
「……本当に、道ができたな」
俺は、目の前に現れた石の階段を見下ろしながら、呆然と呟いた。
グレート・イールが沈んでいった川底から、向こう岸まで続くその道は、まるで俺たちを誘うかのように、静かに横たわっている。
「どうやら、あの化け物を倒すことが、この川を渡るための『鍵』だったみてえだな」
グレイが、傷を押さえながらも、鋭い目で階段を観察している。
「ミナトさん、見て。階段に、何か模様が……」
リリアが指さす先を見ると、石の階段の表面に、あの黒曜石の扉に刻まれていたものとよく似た、複雑な紋様が薄っすらと浮かび上がっていた。
「やっぱり、これも、あの女が用意した道ってことか……」
「なあ、グレイ。俺たちが今いるこの場所って、一体どこなんだろうな」
俺は、完成した地図が収められた羊皮紙の筒を、ぽん、と叩いた。
「地図作成の依頼は、もうほとんど終わってる。でも、この地下水路も、この階段も、ギルドの古い地図にはどこにも載ってなかった」
「ああ。俺たちはおそらく、まだアビスの第一階層、あるいは第二階層との境界付近にいるはずだ。だが、この空間そのものは、通常の階層区分から外れた、特殊な領域なんだろう」
グレイは、苦々しげに答える。
「あの女が作り出した、俺たちだけのための巨大な迷路、か」
「……行こう」
俺は、意を決して言った。
「こんなところで、立ち止まってても仕方ない。あの女が、この先に『答え』を用意してるって言うなら、確かめに行くまでだ」
「ミナトさん……」
「それに、俺たちの目的は、A級冒険者になることだ。こんな訳のわからない場所で、道に迷ってる暇はねえんだよ」
俺がそう言って笑うと、グレイも、ふっと口元を緩めた。
「フン。少しは、様になってきたじゃねえか」
「だろ?」
俺たちは、互いに頷き合うと、石の階段へと、その第一歩を踏み出した。
階段は、川底に向かって、螺旋を描くようにして下へと続いている。
水は、階段の周りだけ、まるで透明な壁があるかのように、俺たちを避けて流れていた。
水の中を歩いているのに、全く濡れないという、奇妙な感覚。
「すごい……。これも、魔法なのかな……」
リリアが、感心したように呟く。
「ああ。それも、とんでもなく高度で、強力な魔法だ。この空間全体が、あの女の意思一つで、どうにでもなるってことだ」
グレイの言葉に、俺は改めて、自分たちが相手にしている存在の大きさを思い知らされた。
どれくらい下っただろうか。やがて、階段の先に、ぼんやりとした光が見えてきた。
そして、階段を降りきった俺たちの目の前に広がっていたのは、信じられない光景だった。
そこは、巨大な鍾乳洞だった。
天井からは、無数の巨大な鍾乳石が、まるで氷柱のように垂れ下がり、その一つ一つが、内側から淡い光を放っている。その光が、洞窟全体を、幻想的な青白い光で満たしていた。
地面には、清らかな水が薄く張り、天井の光を反射して、まるで星空の上を歩いているかのようだ。
「うわあ……」
あまりの美しさに、俺もリリアも、思わず声を漏らした。
「……綺麗、だけど」
グレイが、警戒を解かずに呟く。
「油断するな。ここは、まだあの女の庭の中だ」
その時、俺たちの脳裏に、あの声が響いた。鈴が鳴るような、可憐で、どこまでも無機質な声。
『ようこそ、次の舞台へ。この景色、気に入っていただけましたか?』
「監視者」の少女の声だ。その口調は、どこか芝居がかった形式的な響きを持っていた。
『ここは、『星降りの洞窟』。あなたたちの旅を彩るために、私が特別に用意した、美しい劇場です』
「ふざけるな! 次は、何を用意してる!」
俺が叫ぶと、少女の声のトーンが、ふっと素に戻った。
『あら、せっかちね。そんなに焦らなくても、すぐにわかるわ』
その声には、俺たちの焦りを楽しむような、残酷な響きがあった。
『でも、一つだけヒントをあげる。この洞窟に響く音は、一つだけ。あなたたちの足音と――』
カツン。
俺たちの背後から、硬い、何かが歩み寄ってくる音が、静かな洞窟に響き渡った。




