第52話「生ける迷宮と蠢く壁」
「よし、ここが依頼書にあった、最後の確認地点だな」
グレイが、壁に刻まれた古い印を指さした。
俺たちは、ギルドでもらった古い地図を頼りに、アビスの第一階層を進んでいた。
「ここから先が、最近の構造変化で生まれた新しいエリアってことか」
俺は、羊皮紙に羽根ペンで周囲の地形を書き込みながら言った。
地図作成なんて、思ったより地味で面倒な作業だ。
「ミナトさん、すごいね。地図、すごく分かりやすいよ」
リリアが、俺の描いた羊皮紙を覗き込んで感心したように言う。
「そうか? まあ、こういう細かい作業は、嫌いじゃない」
「フン。剣を振るうだけが能じゃねえってことだ。少しは見直したぜ」
グレイの珍しい褒め言葉に、俺は少しだけむず痒い気持ちになる。
「うるさいな! それより、どっちに進むんだ? 道が二つに分かれてるぞ」
目の前には、右と左に伸びる、全く同じように見える通路が口を開けていた。
「そうだな……。こういう時は、勘だ」
「勘!?」
「ああ。ダンジョン探索なんて、最後は勘と運だ。……よし、右だ」
グレイは、何の根拠もなさそうに、あっさりと右の通路を指さした。
「本当に大丈夫なのかよ……」
「心配するな。もし間違ってても、お前のその剣があれば、壁くらいぶち抜いて戻ってこれるだろ」
「無茶苦茶言うな!」
軽口を叩き合いながらも、俺たちは右の通路へと足を踏み入れた。
新しい通路は、これまでの場所とは少し雰囲気が違っていた。
壁が、心なしか湿り気を帯び、そして、どこからか、ごぽり、ごぽり、と水が湧くような、奇妙な音が聞こえてくる。
「なんだか、嫌な感じがするね……」
リリアが、不安げに呟く。
「ああ。気をつけろ。何か来るかもしれん」
グレイが警戒を強めたその時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
突如、ダンジョン全体が、地響きを立てて揺れ始めた。
「うわっ! 地震か!?」
俺は、思わず壁に手をつく。
「違う! 見ろ、ミナト!」
グレイが指さした先を見て、俺は言葉を失った。
俺たちが今しがた通ってきたばかりの通路が、まるで生き物のように蠢き、その入り口をゆっくりと塞いでいく。壁と壁が融合し、ほんの数秒で、そこはただの行き止まりの壁に変わってしまったのだ。
「嘘だろ……。道が、消えた……?」
「これが、『アビス』の構造変化だ」
グレイは、顔色一つ変えずに言った。
「ギルドマスターの言ってた通りだな。舐めてかかると、帰り道がなくなる、か」
「じゃあ、俺たち、閉じ込められたってことかよ!」
「慌てるな。道が一つ消えれば、またどこかに新しい道が生まれる。それが、このダンジョンの理屈だ」
グレイの冷静な言葉に、俺は少しだけ落ち着きを取り戻す。
「それより、問題は、この変化が何を意味するかだ」
「どういうことだ?」
「ただの気まぐれか、それとも……。俺たちを、どこかへ誘導しようとしているのか」
グレイは、通路の奥の深い闇を見つめた。
その時、俺の脳裏に、あの声が響いた。
鈴が鳴るような、可憐で、そして、どこまでも無機質な声。
『――正解よ、A級冒険者』
「監視者」の少女の声だ。
『これは、ただの迷路遊びじゃない。あなたたちを、次の舞台へと導くための、優しい道案内。さあ、進みなさい。この先に、あなたたちが求める答えと、そして、新たな絶望を用意して待っているわ』
声は、それだけを告げると、ふっと消えた。
俺は、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
俺たちは、ただ地図を作っているだけではなかった。知らず知らずのうちに、あの少女が仕掛けた巨大なゲーム盤の上を、歩かされていたのだ。




