第2話「錆びた剣と本物の殺意」
「ここは?」
俺の問いに、リリアは少し困ったように微笑んだ。
「私の仮の拠点みたいなものかな。あなたが通路の真ん中で倒れていたから、ここまで運んできたの」
「そうか……。助けてくれたんだな。ありがとう」
「ううん。それより、これを使って。ないよりはマシだと思うから」
リリアが指差したのは、壁に立てかけてあった一本の剣だった。鞘は革製で所々が擦り切れ、柄に巻かれた布も黒ずんでいる。
「剣……。本物か……!」
俺は思わず声を上げた。ずしりとした冷たい鋼の重みが腕に伝わる。抜いてみると、案の定、刀身には錆が浮いていた。
「え? うん、本物だけど……ずいぶん古そうだから、気休め程度かもしれないよ」
「いや、十分だ! これがあれば……!」
ラノベの主人公たちが当たり前のように振るう鋼の武器。これを手にしただけで、自分が何者かになれたような気がした。
「なあ、リリア。このダンジョンって、なんて名前なんだ?」
ランプの光を頼りに石造りの通路を進みながら、俺は尋ねた。ひんやりと湿った空気が肌を撫でる。
「ここは『アビス』って呼ばれてる。すごく深くて、まだ誰も底まで辿り着いたことがないんだって」
「アビス……。すげぇ……」
物語に出てきそうな名前に、胸が躍る。
「ミナトさんは、どうしてここに? 見たことない服を着てたけど……」
「え? あー、それは……まあ、色々あってな!」
俺は言葉を濁した。転移してきた、なんて言って信じてもらえるだろうか。
「それより、リリアはどうして一人でこんなところに?」
「私は……探し物をしているの。とても、大切なものを」
そう言ったリリアの横顔に、一瞬だけ寂しげな影が差したように見えた。
その時だった。通路の先、少し開けた空間から、何かが蠢く気配がした。
ギィ、ギィ、と耳障りな声。
「ミナトさん、気をつけて! ゴブリンだよ!」
リリアが俺の背後にさっと隠れ、ローブの袖を強く掴んだ。そのか弱さが、俺のちっぽけな自尊心をくすぐる。
物陰から姿を現したのは、二体のゴブリンだった。緑色の醜い肌、鉤爪のついた汚れた手、そしてその目に宿る、明確な敵意と飢え。
ラノベの挿絵で見た、あの雑魚モンスターだ。
だが、本物は違った。涎を垂らしながらこちらを品定めする、その生々しい殺意。それは、俺が今まで生きてきた灰色の世界には、決して存在しなかったものだった。
「大丈夫だ、リリア! 俺に任せろ!」
俺は自分を鼓舞するように叫び、ゴブリンに向かって突進した。脳内シミュレーション通り、頭上から剣を振り下ろす!
しかし、現実は甘くなかった。
「なっ!? 速い……!」
剣は空を切り、ゴブリンはひょいと身をかがめて俺の一撃を避けると、その勢いのまま爪を振り上げてきた。
「ぐわっ!」
咄嗟に腕で庇う。分厚い麻のシャツの上からだったが、鋭い痛みが走り、数本の切り傷ができた。熱い血がじわりと滲む。
「いってぇ……!」
その単純な事実に、頭が真っ白になった。足が震え、腰が引ける。
「くそっ……!なんだよ、話が違うじゃねえか……!」
もう一体のゴブリンが、甲高い奇声を上げて横から飛びかかってきた。
もう避けられない。死ぬ。
「危ない! ――聖なる光よ、彼の者を挫け!」
リリアの凛とした声が響いた。彼女が突き出した杖の先から眩い光が放たれ、ゴブリンを直撃する。
「ギィッ!?」
苦悶の声を上げ、ゴブリンの動きが一瞬だけ止まった。
「今だっ!」
俺は恐怖に突き動かされるまま、めちゃくちゃに剣を振るった。
ガツン、という鈍い手応え。緑色の血が噴き出す。ゴブリンは断末魔の叫びを上げ、そして、動かなくなった。
もう一体は、仲間がやられたのを見て怯んだように後ずさる。
「うおおおおっ!」
俺は半ばパニックになりながら、そのゴブリンに斬りかかった。ただ生き延びたい一心で、何度も何度も剣を振り下ろした。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
肩で息をする俺に、リリアが駆け寄ってきた。
「ミナトさん、すごい! やったね!」
「あ、ああ……。こんなの、大したことないさ」
本当は足がガクガク震えていた。リリアの助けがなければ、間違いなく死んでいた。
だが、彼女の純粋な賞賛の言葉に、俺は虚勢を張ってしまう。
「ううん、そんなことないよ! 私一人だったら、きっと逃げるしかなかった。ありがとう!」
「……」
「あ、腕の傷、見せて。私が治してあげるから」
リリアが俺の腕にそっと手をかざすと、温かい光が傷を包み込み、痛みがすうっと引いていった。
「うわ……すごい。痛みが消えていく……」
「ふふっ。私、これくらいしかできないから」
「そんなことないだろ。リリアの魔法がなかったら、俺、死んでた」
「ミナトさんが戦ってくれたからだよ。それにしても、ミナトさんって強いんだね。かっこよかったよ」
「そ、そうか? まあな!」
彼女の言葉に、俺の心は再び舞い上がった。
そうだ、俺はやれるじゃないか。最初の戦闘は少し手こずったが、慣れれば問題ない。
この出会いは、やっぱり運命だったんだ。




