助けてくれたのは
朝からよく晴れた今日、マラソン大会が行われていた。
すっきりと晴れていて気分が良いが、最近晴れ続きで気温が上がっている。梅雨前なので風に湿気がない分、まだましだけれど。
折り返し地点くらいまでは元気だったけど、どんどん苦しくなってきた。暑いし、なんだか頭も痛い。
「春姫もうちょっとだよ!がんばろ〜!」
「うん…!」
隣を走るあかりんと励まし合いながら頑張る。どうしても疲れた時は少し歩いたりもするけれど、なるべく走るようにしている。
藍ちゃんは運動部の仲間達と一緒に颯爽と走って行ったので、もうゴールしてるんじゃないかな。
私も運動部入っておけばよかったかなと、昨年と同じことを思う。
息苦しさと足の痛みに耐えて走り続けて、やっとゴールできた。
ゴール地点でもらった順位の紙を見ると、学年の半分よりは下だった。まあ、私たちは順位に興味はないけれど。
「あかりん、日陰行こう。暑い。」
「そうだね。」
あかりんを誘って体育館の屋根下まで来ると、やっと座れた。ゴール地点近くの日陰は、先に走り終わった人達で溢れていたので、少し離れたここにきた。
日陰はやっぱり涼しい。
少し休んだら藍ちゃん探しに行こうかと話していたのだけれど。
…なんだか身体の熱さが抜けないし、頭も痛い。少しふらふらして、あかりんに寄りかかった。
「春姫どうしたの?…え、本当に大丈夫?」
「うん…、ちょっとふらふらするかも。」
怠くて立てない。頭も痛くて目を瞑る。
あかりんが心配してわたわたしてる気配を感じるけど、あんまり人がいないここは周りに知り合いもいない。
とりあえず藍ちゃんに連絡しなきゃ!と、スマホを操作してるようだ。
でも藍ちゃんじゃ私を運べないかもしれない…悠真に連絡してもらおうと思った時、肩と膝裏に触れられた感覚と浮遊感があった。
えっ!とあかりんの驚いた声が聞こえる。
「…ゆうま?」
誰?悠真?…でも匂いが違う気がする。
ぐるぐるして目を開けられなくて、目を瞑ったまま名前を呼んでみる。
「誰だよそれ。」
低い声、ぶっきらぼうな言い方。
聞き慣れない声に驚いて、なんとか目を開けると、知らない男の子が私を抱えていた。
もう少しよく見て確認したかったけど、またぐるぐるしてきて目を瞑った。
「俺が保健室まで運びますから。先輩は友達ですか?着いてきてください。」
「あ、はい!」
ぶっきらぼうな言い方の男の子に、珍しくあかりんが動揺している。
私は今、俗に言うお姫様抱っこの状態なんだろう。
距離が近くて、相手の体温も息遣いも感じる。匂いも近くて、男性用の制汗剤の匂いがするなと思った時、もしかして私汗くさいかもとちょっと焦る。走る前に私も制汗剤はつけたけど、走り終わった後は汗拭きシートとか使っていなかった。
でもどうすることもできない私は、そのまま大人しく運ばれたのだった。
保健室の先生によると、軽い熱中症だそうだ。
スポドリと塩飴を渡されて、飲んだらベッドに横になるよう言われた。頭の下には氷枕が入れられて、ひんやりして気持ち良い。
「少し寝てたらよくなると思うけど、変わらなかったら家の人に連絡しようか。とりあえず今日は安静ね。」
「わかりました。ありがとうございます。」
お礼を言うと、個室のカーテンが閉められた。
カーテンのこちら側には、あかりんと、私を運んできてくれた男の子がいる。
「ありがとう、えっと…。」
「夏見 礼です。俺のことはいいんで、早く休んでください。」
夏見礼くん。切れ長の目がちょっと怖く見えるけど、知り合いでもない私を助けてくれたくらい優しい人だ。
うちの高校は学年ごとにジャージに違う色のラインが入っているけど、それを見るに彼は一年生だ。
「じゃあ。」とカーテンを開けて出ていく時、保健室の扉を開けて藍ちゃんが入ってきたのが見えた。そして、その後ろには悠太もいる。
藍ちゃんは一目散に私のところに来たけど、悠太は夏見くんをじっと見た。だけど夏見くんは何も反応せず出て行った。
「春姫大丈夫?あかりんから連絡きてびっくりしたよ。」
「大丈夫、少し休めば良くなるよ。」
横になったままで申し訳ないけど、心配してくれる藍ちゃんに笑って返す。水分も塩飴も摂取したし、さっきよりずいぶん体調は良くなった。
そこに、悠太も入ってきてカーテンを後ろ手で閉めた。
しゃがみ込んで、私と視線を合わせる。
「頑張りすぎちゃったんだね。とりあえずゆっくり休んで。」
大きな手で頭を撫でられてちょっとくすぐったい。最近こんな風に触られることがなかったから、内心ちょっと驚く。
そういえば、昔は手を繋いだりもしてたのに、今は必要最低限しか触れることがなくなった。まあ、お互い大人になってきて、もうこどもじゃないもんね。
そんな私達を見た藍ちゃんが目を輝かせていることは、もう見なくてもわかる。
「ところで。」と悠太が話す。
「今出て行ったのは誰だったの?一年生みたいだったけど。」
「夏見くん。ここまで私を運んでくれたんだよ。…私、お姫様抱っこされたの初めてかも。」
「…へえ。夏見、ね。」
私の頭を撫でる手が止まり、黙り込む。口元には笑みが浮かんでいるけど、なんだか目が笑っていないような気がする。
あかりんも藍ちゃんも黙っているので、当然この場に沈黙が落ちる。
え、何だろう。今は喋っちゃいけない空気なの?なんだか悠太様子がおかしいし…。
藍ちゃんとあかりんを見るけど、二人とも目を逸らされてしまった。
「まあ、わかった。春姫、心配だから今日は一緒に帰ろうね。あとで連絡して。」
「うん、分かった。ありがとう悠真。」
帰る途中にふらふらしても困るので、悠真がいてくれるとありがたい。なので素直に頷いた。
しっかり休むんだよと、保護者のようなことを言い残して悠真は戻って行った。
「秋月くん、こわ〜…。」
「うん、今のは怖かったね。」
あかりんと藍ちゃんが手を取り合って悠真の出て行った方を見ている。
怖くはないけど、たしかに悠真ちょっと変だった。
「ちなみになんだけど、夏見くんは我が美術部の後輩。」
「え、そうなの?運動部とか入ってそうなのに。」
藍ちゃんの言葉に私も頷く。
決して軽くはない私を抱えても平気そうだったし、体は結構がっしりしていた気がする。
背も高くてスポーツをやっていてもおかしくない。
「中学まではバリバリ運動部だったみたいだよ。でも絵も上手いんだなこれが。」
彼は多才なんだなと思っていると、「ほうほう!」と藍ちゃんが嬉しそうに頷き出した。
「ちょっとこれは良い展開なんじゃない!?優しいスポーツマンの幼馴染と、芸術的才能を持つちょっと尖った後輩!これは今後が楽しみ!」
「…藍ちゃん、少女漫画じゃないんだから。」
どうどうと宥めるが、キラキラした目は私に向けられた。
「ねえ!夏見くんのことどう思った?お姫様抱っこされてドキドキしちゃった!?」
ドキドキもなにも、そんなこと考えてる場合じゃなかったんだけどな…。
でも、今考えてみれば、悠真以外の男の子にあんなに近付いたのは初めてかもしれない。
自分とは違う、男の子らしい身体を思い出すと、なんだか恥ずかしくなってきた。
「…思い返すと、ちょっとドキドキしたかも。」
正直に答えると、藍ちゃんだけじゃなくあかりんまで「おおー!」と歓声を上げた。そのまま盛り上がっていた二人だけど、シャッとカーテンを開けて保健室の先生が入ってきた。
「こら!具合悪い人いるんだから、元気な人は戻りなさい!」
「ごめんさなーい。」
二人は注意されたことでしゅんとしたが、それでも私にニコニコ笑顔で手を振って戻って行った。
カーテンがひかれ半個室となったベッドの上で一人になった。
藍ちゃんから借りた漫画で、ヒロインをお姫様抱っこで助けてくれるヒーローがいたなぁと思い出す。ときめくシチュエーションだけど、実際に具合が悪い時はそんなことを思う余裕はなかった。
だけど、少し落ち着いた今冷静に考えると、知らない人を当然のように助けてくれた夏見くんはすごく優しい人だと思う。
それに、抱えられていた時に感じた大きな身体の温かさとか、息遣いを思い出して、ドキドキするし…なんだか落ち着かない気持ちになってくる。
だめだ、思い出すと全然休めない。
できるだけ何も考えないようにして、今は体を休めよう。はやく元気になって、あかりんにも藍ちゃんにも、悠真にも、心配かけてごめんねって言わなくちゃ。
一眠りしてだいぶ元気になり、あかりん達のいる教室に戻った。
心配してくれた二人にお礼を言う。悠真にもメッセージアプリで元気になって教室に戻ったことを伝えた。
「秋月くんと帰るんだもんね。それなら安心だ〜。」
あかりんの言葉にうなずく。
今日は一日マラソン大会の日なので、全日程が終わったら帰っていいことになっている。
帰り支度をして三人で廊下で待っていると、ほどなくして悠真が来てくれた。
「少し休めた?体調は大丈夫?」
「うん、少し眠って元気になったよ。ありがとう。」
笑顔で言うと、悠真は安心したように微笑んだ。
「よかった、じゃあ帰ろうか。小川さん、三原さんも、また。」
「はーい。気をつけてね〜。」
「お二人ともばいばーい。」
二人に手を振って別れる。
廊下は人もまばらで、早々に帰った人も多いようだ。
待っていてくれたあかりん達は本当に優しい。
悠真と話しながら帰る。
悠真はマラソン大会では上位に入ったみたいだった。やっぱりスポーツができる人はすごい。頑張ったけど順位は低いし、ヘロヘロになってしまった私とは大違いだ。
今日は部活はなかったのかと聞くと、だいたいの運動部はさすがに休みだよと言われた。
いろんな話をしていたのだけど、不意に悠真がその人の名前を出した。
「そういえば夏見のことなんだけど。」
夏見、と言われてドキッとする。
考えないようにしていた分、突然言われるとびっくりする。
私の態度があからさまだったのか、悠真は微妙な顔で私を見た。
「…新歓やってた時、うちにも一回来たなって思い出しただけ。結局、美術部に入ったらしいけど。」
「うん、美術部の後輩だってあかりん言ってたよ。絵が上手なんだって。」
やっぱり運動部も見て回ったんだ。美術部を選んだというのは何度考えても意外だな。
彼はどんな絵を描くんだろう。
風景画?人物画?
彼の外見からは力強い絵を描きそうな感じがするけど、でも、彼の中身のように優しい絵を描くかもしれない。
…見てみたいな、夏見くんの描いた絵。
「春姫。」
「うん?」
ぼーっと考えていると、名前を呼ばれた。
顔を上げて悠真を見ると、思ったより距離が近いことに驚く。
反射で後ずさろうとした私を止めるように、頬に手があてられた。大きな掌は、熱い。
「俺、夏見にむかついてる。」
「え…?」
悠真がそんなことを言うなんてめずらしい。
でも、どうしたのなんて聞けなかった。だって悠真が真剣な顔をしてたから。
「春姫を助けてくれたんだから感謝するとこなんだけど。でも、こんなこと言ってもどうしようもないのは分かってるけどさ、…俺が春姫を助けたかった。」
まっすぐな目で見つめられて、どうしていいか分からなくなる。
大きくなってからこんなに近くで悠真の顔を見たのは初めてだ。肌はきめ細やかで、睫毛は長くて…色素の薄い瞳は私だけを映している。
そうしていたら、どんどん胸の音が大きくなってきて、顔も熱くなってきた。
すると、悠真はパッと私から離れた。真剣な表情は緩んで、困ったように笑っている。
「ごめん、驚かせたね。…でも、何かあった時は一番に俺を頼って欲しいな。」
いつもの距離に戻って、いつもの悠真の表情に戻った。
私はそのことに、少し安心した。
「…うん。…でも私、悠真を一番信頼してるよ。具合が悪くなった時、悠真に連絡しようとしたんだもの。」
「そうなの?…それは嬉しいな。」
言葉の通り、悠真は嬉しそうに笑った。
その後の帰り道は、いつもと変わらない悠真だった。優しくにこにこ笑ってて、どんな話でも聞いてくれた。
だけど、家に着いてばいばいって別れた後、私は、あの少しの間だけ見た真剣な表情の悠真が忘れられないでいた。




