君への想い
花火大会には小さい頃からお母さん達に連れていってもらっている。悠真と悠真のお母さんも、都合が合えば一緒に行くこともあった。
だけど、悠真と二人きりで行くのは今日が初めてだ。
花火が打ち上がるのは19時からだけど、少し早めに17時には向かうことになっている。集合場所は、もちろん家の前だ。
せっかくだから浴衣を着て行こうと思って、お母さんに着付けを手伝ってもらった。藤色の浴衣に白い帯をあわせて、髪はまとめて小さな花飾りを着ける。
仕上げに少し濃いめのリップを塗って鏡の前でくるりと回れば、かわいいよとお母さんに太鼓判を押してもらえた。
そうこうしているうちにあっという間に時間になる。下駄を履いて行ってきますを言うと、お母さんが見送ってくれた。
家の門の前にはもう悠真がいて、私が出てきたことに気付くとこちらを見た。
…わあ、悠真も浴衣だ。
深い青色の浴衣を着ている悠真は、普段よりも大人っぽく見える。すごく似合ってて…。
「かっこいい…。」
思わず言葉がこぼれてハッと口を抑える。
悠真を見ると、ちょっとびっくりした顔をしてからクスクスと笑った。
「…笑わなくてもいいじゃない。」
恥ずかしさを誤魔化すようにムスッとした表情で近付く。
「ごめんごめん、でもありがとう。…春姫の浴衣姿なんて小さい頃に見た以来だね。すごく可愛いよ。」
今度は穏やかに微笑みながら褒めてくるものだから、別の意味で頬が赤くなる。
…ほら、やっぱり私、悠真のこと意識してる。
よく考えれば、今までも悠真は私に対して可愛いとか褒め言葉を言ってくれていた。だけど今までは「ありがとう」くらいにしか思わなかった。
でも今は、嬉しくて恥ずかしくて、くすぐったい気持ちになる。
どうしようもない感情を持てあましながら、「早く行こうよ。」と悠真を急かす。
「笑ったことまだ怒ってるの?ごめんてば。」
悠真の今の顔は見なくても分かる。きっと、困ったように笑っているんだろう。
歩き出して少し落ち着いてから、今日の目的を思い出す。
そうだ、今日は悠真のことをよく見る日なんだった。
ちょっとドキドキしたくらいで目を逸らしてはダメだ。
悠真が私のことをどう思っているのか知りたい。
藍ちゃん達は悠真が私に好意があると思っているみたいだったけど、本当のところは悠真本人しか分からない。
悠真が私を大切にしてくれていることは知っている。だけどそれは、私がそうだったように、悠真にとって私は家族のようなものだからなのかもしれない。
家族じゃなくて、一人の女の子として見てくれていたら良いなと思うのは、私の我儘だけど。
「浴衣慣れないけど、着るとなんだか背筋が伸びる感じがするね。」
頭の中でいろいろ考えている私と比べ、悠真はいつも通りに見える。
「そうだね、特別感があるよね。……わっ!」
「!おっと…。」
慣れない下駄でつまづいて前のめりになる。
転んでしまう…!と身構えたけれど、悠真が私を支えてくれた。
「大丈夫?」
「うん、ありがとう…。」
びっくりした。下駄に慣れるまで慎重に歩かなきゃいけないのに、考え事をしていたから転びかけた。
悠真の手を借りて体勢を立て直し歩き出したのだけど、悠真は私の手を握ったままだ。
「あの、悠真?もう大丈夫だよ。」
「ん、そうだね。…また転びそうになったら危ないから、このまま手繋いでいようか?」
そう言って、わずかに手を握る力が強くなる。
握られたのは手なのに、ギュッと心臓を握られたような心地がした。
「…子ども扱い、しないで。」
熱い頬を誤魔化すことも、上手な返しもできなくて、なんとか掠れた声を出した。
余裕がない自分を見せてしまっていることも恥ずかしい。
すると、パッと手が離されて悠真が前を歩き出す。
「…子ども扱いしてないよ、心配しただけ。」
その表情は見えないけれど、いつも通りの穏やかな声音だった。
…ドキドキしてるのは、私だけなのかな。
そう思うと、胸がチクッと痛かった。
花火は夜からだけど、屋台は午前中から出ている。友達同士や家族連れ、カップルまで、どこのお店の前も人が並んでいて、とても賑わっている。
たこ焼き、りんご飴、綿飴、焼きそば…。甘い匂いやソースの香ばしい匂いが漂ってきて、お祭り独特の雰囲気に胸が躍る。
花火までまだ時間があるし、まずはお腹を満たすことにした。
「悠真、作戦会議しなきゃ!効率良く食べたいもの買いに行こう!」
屋台をぐるりと見渡して、食べたいものをリストアップする。
悠真と私で反対側から攻めて、買えたら合流しようと思ったのだけれど、悠真に止められてしまった。
「プールで変な人に絡まれたの忘れたの?これだけ人も多いんだから、一緒にいた方が安全だよ。」
「それは、そうだけど…。」
たしかに悠真の言う通りだ。
よく見るとヤンチャそうな人達もちらほらいるし、この前みたいな怖い思いもしたくない。
結局、大人しく悠真と二人で並んだのだった。
とりあえず、たこ焼きと焼きそば、ポテトを買って空いている椅子に座る。二人でシェアしながら食べるのだ。
どれも普段の生活でも口にするものだけど、お祭りの屋台のご飯は一味違う気がするのは何故だろう。
「おいしいね!お祭りの味って感じ!」
「お祭りの味か。お祭りの雰囲気がよりご飯を美味しくしてくれてるのかもね。」
「そうかも。この特別感が良いよね。」
ずっと一緒に育ってきたから意見が合うなぁ。
こういうところが嬉しいし、一緒にいて楽しい。
悠真も、そう思ってくれているだろうか。
「悠真?…やっぱり悠真だ!お前も来てたのか!」
突然声をかけられて振り向くと、男の人が四人いた。見覚えがあるような…と思っていると、悠真が小さな声で「先輩達だ。」と教えてくれた。
そっか、サッカー部の先輩達だから見たことあるのか。
納得して、悠真に倣いお辞儀をする。
「は?お前彼女と来てるわけ?」
「なんだよー!俺らあぶれ者同士で来てるのに!」
"彼女"という言葉にドキッとする。
だけど私達の間にそんな事実はない。
だから、「いいえ、ただの幼馴染です」って言って誤解を解くんだろうなと思った。でも悠真は何も反論しなくて、そのまま先輩達と談笑している。
…どうして、何も言わないんだろう。
訂正するのが面倒なのか、訂正するほどのことでもないのか、あとは何だろう…。
悠真が私のことをどう思っているか見極めるぞと思っていたけれど、ますます悠真の考えていることが分からない。
私はちょっと悩んで、先輩達と話している悠真を置いて飲み物を買いに行くことにした。
「私、飲み物買ってくる。すぐ戻るね。」
「えっ、ちょっと待って俺も…。」
悠真も一緒に来てくれようとしたけど、「まだ話は終わってない!」という先輩達に阻まれた。いくら悠真でも、先輩達を無碍にすることはできないだろう。
困った顔で私を見ていて、そんな悠真もなんだか可愛く見える。
でも、私ばっかりドキドキしてることへの小さな仕返しだと思って、小さく手を振ってその場を離れた。
飲み物、飲み物…と探していると、ラムネの文字が見えてその屋台の列に並んだ。
ペットボトルのジュースも並んでいるけれど、せっかくなら瓶ラムネの方が楽しいだろう。
自分の番が来て注文すると、氷水から瓶が取り出されタオルで水滴を拭いて渡された。
空気が蒸し暑い分、よく冷えた瓶が気持ち良く感じる。
早く悠真にも涼しさを届けてあげよう。
そう思って歩き出したのだけれど、目の前に人が立ち塞がった。
「こんばんは〜。もしかして一人…、ラムネ二つあるから二人か。」
「友達と来てるんですか?だったら俺達も一緒にどうですか?」
同じ年くらいの二人の男の子が立ち塞がって進めない。
もしかしなくてもナンパだ。
二人で一緒にいた方が安全だという悠真の言葉を思い出して、本当にその通りだったかもと後悔する。
「あの、人待たせてるので。そこ避けてもらってもいいですか…。」
ハッキリ断らないとと思うけど、ちょっと怖くて言葉が尻すぼみになってしまう。
「そんな寂しいこと言わないで、ちょっと遊ぶくらいいいでしょ。甘いものとか好きですか?」
だめだ、全然どいてくれない。
こうなったらスマホで悠真に助けを求めるしかないと思った時、思わぬ助け舟が入った。
「お前ら、嫌がってる人に絡むのやめろって。」
すぐ後ろから、聞き覚えのある声が聞こえた。
目の前の男の子たちはその声の主を見ると、いかにも不満ですというように口を尖らせた。
「俺らだってチャンス狙ってるんだよ。」
「そうだ、そうだ!夏の思い出作らせろ!」
「だからって相手怖がらせるのは違うだろ。」
やんややんやと不満を訴えていたけれど、ズバッと正論を言われて押し黙る。でも、その後に言われた言葉で、男の子たちは一気に笑顔になった。
「あっちに逆ナンしてる女の子達いたからそっち狙えよ。」
「まじ?それを早く言えよ!」
「恋愛は需要と供給だ!…お姉さん怖がらせてごめんね、じゃあね!」
驚くほどあっさりと離れて行って、あの子達はとりあえず相手は誰でもよかったんだなと拍子抜けする。謝られたから、怖い思いをしたことは許してあげよう。
くるりと振り返って、助けてくれた人に向き直る。
…ほら、やっぱり夏見くんだった。
「ありがとう、夏見くん。助けてもらって。」
「そんなのは別にいいです。それより、一人でふらふらしてたら危ないですよ。」
「うん、それは今実感したから気をつける。さっきの人達は知り合いなの?親しげだったけど。」
「中学の友達です。悪い奴らじゃないんですけど、怖がらせてすみません。」
そんなの、夏見くんが謝ることじゃないのに。
悪い奴らじゃないってフォローするところも、夏見くんの優しさが出ている。
「あいつらに連れてこられたけど、先輩に会えるなら来てよかった。…浴衣似合ってますね、綺麗です。」
ごく自然に褒めてくるから、悪い気はしないけど動揺してしまう。
「…夏見くんて、そういうことサラリと言うよね。先輩を動揺させて楽しい?」
ちょっと意地悪のつもりで、わざと口を尖らせてそう言うと、彼はフッと笑った。
「思ったこと言っただけだけど…。でも先輩が俺に動揺させられてるなら嬉しい。先輩の心の中に、俺が入り込んだってことでしょ?」
「!…。」
今度こそドキッとして黙ってしまう。
ストレートな物言いに恥ずかしくなって視線を彷徨わせる。
「…頬、りんご飴みたいで美味そう。」
下げた視線の先で、私に一歩近付く夏見くんの足が見える。
「ねえ、春姫先輩…。」
それと一緒に夏見くんの低い声も近付いてきて、大袈裟なほどびくりと肩を揺らしてしまった。
その時、突然、腕を引かれてよろめいた。
でも倒れることはなくて、背中から大きな何かにぶつかって止まった。
「見つけた、春姫。」
「あっ…。」
驚いて仰ぎ見ると、それは悠真だった。
腕を引かれて、悠真の胸に寄りかかるような体勢になっている。
体勢を戻そうとするけれど、不安定な足元と悠真に掴まれたままの腕のせいでどうすることもできない。
「遅かったから心配したよ。…夏見も来てたんだ。」
「そちらこそ、やっぱり幼馴染同士で来てたんですね。」
夏見くんはさっきまでの笑みと打って変わって、悠真を見る目はどこか冷たく見える。
悠真はちらりと私の顔を見ると、少し眉を顰めた。そしてそのまま夏見くんを見る。
「そんな目で見られても、俺は何もしてないですよ。それより、一人で春姫先輩にこんなところを歩かせるなんてどういうつもりですか?俺が助けるまで、怖い思いしてましたけど。」
「!…もうそんな思いはさせない。」
さっきナンパされたこと、悠真にわざわざ言う必要ないのに。なんだか夏見くん、悠真に対して意地悪に見える。
「私は大丈夫だから。ほら悠真、戻ろう?花火始まっちゃうよ。」
あんまり二人を一緒にいさせない方が良い気がして、もう行こうと悠真の胸を押す。
そんな私を見て無言で頷くと、誰にでも愛想が良い悠真には珍しく、夏見くんに何も言わずに踵を返した。
腕を掴まれたまま私も悠真に続こうとしたのだけれど、今度は反対の腕をパシッと掴まれた。
ハッと振り向くと、私の腕を掴んだ夏見くんは口元に笑みを浮かべていた。
あの日の、美術室を思い出す。
「春姫先輩、俺にもまだチャンスあるでしょ?なら、もっと俺のこと考えて。」
近い距離で、囁くように言われた言葉。
何も言えず、夏見くんの顔を見ることしかできない私を見て彼は少し笑った。そして、あっさりとその手を離す。
「じゃあ、幼馴染先輩もそういうことなんで。」
そう言って悠真を一瞥すると、ひらひらと手を振って人混みに紛れて行ってしまった。
「春姫、行くよ。」
「あっ…うん。」
くいっと引かれて歩き出す。
掴まれた手首が熱い。優しい悠真には珍しく力がこもっている。
前を歩く悠真の表情は見えないけれど、怒っているような気配がするのは気のせいだろうか。
「ラムネ、少しぬくるなっちゃったね。」
空いていたベンチに座り、悠真に開けてもらったラムネを受け取る。
泡が弾ける音も、押し込まれたビー玉がコロコロ転がる様子も楽しい、私達の好きな飲み物だ。
「そうだね。」
楽しい時間のはずなのに、悠真は口数が少ない。私を見て、ニコニコと笑うこともしない。
それはやっぱり、さっきのことが関係しているのだろう。
「いつの間にあいつと仲良くなったの?」
少しの沈黙の後、悠真はそう言った。
ほら、やっぱり夏見くんのことを気にしてる。
「学校で何回か会うことがあって、それで自然と話すようになったって感じかな。」
悠真は手元のラムネを見つめたままだ。
「そっか。…さっき俺が迎えに行く前に、夏見と何かあった?」
「何かって…、男の子たちから助けてもらっただけだよ。」
「本当に、それだけ?」
「うん。…悠真、なんでそんなこと聞くの?」
悠真の質問に答えても、視線は合わない。
何か言いたげな様子に、私からも質問してみると、少し間を空けて言葉が返ってきた。
「じゃあ、なんで夏見の前であんなに顔赤くしてたの。」
「それは……。」
"りんご飴みたい"
そう言った夏見くんの言葉を思い出す。
"動揺させられて嬉しい" "心の中に入り込めた"なんて言われて、ドキドキしないわけがない。
赤くなった顔を、悠真にも見られていたのだ。
そんなことをわざわざ口に出すことは恥ずかしいし、どう説明したらいいんだろうと迷ってしまう。
「夏見くん、ストレートすぎる物言いをすることがあるから、びっくりしたの。」
「……。」
私の返答に悠真からの返事はなく、沈黙が落ちた。
…………………………
今までは、春姫が俺をただの幼馴染としてしか見ていないことは明白だった。俺の一方的な気持ちを伝えることで春姫を怖がらせたらいけない、関係を崩してはいけないと、自分を抑えて過ごしてきた。
だけど最近、自惚れじゃなければ、春姫は俺のことを意識してくれるようになった気がする。
ふと目が合うと、薄っすら赤くなった頬を慌てて隠した春姫に気が付いた時、どれだけ嬉しかったことか。
ただの幼馴染じゃない、春姫の特別な人に…好きな人になりたいという今まで抑えてきた想いが、日に日に膨らんでいった。
だけど、春姫は俺だけを見ていたわけじゃなかった。
いつの間にか夏見が春姫との距離を縮めていて、気が付いたらもう春姫のすぐ近くにいた。
俺の前じゃ見せなかったような、真っ赤な顔と潤んだ瞳をしているのを見た時、嫉妬のあまり自制が効かなくなりそうだった。
それは、今この瞬間もだ。
夏見との間に何があったのか聞いているのは俺なのに、春姫が夏見のことを考えていると思うと、心が波立って仕方がない。
人が誰かを好きになることを止めることはできない。だから、夏見に春姫を見るななんて言えない。ましてや、ただの幼馴染でしかない俺が。
春姫に誰よりも近くて、誰よりも信頼される今の位置が心地よくて、手放すことができなかった。
夏見のことが好きなのか、俺のことはどう思っているのか。
その気持ちを聞いてしまったら、関係が崩れてしまうかもしれないことが怖かった。
だけど、もう、そんなことは言っていられない。
…………………………
『皆様お待たせいたしました。それでは間もなく、夜空に花火が打ち上がります。鮮やかな花々をお楽しみください。』
会場にアナウンスが響いて、もうそんな時間になったんだと空を見上げる。
風も強くなく、よく晴れていて、花火日和だ。
「悠真、もう花火始まるんだって。悠真も空見てみてよ。」
気まずい沈黙を破ったアナウンスにホッとして悠真に声をかける。
すると、悠真は空を見るどころか、真っ直ぐに私を見た。
「春姫。」
「ん?」
「俺、春姫のことが好き。」
ドンッという音と同時に、辺りが明るく照らし出された。
私を見つめる悠真の目が、真剣な表情が、鮮明すぎるほどよく見える。
時が止まってしまったかのような長い一瞬の後、光が落ちて再び薄暗くなる。
その時、私はやっと、悠真の言ったことを理解した。
「悠真…。」
続々と花火が打ち上げられる。夜空に花開く光たちにみんなが沸いていたが、その歓声はどこか遠くに聞こえる。
「俺、本気だから。あいつのこと考える暇ないくらい、俺のこと考えて。」
心臓がドキドキする。
胸がキュッと苦しくなって、息がしにくい。
何も答えられず、ただ悠真を見つめることしかできない。
そんな私を見て、悠真はやっと表情を緩ませた。
「返事は急がないから。」
そう言って、夜空に輝く花々を見上げた。