第四章 魔王決戦編 前編
第四章前編のep1〜ep10の総集編となっています。文字数は5400字程度です。
咲き誇れ 白彼岸花 君を見ゆ
影もろともに 秋霖に散る
入道雲が浮かぶ青空に背を向け、ぬるま湯に浸かるような暑苦しい日陰の細道に、シュヴァールは身を縮めて蹲っていた。
この世界は理不尽な運命に支配されている。
──それを思い知らされたのは、五歳のときだった。
アテン王国暦6年、今は失われし貴族家系「クリム家」に生まれたシュヴァールは、魔法が使えない忌み子だった。
そのことが広まると周りから執拗に嫌われ、蔑まれていた。それは、体中を踏み蹴られ、砂混じりの血傷が重なり絶えない日々の始まりだった。
「魔法が使えないなら、体で覚えないとな。」
そう言って、周りを囲い込むシュヴァールと同世代の子供達が、水をぶっかけ、炎で背中を服の上から炙り焦がす。
シュヴァールは涙が溢れ止まず、頭に痛みが走るほど震え叫ぶ。
それを聞いた子供達は、指を差し、腹を抱えながら嘲笑う。
日の暮れ際、子供達は去り、静かに一人で倒れ尽くすシュヴァールは、夕立に打たれながら拳を強く握り、歯を食いしばる。
「一緒に泣いてくれるのは空だけか…。あぁ…悔しい。俺は誰にも負けないくらい強くなりたい。」
そのとき、シュヴァールは雨混じりの涙を拭い、頬に泥の擦り跡をつけると、全身の痛みに耐えながら立ち上がる。そして、王都の出口へ向かって走り出す。
無我夢中で走り続けたシュヴァールは山林の夜道を登り、疲れ果てて倒れ込む。そして、息を吐くように眠りにつく。
天高く聳え立つ巨木で囲まれた原っぱに眠っていたシュヴァールは、眩しく差し込む朝日で目を覚ます。そして、膝を三角に立て、抱え込んで座る。
すると、遠くから生い茂る雑草を踏む音がだんだんと近づいてくる。
ビクビクと怯え固まっていたシュヴァールは、その音のする方へ首をゆっくりと振り向かせる。
そこには、笑顔でこちらに手を振りながら歩いて来る、少し年上の少年がいた。そして、彼はシュヴァールの傍に駆け寄ると、顔を伺うように膝を屈め、腰を落とす。
「君、随分と汚れているね。こんなところで何をしていたの?」
シュヴァールは、顔をそっぽに向かせ、視線を落とす。
「隠れていたんです。この世界から…。」
その白南風に鳴る風鈴のような弱々しく震える声に、少年は耳を澄ませた。そして、逸らされた瞳を横から見つめ、僅かな沈黙を置くと、シュヴァールの頭をそっと撫でる。
「そっか。この世界と”かくれんぼ”…してたんだね。きっと、今は一人になりたいと思うけど、僕を傍に居させてくれないかな?君の居る世界に僕も居たいんだ。」
シュヴァールは、忘れようとしたはずの悔し涙を思い出したかのように、温かさが少し滲んだ涙を頬にスーッと垂らす。その一粒を追いかけるように、ボロボロと涙が溢れ止まず、泣き崩れた。
それを見た少年は、シュヴァールの背中に手を添えて静かに摩る。
──彼の名はヘリオス・アルバ。光の英雄と呼ばれる初代国王の第一王子であり、白い光に祝福されて誕生したと言われる”天使の御子”。
宵烏の黄昏、パチパチと火花が弾ける音を立て始めた線香花火から、牡丹飾りを待つ線香花火に面映ゆく火を渡すような時の流れに、二人は身を委ねていた。
「シュヴァール。君に宿る白藍色の魔力。それは俺も初めて見る、未知で異質な属性だった。故に、君自身ですら理解出来なかった。…でも、ここで俺と出会ったことも運命なのかもしれないね。強くなりたいのなら、俺と一緒に来るかい?」
蝉が静まる夜更け、満天の星空の下で、手を差し伸べて立つアルバを見上げるシュヴァールは、その手を掴み取り、立ち上がる。
「はい。あなたの隣を僕の居場所にさせて下さい。」
──魔力属性、”時間”。これが理不尽な運命の答えだった。
こうして二人は師弟として新たな運命を歩み始めたのだった。
それから時は流れ、十一年の歳月が過ぎた。
雪混じりの雨が降り溶ける薄曇りの夜、アテン王国第二王子、魔界調査団”副団長”ヘリオス・バリエンテが魔界で失踪した。
さらに、彼が率いていた第二部隊に所属する隊員三名の遺体が魔界で発見された。
暫くして”第二王子失踪事件”の噂が王国各地で囁かれ、次第に「バリエンテ王子が隊員を殺したから逃げている」、「王家がバリエンテ王子を匿っている」と憶測が混じった謂れもない噂が広まっていった。
そうして、手掛かり一つなく四年が過ぎる頃には、この事件は世間の賑わいから忘れられ、”バリエンテ死亡説”だけが微かに残っていた。
雪に濡れる冷たい窓ガラスに触れ、薄暗い部屋で程よい自然光に浸る”団長側近”シュヴァールは、ぼーっと外を眺めていた。
今日は嫌な天気だ。また、あの日のことを思い出す。きっと、アルバ様も…。
まだ暗い明け方だった。悲嘆を隠すような微笑みをするアルバは、いつも通り魔界へ出発した。その背中を追いかけようとしたシュヴァールは、降り積もる白雪が喪失感に苛まれた心を一層際立たせ、足を竦ませた。
そして今、誰もいない部屋に閉じ籠もるようにアルバの帰りを待っている。
「言えるわけない。もう忘れようなんて…。もう諦めようなんて…。俺は…そんな情けない自分が、アルバ様より正しいと思ってしまうのが怖い。でも、あなたの隣が俺の居場所…そうですよね。」
シュヴァールはカーテンを両手でバッと強く閉めると、真っ暗になった部屋の扉を開け、大きく息を吸って駆け出す。
魔界最深層。足取りが重く、息が詰まるような閉塞感と不気味なほどに静寂で冷たい空気が纏わりつく。 シュヴァールは吐き気を抑えるように口に手を当て、ゆっくりと奥へ奥へと踏み進む。
すると突然、目の前の光景に足を止める。
シュヴァールの瞳に映るのは、深緋色の血溜まりにうつ伏せで倒れる人の朧影。その顔を伺うように、じっと見つめながら、ゆっくりと寄り近づく。
「アルバ…様?」
その体温が奪われたように蒼白に眠る顔に、見開く目を向けるシュヴァールは、その目を疑うように瞬きを繰り返す。
そして漸く、その先に立つ人影に気づき、不意に足元を見ていた顔を上げる。
「お前は…バリエンテ?ここで何があった?どうして、お前がここにいる?…答えろよ。」
「見ての通りだよ。兄上は俺が殺した。」
だんだんと息が浅くなっていくシュヴァールは、堪えていた涙を溢れ流しながら、嗚咽で喉が痛むほどに嘆き叫ぶ。
──間違っていたのは、自分の情けなさに正邪善悪を説いた俺の方だった。この後悔と悲しみは、きっと何も生まない。けれど、これは貴方と過ごした時間が大切だった証だから。今は、ただ貴方を思う一時をお許し下さい。
白藍の空を映す雨溜まりに舞い降りる黒歌鳥が、枯れ茨を咥えて羽ばたくと、”苦痛への敬愛”が沁みた紫陽花の蕾が純白の花びらを咲かせる。
天使の加護、”慈悲”。──無慈悲を乗り越えた者に与えられる聖なる力。
息を落ち着かせたシュヴァールは、淀みなく静かに立ち上がり、バリエンテを乾いた瞳で鋭く睨みつける。
「バリエンテ、一つだけ聞かせろ。どうしてアルバ様を殺した?」
すると、バリエンテは不敵な笑みで見つめ返す。
「…俺が魔王だからさ。」
それを聞いたシュヴァールは、歯を食いしばると、勢いよく両手を広げ、魔力を広範囲に拡散させる。
「聖時間結界魔法、クロノス·インペリウム。」
結界魔法。──それは自然環境支配の究極形態。自身の属性術式で空間を閉じ込め、内部の自然魔力を支配する。
「聖時間魔法、クロノス·パラリゼ。」
シュヴァールが手のひらを前に向けて突き出すと、それを合図に、結界内の時間は完全に停止し、目の前の風景から光が奪われていく。
しかし、シュヴァールは瞳に映る僅かな揺らぎに、目を凝らす。
そして次の瞬間、止まっていたはずの世界が彩りを取り戻し、動き出すと、空間を囲い込んでいた結界が崩れ去る。
「神滅魔力防御。お前の魔法は所詮、兄上の真似事。やはり、お前には何も見えていないな。」
シュヴァールは、息を忘れたように呆然と立ち尽くし、震える腕を強く握る。
「分かっていた。アルバ様が勝てない相手に、俺が勝てないことくらい…。どれだけ貴方を思っていても、復讐に変わりはないことも…。それでも、戦わずにはいられないんだ。」
そのとき、梅雨晴れに咲く純白の紫陽花は、着飾る”無慈悲な敗北”の隙間から覗く真花に、微かな天日を浴びせる。
天使の誓約、”別天結”。──天使の加護、"慈悲"に宿る真の力。別次元の「聖なる力に満ちた異空間」を顕現し、あらゆるものを閉じ込める。
それは、天使が耳打ち囁くように、シュヴァールの空っぽな脳裏に過り、魔法を浮かび上がらせる。
「真聖時間魔法、クロノス·エデン。」
シュヴァールは虚ろに瞬くと、目に映る風景から一切の光を奪い、無感に歪んだ世界の真ん中に立ち尽くすバリエンテを飲み込む。そして、包み隠すように、完全に時間が停止した世界に閉じ込める。
”魔王”バリエンテの封印を見届けたシュヴァールは、アルバの遺体を抱きかかえると、ゲリラ豪雨に打たれるように、遣る瀬無い気持ちが内から込み上がり、冷たく乾いた瞳でアルバの遺体を見つめる。
「さぁ、帰りましょう。僕らだけの居場所に…。」
その日、シュヴァールは王国へ帰ると、初代国王に二人の王子の死亡と魔王の存在を伝え、姿を消したのだった。
それから千年以上の時が流れ、現在へ…。
「私は永い空白の時の中で考え続けました。あの日、もし私が隣にいたら…。その答えを今、知りたいのです。」
唖然としていたレギルは、微笑みながら軽くため息を吐き、肩を落とす。
「出会った時から相変わらず、お前は生意気だな。これが、お前の待ち望んだ運命だったとしても、俺は俺のために、ここに立っている。魔王を倒して、魔界に閉ざされた王国を救う勇者になるために。さぁ、お前の望み通り、二人で始めようじゃないか。交錯する運命の答え合わせを。」
シュヴァールは敬礼をすると、堂々と歩み始め、レギルの前に背中を向けて立つ。そして、手を前に突き伸ばす。
「真聖時間魔法、クロノス・エデン。魔王封印解放。」
時間と光が奪われ、真っ暗で歪んだ世界の真ん中に、再び姿を現した”魔王”バリエンテは、純黒に染まる鼓動を取り戻し、目を瞬かせると、シュヴァールの老いた姿を見つめ、不敵に笑う。
「極僅かな永遠だけが闇の在処を知る。さて、そろそろ終わろうか。」
シュヴァールは息を呑むと、レギルと互いに揺るぎない目を合わせる。
「聖時間結界魔法、クロノス·インペリウム。」
「聖光結界魔法、スーリア·カタルシス。」
二人の術式が空間で網代編みのように交錯し、三人の周りを囲い込む。
「神滅魔力防御。神滅魔法、ルイナ·スパーダ。」
バリエンテは、手のひらから歪んだ純黒の闇で剣を形成し、切っ先を二人に向けて構える。そして、周囲を見据えると、神滅属性の魔力圧で結界が破れないことを確かめ、感心したように頷く。
それを見たシュヴァールは、背中から滾る熱に奮い立つように、大きく息を吸い、レギルに向いて頷く。
すると、レギルも頷き、手のひらに純白に眩く光を集約させる。
「聖光魔法、スーリア·アルム。」
光の槍を両手に構え、威風堂々と踏み込むと、バリエンテに向かって光を突き伸ばす。しかし、その筋道は歪み、矛先はバリエンテの切っ先に集まり、弾き飛ばされる。その直後、バリエンテは剣の形を液状に崩して渦巻かせると、闇黒の玉を形成する。
「神滅魔法、ニクス·ノクス。」
それは天高く浮き上がると、空を純黒に染めるように広がり、雪のような小さな黒い粒を満遍なく降らせる。
レギルは大きく息を吸うと、周囲の自然魔力を掻き集める。
「完全顕現。聖光魔法、スーリア·ミーティア。」
周囲を駆け巡る数多の純白の光粒は群を成し、暗黒の空へ飛び立つ。
それは、黒粒の超重力に吸い寄せられ、光と闇が激しく衝突を繰り返す。
そして、ガラスが割れたような乾いた鋭い音が耳鳴る程に響くと同時に、衝撃波が爆散する。
そのとき、瞼を閉じるレギルの脳裏に、聞き覚えのない男の声が過る。それは、”千年前の第一王子”ヘリオス・アルバの肉声。
聖王輪転。残してしまった未練を、兄としての責任を…果たしたい。”挑戦への矜持”を君に。
──王の血を宿す二人の衝突が、アルバの眠っていた魂を呼び起こした。そして、彼が生まれながらに与えられた天使の加護、”勇気”がレギルに譲渡される。
その瞬間、バリエンテとシュヴァールは、懐かしい魔力の波動に、全身が震え立つ。
「アルバ様?」──私は、また貴方に助けられるのですね。
「兄上?」──俺に光は届かない。何をしようと変わらない。
レギルは目を見開き、全身から溢れ出る魔力と周囲の自然魔力を絡めた純白に輝く数多の光線を、掌に集約させる。
「神聖光魔法、スーリア·レグン。」
渦巻く光の玉が眩く煌めくと、数多の光線が束を成して空に伸び、虹を描くように降り注ぐ。
「神滅魔法、シエル·フェルメ。」
バリエンテは巨大な純黒の闇玉を光線に向かって放つ。
すると、光線は進路を歪ませ、闇に吸い込まれていく。
バリエンテが空を見上げる一瞬、レギルは鋭く輝く光線を一直線に放つ。
それは三本に分かれ、バリエンテを左右正面で挟み込む。
バリエンテは、地面から湧き上がる闇黒が盾となり、光線を弾く。しかし、光線は空中で屈折し、再びバリエンテを襲う。さらに、レギルは光を纏って突き迫る。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
後編に続く…