第三章 魔人決戦編
第三章のep1〜9までの総集編となっています。
文字数は5000程度です。
凍闇夜 霜陰散るり 雪割らむ
曙映ゆる 白花水木
木枯らしを感じさせる、紅葉の面影を残した裸木の枝が、足早に歩くシュヴァールの視界を過ぎる。
ここは、陽翼の皇剣本庁舎。彼は重々しく佇む扉にノックを三回し、「どうぞ。」という声を聞くと、扉をガチャッと開く。
「レギル様。皆がお揃いです。先日、緊急招集をかけた例の少年も直に。」
シュヴァールは、ゆったりと椅子に座る”総裁”レギルに敬礼する。
「そうか。では始めようか。伍宮雲閣を。」
レギルは白い軍服に袖を通し、シュヴァールが扉を開けて待つ戸口を通り抜ける。
不安な面持ちで本庁舎の入口に立つヴァイスは、”緊急”と押印された赤い洋封筒と「パーティーにご招待」と書かれた手紙を摘み持っていた。
「どう考えても無断侵入の件だよな…。」
ヴァイスは息を呑むと、重い一歩を踏み込み、中へと入っていく。
雷を帯びた魔力を動力としたエレベーターに乗り、不思議と膨らむ心奥を抑えている間に最上階に着くと、巨人でも招くかのように巨大な黄金で装飾された扉が待ち構えていた。
そして、ヴァイスがノックをしようとすると、扉の向こう側から「入って来なさい。」というシュヴァールの声が聞こえ、戸惑いながらゆっくりと扉を開ける。
そこには、薄暗い部屋に、頂点が入口を指す五角形の大きなテーブルの周りを囲むように整然と椅子に腰掛ける五人の姿があった。
「ようこそ、伍宮雲閣へ。私の名はヘリオス・レギル。言うまでもなく察しているかもしれないが、今回の第一議題は、君の封鎖区域への無断侵入についてだ。」
それを聞いたヴァイスは、額から冷や汗が垂れ、思わずレギルから目を逸らした。
──ヘリオスって確か…王家の家名。まずいことになったな…。
この伍宮雲閣に集まるのは、国家権力の最高位。三大貴族「エーデル家」「ノルク家」「クラル家」のそれぞれの当主にして、陽翼の皇剣の各部隊長達。そして…。
シュヴァールは咳払いで冷やかな重たい空気を切り裂く。
「ヴァイス、安心しろ。我々は君を裁かない。レギル様には、参謀総長である私の威厳を立ててもらった。」
ヴァイスは呆気に取られ、ポカンと立ち尽くす。
──シュヴァールさんが…王国の副権威!?
その驚きを超えて魂を抜かれたようなヴァイスの表情を見たレギルは、笑いを堪えながら俯く。
「魔人の存在は特秘案件。よって、君の罪を不問とする。」
ヴァイスはぎこちなく背筋を伸ばし、敬礼した。
「ありがとうございます。」
シュヴァールは、レギルに軽く頭を下げると、立ち上がり、ヴァイスの傍に歩み寄る。
「ヴァイス、憎しみを克服するのは、勝ち負けじゃないんだ。忘れようと必死に押し殺す必要もない。君がソナとの幸せだけを心に残すことこそ、憎しみを乗り越えるということなんだ。」
──私はずっと後悔している。私の知っているソナしか、心に残せなくても…。それでも、彼女と居た時間は、紛れもない幸せだった。だから君には、君の知るソナを心に居させてあげてほしい。
「ヴァイス、魔人を殺せるか?」
ヴァイスは背筋の強張りが解け、真っ直ぐにシュヴァールの瞳を見つめると、大きく頷く。
「僕と母さんの思い出は、憎しみを忘れるくらい幸せだった。それを証明できるのは、僕しかいない。だから、僕が必ず、魔人を殺します。」
シュヴァールはヴァイスの頭を軽く撫でながら頷く。
「レギル様、彼は我々と同行させます。このまま、次の議題へお願いします。」
レギルはため息を吐くと、指を組みながら微笑む。
「シュヴァール。君の自慢の孫は、なんとも頼もしいな。では、第二の議題に移ろうか。魔王討伐について。」
魔王。──それは魔界の最深層にいるとされる魔界を統べる者。千年以上前に初代国王が世間に公表した時以降、その存在は未だに確認されていない。
「魔王を包み隠すのは、異常な自然魔力濃度。魔法使いの我々が自然魔力に殺されるという無様な死に方をしたくないが為に、今日まで最深層に入ることすらなかった。しかし、俺はついに、魔法の極限に到達した。つまり、準備は整ったということだ。貴様らには、陽翼の皇剣の表向きの役割、王国の護衛を命令する。」
理解が追いつかず、慌てふためく三大貴族の者達を見兼ねて、レギルは立ち上がり、テーブルを両手で強く叩く。
「魔王討伐に貴様らは足手まといだから、留守番しておけと言っているんだ。それとも、血脈で繋がれただけの歴史を捨て、無様に死にたいか?」
三大貴族の者達は萎縮したように座り、「承知しました。」と小さな声を揃えて落ち着く。
ヴァイスだけが、残り火をぼんやりと眺めているように取り残され、黒ずんだ重たい空気のまま、伍宮雲閣は解散した。
翌日の朝、日陰も相まって、薄暗く冷たい聖壁東門の前で、ヴァイスは座り込んでいた。そこへシュヴァールとレギルが、シックな雰囲気で肌を覆いつつも、マントを羽織った涼し気のある装いで歩いて来る。
「ヴァイス、待たせたね。じゃあ、行こうか。」
シュヴァールはヴァイスに手を差し出し、立ち上がらせると、重厚な古木の門扉を軽々と押し開く。そして、三人は暗闇が濁り溜まる魔界の奥へ向けて足を揃える。
レギルは二人の背中に腕を伸ばし、手のひらを向ける。
「光魔力纏い。一級光魔法、ラピエーヴェレ。」
黄色い光に包まれた三人は、地に落ちた枯れ葉が風に吹かれてフワッと舞い上がるように、足元が少し浮遊する。そして、長く伸びる光のトンネルの中を、ほんの0.01秒の瞬間に通り抜ける。
まるでカメラフラッシュのような一瞬の眩しさに目を閉じていたヴァイスが目を開けると、そこは冷たい空気が重く漂う薄暗闇の中だった。
すると、シュヴァールがヴァイスの背中にそっと触れる。
「私はレギル様と最深層へ向かう。ヴァイス…。君に、勇気を込めた私の願いを贈ろう。今度は、私も一緒に乗り越えさせてくれ。」
ヴァイスは、その手の温もりを感じながら、シュヴァールと顔を見合わせ、安心したような落ち着いた表情で頷く。
「行ってきます。」
──励まし、信頼、優しさ。それは、いつも貰ってばかりの純粋に包まれた賜物。その心地良い温もりが、母さんとの思い出を心の傍に置いてくれる。
シュヴァール達と別れたヴァイスは、肌をヒリヒリと摩るような空気の中を歩き、邪悪の影を探る。鼻をスンスンとさせ、炭苦い匂いが強まっていくのを感じながら、毅然と踏み進む。
そして、黒く濁った人影を見つけ、立ち止まる。
「魔人、お前は俺の目の前で母さんを殺した。でも、思い出の中にいる母さんは、お前には殺せない。憎しみは、ここに置いていく。」
軽やかな羽音を立てて舞い降りる百合鴎は、”無念への決別”に鼓動する椿の蕾にフルートを奏でるような囀りを授け、純白の花びらを咲かせる。
天使の加護”希望”。──それは、絶望を乗り越えた者に与えられる聖なる力。
その瞬間、魔人は体を震わせ、恐れ慄くように腰を抜かし、尻をつくと、ヴァイスを指差しながら見つめる。
「それは…白い魔力?あり得ない。ある筈がない。邪悪の昂りが、愉悦の残像を映しているだけだ。あぁ、そうだ。お前が邪悪に怯えていたのを俺は知っている。」
ヴァイスは深呼吸をすると、ゆっくりと静かに魔人の方へ歩いていく。
炎魔力防御。
「自然環境支配。炎魔法、カエルラ·クレシエンテ。」
広範囲に拡散した周囲の熱を、圧縮しながら狭めていき、赫閃の刃に絡めながら閉じ込める。そして、一息つく間に蒼く染まり変わる。
そのとき、蒼閃の揺らぎを繕うように、純白を帯びた熱線が、さらに炎の色を変えていく。
それを唖然と見るヴァイスは、背中の体温が上がり、熱が籠もる。
「白い…炎?…母さん、今度は二人で…一緒に行こう。」
白閃の刃で、立ち塞がる紫炎を打ち消しながら魔人に歩き迫り、体を切り裂く。手足を切り落としても、藻掻き立ち上がろうとする魔人に、何度も切り込む。
その度に悲鳴を上げ、逃げようと這いつくばる魔人の惨めな背中をヴァイスは追い続ける。
「お前は、ここで死ぬ。逃げ場なんかない。」
「人間に負けるなんてあり得ない。そうだ、お前も魔力が尽きる瞬間に、俺が殺してやる。その邪悪だけが俺の愉悦だ。」
ヴァイスは立ち止まり、白閃の刃を解く。
それを見た魔人は、手足を再生させ、紫炎を豪快に撒き散らし、ヴァイスの視界を覆い尽くす。そして、即座に影に潜り、滑るように離れていく。
すると、ヴァイスは両腕を大きく広げ、熱を帯びた炎魔力を広範囲に拡散させる。
「聖炎魔力防御。聖炎魔法、白円陣。」
放たれた紫炎は、ヴァイスに届くことなく消えていき、純白の炎は、魔人の行く手を阻むように燃え上がり、やがて円状に二人を囲う。
「終焉に向かう舞台は整った。これが最後の魔法…。聖炎魔法、グリーズ·ラルム。」
ヴァイスの手のひらに、まるで稚魚の大群のように純白の炎が渦巻き、集約していく。白真珠の宝玉のような、その小さな炎の玉に、ヴァイスがフッと息を吹きかけると、ゆっくりと魔人の方へ飛んでいく。
魔人は、その炎を見て、指を差しながら嘲笑う。
「それが振り絞って出したものか?遅いな。そんな攻撃、俺には当たらない。まぁ、当たったところで、すぐに再生できる。やはり、人間では俺には勝てない。」
「お前には、何が見えている?」
ヴァイスが鋭い視線を向けると、突然、魔人の指先が発火し、白い炎が燃え上がる。
それはだんだんと指から手の甲、手首を通り、腕を燃やしていく。それを振り払う反対の手にも炎は燃え移り、やがて、体全体が燃え上がる。
それに藻掻き苦しむ魔人の悍ましい悲鳴が、ヴァイスの耳を劈く。
「嫌だ…死にたくない。やめろ。痛い。」
──いや、俺なんか早く死んでしまえ。遥か昔、俺は人間だった。しかし突然、黒い悪夢に襲われた。そして気づけば、俺はただの邪悪に取り憑かれた死人…。白い魔力に怯え、逃げ隠れたことで、俺自身が悪夢となってしまった。
魔人を形成していた魔力は、自然魔力に還っていき、二度と魔人の体に戻ることはない。そして、魔人が自然発生の灼熱に触れ、全身に燃え広がった白い炎は、邪悪を焼き尽くすまで消えることはない。
それから程なくして、遺灰のように散っていく魔人の体は、純白の炎と共に跡形もなく消えていく。
それを見届けたヴァイスは、大きく深呼吸をし、肩を落とす。
「憎しみと別れて残るのは、母さんとの幸せ。シュヴァールさんがくれた幸せ。そして、これからの幸せ…。母さん。いつか必ず、たくさん願う幸せを天国まで届けるから、それまで待っててね。」
ヴァイスは背中の熱が冷めていくのを感じながら、目を瞑り、空を仰ぐ。
その頃、シュヴァールはレギルと魔界最深層に入り、さらに奥へと進んでいた。
「レギル様。どうやら、ヴァイスが魔人に勝ったようです。やはり、天使は彼に微笑みましたよ。」
空を仰ぎながら微笑むシュヴァールの顔を見て、レギルはため息をつく。
「全て、お前の計画通りというわけか。だが、お前も復讐したかったんじゃないか?」
すると、シュヴァールは顔をムッと顰めて立ち止まる。
「確かに…。私が魔人を殺すことは造作もないこと。ですが、それで私の後悔や憎悪が消えることはないでしょう。なぜなら私は、まだ古い後悔を晴らせていないのですから。」
顔を俯かせるシュヴァールを、歩調をだんだんと緩めながら背中越しに見るレギルは足を止め、シュヴァールの方へ向き直る。
「それは、ここに魔王の気配がないことと関係があるのか?貴様、さっきから少年のことばかり気にして、全く警戒心がない。まるで、最初からここに魔王がいないことを知っていたかのようだ。」
シュヴァールはレギルの目を、原生林に流れる川のせせらぎのような静かな眼差しで見つめ返す。
「そう…ですね。私が知っているのは、語り継がれることのない歴史。あなたとここへ来たのは、一度幕切れさせた昔話を終幕させるため。まず初めに、その情けない結末からお伝えしましょう。今から千年以上前に、魔王は私が封印しました。」
それを聞いたレギルは、まるで雨上がりのモワモワとした炎天下、涼風通る東屋のベンチに凭れ座るように、肩の力が抜けるも、見開いたまま泳ぐ目をしながら、その場に固まる。
そのとき、シュヴァールは蜜柑茜の揺らめきに思い耽るように、寂しそうな目で遠くを見つめていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
凍闇夜 霜陰散るり 雪割らむ
曙映ゆる 白花水木
この和歌の意味は以下の通りです。
「凍てつく暗い夜に立ち込める霧の気配が、ほのかに消えていくと、降り積もる雪が力強く割れるように、夜明けの光が差し込み、ハナミズキの白い花に美しく際立つ。」
自分の解釈としては、以下の通りです。
「絶望を乗り越えた憎悪は、邪悪に立ち向かう希望となり、純白に輝く。」