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序章 魔法の世界

序章のep1〜ep4までを一つにまとめたものになっています。一気に読みたい場合は、こちらをお読み下さい。文字数は4700字程度です。

  宵涼(よいすず)し 白牽牛花(しろけんぎゅうか) 月影(つきかげ)

        (ゆめ)(いろどり)りて 君は去りゆく


 その日は、開いた窓から鳥の(さえず)りが風に乗って耳に透き通る、いつもより少しだけ静かな朝だった。暗く涼しげな酒場に窓から陽光が差し込む。それは、酒を飲み干したガラスジョッキを握りしめながら、テーブルに頭を乗せて寝ている男の顔を照らした。


 そういえば、前にもこんなことがあったっけ。


 彼は、今日と同じように酒を勢いよく飲み、酔いつぶれた時のことを思い出していた。



 肩を強く揺すられ、意識の遠くからぼんやりと女性の声がした。それは透き通るような優しい声で、波紋が広がるように耳の奥で静かに響く。


「アランさん、起きて下さい。もう閉店の時間ですよ。」


 今から九年前、彼は仕事終わりに先輩と酒場に立ち寄り、そこで働く彼女に一目惚れをした。

 翌日、思い切って一人で訪れ、格好つけて度数の高い酒を勢いよく飲むところを見せつけ、挙げ句、酔いつぶれて眠ってしまった。

 先ほどまで賑やかだった店内は静まり、小さな蝋燭(ろうそく)の火が灯るだけの薄暗い店内に、アランは彼女と二人っきりとなっていた。そして、彼はその声に反応し、目を細めながら声をかけてきた彼女の顔を見る。


「ソナ…さん?あ、ごめんなさい。すぐに帰ります。」


 アランはそう言って立ち上がろうとしたが、体のバランスを崩し、床に尻から倒れ込む。

 すると、彼女は笑った。


「急がなくてもいいですよ。私は大丈夫ですから。はい、これお水です。」


 その笑顔は優しさも相まって天使のように眩しく、美しかった。

 そのとき、アランの耳に、大地を揺るがすような力強く太い声が、岩を(くだ)荒波(あらなみ)のように押し寄せ、響く。


「おい、アラン。いつまで寝てるんだ?」


 男はそう言いながら、アランの頭を叩いた。



 その衝撃と共に、ソナの笑顔は(きり)のように消えていき、彼は目を覚ました。


「あ…夢か。」


 痛む頭を押さえながら見上げると、上司のザルドが呆れた顔でこちらを見下ろしていた。

 彼はため息をつきながら、水が一杯に入ったガラスコップをテーブルに置く。

 アランは握りしめていたガラスジョッキをテーブルの(すみ)に置くと、コップを手に取り、一気に飲み干した。

 それを見たザルドはアランの肩に手をポンッと優しく乗せた。


「お前、まだソナちゃんとの離婚引きずってるのか?早く行くぞ。仕事の時間だ。」


 アランは(ほお)に静かに(したた)る涙をそっと(ぬぐ)った。


「…もう大丈夫です。行きましょう。」


 アランは少し(かす)れた低い声でそう言い、スッと立ち上がる。そして、テーブルに立てかけた剣を手に取り、酒場を出ていくザルドの後ろにゆっくりとついて歩いていく。



 古びた木製の門扉(もんぴ)(きし)み、重々(おもおも)しく開かれる。王国を囲む、聖壁(せいへき)と呼ばれる白い石壁(せきへき)を抜け、穏やかで少し冷たい風が吹き抜ける広大な平原に足を踏み入れた。

 歩みを進めるに連れ、まるで黒い霧に包まれていくように、だんだんと辺りが暗くなっていく。

 やがて、背後にあった聖壁さえも、覆い隠されるように見えなくなっていった。



 静寂(せいじゃく)に沈み、空気に圧迫されているような閉塞感(へいそくかん)が、不気味さをより一層際立(きわだ)たせている。

 この世界の名は魔界。

 カツンカツンと(よろい)鉄脚(てっきゃく)が地面を踏みしめる足音が響き、遠くから魔獣の咆哮(ほうこう)(かす)かに聞こえてくる。


「三級炎魔法、ファイアブライト。」


 アランの手のひらから、赤い炎がメラメラと燃え上がる。それは渦巻きながら空中の一点に集約され、球体を形成した。それは、まるで小さな太陽のように、(まぶ)しい光を放ち、辺りを照らす。

 そのまま歩みを進めていると、木々の葉擦(はす)れが、サワサワと風にそよぐ音が聞こえてくる。

 そのとき、「グルルル…。」と、木々に(ひそ)む暗闇から、魔獣のうめき声がした。

 アランは火の玉をゆっくりと暗闇の奥に運ぶ。その明かりの先に鋭い爪が銀色に(きら)めく。そして、黒い毛皮で包まれた大きな体に、三つの尻尾、三つの頭のある魔獣が姿を見せる。


──狼種の二級魔獣、ケルベロス。早速、任務開始か。

「二級炎魔法、ファイアフラッシュ。」


 アランは火の玉を放ち、ケルベロスの目の前で琥珀色(こはくいろ)の火花を炸裂(さくれつ)させ、目を(くら)ませた。


「二級土魔法、グラウンドブレイク。」


 ザルドは、ケルベロスの動きが止まっている隙を狙い、地面を叩きつけた。すると、地鳴りによる轟音とともに、大地は稲妻が走るように裂け崩れ、陥没(かんぼつ)してできた穴はケルベロスを飲み込んだ。


「二級炎魔法、トリプル·フレイムアロー。」


 アランは三本の炎の矢を形成し、爪で断崖(だんがい)を掻き崩しながら藻掻(もが)くケルベロスの三つの頭を同時に射て貫く。

 手をパッパッと払いながら一息つくザルドは周囲を見渡し、眉をひそめた。


「まずは一匹。しかし妙だ。いつもなら、血の匂いを嗅ぎつけて次々に出てくるのにな。」


 アランも周囲の気配を探るために、耳を澄まし、息を潜める。


 確かに…。こいつだけ群れから(はぐ)れたのか?いや、そんなこと、今まで一度も…。


 ゔぁぁぁ。


 不意に、血を()らすような悲鳴が遠くから響いてきた。

 それを聞いたザルドとアランは顔を見合わせ、互いの瞳に映る動揺を察知する。そして二人は、すぐに悲鳴のあった方へ走り出す。


 なんだ?何が起こった?



 アランは、だんだんと呼吸が荒くなり、心臓の鼓動を早める。


 全身に走る冷気が本能に訴えかけている。そこに近づいてはいけないと。


 突然、アランの足が止まった。まるで自分の影に潜む怪物に(つか)まれ、吸い込まれていくかのように、恐怖で足がすくむ。さらに首筋に冷や汗が垂れ、ゆっくりと息を呑む。


 そこに、何かがいる…。


 そのとき、枯葉(かれは)を踏みしめる音が静寂を(やぶ)り、心臓を打ちつける鼓動のように刻々と近づいてくる。そして、血染めの鋭い眼光がギラリと光る。暗闇から影がゆっくりと伸びていき、現れたのは黒い衣で身を包んだ人型の魔物、魔人だった。

 その手には、全身が黒焦げとなった人間の頭が掴まれていた。

 アランは目を見開き、手足の震えが止まらなくなる。


 人間?いや、違う。未知の魔物…。そうか、こいつだったんだ。ケルベロスは群れから逸れたんじゃない。こいつから逃げてきたんだ。


「ニンゲン…。ニンゲンハ…。」


 その(おぞ)ましい声に、アランはキュッと背筋が凍り、全身の肌が震え立つ。


 喋った…のか?どうする?どうすればいい?


「アラン、逃げろ。」


 ザルドの必死の叫びが、アランの鼓膜に落雷の如く轟き、目が覚めたように、荒く息を吸い込んだ。


「はぁはぁ。ザルド先輩。」


 胸を押さえながら、アランが声のした方へ振り向くと、紫色の炎が視界を覆った。ザルドはアランの方へ手を伸ばしながら、その炎に飲み込まれた。

 ザルドの振り絞った声は炎の轟音にかき消され、再びアランの視界に映ったのは、彼の黒焦げとなった姿だった。

 そのとき、過去のザルドからの言葉がアランの頭を過る。


「何を抱えてるのか知らんけど…。アラン、誇れよ。お前は俺の自慢の後輩だ。それに俺は、お前が強いって知ってるからさ。」


 黒く焼け焦げたザルドの姿を見ながら、アランは呆然(ぼうぜん)とし、全身の力が抜けたように、膝をついた。


 はぁはぁはぁ。先輩が…殺された。俺も殺される。逃げなきゃ…。俺だけでも生き残って、本部に報告を…。


「ヨワイ…。やはり、人間は弱いな。」


 その言葉を聞き、アランは頭に血が上り、全身の震えが止まった。


 弱い?そうだ、思い起こせ。…たとえ離れていても愛する人を守る。そのために、俺は強くなったんだ。


 アランは深呼吸をし、腰の(さや)から剣を引き抜く。


炎魔法(ヒート·トラン)纏い(スミッション)。」


 剣の(つか)を握るアランの手から放出された炎は茜色(あかねいろ)の竜が剣の刃に沿って天翔(あまか)けるように渦巻く。そして、高熱を帯びた刃は、琥珀色に煌めく。

 その刃は、鋼鉄の硬度に高熱による貫通力を加えたことで、二級魔法では再現できなかった威力を実現させた。その威力は一級魔法に匹敵する。

 アランは息を吸い、大きく一歩を踏み出すと、風を切り裂くように魔人の方へ突進する。そして、夜空に()ちる星屑(ほしくず)が放つ閃光の如く、剣を振るった。

 しかし、魔人は片手でアランの剣を掴み、その勢いをあっさりと止めた。


 片手で…止めただと?


 アランの瞳に、魔人の黒い衣が大きく映った。彼が衣だと思っていたものは、よく見ると、焦げ付いたような黒色の皮膚だった。


 この匂い…この硬度…。まさか…炎に耐性があるのか?


「ククク。やはり、俺は人間より強い。」


 刃を握る魔人の手から、超高熱の紫炎が噴き出し、剣身は溶け始めた。その熱はアランの手に達し、皮膚に焼けるような痛みが走り、柄から手を離す。


 ゔぁぁ。熱い。熱い。痛い。


 魔人は溶け出した剣を握り潰し、そのままアランの頭を掴み上げた。


 「え…?や、やめろ…。やめろっ!」


 アランの絶叫も(むな)しく、魔人の手から紫炎が放出され、アランの全身を飲み込んだ。


 ぐぁぁぁ。


 全身が黒く焼け焦げ、まるで、()き火でパチパチと音を立てる(まき)のように皮膚が弾ける痛みに襲われ、表面が灰となって崩れ落ちていく。

 絶望と恐怖が渦巻く中、意識の遠のきを感じながら、アランは倒れ()した。最後の意識の中で、彼の瞳に映ったのは、道端(みちばた)に寂しく咲いた一輪の結晶花だった。そして、走馬灯のように、過去の記憶の断片が彼の脳裏を駆け巡った。



 結晶花。虹色に輝くその花を見るたびに、あの日、ソナに贈った(かんざし)と彼女からもらった言葉を思い出す。


「アランさんの仕事って…まるで冒険みたいですね。」


──君の温かく優しい声と、その言葉に俺は救われた。


 新たな命の誕生。涙を浮かべながら赤子の小さな体を抱きしめるソナの手と、その子の手を握り、俺も心から喜び、涙を流した。


「ヴァイス、生まれてきてくれてありがとう。」


──君の天使のような笑顔が俺に幸せをくれた。


 あの人と交わした約束。大地を激しく打ちつける冷たい雨の(しずく)が、青かった心にあったはずの、ソナの声をかき消し、姿が雨煙(あめげむり)のように(かす)んでいく。


「これが正しいとは思わない。しかし、君を信じてみよう。」


──彼女の全てを知るために、俺は愛を生贄(いけにえ)にしていた。


 ソナとの別れ。彼女は茜色の灯火に染まった糸を(ほど)くように(そで)を掴む。その手から伝わる小さな震えを、俺は気付かないふりをした。


「アラン、私はそんなこと望んでない。」


──君の手は寂しさに(こご)えているようだった。


 思えば思うほど君は遠ざかってしまう。守りたいなんて綺麗事だ。嘘だ。本当は…君の隣に相応しい男になりたかった。なれない自分が情けなかった。苦しかった。ごめん。ごめん。



「ソナ…。ヴァイス…。」


 そう(つぶや)きながら、アランの黒焦げとなった体は崩れ落ち、漆黒の灰と静かに(こぼ)れる涙が、空に浮かぶ天燈(てんとう)が燃え尽きるように消えていく。



 その翌日、王国の東端(とうたん)に位置する小さな町が紫色の炎に包まれ、黒い灰と荒野、そして、たった一人の少年だけを残して消えた。

 老人は、その前日に起きたとされる魔界調査中の事故で死亡した者を記した資料に目を通す。

 陽暈の盾(イヴニエル) 東区所属”アンサス·アラン”

 老翁(ろうおう)は、その名を見た瞬間、拳を机に叩きつけ、唇を噛み締めながら瞳に(うる)む涙を(こら)える。


「…そうか。君はここにいたのか。殺す手間が(はぶ)けたよ。」


 無知から愛は生まれない。

 かつて、アランは私にそう言った。その言葉は、銀の曇天(どんてん)を裂き散らし、内なる瞳に煌夜(こうや)(ちゅう)を映し出す。そして、星芒(せいぼう)が蒼海に堕ちるように、大空を彷徨(さまよ)っていた私を透き通る群青の深淵(しんえん)へと沈ませた。



 それから十年の時が過ぎた。

 雪解けを告げる暁が昇り、開花を待ちわびる桜の蕾を照らす。緑に囲まれた丘の中に小さく立つ、"クリム・ソナ"の名が刻まれた白大理石の墓石の前に、二つの影が並んでいた。

 白いカーネーションの花束を胸に抱え、少年は静かに息を吸う。


「やっとここに来れたよ、母さん。あの日、光が奪われて、目に映る世界が真っ暗になったような気がしてた。でも、下を向いていても、前に進むことはできるって分かったから。だから、強くなることを選んだよ。俺、乗り越えてみせるから。」


 少年は花束を墓の前にそっと置く。隣に立つ老翁は少年の肩に優しく手を乗せる。


「ヴァイス、ここから始まるんだ。君の物語は。」


 老人はそう言うと、潤む瞳を拭う。


「うん…。じゃあ、行ってきます。」


 そうして、二人は墓石に背を向け、歩き出す。陽光の温もりを乗せた風が二人の背中を押していく。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


宵涼し 白牽牛花 月影ゆ

夢彩りて 君は去りゆく


この意味は、以下の通りです。

「夕暮れに涼しい風が吹く夏頃、白いアサガオは月光に照らされ、寂しく咲いている。そんな夢のように美しい思い出を残して、貴方は私の前から去っていくのだ。」


そして、自分の解釈としては、以下の通りです。

「純白に輝く真実を知った愛は、笑顔溢れる幸せを願う愛とは相入れない。」


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