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史実の海陵王

海陵王の謀臣・蕭裕(上)

作者: 鈴木 強

 暴虐な帝王として知られる海陵王。彼がどのような人物だったのか、知られざる一面を『金史』より読み解いていこうと思います。


 蕭裕は、海陵王が中京留守だったころから右腕として働き、遂には右丞相兼中書令として権力の絶頂に至りますが、この頃から人々の反感を買い、権勢に陰りを見せ始めます。

 ここではその頃からの話を『金史』巻百二十九 列伝六十七蕭裕伝から二回に分けて見てみましょう。

 蕭裕と高薬師は仲が良かったが、海陵王が高薬師に内密な話をした際、返答するついでに「蕭裕は陛下を怨んでいます。」と言った。海陵王は蕭裕を召すと訓戒し、これを罪とはしないと言った。

 ある者が「蕭裕は権力を乱用している」と言うと、海陵王は、蕭裕を嫌っている者が多いと考えて信じなかった。

 しかし更に人々が「蕭裕は弟の蕭祚を左副点検、妹の夫の耶律闢剌を左衛将軍として互いに連携して権力を集中している」と見なすと、蕭祚を益都尹、耶律闢剌を寧昌軍節度使として地方に出し、人々の疑いを断った。

 蕭裕は海陵王の考えを知らず、自分の知らぬ間に親族が地方に出されたのを見て、「海陵王が自分を疑っているのであろう」と深く恐れるようになった。


 海陵王は、弟で太師の兗を蕭裕と共同の宰相の位に就けて、蕭裕が自己の利益を図ることを牽制させた。蕭裕は「海陵王が自分を押さえようとしている」と考え、また海陵王の猜疑心が自分に向けられていることを恐れて、遂には前真定尹の蕭馮家奴・前御史中丞の蕭招折・博州同知の遙設・蕭裕の娘婿の遏剌補と共に亡遼の予王の延禧の子孫を皇帝に擁立しようと企てた。


 蕭裕は、信頼する蕭屯納を西北路招討使の蕭懐忠のもとに遣わして結びつこうとした。蕭懐忠はあいまいな態度を取り、蕭屯納に「これほどの大事なら、汝は一旦帰って再び他の者が来るように。」と言った。そこで蕭裕は蕭招折を遣わした。

 蕭招折は以前は中丞であったが罪により免官となっていたので、官職に無い者として目立たず、蕭懐忠のもとに行った。

 蕭懐忠は蕭招折に「他に計画に加わっている者は誰か。」と尋ねると、蕭招折は「五院節度使の耶律朗も味方だ。」と言った。

 蕭懐忠は以前から耶律朗とは仲が悪く、また蕭招折が以前に撻懶の謀叛を密告していたため裏切るかもしれないと疑い、蕭招折を捕縛し、耶律朗を牢に入れて、海陵王に使者を遣わし謀叛の計画を伝えた。


 遙設も筆硯令史の白答に「蕭裕に味方すれば富貴の身となる」との書状を送った。白答はこの書状を海陵王に差し出した。

 海陵王は蕭裕を信じて疑わず、「白答が讒言をした」と言って、市で処刑するよう命じた。

 捕えられた白答が宣華門を出ると、点検の徒単貞が、蕭懐忠より得た謀叛の計画を奏上に来た。そして白答に会い、どうしたのかと聞いて、一時止まらせた。

 謀叛について奏上し終えた徒単貞が、白答のために執り成したため、海陵王は使いを出して釈放させた。

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