014 精神的に疲れるらしい
しかし、いくらここが男女比率の崩れた場所かつ、貞操観念すら変わっていそうなあべこべ世界であろうとも、そんなことをすれば氷狩もお縄だ。どんなに嫌な気分だろうとも、誰かの目にタバコの火をこすりつけてはならない。
「ともかく、オマエもう帰れ。なんか用があるならともかく、なにもねェならオマエと話したくない」
「え? ツンデレ?」
「ぶち殺すぞ、てめェ」
女の顔をぶん殴りたいと思うのも珍しい。マーガリンのように蕩けている佐田を見れば、余計に人間だからそう感じてしまう。
「あ、そうだ」
「あァ?」
「海凪から仕事の依頼来てたよ。半グレ絡みの仕事なんだけど、飛ぼうとしてる女を拘束してって」
「最初から言えよ」
氷狩は指をゴキゴキ鳴らす。不敵な笑みとともに。
きのうひとりの女を追い込んだばかりなのに、きょうも誰かを詰める。結構なハイペースだが、この世界にはこの世界特有の病気があるのであろう。
「わー、怖い顔~」相変わらず溶けているが、「でも、結構きつそうな相手だよ? 相手は、海藤組の幹部だからね。海藤組といえば、喧嘩じゃ一歩も引かないヤクザだし、依頼主の半グレも私たちを捨て駒だと思ってるみたい」
「ちょっと待て。私〝たち〟?」
「うん。もちろん私も参戦いたすよ~!」
「うわッ」
「うわ、ってなにさ!」
佐田はまたもや、はにかむ。本当に氷狩へ恋しているかのように。前の世界の佐田を知っている身としては、もう勘弁してほしい。
「オマエ、頭おかしくなったんじゃねェか?」
氷狩は呆れながら言った。かつての冷徹で、しかし少しだけ人間らしい部分を持っていた佐田とはまるで別人のようだった。今目の前にいるのは、まるであらゆる常識が崩れ去ったような女だった。
「なんでそんなに嫌われたがるの? 私はただ、氷狩くんと一緒にいたいだけだよ?」彼女は目をキラキラさせながら、まるで困りごとでも抱える子犬のような表情をしていた。
「いっしょにいたい? なんでそんなこと言うんだか知らねェが、オマエにおれはもったいねェと思うよ。色んな意味でな」
この女、前の世界では一緒に仕事をすることさえままならなかった。所詮過去の恨み節になるが、高校をクビになる原因になった女とまともに仕事なんかできるわけない。
そんな彼女が今、自分に好意を持っているとしか思えない。気持ち悪さが先立った。
「それでも、今の私は氷狩くんを受け入れる準備ができてるの! そう思わない?」佐田は明るく言った。
「そんなのどうでもいい。オマエが仕事にくるのは構わないが、プライベートにはかかわるな。おれに付きまとうな」
「ええ、そんなに厳しいこと言わなくてもいいじゃん!」佐田は一瞬しょげたように見えたが、すぐに復活し、「それに、やっぱり一緒に仕事をするならパートナーとして、心を繋げていくのも大事だよ?」
「いらねェ、そういう関係。日々と仕事を全うするだけの存在で良い」
「なんでそう意地悪するの、氷狩くん!」と、佐田は声を上げ、抱きついてきた。それがまた氷狩の苛立ちを煽る。コイツといる時間は精神的に疲れるだけだ。




