お前に幕を下ろして欲しいんだ
いつも有り難うございます
よろしくお願いします
「行くぞ!杉村っ!」
「来いっ!黒川っ!」
カキーーーン!
打ったーっ!やったーーっ!すげーー!
わー…
…
…あの頃は楽しかったな…
。。。
「本当にすみませんでしたっ!本当にっ!本当にっ…」
「山田君、頭を上げて下さい。山田君は本当に頑張ってくれたよ。こちらこそ不甲斐ない結果になってしまってすまなかったね…」
「いえっ…今回の融資の件、どうして杉村さんの工場だけ審査が通らないのかわからないんです。僕の力不足が理由だとしか思えません…」
「……君のせいじゃないよ。君だって今回の事で大変な目に遭っているじゃないか…」
長年「光山銀行」とは良い関係だったはずだ。
融資の返済だってきちんと期限を守ってきた。
大変なのはどこも同じだと思っていたが、突然、銀行の融資を切られることになった。
融資を切られる…
ウチみたいな小さな工場に、それは倒産の宣告でしかなかった。
山田君は何とかしてくれようと、本社にも掛け合ったりしてくれた。
けれど、待っていたのは山田君の転勤の辞令だった…
「山田君、ちょっとキャッチボールに付き合ってくれないかな?」
「キャッチ…ボールですか?」
「うん。君、キャッチボール出来る?」
「はい…」
私は古いグローブを2つ出してきて、山田君と工場の駐車場でしばらくキャッチボールをした。
「昔はさ、ゲームなんかないし、私はサッカーより野球だったんだ。あちこちにリトルリーグがあって…こう見えても四番打者だったんだよ。小学生最後の大会、九回裏で逆転ホームランを打ってね〜。あの頃は本当に楽しかった…最後にこうして君とキャッチボールが出来て、いい思い出が出来たよ。ありがとう。
転勤…
すまないね… 君にまで迷惑をかけてしまったよ…本当にすまない…」
「いえっ!………実は…僕は今回の件で銀行を辞める事にしたんです。もともとこの仕事、僕には合わなかった。人を追い詰めながら、自分も追い詰められていました。実は何度も胃潰瘍になっているんですよ」
苦笑いをして、胃の辺りをさすりながら山田君は続けた。
「妻に「辞めようかな」と漏らした時、妻は喜んでくれたんです。その顔を見たら安心した自分がいました。それで…妻の実家の家業を手伝う事にしたんです。銀行に比べたら、給料なんてないくらいなもんですが…今度みかん送ります」
山田君は、さっきよりも少しだけ血色の良くなった顔をこちらに向けて笑った。
「…最後にウチを担当してくれたのが山田君で本当に良かったよ。
ありがとう…」
ボールを投げるのをやめ、私は山田君に頭を下げた。
「そんな、やめて下さい、僕も…」
その時、山田君の電話が鳴った。
「あ、…ちょっとすみません。…はい、山田です…。…。はい…。え?…はい…はい…わかりました」
山田君は電話を切ると言った。
「…この後本部長がこちらに来るそうです…本部長が来るなんてそうないですよ…もしかしたらまた融資してもらえるのかもしれません。…僕は戻って来いと言われましたので、すぐ戻らないといけないです。…今日、最後に杉村さんとキャッチボールが出来て本当に良かった…今までありがとうございました」
何度も振り返りぺこぺこと頭を下げる山田君の姿を、見えなくなるまで見送った。
こんな工場に本部長が来るなんてまずないだろう。
山田君は融資の再開かもしれないと言ったが、銀行はそんな事絶対にしない。
「絶対に」だ。
私は期待より不安の方が大きかった。
しばらく待つと、工場の前にタクシーが止まった。
きっと本部長だろう。
タクシーのドアが開き、中から降りてきたのは黒川だった。
40年ぶりでもすぐにわかった。
お互い年は取るが顔なんてそうたいして変わらないものだ。
「……黒川?黒川か?」
「よお、杉村。久しぶりだな。…なんだよ、グローブなんか持って」
「あ、あぁ…今、山田君とキャッチボールを…それよりどうして、ああ…そうか、本部長って黒川なのか?」
チラリとこっちを見る黒川が「チッ」と舌打ちをした。
「黒川さんだろ?今の俺とお前の関係は融資銀行と、債務者だろ?こんな小さな工場で助かったよ(笑)なんのこともなく潰せたからな」
「は…」
私は言葉が出なかった…
40年ぶりに会った黒川は、取引先の銀行の本部長…
その口から「潰せた」と…
「どうよ?俺の逆転ホームラン。言葉もないだろう?お前も覚えてるだろ?あの試合。九回裏で俺から逆転ホームラン打ってどんな気持ちだったよ?皆んなにチヤホヤされてご機嫌だったか?俺はあの後ピッチャー降ろされて、周りのヤツに馬鹿にされて散々だったよ。どれだけ肩身の狭い思いをしたか。お前のせいだろ?」
「そんなっ!あれは子どもの頃の遊びみたいなもんだろう?俺は…俺はあの時の試合は本当に楽しかった!…お前は違ったのか?」
「うるせーな…お前は四番打者気取ってたからそりゃあ楽しい記憶だろうけどな、俺は嫌な記憶でしかねーんだよ。まあ、こうして立場が違うと楽しい記憶になるかもしれねーけどな。お前の言う「子どもの頃の遊び」の延長で会社が潰れるってどんな気分?」ニヤリと黒川が笑った。
「お前っっ!」
私は黒川の胸ぐらを掴んだ。
すると黒川は口調を変えた。
「おーーーっと、やめて下さい杉村さん。私は銀行の代わりに過ぎません。「返せない奴に銀行は金を貸さない」それだけです。私だってね、貸せるもんなら貸したいですよ、でも、おたく、返せないでしょ?だから貸さない。それだけです」
黒川は私の手を払って書類を渡してきた。
「全ての書類に目を通してご署名下さい。1週間後、私が書類を取りに来ます。貴方の祖父から続くこの工場の幕引きを、私も見届けさせていただきますね」
そう言うと黒川は、待たせていたタクシーの後部座席に乗り込んだ。
スルスルと窓が開き、黒川がにっこりと笑って手を振った。
どうやって工場に戻ったか、あれからどれくらい時間が経ったのか。気が付いた時には工場の中いた。
黒川と別れてから今までの記憶がない。
非常灯がぼんやりと自分がどこにいるかを知らせてくれた。
工場の隅にある埃を被った布の前。
そっと、その布を取る。
ドラム缶を半分に切ったような、大きな釜の中に入った、古い大きなブレーカーが現れた。
「ごめん、爺ちゃん…」
祖父が立ち上げたこの工場。
祖父から父親へ。
父親は引き継いですぐに病気で死んでしまった。
そして私が受け継ぎなんとかやってきた。
昔の…
祖父との会話を思い出していた。
「爺ちゃん、この風呂釜なーに?」
「おお、慶太。これは風呂釜じゃない「ブレーカー」だよ」
「ぶれーかー?」
「そうだ。この工場の電源スイッチだな。爺ちゃんがこの工場を立ち上げた時、一番最初の仕事がこのスイッチを入れる事だったんだ。このレバーを「入」に動かすと、この工場全部に電気が行き渡る。一日の仕事が終わったらレバーを「切」に動かすんだ」
「どうしてスイッチが水の中にあるの?」
「これは水じゃない。不燃性の油だ」
「ふねんせい…?」
「そうだ。燃えない油の事だ。
…慶太、この工場にはたくさんの機械がある。それを動かすのは電気だ。
このスイッチを入れると、たくさんの電気が流れて全ての機械が動くんだ。
これだけ大きなスイッチだとな、スイッチを入れる時大きな火花が出る。
その火花で人が吹っ飛ぶくらいの大きな火花だ。
それを出ないようにするのがこの燃えない油なんだ。
燃えない油の中でスイッチを入れれば火花を出さずに済むんだぞ」
「…人が…吹っ飛ぶの?」
「ああ。昔、爺ちゃんが働いていた工場でな、この油が蒸発して少なくなっていた事に気づかないでスイッチを入れた奴がいたんだ。大きな火花でそいつは吹っ飛んだ。だから慶太、絶対に油を切らしたらダメだぞ。爺ちゃんもお前の父さんも、毎朝必ず確認しているんだ。……でも…お前はこの工場を継がなくてもいいんだぞ?俺がそうしたように自由に生きろ。自由でいいんだ」
「すぎむら〜!野球しよ〜!」
「そら、黒川の坊主が来たぞ!遊んで来い!」
「うん!……爺ちゃん…俺、この工場もっとでっかい工場にしたいと思ってるから!」
「おーい、杉村〜」
「待って!黒川!今行く!」
私は事務所に戻り、工場の配線が書かれた図面を探す。
爺ちゃんの頃の古い図面も引っ張り出してきた。
「一週間ある…なんとか…」
爺ちゃんのブレーカーはその後すぐに安全な物に変えられ、ずいぶん前から工場のブレーカーは個々に分かれた物に変わっている。
私は工場内の機械の電源を爺ちゃんのブレーカーひとつにまとめた。
そして一部配線を変え、ブレーカーのレバーを手前に引けばスイッチが入るようにした。
何度も試運転をし、動かないところは見直しを繰り返し、なんとか一週間で全ての配線の変更は間に合った。
あとは不燃性の油を抜くだけだ。
……
「こんにちは、杉村サン」
「黒川…」
「杉村サン、書類にサインは終わってますか?」
「ああ、終わってますよ。奥にあります。最後なので是非工場を見て行って下さい。」
「これ、覚えていますか?爺ちゃんのです」
爺ちゃんが工場内で被っていた帽子を見せる。
「…あのクソ頑固ジジイのだろ…。何度もげんこつもらったわ…」
「あはは、あれは痛かった…祖父がこの工場を立ち上げた時、このブレーカーを入れるのが最初の仕事だったんです。最後にブレーカーを切る真似事を黒川さんにやって頂きたいと思いまして。閉幕式…ですかね。是非、黒川さん、あなたに幕を下ろして頂きたいんです。」
私は深々と頭を下げた。
「…ま、昔のよしみです。それくらいはやってあげてもいいでしょう…」
「そのレバーを「切」と書いてある、手前に引くだけです。お願いします」
大きな音を立てて全ての機械が動きだす。
私は黒川に言う。
「だから言ったじゃないですか。私は、あなたに幕を下ろしていただきたいって。今回も九回裏で、私の逆転ホームランですよ」
実際にあった事故をヒントに物語を組み立てました。
大きなブレーカーは、昭和40年辺りではないかと推測しています。
電気にお詳しい方、わかりやすさを優先しておりますので、物語としてどうか緩い目でお読み下さい。
拙い文章、最後までお読み下さりありがとうございます。