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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

歯車は、いつ噛み合おうとするのか

作者: とは

 ……おかしい。

 周囲から鈍い男だと言われ続けている自分ですら、そう思わざるを得ない。

 目の前にいる、会いたいと望んでいた相手が真逆のイメージの女性であったからだ。


 ここは自宅から車で一時間ほどの距離にある喫茶店だ。

 そこで私は、初めて会った女性と向かい合って珈琲を飲んでいる。

 カップをソーサーに置いた彼女は、私に向けて笑みを見せてきた。


 実に優しい笑顔だ。

 第一印象として、誰しもがそう抱くことだろう。

 現に今、私もこの人に対して穏やかでいい人そうだ、という感想を持っている。

 だが自分が彼女に望むのは、そんな優しい人が到底行うものではないのだ。

 このまま珈琲を飲み終えたら、帰るべきであろうか。

 そんな私の考えも知らず、彼女は唐突に口を開いた。


「よく、この暗号に気づきましたね」


 相手の声から少し遅れながらも、笑顔を向け私は言葉を続けていく。


「はい。謎解きは好きですから」

「ふふ、今までに何度もメッセージを出して来たのですけれど。こうして答えにたどり着き私に接触してくれたのはあなたが初めてです」

「そうなんですか? なんだか、……光栄、……です、はい」


 緊張のあまり、言葉に詰まってしまう。

 彼女は私の表情からそれを察してくれているようで、小さく笑みを浮かべ頷いている。


 きっかけは偶然だった。

 ある日、私は地元のニュースや店など様々な情報を書き込みのあるSNSを、ぼんやりと眺めていた。

 そこにある掲示板コーナーで、私はそれを見つける。

 いや、見つけてしまったのだ。

 無意味な所での空白や、ときおり混じる不自然なアルファベットや記号に違和感を覚え、眺めることしばし。

 気が付けば紙とペンを片手に、それを解読していた。

 そうして出てきた文章に、思わずごくりとつばを飲み込む。


『マ■■スティックに興味がR方。あな谷そのヨロコビをあ耐える術をIは知ってい〼』


 これはつまり。


『マゾヒスティックに興味がある方。あなたにその悦びを与える術を私は知っています』


 となるではないか。

 解き終えたときの、この文字を見いだせた時の悦び。

 その時、体の底から溢れ出た感情を、どう表したらいいのだろう。

 いてもたってもいられず、すぐさま書かれた連絡先に電話をし、こうして自分達は向かい合っている。

 

「あの暗号、一部を■で伏せていたでしょう? 万が一望んでいない方に解読されてしまったら、通報されるかもしれないではないですか。その辺りでちょっと、保険と言いますか、……ねぇ」


 少し俯きながら、彼女はこちらを見上げて来た。

 その言葉を発するまでは穏やかだと思っていた彼女の瞳に、はっきりとした強い光が宿る。

 それに気づいた途端、自分の肌がぞわりと粟立っていく。


 ――あぁ、なんだ。

 彼女は本来の彼女自身を、『隠して』いたに過ぎなかったのだ。

 その事実に気付いた私の口元には、これから自分に与えられるであろう出来事に期待する、邪な笑みが浮かぶ。

 相手はそれすらも受け入れんとする表情で、私をみつめている。 


 そうだ、自分はずっと隠し続けていた。

 精神的、肉体的に苦痛を与えられることに、むしろ喜びを感じてしまうこの自分の心を。

 それを今、目の前の彼女は解放してくれると言っているのだ。


「では今日はどちらで……。といいますか、出来れば掃除のしやすい場所が望ましいですね。実は今日は、自分で作った道具を準備してきていまして。それをぜひ試してみたいのです」


 そう語る彼女の頬が、次第に赤く染まっていく。

 だがそれは羞恥によるものではないと、その爛々(らんらん)と燃える瞳が何より物語っていた。

 彼女は間違いなく、これからの事を思い興奮している。

 だがそれ以上に、彼女が持って来ているという道具によって、自分の身に刻まれるであろう未知の扉の先を知りたいという願いが、私の心を埋め尽くしてしまっていた。

 一刻も早く、自分はその甘美な味を知りたい。

 はやる心をかろうじて抑えながら、彼女の要望に対応できる場所を考えていく。


 確かに状況によっては、部屋が汚れてしまうこともある。

 時間の制限がない事や、後片付けといったことを考慮するに、やはり私の部屋が一番よいであろう。

 幸いにして人よりも収入を得ている分、広さや騒音等を気にすることの無い環境で自分は生活している。


「そうですか! では僕の部屋はいかがでしょう? たいして物も置いていませんし、事がスムーズに進められ……」


 そこまで言ってからようやく、自分の勇み足に気付くことになる。

 相手は初対面なのだ。

 にもかかわらず、自宅へと招き入れようとする男にホイホイと着いて行く女性はどれほどいようか。

 相手の顔にくっきりと表れた迷いの表情に、自分の言葉がいかに愚かであったかを思いしる。

 だがこんなチャンスは二度と訪れないであろう。

 逃したくない、その思いが自分の体を動かしていく。

 気が付けば私は、鞄から財布や免許証を取り出し、彼女の前に並べていた。


「確かに初対面の男の部屋にきてほしいなどと、危険なことを申し上げておりました。これらは僕の身分証明です。写真を撮って、お友達やご家族に送っていただいても構いません。……僕は、あなたとこうして繋がった縁をここで途絶えさせたくはありません!」


 一気に話し終えると、そのまま顔を伏せ相手の反応を待つ。

 かなり無謀な賭けとなる。

 だがこのままでは、彼女は確実に自分から去って行ってしまうだろう。


 自分のこの変わった欲望を、満たすことのできる店があるのはもちろん理解している。

 だが一時の快楽を金で買うのは、自分の本意ではない。

 金の繋がりでなく、心を理解してもらえる相手を自分は求めているのだ。

 彼女がそうであるとはまだ言い切れない。

 だがこうして接している限り、その可能性を彼女は大いに秘めている。

 自分の欲望を満たしてもらえる存在など、次にいつ出会えるのかは分からないのだ。


「……そこまで、初対面である私にみせてしまってよろしいの?」


 くすくすという笑いが、自分の上から降り注いでくる。

 ゆっくりと顔を上げれば、恍惚たる様でこちらを見下ろしている彼女と目が合う。

 慈悲のような、だが一方で見下しているかのようなその表情に。

 初めて会った時からの彼女の変わりように、自分はだらしなく口をぽかりと開け、ただ見つめることしか出来ないでいた。


「わかりました。私はあなたのお家に行きます。そこでゆっくりと、お話を」


 口に小さく弧を描き、彼女は美しく私へと微笑んでみせた。


◇◇◇◇◇


 部屋へと入ると彼女は小さく「まぁ」と呟く。


「お一人暮らしなのに、大きなマンションにお住まいなのですね。驚きました。さて、では始めましょうか。どこから手を付けようかしら」


 持ってきた鞄の口を開き、彼女は様々なものを取り出してくる。

 割りばし、鋏、布切れ、そして、……輪ゴム。

 用途は不明だが、どれも自分に痛みを与えるには充分なものばかりだ。

 こぼれていく笑みを隠すことなく見せる自分に、彼女は艶然と微笑を返してくる。


 彼女は器用に割りばしに布を巻きつけると、それを輪ゴムでぐるぐると巻いていく。

 これは、これはまるで……。


「ふぅ、完成しましたよ。さ、始めましょうか?」


 その謎の棒を二本作り終えた彼女は、爽やかな笑顔を向け私にそのうちの一本を差し出してくる。

 状況が理解できない私は、思わず彼女へと問いかけてしまう。


「これは一体?」

「まずは、床の掃除ですね。大丈夫ですよ、きちんと説明しますから」

「え、掃除って。ということはつまり、この棒って?」

「えぇ、あの某女優さんの名前で一世風靡したあの棒です!」


 なぜだか誇らしげに、彼女はその棒をぶんぶんと振り回している。


「だってそのために、私達はお会いしましたよね? わざわざ私の暗号を解いてまで」

「え。だってあの暗号ってマ……!」

「そうですよ。具体的に言うと、諸々まずいではないですか。だからあえて書いたのですよ『マ〇イスティック』って」


 ……何ということだ。

 自分は大きな勘違いをしていたことになる。

 こみ上げる怒りのまま、追い出そうとする私に彼女は棒を渡してきた。

 思わず受け取った自分を見て、彼女の表情は一変する。


「何ですか、その持ち方は! ふざけるのもたいがいになさい!」


 その剣幕にびくりと体が震える。

 同時に心もだ。


「時間が惜しい! さぁ、手を動かす!」


 よろよろと彼女の前に跪けば、頭上から小さく鼻で笑うのが聞こえる。

 ――あぁ、これは。

 これはなんという心地よさだろう。

 

「なぜ動きを止めているのですか! しっかりなさい!」

「……っ、はいっ!!」


 気が付けば彼女の言うままに体を動かし、ただその言葉に従う自分。

 這いずるように棒で床をなぞり、必要以上に息を荒く吐きながら、顔を伏せ私は懇願するのだ。


「あぁ、どうか! どうか私と共にいてくれませんか? 私にはあなたが必要なのです」

 

 数秒の沈黙の後、自分の視界に彼女の足が映し出される。

 見上げた先で彼女は静かに笑んでから、しゃがみ込むと私の耳元に言葉を注ぎ込む。

 その言葉の意味を理解し、その言葉の甘さに私は酔いしれる。

 当初、望んでいた展開とはずいぶんと変わってしまった。

 だがこれはこれで悪くない。

 ほんの少しだけ、自分の中にある歯車が狂った方向に進んだだけ。

 同じように微笑みながら、愛おしいその足へと私はそっと唇を寄せていくのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言]  かなり好みの物語でした!  最初の5行でガッツリ心を掴まれました。そこから、なんとも陰鬱な世界が続き……、あのオチ(笑) 良かったです。あのオチで終わることなく、更に一捻りあるのがいいで…
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