【75】最後の手段
迫り来る極大アクア・トルネードから、俺は転移して逃げた。
転移先はアトランティス海底神殿。その祭祀場に安置された巨大な真球状の岩、海霊石の真上だった。
転移先に出現するなり、俺は目の前で海霊石に手を翳して、何事かをしていたネイアへ声をかける。
『――ネイア!!』
『っ、アクア様!? いったい、どうなされたのですか!?』
『詳しく説明してる暇はないんだが、頼むっ! 海霊石を使わせてくれ!!』
『え?』
そう、海霊石。
これこそが今の状況で唯一、ファミリアに逆転できるかもしれない可能性なのだ。
海霊石は周囲の自然魔力を吸収して無尽蔵に蓄え、さらにそれを引き出して扱うことができる。――誰でも、だ。
おまけに水、氷雪、聖、神聖の四つの属性を大幅に強化してくれる機能も持つ。この属性の強化は、実は最上等級の属性を持つ俺にも有効なのだ。使用者の元々の属性に、海霊石の持つ属性が上乗せされる形で強化されるからである。
――え?
神降ろし?
いやいや、あのスキルは使ったら最後、確実に死んじゃうんだよ? そんなもん、最初から選択肢にも入ってないわ。言ったじゃん永遠に封印決定だって。
俺に自分の命を擲つほどの自己犠牲の精神は期待しないように。
俺は生きる! だって死ぬのは嫌だから! 俺だけは何がなんでも生き延びてやるんだぁッ!!
――ともかく、だ。
大量の魔力に、属性の極大補正。
この二つがあれば、足止めどころかファミリアを倒すことさえ可能かもしれない。あのサイズのファミリアならな。
『……』
俺の提案を聞いたネイアは逡巡した。
さすがに即答はできないらしい。今の状況からファミリアと戦うために海霊石を使うのだと、ネイアもすぐに分かったはずだ。
だからこそ、その際に消費される魔力は膨大なものになると予想される。
海霊石はアトランティスを覆う結界の要であり、魔力の供給源でもある。内部に蓄えられた大量の魔力が消費されれば、当然だが結界の維持に支障が出る。
この国の王族だからこそ、海神の巫女だからこそ、軽々に判断を下すわけにはいかない。
だが、ネイアが沈思黙考したのは、時間にしてわずか数秒のことだった。
顔を上げると覚悟を決めた眼差しで、こちらを見る。
『分かりました。アクア様、どうぞお使いください』
『……良いのか?』
自分で聞いておいてなんだが、本当に良いのかと聞き返してしまう。
ネイアはわずかな躊躇いも見せずに頷いた。
『アトランティスを護ってくださるために、必要なのでしょう? ならば、拒否する理由などありませんわ』
『……そっか。分かった。じゃあ、ありがたく使わせてもらうぞ!』
今は一分一秒が惜しい。
俺は早速海霊石に触手を巻きつけ、巨大な岩に蓄えられた膨大な魔力を引き出そうとする。
そして――、
『――ネイアっ!!』
俺は緊迫した声をあげた。
『どっ、どうされたのですか!?』
慌てたようにネイアが問うのに答える。
『使い方が分からないっ!!』
いやもうマジでどうやって使うのこれ!?
魔力を引き出すって言うけど、どうやって引き出すのよ!?
そんな俺の疑問にネイアが教えてくれた答えは、幸いにも簡単な操作方法だった。
『落ち着いてください、アクア様。まず、海霊石に少しの魔力を流すのです』
『魔力を……』
流す。海霊石へ触手から魔力を注ぐ。
すると、内部へ注がれた俺の魔力がはっきりと知覚できた。それはすぐに海霊石に蓄えられていた魔力と混じり合い、まったく見分けのつかない同質の魔力と化す。
しかし、不思議と魔力の質が変化したら、蓄えられていた魔力の全てを把握できるようになった。『魔力超感知』で捉える圧迫感にも似た魔力の捉え方ではない。まるで自分自身の魔力のように、それを操れるという確信がある。
『魔力を注いだら、もう自由に魔力を操れるはずですわ。それを自身の体内に取り込めば自由に使うことができます。海霊石から引き出した魔力はすでに属性が付加されていますので、その魔力で魔法を発動すれば、いつも以上の効果が発揮されるはずですわ』
『なるほど……理解したぜ』
感覚で理解できる。
海霊石内部の魔力は、いまや俺の物だ。全ての魔力を完全に支配した。
『アイ・ハブ・コントロール!!』
叫び、海霊石から大量の魔力を引き出す。
失われていた俺のMPが瞬時に全快する。だが、それ以上の魔力を体内に取り込むことはできないらしい。
ゆえに、回復する先からどんどんとMPを消費していく。
『まずは……』
意識をここから遠く離れたファミリアのところへ向ける。
広範囲に展開していた「空間識別」の中で、ファミリアに「視線」を合わせる。
ファミリアは俺がいなくなったのを理解してか、何本も展開していた極大アクア・トルネードを解除していた。
しかし、依然として自身の周囲には激しい海流の渦を展開したままだ。
転移からの近接攻撃を嫌がっているのか、それとも俺の攻撃を警戒しているのか。
どちらにしろ、この海流の渦を何とかしないことには、攻撃を届かせることはできない。
だから――、
『消、え、ろぉッ!!』
水魔法「水流操作」を遠隔発動。
下から上へと巻き上がるファミリアの海流に、上から下へと降りていく逆向きの海流を生み出しぶつける。
ただ水流を操るだけの単純な魔法。だが、その規模だけが凄まじい。ゆえに一瞬でガリガリとMPが消費されていく。消費される先から、海霊石の魔力を引き出し補充していく。
拮抗していた海流の渦。
しかし、それも数秒のことだった。
最上等級の属性を持ち、さらに海霊石によって属性を加算されている俺の方が、魔法による海水の支配力は上だったらしい。それでも本来なら圧倒的な魔力量の差で押し切られたであろうが、大量の魔力を使えるのは今の俺も同じ。
奴が自身を護るように展開していた海流の渦を相殺し、消し去ることに成功した。
そのまま緩やかな海流を奴の周囲に巡らせ続けることで、奴に周囲の海水を操らせないようにする。今の俺が操っている海水を、奴が操ることはできないのだ。
これでファミリアの鎧は剥いだ。
瞬間、俺は幾つものスキルを次々と起動していく。
再び『氷精』を発動し、『氷雪魔法』で巨大な氷の槍をファミリアの「周囲」に構築する。海水を「氷結」で凍らせ「造形」で槍の形を作り上げ「硬化」で固める。そこに「氷雪付与」と『凍撃』を重ねれば、極大のアイス・ランスの出来上がりだ。
それも1本で終わりじゃない。
膨大な魔力に任せて、何本ものアイス・ランスを構築していく。
極大アイス・ランス――合計8本。
『これで、トドメだぁああああッ!!』
ファミリアを中心とした円周上に並べた氷の槍を、一斉に「射出」した。
奴は自分の巨体では氷の槍を回避できないと悟ったらしい。かといって水流で防御しようにも、奴の周囲にある海水は、残らず俺が「掌握」していた。この期に及んで操作権を奪われるような真似はしない。
魔法では防御できないと悟った奴は、頭を抱えるように身を屈め、蛸の触手を伸ばして繭のように自分自身を覆い尽くした。
その直後。
8本の槍がファミリアの巨体に深々と突き刺さり、そして――――その全身が瞬時に凍りついた。




