【55】助太刀クラゲ
『サハギンッ!?』
俺の念話に混じる緊張を感じ取ったのか、ネイアが息を呑み、サーチャが驚きながらも前へ出る。
そして厳しい表情で詰問するように問うた。
『何処にッ!? いったい何体のサハギンが現れたのですか!?』
『サーチャ! 落ち着いて!』
ネイアが窘めるように腕を引いて、ハッと我に返ったように身を引いた。そして少しだけバツが悪そうに謝罪する。
『申し訳ありません、ネイア様、アクア様』
『いや』
まあ、サーチャが取り乱すのも分かるから、俺はそう言った。
ようやくサハギンどもの何時終わるとも知れない襲撃が止みそうな気配だったのだ。それがこの期に及んで、大群が来たとなれば、どういうことだと思うのも無理はない。
いや、サーチャたちは大群だとはまだ知らないはずなのだが、俺の雰囲気から察したのだろう。
失敗したな。余裕綽々の態度で何でもないように言うべきだった。
だが、ネイアたちに大群の襲来を隠すことはできない。何しろアトランティスに住む彼女らは、俺以上に当事者で、ネイアに至っては為政者側なのだから。
『海底神殿とは全然違う場所から来るみたいだ。数は2000くらい』
『にせんっ!?』
ネイアが悲鳴のような声をあげる。
『バカな……まだそれほどの……!!』
さすがのサーチャも、2000という数字には動揺を隠せないようだった。サハギンどもは今のところ、海底神殿を狙っている様子はないが、それを言っても慰めにはならないだろう。
そして――、
『むっ!? まずいな……』
広範囲に展開した「空間識別」の中で、サハギンどもの大群全てが進路を変えた。
その向かう先には、50人ほどの兵士たちの一団がある。おそらくサハギンどもの駆除や警戒のために、アトランティス外周を巡回していた兵士たちだろう。
サハギンどもは兵士たちをすでに見つけている。その上で進路を変えたのだから、見逃すことはないだろうな。もう幾らもしない内に両者の間で交戦が始まるはずだ。
『アクア様? どうしたのですか?』
何か起こったのかと不安そうにネイアが問う。俺は急いで答えた。
『兵士たちの一団とサハギンどもがぶつかりそうだ。遠隔魔法だけじゃ倒しきれないから、俺はすぐにあっちへ跳ぶ』
『わたくしも行きますっ!』
間髪いれずにネイアが言う。しかし、俺はそれを『ダメだ』と断った。
『なぜですか!?』
『いや、時間がないから転移で向かわないと。俺は自分以外に転移を使えないんだ』
転移は自分にしか掛けることができない。だからネイアたちを一緒に連れて行くことはできないのだ。そのことを説明したのだが、
『他人に魔法を掛けることができない、ですか……?』
ネイアはなぜか不思議そうに首を傾げて、それから何かに気づいたようにハッと表情を変えた。
『いえ、おそらくアクア様はわたくしたちも転移魔法で跳ばすことができるはずです! どうかわたくしを信じて、魔法を掛けてください!』
『――え? マジで?』
ネイアによると、俺は他人を転移魔法で跳ばすことができるらしい。少なくともネイアは、なぜかそう確信しているようだ。
これが平時であれば是非とも本当かどうか試してみたいところだったが……、
『いや、やっぱりダメだ』
『なぜです!?』
『すまないが、戦う分を考えるとここであまりMPを消費したくないんだ。まだ全回復していないからな』
そう言えば、ネイアも苦汁を飲み込むような顔で引いてくれた。
『――っ、それは……申し訳ありません。我が儘を言いましたわ』
『いや、こっちこそごめんな』
実のところMPを消費したくないという理由は本当だが、ネイアたちを連れていけば足手まといになるというのが大きい。
さすがに彼女たちを護りながら戦えるほど、生易しい数じゃないからな。
しかし面と向かって「足手まといだ」とは言いにくいものがある。
俺は心配そうにこちらを見つめるネイアたちに、買ってもらったばかりの槍を掲げて見せた。
『まあ、心配しなくても大丈夫だ。新しい武器もあるしな。こいつの試し斬りが好きなだけ出来ると考えれば悪くないさ』
『アクア様……はい、そうですね。ご武運をお祈りしております』
『うん、じゃあ、行ってくるね』
『はい。わたくしたちもすぐに、援軍を率いて向かいますわ。それまでどうか、よろしくお願いいたします』
『おう、任せろ!』
頭を下げるネイアとサーチャに見送られて、俺はサハギンどもの大群の前へ、転移した。
●◯●
『ギリギリ間に合ったな』
転移したのはサハギンの軍勢と、覚悟を決めたような顔でそれと対峙する魚人兵士たち、両者の間だった。
まだ戦いは始まっていない。戦いが始まるわずか十秒前と言ったところだが。
しかし、魚人たちに犠牲が出る前で良かった。戦いが始まれば数の差であっという間に壊滅していたかもしれないからな。
俺はまず、魚人兵士たちに念話を飛ばした。
『よう! 助太刀するぜ! それに後からネイアが援軍を率いて来るそうだから、それまで頑張って耐えてくれ!』
『使徒様! 助かりました。助太刀感謝いたします!』
返事をしたのは兵士たちを率いている指揮官と思われる男だ。
どこか見覚えのある白金色の髪に碧眼をした、優男風のとんでもないイケメンである。年齢は二十代前半くらいに見えるが、魚人は老化が遅いそうなので、実際の年齢は不明だが。
俺の存在を知っていたのか、彼はどこか安心したような顔で、こちらに礼を言った。
とはいえ、まだ礼を言うのも安心するのも早いのだが。
サハギンどもはいきなり転移してきた俺を警戒しているのか、束の間前進を止めている。しかし、上下左右に広がって、こちらを包囲するような動きを見せ始めていた。
軍勢の中の黒サハギンは、全体の割合としては2割程度。
俺だけで倒しきるのは難しいが、転移もあるし死ぬことはないだろう。だが、それは俺だけであれば、の話だ。
俺がサハギンどもを敗走させるか、さもなければ援軍が来るまで、彼らには耐えてもらわなければならない。
正直、逃げてもらうのが一番良いのだが、どうもサハギンどもは兵士たちを逃がす気はないようだ。それにたとえ逃げれたとしても、俺だけで2000のサハギンをこの場に釘付けにすることはできない。間違いなく市街が危険に晒されるはずだ。
『分かっていると思うが無茶はするなよ! 援軍が来るまで包囲されないように移動しつつ、ひたすら遅滞戦闘に専念してくれ!』
『了解です! しかし、使徒様もどうかご無理はなされませんように! いざとなれば私たちのことはお見捨てください!』
イケメンは覚悟を決めたような顔でそう返してきた。
クソっ、イケメンめ。心の中までイケメンかよ。
これで性格が最悪だったら遠慮なく見捨ててやったのだが、良い奴だと知ってしまったからにはそうもできない。
『おう! 危なくなったら遠慮なく逃げさせてもらうから、気にすんな!』
『そのお言葉を聞いて、安心いたしました!』
あえて憎まれ口を叩いてやったのだが、イケメン率いる兵士たちは強がりではない笑みを浮かべた。
それっきり、俺は兵士たちからサハギンどもへと注意を移す。
巨大な壁のように広がりつつある大群相手に、後ろの兵士たちを護りつつ戦えるだろうか、と考えて。
(ふむん。これは…………無理だな)
いやまあ、考えるまでもなく困難極まる。
普通に考えて俺だけで兵士たちを護りつつ2000を超えるサハギンの相手をするなんて無理ゲーだろ。しかもMPも完全に回復してはいないのだ。
ちなみに、急いで確認した現在のステータスはこれだ。
【名前】アクア
【種族】アクア・シームーン
【レベル】39
【HP】960/960
【MP】924/1988
【身体強度】40
【精神強度】1535
【スキル】『ポリプ化』『触手術Lv.Max』『鞭術Lv.9』『刺胞撃Lv.Max』『毒撃Lv.5』『蛍光Lv.Max』『擬態Lv.5』『空間魔法Lv.4』『鑑定Lv.4』『魔力超感知Lv.5』『魔力精密操作Lv.6』『MP回復速度上昇Lv.Max』『自然魔力吸収Lv.5』『魔闘術Lv.Max』『生魔変換・生』『隠密Lv.5』『魔装術Lv.7』『水魔法Lv.Max』『氷雪魔法Lv.4』『念話』『神託』『限界突破』『神降ろし』
【称号】『世界を越えし者』『器に見合わぬ魂』『賢者』『天敵打倒』『サハギンスレイヤー』
【加護】『海神の加護』
色々スキルレベルも上がっているが、新スキルは覚えていない。
『魔闘術』もスキルレベルはカンストしたんだけど、上位スキルっぽいのは生えてこなかったしね。
んで、今重要なのはMPの残量だろう。まだ半分も回復していない。このままでは絶対に2000のサハギンの相手なぞ、できるはずもないのは明白。
だが、MP不足は補うことができるかもしれない。
その理由は、これだ。
『奪魔の蛇骨牙槍』――ダーク・シーサーペントの牙と骨から造られた長槍。闇の属性を宿しており、奪魔の力を秘める。この槍は傷つけた相手から魔力を収奪し、持ち主に還元する能力がある。
俺ってばだいぶ成長してMP量もかなり増えた。それでもこれまで、戦う相手が悪かったのか、それとも戦う数がおかしかったのか、MPの不足には常に悩んでいた。それはアトランティスにやって来てから、サハギンどもを駆除している時も同じだった。何度もMPが枯渇しては、回復してを繰り返していた。
だから、この槍を武器屋で見つけた時には興奮したね。
これがあれば、万が一MPが枯渇している時に敵とエンカウントしても、MPを回復する手段になり得るからだ。
まあ、これでどれくらいのMPを回復できるのかは、試してみないと分からないんだけど。
しかし。
『奪魔の蛇骨牙槍』があるからといって、調子に乗って考えなしに突っ込むわけにもいかない。ポジティブな要因が増えたとはいえ、これだけでは目の前のサハギンたち相手に大立ち回りを演じるには力不足だろう。
だから。
『使うしかないか、アレを』
最初から全力でいくしかない。
生半可な攻め方じゃあ、後ろのイケメンたちの命が危険に晒されてしまうだろう。
ゆえに、俺はあるスキルを発動させた。
使徒として女神様から授けられたスキルの内の一つ。
――『限界突破』を。




