【49】神は見捨てていなかった・3
【アトランティス王国・海神の神殿前:ネイア視点】
戦いが始まりました。
千を超えるサハギンたちとの戦いが。
サーチャを筆頭におよそ100人の兵士たちがそれを迎え撃ちます。アトランティスの兵士たちは陣形を崩さず連携し、長槍で槍衾を作って防衛に専念します。魔法を使える者たちが後方から必死に魔法を放ちますが、圧倒的数による圧力は少しも減じません。
既に他の場所へ伝令が行っているはずですが、他の場所でもサハギンたちの襲撃が相次いでいることは、こちらにも報せが来ていました。ゆえにわたくしたちが持ちこたえている間に援軍が来てくれるかどうかは、正直、期待できないでしょう。
それでも戦わねばなりません。
わたくしは兵たちのすぐ後ろに陣取って、『聖魔法』による支援を行います。【身体強度】上昇の祝福に治癒魔法、その合間に魔法使いたちに混じって『水魔法』による攻撃魔法を放ちます。
わたくしはポセイドン様から頂いた加護のおかげで、通常の魔法使いよりも威力の高い魔法を放つことができるのです。加えて長年の巫女としての修練で、レベルは低いですが【MP】と【精神強度】の値は高く、属性の高さもあいまって水魔法に関しては強い魔法を放つことができます。
透明な水の刃をサハギンたちに何度も撃ち込みますが、やはり多勢に無勢で、焼け石に水といったところです。
緊急用に作っておいた「魔力結晶」のおかげで魔力にはまだ余裕がありますが、この分では直に使いきってしまうでしょう。
わたくしは声を張り上げて、皆を鼓舞します。
「皆さん! あと少し持ちこたえてください! 直に援軍が来ます!!」
――嘘です。
すぐに援軍が来ないことなど、わたくしでなくても皆が知っているでしょう。咄嗟にこんなことしか言えない自分自身に、失望してしまいます。もしもわたくしが弁舌巧みな指揮官であれば、こんな時、もっと上手く皆を鼓舞することができたでしょうか。
もしかしたら援軍が来てほしいと、誰よりも願っていたのはわたくしだったのかもしれません。
でも。
「「「おうッ!!」」」
泣き言一つ、恨み言一つ言わずに力強く返事をする彼らのために、わたくしは決断しなければなりません。
彼らを死なせたくない。死なせないための力が、この場で唯一わたくしにはあるのです。
――『神降ろし』
海神ポセイドンの力の一部をこの身に降ろし、一時的に神々の眷属にも匹敵する力を宿すスキル。
加護と一緒にポセイドン様から授かったこのスキルを使えば、1000体のサハギンなど容易に排除することができるでしょう。
今、使うべきなのです。
けれど……。
(…………恐い)
サーチャには、いざとなればこのスキルを使ってどうにかすると、そう言いかけました。
わたくし自身、そうする覚悟を決めたつもりでした。
けれど――――どうしようもなく恐いのです。
『神降ろし』は一時的に凄まじい力を得る代償に、発動後は力に肉体が耐えきれなくなり、確実に死んでしまうスキルなのです。
一度発動したら最後、自身の死は確定してしまいます。
死ぬ。
それを思うだけで手足が先から冷たくなり、歯の根が合わなくなってカチカチと音がなります。体の中から熱が失われていくように、戦場の熱狂に侵されていた蛮勇の心が冷えきっていくのです。
――死にたくない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない……っ!!
わたくしだって、ただの人間です。人間の小娘なのです。まだまだやりたいこと、経験したいことは幾らでもあるのです。それらは生きていれば、これから先に経験することができるかもしれません。ですが、死んだらその可能性は永遠に失われるのです。それに家族やサーチャのような友と永遠の別れをしなければならないことも、わたくしには恐ろしくて堪らないのです。
だから――どうしてわたくしが、と。
自分がこんなにも弱くて、卑小な存在だったことに絶望しました。
それでも皆のために、わたくしはわたくし自身を殺さなくてはなりません。
「は……っ、か、かみ、お……」
サーチャはわたくしから少し離れたところで戦っています。今なら彼女に止められることはありません。スキルを発動するなら今しかないのです。
わたくしは。
震える声で願うように、後には退けないことを自分自身に告げるように、ろくに回らない舌でスキルの名を呟き、発動しようとして――、
(誰か、助けて……っ!!)
瞬間、膨大な魔力が渦巻きました。
「――――ぇ?」
誰の声でしょう? 何か不思議なものを見つけたような、幼い子供のような疑問の声。
その声の主が自分だったと分かるより先に、わたくしは視線を上へ向けていました。
わたくしはまだ何もしていません。魔力の主は、わたくしではない。
「え……? え?」
視線の先にいた存在に、わたくしは思わずぽかんと口を開けてしまいました。
そこにいたのは、見事な触手を海流にたなびかせた、一匹のクラゲだったのです。
しかもおかしいことに、そのクラゲはなぜか4本の触手で一本の槍を持っていたのです。それだけでもただのクラゲではないと分かるのですが、さらに驚くべきは、その身から溢れ出す膨大な魔力でした。
クラゲさんから溢れ出した――いえ、放出された膨大な魔力が魔法へと変換され、次の瞬間、遥か前方のサハギンたちが密集している場所で、巨大な魔法となって顕現しました。
海水が、大きく、強烈な渦となって逆巻きます。
それは強力な引力を持つかのように、周囲のサハギンたちを次々と渦の中へ引き摺り込んでいきました。渦の中には鋭い刃物でもあるのか、引き摺り込まれたサハギンたちが何度も切り刻まれていきます。
渦はあっという間にサハギンたちの鮮血で真っ赤に染まりました。
「すごい……!!」
思わず呟いてしまいます。
凄まじい大魔法です。最上等級の水属性を持つわたくしでさえ、あのような水魔法は使えません。
今のたった一度の魔法で、驚くべきことにサハギンたちは大きく数を減らしていました。そして魔法を放ったクラゲさんを警戒するように、後方へ下がって距離をとっています。
当然です。普通のサハギンでは魔力を感知できないでしょうが、スレイブとなったサハギンたちならば、今の魔法が誰によって行使されたのか、すぐに分かったはずです。
そしてそれは、我がアトランティスの兵士たちも同様でした。クラゲさんを警戒するように後方へ下がり、武器を向けて緊張しています。
「あのクラゲはいったい何だッ!?」
「俺が知るわけねぇだろッ!!」
「誰か知っている奴はいないのかッ!?」
クラゲさんが敵なのか、それとも味方なのか、判断しかねているのです。
視線を逸らさないまま、大声で確認し合っています。
そんな中、魔法を放ったクラゲさんは、サハギンたちとアトランティスの兵たちの間に生まれた空白地帯へ、ふよふよと降りてきました。そして――、
「あっ……!!」
クラゲさんがわたくしたちの目線へと降りてきてくれたことによって、今まで見えなかったクラゲさんの傘の上部に、白色の紋章が刻まれているのが見えたのです。
ここからではその全体像を見ることはできませんが、一部だけでも、海神の巫女たるわたくしが、その紋章――いえ、正確には聖痕を見間違うはずがありません。あれは『海神の加護』です!
「――ネイア様!!」
「ぁ、……サーチャ」
あのクラゲさんがおそらくは味方であろうと分かったからでしょうか。張りつめていた緊張の糸が切れたような気がしました。
そこへ、サーチャがわたくしの下へ戻って来ました。クラゲさんを警戒してのことでしょうか。
「よく分かりませんが、あのクラゲは危険です! すぐに避難してください!」
「ま、待って。待ってサーチャ!」
「いいえ待ちません!!」
「違う、違うの! あのクラゲさんは味方よ! 使徒様なの!!」
わたくしを力ずくで避難させようとするサーチャに、慌ててクラゲさんが使徒様であることを教えます。
「――――はい? 使徒様、ですか?」
わたくしの言葉にピタリと動きを止めたサーチャが、今度はクラゲさんの方を疑わしげに見つめます。そして傘に刻まれた聖痕の一部を目撃したのでしょう。両目が驚きに大きく開かれました。
「まさか……本当に?」
そう、まさかです。
まさか、ポセイドン様が自らの使徒を、わたくしたちの助けに寄越してくださるとは、巫女であるわたくしも――いえ、巫女であるわたくしだからこそ、考えていなかったのです。
ですが、今は驚いてばかりもいられません。
わたくしは自分にむんっと気合いを入れると、兵たちを掻き分けて前へ出ました。彼らが不用意にクラゲさんを攻撃しないよう、言い聞かせる必要があります。
「皆さん、落ち着いて! あのクラゲさんは敵ではありません! 海神の使徒様です!!」
わたくしはサーチャを伴って兵士たちの前に出ると、大きな声でそう言いました。
皆もクラゲさんの傘にある聖痕が見えていたのでしょう。どこか納得したような雰囲気が漂います。その瞬間です。
『ぷるぷる! 俺、悪いクラゲじゃないよ!!』
わたくしたち魚人の、海中でも伝わる特殊な発声法ではない、頭の中に直接響くような声でした。
わたくしにはそれが、どこか幼い少女のような、悪戯好きの御転婆な女の子のような、そんな声音に聞こえました。
念話です。目の前のクラゲさんが発したことは、すぐに分かりました。
「「「…………」」」
そして一瞬の沈黙。
後、驚きが爆発したように兵士たちがそれぞれに言葉を口走ります。
ですが、それも無理はありません。
『念話』というスキルがあることは知っていても、ここまではっきりと言葉を扱う魔物……いえ、クラゲさんなど、わたくしたちの想像の埒外なのです。それが使徒様とはいえ、驚くなという方が無理でしょう。
しかし、今はそんな場合ではなかったのです。
『――待て待て! 混乱するのは分かるが、今はサハギンどもを倒すのが先だ! そうだろ!?』
声に比べてずいぶんと男勝りな口調で、クラゲさんがそう言いました。
ですが、確かにそうです。すぐそこにサハギンたちが、まだ存在するのですから。
「「「…………」」」
クラゲさんの言葉を受けて、兵たちの視線がなぜかわたくしに集まりました。
物問いたげな彼らの眼差しに、わたくしは頷きます。
「使徒様の仰る通り、今はサハギンたちを撃退しましょう!」
「「「おうッ!!」」」
彼らは一斉に武器を掲げ、意気軒昂な鬨の声をあげました。
不思議なことに、先ほどまであった重苦しい雰囲気は、どこかに吹き飛んでいました。
そして、戦いが再開されます。
ただし、防衛に専念していた先ほどまでとは違い、兵たちはどんどんとサハギンを攻めていきます。槍を振るい、魔法が飛び、彼らの高い戦意がサハギンたちの圧力を押し返します。
ですが、やはり、一番大きかったのはクラゲさんの活躍でしょう。
クラゲさんが何かの魔法を放つ度に、何体ものサハギンたちが木っ端微塵となって吹き飛びます。それだけではなく、クラゲさんは密集するサハギンたちの群へ突撃すると、触手で保持している槍を振るい、いとも簡単にサハギンたちを両断していきます。さらに触手を鞭ように振るい怯ませ、時には捕まえたサハギンを盾のように使って防御します。あれだけの群の只中にいるというのに、まるで全ての方向が見えているかのように、死角などないかのように攻撃を凌ぎ、的確に反撃していくのです。
何より驚いたのは、それでも躱しきれないほどの攻撃に襲われた時、忽然とクラゲさんの姿が消え、別の場所に現れたことです。
わたくしの目では追えないくらいの高速で動いたのでしょうか?
いえ、それにしてはサハギンたちの包囲の外へ抜けられたのが不自然です。
わたくしも兵たちを魔法で支援しながら、クラゲさんの戦いを眺めていて気づきました。クラゲさんが消える寸前、何かの魔法が発動していることに。
まさか……伝説の、空間魔法なのでしょうか?
確証はありませんが、そうとしか思えません。
だとしたら、クラゲさんは何者なのでしょう? いえ、使徒様だということは分かっているのですが。
ともかく。
クラゲさんが縦横無尽の活躍をしてくれたおかげで、程なく、切望していた援軍が訪れる前に、わたくしたちはサハギンの軍勢のほとんどを倒し、撃退することができたのでした――。




