【47】神は見捨てていなかった・1
【アトランティス王国・海神の神殿:???視点】
我らがアトランティス王国に大量のサハギンたちが襲来してくるようになって、すでに幾日が過ぎたでしょうか。
これがただのサハギンであったならば、海の民であるわたくしたちが恐れる必要は何もありません。しかし、サハギンの軍勢……そう、軍勢と呼ぶべき規模のサハギンたちの中には、間違っても「ただのサハギン」などと軽く見ることができない存在が混ざっていたのです。
邪神の眷属たちが生み出した、邪神たちの奴隷――イヴィル・スレイブ。
邪神の意思に縛られ、幾ばくかの理性と引き換えに、大きな力を得た存在。あるいは邪神の奴隷と化してしまった哀れな生命たち。
襲い来るサハギンの軍勢の1割ほどが、その証である漆黒に染まっているのを見た時、わたくしたちアトランティスの民が受けた衝撃は如何程でしょうか。
サハギンのイヴィル・スレイブ。
確かに強敵ではありますが、精強なるアトランティスの兵たちならば、決して倒せない敵ではありません。しかし、その数だけが多すぎました。
アトランティスは一つの島を中心に海の中へも都市圏を広げる、非常に大きな都市国家です。今では造船技術、航海技術ともに、他国の追随を許さぬほどに発展しており、海上交易によって並みの小国家を凌駕する富を獲得しています。
しかし、陸で生きる人々のように大きな領土や複数の都市を持つことはできず、アトランティスの人口は他国に比べて多くはありません。王宮で把握している人口は30万人ほどでしょうか。
それでもアトランティスがこれまで、他国に侵略されることがなかったのは、偉大な大海原そのものが、他国からの侵略を防ぐ強固な防壁となって、わたくしたちを守護してくれているからです。
ですが、サハギンは魔物とはいえ、同じ海の中に生きる存在です。
海の中を自在に泳ぎ回るサハギン相手には、陸地の国々のように海が護ってくれるわけではありません。
海という有利を無くして、ただ地上の人々と同じように戦わねならないとなった時、アトランティスが抱える兵士の数は心許ないものでした。
病に臥した王の代わりに、第一王子たるレウスお兄様が騎士団と軍を率いて、数千にも上るサハギンたちとの戦いに赴きました。
わたくしはアトランティス北方の外縁にある海神の神殿にて、すぐに海神ポセイドン様へ、この異変をお伝えせねばなりませんでした。
普通ならば、神に直接言葉を届けることなど、人の身に可能なことではありません。
しかし、わたくしは海神の巫女です。
神々の使徒様にも準じる加護と、特殊なスキルをわたくしは授かっていました。
その中の一つ、『交信』という名のスキルを使えば、加護を授けてくださった神様へ言葉をお伝えすることができます。神殿の中の祭祀場に籠り、わたくしは一心にポセイドン様へ呼び掛け、イヴィル・スレイブが現れたという極めて重大な異変をお伝えしたのです。
『我が巫女ネイアよ、それは真かえ?』
程なく、頭の中にポセイドン様のお声だけが響き渡ります。
『交信』に応じてくださったのです。
わたくしはすぐに詳しい事情を説明します。
『はい、ポセイドン様。間違いございません。アトランティスを襲ったサハギンの軍勢は数千に及び、その内1割ほどがイヴィル・スレイブと化しておりました』
『数千を率いるか……となれば、何処かで繁殖しておったのだろうの。ふむ……軍勢の中にイヴィル・ファミリアの姿はあったかえ?』
イヴィル・ファミリアとは、邪神の眷属のことです。その強さと禍々しさは、スレイブの比ではありません。
『いえ。見える範囲にそれらしき存在はおりませんでした』
『となれば、何処か別の場所に潜んでおるわけか……あい、分かった。ネイアよ、よく報せてくれたの。イヴィル・ファミリアは妾が滅ぼしておこう』
わたくしはホッと安堵に胸を撫で下ろしました。
イヴィル・スレイブがいるということは、何処かにスレイブを生み出したイヴィル・ファミリアがいるということでもあります。
そしてイヴィル・ファミリアの強さは、わたくしたち人の子がどうにかできる強さではありません。
ファミリアをポセイドン様が倒してくださるということだけでも、望外の幸運と思うべきなのです。
ですが、わたくしは――、
『あの、ポセイドン様……』
『ん? 他にも何かあるのかや?』
『…………いえ。イヴィル・ファミリアのこと、どうかよろしくお願い致します』
いけません。
今、わたくしは何を口走ろうとしたのでしょう。
分かっています。本当はアトランティスを襲うサハギンたちを、ポセイドン様の御力で退けていただけないでしょうかと、そう口走ろうとしたのです。
神々に多くを望もうなど、何と不敬な。
それは恥ずべき行為です。それでも、あの大軍勢を相手に民たちが受けるであろう被害の大きさを思えば、我が身の恥など如何程のものでもありません。
ですが乞い願ったところで、「この程度のこと」で、神々が動いてくださることはないと、わたくしは知っているのです。いえ、むしろ動いていただいては、わたくしたち自身が困ることになるでしょう。
神々とその眷属の方々の力は強大です。
スレイブを倒すために協力を乞うというのは、蟻を潰すために対軍魔法を使うというのに等しい行いです。都市を襲うファミリアたちに神々の眷属の力が振るわれれば、その余波でアトランティスが滅ぶということにもなりかねません。
だから、スレイブごとき、わたくしたちの手で倒さねばならないのです。――たとえ、どれほどの被害が出ようとも。
『うむ。任せておけ。邪神とその眷属どもは、妾たち神々にとっても頭痛の種じゃからのう。きっちりと滅ぼしてやるわ』
『――はい』
うむ、とポセイドン様は力強く頷いて――その気配が遠ざかっていきました。『交信』を切断なされたのでしょう。
わたくしは俯き、それでも思わずにはいられません。
神々は自らの信徒とはいえ、個々の命に重きを置くことはないのです。スレイブを倒すのに巨大すぎる力は使えないという以上に、その必要を認めてはいないのです。苦境を乗り越えるべきはその当人であって、神々がそれを助けるために手を差し伸べることはありません。
例外は邪神と、その眷属に関してのみ。
人ではどうにもできず、世界に対しての影響が大きすぎる存在だから、それだけは神々も動いてくださいますが、それは決して人を助けるためなどではありません。
そんな神々を冷淡だと思ってしまうわたくしは、巫女失格です。
「…………わたくしも、戦わなければ」
それでも、巫女として授かった力が少しでも役立つならば、神々に感謝するべきなのです。この力で一人でも多くの民を、同胞たちを救えるのならば。




