【38】君の名は……
突如として目の前に現れた半透明の美しい女性。
年の頃は二十歳そこそこといった外見。長く艶やかな黒髪を結い上げ、豪華な装飾を施された簪を髪にさしている。白晳の美貌に、切れ長で意志の強そうな目は虹彩が縦に割れているわけではないけど金色。スッと通った鼻筋に、紅がひかれているのか鮮やかな唇は妖艶に弧を描いている。
身に纏っているのは、なぜか緋色の色鮮やかな着物だった。全体に精緻で美しい刺繍が施されている。右手にはこれまた豪華な扇を握っていた。
まるで昔話の乙姫様みたいだ。
いや。昔話の、というよりは、ソシャゲに登場する乙姫様みたいだ、と言った方が正確だろうか。プレイヤーに課金させるために登場させた色気ムンムンの美女乙姫様。夏場とかは特に色んなソシャゲに登場しそうである。
ともかく、そんな印象を受ける、豪奢な美女の姿なのだ。
一瞬、体が透けているから幽霊かとも思ったのだが、淡く光り輝くその姿は、幽霊と呼ぶにはあまりにも幻想的にすぎる。
(ハッ!? まさか……)
だが、そこで俺の神経細胞に走る閃きの閃光。
仮称リヴァイアサンがこちらを覗き込んでいる時に、まるでこちらとの会話を望むかのように現れた女性の姿。そして俺の記憶にあるようなソシャゲ版乙姫様のイメージにピッタリな外見。そこから導き出される解答は――、
(もしかして、リヴァイアサンが何らかのスキルか魔法で作り出した仮初めの姿……ってことか? そしてこの姿は、俺の警戒心を解くために、俺の深層心理からそれらしい外見を抽出して生み出した……。だとすれば、異世界で和装という違和感にも説明がつく!)
前世日本で様々なサブカルチャーに親しんできた俺にとって、そう真実を予想することは容易かった。そして、それはおそらくは当たりであろうということも。
『いや全然違うんじゃけども』
――否定されたッ!?
なぜか目の前の女性が呆れるように、俺の予想への回答を口にする。
っていうか今、心読まれた?
『そう驚くこともあるまい。ただ、妾とお主の間に念話を繋げておるだけじゃ』
お、おおう? またしても心を読まれてしまった。
もしかしてこれ、思ったこと全部筒抜けになってる系?
『……うん? もしかして、心を全部読まれておる、とでも考えておるのか? 安心せよ。念話にそこまでの性能はない。お主が表層意識で紡いだ言語的思考は聞こえるがのう』
(いやでも、俺が驚いたのを見抜かれたし)
『それはお主の様子を見て察しただけじゃ』
との返答。
……うん。どうやら、会話ができるようだぞ?
理解した瞬間、俺は目の前の女性に話しかける。
(あ、ああ、あのッ、貴女はどちら様でしゅかッ!?)
噛みまみた。
実際に声に出したわけじゃないのに噛んでしまった。いやだって仕方ないだろ! 言葉の通じる相手との会話なんて、かなり久しぶりなんだよ! クラゲになってからずっと孤独に暮らしてたんだよ!
『ふむ……その様子、やはり妾のことを知らぬか』
美女は何事か物思いに耽るように視線を下げた。それからもう一度こちらを見て、自らの正体をドヤ顔で告げる。
『良かろう! 無知なお主に教えてしんぜよう!』
どうでも良いけど、めっちゃ偉そうだなこの人……。
『妾は海神。母なる海を司る海神――名はポセイドンじゃ!! 以後、見知りおけ!』
(――色々違うッ!?)
『何じゃあ? お主、クラゲの分際で妾に文句でもあるのかえ?』
俺が思わず発したツッコミを聞き咎められてしまった。
ポセイドンを名乗る女神様が、ジト目で俺を睨んできたので、慌てて弁明しようとする。それは誤解です、と。
しかし、実際何と答えれば良いのか、俺は悩んでしまった。
だってポセイドンって、男神じゃん? 異世界でポセイドンの名を聞くのも予想外であれば、乙姫様みたいな女神様がポセイドンを名乗るのにも違和感がある。
名前とか姿とか色々ツッコミどころが多すぎて、一度にはツッコミ切れないんだよね。ああもう! 色々ゴチャゴチャしすぎだろ! 属性や設定は足せば良いってもんじゃないんだぜ!?
『ふむ……お主の言っている言葉には少々意味が分からんところもあるが……何か馬鹿にされている気配を感じるのう。……やはり消しておくか』
消すってナニを!? 俺!? 俺のことかッ!?
(あっ、ちょっ、待ってください!! ウソウソ! 今説明しますからぁッ!!)
『はよせい』
俺は説明した。
それはもう説明した。
俺が元は異世界の人間であったこと。クラゲに殺されてこの世界に転生していたこと。転生してからあったこと。この島で何をしていたのかまで全て。
そしてポセイドンというのが、俺のいた世界でとある神話体系の海神の名前であり、それがひげ面マッチョのおっさんであることも説明した。あわせて女神様の外見が、昔話に登場する乙姫という存在に似ていることも説明する。
全ての話を聞き終え、女神様は――、
『ふむ、なるほどのう。やはりお主は「稀人」であったか』
どこか深刻そうな表情で、そう言った。いや、すぐに表情が変わったから、俺の見間違いかもしれないが。
(稀人?)
『稀人とは、異界からこちらの世界へやって来た迷い人のことじゃな。肉体を持ってこちらに迷い込むことも、お主のように死後、魂だけがこちらに来ることもある。まあ、必ずしも人であるとは限らんし、お主のように人であったものが人ではないものに転生するのは、かなり珍しいのじゃがな』
(へえ、なるほどです! つまり俺みたいに異世界からやって来た人が他にもいるってことですか!?)
もしかしたら俺のように日本から来ている人もいるかもしれない。
だとしたら、できれば会ってみたいところだ。
俺はそんなことを考えていたんだが……。
『……うむ、いや、どうじゃろうな。今は、お主以外にはいないはずじゃが……』
(あ、そうなんですか。残念です……)
しゅんとした。
どうやらいないらしい。今は俺だけってことかな? それとも稀人はめちゃくちゃ珍しい存在で、現れるのは数百年に一度くらい、とか。
『しかし、それにしても、じゃ』
女神様が空気を変えるように、それでいて、どこか憮然とした表情で言う。
『お主の世界に妾の名を騙る者がおるとはのう。まったくふざけた奴じゃ! しかもそれが壮年の男じゃと? 名を騙るなら騙るで、妾ほどの美女は無理にしても、せめて女が名乗るべきじゃろうが!』
(……そうっすね)
たぶん、地球のポセイドンさんも目の前の女神様の名前を騙ったわけではないはずである。だが、俺は空気を読んで反論はしないでおいた。
『それに乙姫というたかの? 妾の外見を真似する者もおるとは……ふぅ、確かに妾は三千世界で最も美しい女神と神々の間で評判じゃから、真似したくなる気持ちは分かるが、せめて妾の許可くらい取ってほしいものじゃな』
(……そっすね)
俺は空気を読んで以下略。
『まあ、他所の世界のことなので、あまり厳しくは言わんことにするがの。それに妾のふぁんということなれば、許してやらんでもない。妾は心が広いからのう』
(そっすね)
『ま、この話はここまでにしておくか。それにお主が何者かというのは分かったしのう』
(はあ)
『さて、お主が怪しい者ではないというのなら、ついでじゃし、妾の話でも聞いてもらおうかのう』
(ええ、もちろん! よろこんで!)
俺は元気良くそう言った。
そしてその言葉は本心だ。俺にもまだまだ話したいこと、聞きたいことはある。たとえばなぜ念話とはいえ言葉が通じているのかとか、女神様はなぜここに来たのかとか。
それに何より、単純にこうして会話できることが嬉しいのだ。今なら、たとえどんなに下らない内容の話でも、何時間でも付き合っただろう。
俺ってば、自分で思う以上に人恋しかったみたいだ。




