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狐のやしろ

 僕はじっと、夜の空を眺めていた。

 昔はもっと、お星さまが見えた気がするんだけど、最近はとっても少なくなった気がする。

 昔は、もっと人がたくさんいて、もっともっと僕と遊んでくれる人がいたのに。

 最近じゃあ、なぜか僕を見て逃げる人ばっかりだ。

 どうして僕を怖がるんだろう?

 僕は太くて長い尻尾をゆらゆらと揺らして、首を傾げる。


「この間の子供にも逃げられたし、おじいさんにも逃げられたもんなあ……」


 なぜか最近の人は、僕を見て逃げ出しちゃう。

 なんでかなあ。

 僕はとってもかわいい狐なのに。

 この疑問に答えてくれる人は誰もいない。

 僕は今、ひとりぼっち。






 雨の日が増えて久しい、初夏の午後。

 笠置透かさぎ とおるは、透明な傘をさして通りを歩いていた。

 平日の、しかも雨である。

 車は何台も通り過ぎていくが、歩く人影は全くない。


「寂しいもんだねえ」


 そう呟いたのは、透の肩にしがみ付く三毛猫だった。

 ずいぶんと大きな三毛猫だが、透は重そうな顔をしていない。

 この猫の大きな特徴は、二又に分かれた長い尻尾だろう。

 三毛猫の名前はお銀さんという。

 長い時を生きる猫の妖怪だ。

 透は猫に何の反応も示さず、目的地へと向かう。

 透の仕事は、人に害を加える妖怪を祓う祓い師だ。高校生のときからこの仕事を始め、もう十年以上経つ。

 両親が死に、歳の離れた姉に面倒を見てもらっていたが、自分で自分の生活費などは稼ぎたいと思い、母の仕事を受け継いだ。

 過保護な姉は、何度か死にかけた透のこの仕事をやめてほしいらしく、時おり、お銀さんを伝言係にして、言ってくることがある。

 今でこそ、透が雑貨屋を始めて妖怪を祓う仕事を減らしているためにだいぶ大人しくなったが。三十近い男に過保護なのもどうかと思う。


「透。目的のやしろは、橋のたもとだろう?」


 お銀さんはきょろきょろと辺りを見回しながら言った。

 今日、透のもとに来た依頼は、人を脅かす狐の妖怪を退治してほしい、というものだった。

 透が受けるにしてはかなり楽な仕事だ。

 今までに何度か死にかけたことを考えれば、だが。

 なぜこんな仕事を回されたのか疑問に抱きつつ、透は目的の橋へと向かっていた。

 透が住むレンガ通り商店街から歩いて十分ほど。

 片道一車線の橋のすぐ横に、その社はあった。

 塗り替えられたばかりらしい、真っ赤な鳥居。

 社のすぐ前に置かれた、小さな狛犬、ならぬ狐の像。

 小さな稲荷神社だ。

 賽銭箱もとても小さく、鈴もこぶりなものだ。


「なんだっけ? ここの掃除をしていたら、脅かされたんだっけ?」


 お銀さんは、透の首に尻尾を巻きつけ、傘越しに社を見つめた。


「あぁ。近所のご老人が、鳥居の塗り直しを期に週に一度清掃するようになったら、急に後ろから声を掛けられたと」


「それで、振り返ったら恐ろしい姿の妖怪がいたんだっけ」


 透に来た依頼のメールには、恐ろしい妖怪、とだけ書かれていたが。

 社を見たところ、そんな怖いものが住んでいるような雰囲気はひとかけらもない。


「あとなんだっけ? 川のそばで遊んでいたら声を掛けられて、川に落ちそうになったんだっけ?」


「あぁ」

 

 遊んでいたのは小学生の子供たちらしい。

 怖くなって逃げ出したと言う。


「まあ、妖力は感じるけれど。邪気は感じないねえ」


「そうだな。なぜそんなことになったのか」


 透は、辺りを見回し妖怪の気配を探す。

 社の中に潜み、こちらの様子をうかがっているようだ。

 透は鳥居をくぐり、社へと近づく。


「おい」


 腰に手を当てて、社に向かって声をかけると、狐はびくり、と震えたようだった。

 けれど出てこない。

 透はジーパンのポケットに手を突っ込み、加熱式たばこを取り出す。

 出てこないなら、待つまでだ。

 たばこをセットしてそれを口にくわえた時、社からそれは飛び出してきた。

 

「社でたばこをふかすとは、ふとどきせんばん!」


 そう叫びながら、とびかかってきたそれを、透はひょいと一歩下がり避ける。


「けーん!」


 叫び声をあげて、白い狐は地面にぽとりと、尻から落下してしまった。

 

「やっと出てきたねえ」


「あぁ」


 お銀さんの言葉に頷き、透は煙を吐きだし、足元に転がる狐をみつめる。

 それは、お尻をさすりながら二本足で立ち上がると、透を見上げて言った。


「こら! そこの人間! ここは禁煙だぞ!」


「ああ」


 透は答え、加熱式たばこを咥えて煙を吐き出す。

 それを見た狐は透の足をぽかぽかと叩き出した。


「だから、その、煙を消せと言ってるのに!」


「……もったいないだろう」


「もったいないと思うなら、たばこを吸うな、たばこを!」


「火を使ってるわけではないのだから、いいだろう」


 透が言うと、狐の手が止まる。


「火を、使わない?」


 呟いて、狐は透をまじまじと見つめ、そして彼が持つ電子たばこを指差す。


「あ! たしかにたばこと違う! まさか、僕を騙した?」


 透は煙を吐き、その場にしゃがみ込むと狐の顔をじっと見つめて言った。


「お前が、人を脅かしているという狐か?」


「え?」


 問われた狐は、手を口もとにあてて首を傾げる。

 

「……えーと、え?」


 狐は何を言われたのか理解できないようで、きょとん、とした顔をして透を見つめる。

 この狐からはひとかけらも邪気を感じない。

 人に危害を加えるようには全く感じないが、さて、どうしたものか。

 透に来た依頼は、人に害をなす狐を祓え、だった。

 けれど実際ここにいるのはなんでもない狐の妖怪だ。


「お前、最近この辺りで遊んでいた人の子に、声をかけたか?」


 そう問いかけると、狐は沈黙した後、ぽん、と手を叩いて言った。


「あー! ありましたよ、そんなこと! 川が増水していて、遊んじゃ危ないよ! って声を掛けたらおっこちそうになって……逃げて行きました!」


「それと、ここの掃除をしていた老人……」


「あぁ! よくここの掃除をしてくれるおじいさんですね! お礼を言いたくて話しかけたんですが、逃げちゃいましたね。最近見かけませんが、なにかご病気ですか?」


 そして、狐は首を傾げる。

 どうやらどれも、狐としては害をなす気持ちはひとかけらもなかったらしい。

 

「あぁ、そうか。ならいい」


「どうするんだい、透」


「俺が言われたのは、人に害をなす妖怪の駆除だ。こいつは違う」


 肩に乗る猫にそう答えると、狐が驚いたように身体を反らして言った。


「え! ここにそんな危険な妖怪がいるのですか? どこ、どこ?」


 そして、狐はきょろきょろと辺りを見回す。

 それを見て、透は狐の頭にそっと触れた。

 彼がもつ妖力のせいだろうか、雨が降っているのにもかかわらず、少しも濡れていない。


「大丈夫だ。そんなものはここにいないから」


「え、あ……」


 頭を撫でられた狐は、まじまじと透を見上げた。


「こうして、人と話すのは、久しぶりかも知れません」


 いいながら、狐は頬を両手で抑える。


「昔はよく人と遊びましたが、どんどん減っていって。今ではここを訪れる人も減りました。

 だから、掃除してくれる人がいるのが嬉しくて、声をかけたんですが……もしかして、驚かせちゃったんですかね?」


「いいや、大丈夫だ。今は雨の季節だから来ないだけだろう。雨が止めば、また来る」


 狐が老人を驚かせてしまったことは伝えず、透はそう答えて立ち上がる。


「お前は優しいねえ」


 お銀さんが耳元でぼそりと呟くのが聞こえる。

 優しいだろうか?

 依頼は、害のある妖怪の駆除であって、無害な妖怪の駆除じゃない。

 

「お前、この社にすんで長いのか?」


「はい! ずっと昔……稲荷の神様の眷属であるお狐様によって、ここにすまわせていただいているものです!」


 言いながら、狐は背筋をただす。


「えへへ。人とおしゃべりできるの……嬉しいなあ……」


「しゃべるのはそんなに久しぶりなのかい?」


 お銀さんが言うと、狐は大きく頷いた。


「はい。昔に比べて、僕の姿が見える人は減りましたし……ずっとひとりでここにいます」


 そう言った狐の耳は垂れ下がる。


「狐」


「はい、なんでしょう?」


「お前は、ここを離れられるのか?」


 煙を吐き出しながら問うと、狐はこくこくと頷く。


「えぇ。僕は立派な妖怪ですからね! 離れることはできますよ!」


「なら、着いて来い」


 そう言って、透は狐をひょいと抱き上げた。




 商店街の一角にある、透の家。

 一階は雑貨店になっており、人に化けた色んな妖怪がやってくる。

 

「お帰りなさい、透さん」


 営業中の雑貨屋の扉をくぐると、そこにはエプロン姿の、茶髪の青年がいた。

 透の、年の離れた幼なじみである緋月ひづきだ。

 彼はこの雑貨店で社員として働いている。

 彼は嬉しそうに透へと駆け寄ると、抱える狐を見て笑った。


「可愛い狐ですね。どちらから攫って来たんですか?」


「違う。橋のたもとにある社にいる狐だ」


 と言い、透は緋月に狐を押し付ける。


「ちょ、と、透さん?」


「寝る。後は頼む」


「うわぁ! あなた、僕が見えるんですか? 嬉しいなあ! 今日は嬉しいが沢山ですよ!」


 緋月の戸惑う声と、狐の叫び声を背中に聞きながら、透は店の奥へと進み、自宅である二階へと上がっていく。

 着替えるのも億劫で、床に座り、そのままたばこを咥え火をつける。

 外では加熱式たばこを吸うが、家では従来からある紙巻のたばこを吸う。

 正直、紙巻の方が好きなのだが、吸える場所が少ないし、緋月が嫌がるため人前では加熱式ばかり吸うようになった。


「同情? 憐み?」


 なぜ自分が狐をここに連れていたのか、自分に問う。

 この雑貨屋なら、色んな妖怪が来るし、由緒ある神社の息子である緋月も妖怪を見ることができる。

 だから。

 だから狐は、ここに連れて来たら寂しくないと思った。

 

「ひとりは寂しいものだからねえ」


 そう言って、お銀さんはひょい、とソファーにのり丸くなる。


「そうだな」


 煙を吐きだし、テーブルに頬杖をついて窓の外に視線をやる。

 今は梅雨。雨はしばらくやみそうにない。

 ならばやむまでここにいればいい。

 ここにいれば狐はひとりでないのだから。


挿絵(By みてみん)

ありがとうございました

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― 新着の感想 ―
[一言] 優しいお話ですね。 笠置氏主人公でもっと色んなお話が読みたいです。
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