第一話
女の子が言った。
「生き物が全部進化の途中だとしたら、最後は皆が人と同じ形になるのかなぁ」
男の子が答えた。
「でも北極の最適解が人ではないからなー」
「そっかー」
また、女の子が言った。
「じゃあ、宇宙人はどうかな?」
二人の話は続く。
これが昼の出来事。
家に帰り、自分の部屋のドアを開けた時、少女がいることに気づいた。
同い年くらいだった。少女はイスに座り、少年の勉強用の机に頬杖をついていた。
少年は、少女が振り向く前に部屋のドアを閉め、キッチンに向かった。壁に掛けてあった包丁を手に取り、耳を澄ませたが、少女は、降りてくる気配はなかった。
男の子は冷汗が止まらなかった。しかし、よくよく思い返し、同い年の人間の女の子に怯えている自分が恥ずかしくなり、それならばと、棚からお茶と菓子をトレイにのせ、一応のハサミをズボンの後ろにしまい、お茶会をしに、部屋に戻った。
少女はまさか戻ってくるとは思っていなかったように驚いていた。
話を聞けば、彼女は星が見たいと言った。
ここまでが昨日の出来事。
暑さが増し始めた5月の中旬、土曜日の朝一番の行動がハサミを突きたてることだとは少年は驚いてた。寝起きだが、見間違いではない。
見たことのない生き物がフワフワと部屋の中を漂っている。
推定身長四十センチ、一頭身、乳白色、ほのかに楕円球体。のっぺらぼう、スライムゼリーみたいな表面、手は確認できず足は短め、その変わりなのかしっぽが長く六十センチほど。
異形の見た目の割に恐竜らしい印象を受けるのはしっぽに剣竜のような特徴があるためだろう。
『僕は悪い魔物ではないので剣をお納めください』
お互いが構えて静止していたが、先に白い悪魔が動いた。
そいつはどこからか文字の書かれた板を取り出し、しっぽでつかんでいた。
完全にお互いの間合いだが、襲ってはこないようなので少年は姿勢を崩しベットに腰掛ける。
「おまえしゃべれないのか」
少年は一息ついて質問をしてみた。そして返ってきた言葉がこうだ
『できるが発声器官を作るのが面倒。あと人間如きににそこまでする義理はない』
……。思想教育半端ないなこいつ。少年は一瞬絶句した。
前文と敬語の消失だけならまだしも、後ろのセリフは少年もハサミを構え直すぐらいの衝撃があった。
「作りなさい」
『…はい』
30秒ほどたったあとそいつは声を出した。穏やかで中性的な声だった。
「まずは自己紹介をしよう。僕はクモズキ。雲に透けると書かいて雲透」
こいつの礼儀の基準がわからない、と思いつつ返事を返した
「士堂怜樹だ。で、おまえは何しにここへ?」
「これだよ。」
出されたのは一冊の本だった。
「なんだ、これ」
怜樹が手に持って見ても、特にこれといった加工もされていない普通な本だ。
数ページ流してみたが、文字が読めるものではなかった。
「王宮の魔本。これを盗んで、逃げてきた。」
一発目から衝撃的だった。
「これで何すんの」
「新しい王を立てるんだ」
「前任者は?」
「勇者に負けました」
「跡取りとかは?」
「生まれなかった」
だんだん話が見えてきた。
「つまりRPG二作目を作るのか」
「そんなちゃちなものじゃないよ。僕たちの世界の命運がかかっているんだ」
雲透から強い眼差しを感じた。目ないはずだが。
「そう言うことは自分たちの世界でやりなさいよ」
「王を立てるにも時間がかかって大変なんだ」
なおさら、そっちの世でやりなさいよ。と思ったのは口にしなかった。
「盗んで来たってことは、追われてるんだろ」
「大丈夫だよ。撒いてきたからね」
「そうですか」
それは追われているのと同義です。怜樹は半分諦めたように話を聞いていた。
「後聞きたいことは?」
「もうないかな」
あったはずだが消え去っっていた
「え…。あ、そう」
「……」
顔のないはずの雲透の表情はとても分かりやすかった。
「お腹が減ったってことしか考えられない」
「そんな現代人みたいなこと言われても」
こいつは現代人のなにを知っているんだろう。ここまで来て突っ込みそうになったのを抑え、立ち上がった。その時、部屋の端にトレイとカップが見えて質問が一つ浮かんだ
「君に人間の知り合いているのか?」
「いいや、いないよ」
「なら、いいんだけど」
怜樹はトレイを手に取った。
「後は朝食作りながら考えるよ」
そう言うと怜樹は部屋のドアを開けた。
「行きたい場所がある」
雲透が指定した場所は幸か不幸か電車一本で行ける距離だった。
「昨日の今日で呼び出しはおかしくないか」
電車の端で怜樹は雲透に話かけた。
「僕が連絡したってのもあるだろうけど、それほど計画を早めたいんだろう」
「そんなに王様がほしいのかね」
もっとゆっくりできないものだろうか。怜樹は不信感を感じていた。
「王を早く立てることは彼らの夢だから」
「彼ら、ね」
怜樹は雲透が持っていた本についても聞いてみた。
「この本は何に使うんだ」
「式に使うんだ」
確かに儀式に書物はつきものだろう、と怜樹は納得した。
「闘ったりするのか?」
「しないしない、そんな前時代的なことはしないよ。きっと」
儀式も現代ではやらないと思うんだけどな。
「そうか、ま、知らないなら直接会って聞くか、なんで自分まで呼ばれたのか知りたいし」
「それが不思議なんだ、事情を話したら連れてこいとだけ」
「わからないことだらけだな、重役だろうに」
この召集の速さも、雲透の作戦成功を信じていたからだろう。
そこから考えても雲透は間違いなく幹部級だ。
怜樹がそんなふうに思考を巡らせていると目的の駅についた。
土曜日の人の大群を掻い潜り、駅前の広場にでた所で声をかけられた。
「こちらへ」と使いに案内されたのは建ち並んだ雑居ビルのひとつだった。
最上階の部屋では円卓会議が開かれ、人と魔物が交互に座っている。
正面には女の子が座り、その後ろに牛角の魔物が立っていた。
「こんにちは」
女の子は品性良く、そのそぶりや服装からお嬢様であることがわかる。
「こんにちは、もっといい服着てくればよかったですか」
「いいえ、大丈夫ですよ」
その気品の高さは何を言っても軽くあしらわれそうだ。
「席はここですか。」
「いや、まず彼から検査を受けてくれ」
質問に答えたのは牛角だった。
呼ばれた魔物とその左の席の男が立ちあがった。
その男を見て、怜樹は言葉を失った。存在に気づいていたが、気にしなかったのは女の子の印象が強いからだと思っていた、だが違っていた。彼らの目は明らかにうつろだった。
「どうかしましたか」
魔物は隣の部屋のドアを開けていた。
「すまない」
雲透に声をかけ、怜樹はその場の全員が言葉を理解するより早く走りだした。
入ってきた扉を雲透が壁になる位置で開き、廊下へ飛び出し、階段を駆け下りる。
一階まで下りきらず、途中にあった窓から飛び降りた。
一度振り向き、耳を立てるが追手の気配が感じられないのがまた不気味で人ごみに向かって走り出した。
怜樹が抜けた部屋は雲透の想像を裏切るほど、ひどいものだった。
こそこそと喋るもの、やれやれと嘆くもの、クスクスと嘲笑するもの。
組織としての危機を感じられずにいられなかった。
久しく見る牛角の男は肩をすかし、深く息をついていた。
ため息をつきたいのはこっちのほうだ、と雲透は思った。
「鍵をかけておけばよかったか」
呑気に話し始めた。
「追わないのか」
「たかが人間一人逃がしたところで問題はないだろう」
彼は自分で言ってて恥ずかしくはないのだろうか。
「そうかい。じゃあ、どこからで。知らないのが何人かいるようだが」
話を変えて聞きたいことを聞く。この場に魔物は僕含めず6人いるが知らないのが3人いた。
「紹介は別の時間を設ける。先に本をだしてくれ」
「あれなら人間が持ってるよ」
「なんだと」
部屋にざわめきが起こる。
はて、なぜだろう。雲透は首あたりを傾げた。
「なぜだ雲透」
「彼はこの集会がおかしいと思っていて保険がほしかった。まぁ、盾として使うことなく逃げ出せたけど」
「…だが、なぜ人間なんかの提案を」
「認識の差だよ。僕はもっと穏便にすむと思ってた」
「それはあなたの認識の甘さが出たのでしょう」
人の子が横からつぶやく。どうやら無自覚がもう一人居たようだ。
「君のことも言ってるんだ。人間がいてこの状況は一番ひどいものだ」
女の子がわかりやすくむっとする。
「あなたが人に見られたからでしょう」
「口封じに洗脳か。でも僕のせいにしては人が多い気がするけど」
「やめろ二人とも」
牛角に止めに入られたが、人の子が片手で制した。
「確かに、ここで話していても問題は解決しません。本、取ってきてくださいますね」
年の割に冷静な部分は侮れなかった。
「もちろんだよ。君に言われなくてもね」
「では話の続きは本が帰ってきてからですね」
「ああ、そうだね。今からなら時間に間に合いそうだ。明日持ってくるから、先に解散してなよ」
「間に合う ですって」
「ああ、それが?」
「どこまで先を見ているのでしょうか」
「そんで、どんなだった」
怜樹は雲透と最寄りの公園で合流して帰りの電車に乗り込んで現状を聞く。
「君に手は出させない。本は明日持っていく」
「簡潔で助かる」
「だが、まだ終わらなそうな予感がするよ」
怜樹は話を聞いてもまだモヤモヤが消えなかった。
「そんなに行動力のある組織じゃないと思うけどなぁ」
組織側の奴がその台詞を言うのか。
「あの空間が異質すぎたんだ。それに、まだ十時を過ぎた所だ。」
不安が、怜樹に周囲の警戒を怠らせなかった。
怜樹の悪い予想が当たったのは駅を出き歩き始めた時だった。
一人の魔物が道をふさぐ。口元を隠した忍者のようなやつだった。
「尾行じゃなくて先回りか」
雲透は尾行されてないと言った。
「争いに来たのではありません」
人通りのある場所で姿を見せたということはそうなのだろう。
「本を渡してください」
長居したくない様子で、直入に用件を述べてきた。
「明日だと言ったろう。うせな」
今日一番の低さで雲透が唸る。前のめりの雲透を怜樹が押さえて、提案してみる。
「じゃあ、家、寄って行けよ。もうすぐ、バスが来るし」
「時間がありません。我々にも、あなた方にも」
「明日が待てないほどにか」
ちょくちょく突っかかる雲透を抑える。だが、確かに何をそんなに急いでいるのかレイキにはふわっとした予想はあった。
「あなたも本を持って空を見てみなさい」
唐突にきた自分への指示に、レイキは雲透と顔を見合わせる。雲透は顔反らした。
指示通り懐から本を取り出し、空を見た。
「なんだこれ!?」
怜樹が思わず声を上げる。
空が、黒い。昔の写真の影のように薄気味悪い煤けた色。
それは夜の暗さとは全く違う。夜が『深い夜の青』だとするならばこっちは『濁り雲った黒色』だった。
雲透はまだ顔を反らしている。代わりに忍者もどきが説明し始める。
「魔物が増えすぎてしまいました。もうすぐここは、人のものではなくなるのです。残念ですが、あなた方にはもう何もできません」
そう語る奴の言葉が、耳に入ってこないほどに怜樹の中で一つの結論に衝撃を受けていた。
彼女が昨日見せたかったのは。
だが、その一瞬の隙が痛みとなって、右のわき腹をかすめ取った。
「怜樹!」
奇襲に反応した雲透のしっぽは、敵をとらえず、空を切った。
「誰だ!」
雲透が叫ぶ。
振り向いた先には、さそりのような鎧を身にまとった魔物が立っていた。
そいつは雲透の問いに答えることなく、不敵に笑っている。
「怜樹、大丈夫?」
刺された瞬間、足から力が抜け、倒れそうなところを雲透に支えられる。
腹を押さえるが血が止まらず、歯を食いしばっていて気遣いに応えられない。
油断した。街中なら大丈夫だと思っていた怜樹は動揺していた。死ぬかな、これは、と思った刹那、冷汗と唾液が止まらなくなる。十数秒程度で手が震えて、めまいがしてくる。まともに立っていられず、両ひざを軽く曲げ、ひざに手をおいて支えるように立つ。
雲透達が話している言葉がわからない。ついに真っ直ぐが見れなくなり首が下を向く。
だんだん姿勢が低くなり片膝をついたとき第二の症状が出た。
呼吸ができない、首が熱い。苦しさから崩れ落ちて、寒さでうずくまる。その直後、襲ってきた苦痛から、全身がばねのように仰け反った。
首を何度も引っ掻き、唾液が飲めず数度吐き出した。
消えゆく意識の中で怜樹はやっと気づく。これが、麻痺毒か。