09話:どうやらマイベイベーは前世のオレの初恋の人らしいよ?
家令一族の跡取息子オディロン様が、碌な受け答えすらできない使用人風情に懐いたものだからさあ大変。
慌てる乳母を尻目にコーラルをお姉ちゃんと呼び、だあれと聞き、名を告げれば手を繋いであちらこちらへ歩き回る。
家に入る時間になってもコーラルと離れたくないと泣く。
女中の仕事を数日間ぶっ続けで妨害されたコーラルは、そんな経緯の後に、彼のウィッピングボーイならぬウィッピングガールに納まった。
家庭教師達が悪さをしたお坊ちゃまの身代わりに鞭で打つ“お友達”という訳だ。
この事態は、親しい女の子を痛めつけるのを厭がったオディロン様のお行儀が飛躍的に良くなった事と、無学の“色持ち”に読み書き算数と歴史を教えられるという利点から、済し崩しで咎め無しの決定となった。
コーラルがオディロン様のウィッピングガールとなってから数日。
家庭教師によると、この国はフィース・デュ王国という。
国を擁する陸地は、極端に矮小化して譬えれば六角形のハニカム構造で繋いだ七つの陸地からなる、海の上にぽっかり浮かんだ島国。
フィース・デュ王国というからには、当然王がいて、臣下がいる。デュシェーヌ王と四大貴族である。
七つの陸地のうち一番南をザインといい、ここに王都ヴァロアがある。
ザインは王の直轄地であり、また王の居城であるテュイルリエ城を擁する王都ヴァロアは、貴族とその家族が暮らす邸宅をも内包している。
ザインから反時計回りに、ショスティ、ペンクタ、フィアーデ、ズワイテ、テルセラと続き、これらが囲む中央の小さな陸地がプレミエ。
湖に浮かぶようなプレミエと各々の陸地の間は大河で分割されている。その全貌は宛ら綻んだ石榴の花。
四人の貴族はそれぞれショスティ、ペンクタ、テルセラ、ズワイテを拝領している。
また一面が森林のフィアーデと、古代の聖地であるプレミエには領主がいない。
レーヴェ地方はズワイテの中にあり、六角形を中心から三つに割ったうちの右上部分に位置する。
一人の王。
四人の貴族。
王と貴族には彼らの下で働く準貴族。
このレーヴェ地方では、オディロン様の父上であるウヴァル=アルマン・フォン・レーヴェを筆頭とした一族が準貴族に当たる。
国民の割合からすると、当然ながら平民が圧倒的に多い。全人口は凡そ8000万人。正確には測れないが、とんでもない数だ。
王家が8人。四大貴族まとめて34人、準貴族が約200人。
準貴族の身分が許される最大人員は各都市部、及び地方ごとに10人。これは当主とその父母、弟二人に妹、妻、跡取とスペア×2の数だ。当主の弟達は平民となり、分家は許されない。
というより、準貴族が王族と四大貴族の傍系なのだ。仮にどこかの直系が新たな傍系を作れば、どこかの準貴族が廃嫡される。
かなりシビアで世知辛いものであるが、そこは身分の高い方々ほど出生率を低く調整しているという訳で、まあどうにかなっている。らしい。
王家と貴族は基本的に王都で暮らす。王家が王都から出る事は殆どない。
貴族は王都に加えて領地の都市部にも屋敷を持っており、領地へは年のうち二ヶ月から四ヶ月ほど訪れる。所謂バケーションのようなものだ。
準貴族の生活は大きく分けて三つに分けられる。
一つは、王都や地方都市で政務を執り行う文官の各部署の長官。
次いで、王都や地方の要所に詰めて治安を守る武官及び武具や備品などを管理する各省庁の長官。
そして最後に、地方の邸宅に住み込んで御貴族様の統治を代行する家令。
都市部に住む文官や武官を束ねる準貴族は平民に下った身内を自らの部署に勤めさせる自由を暗黙的に認められている。
家令は代替わりの任命を受ける時以外は地方から出る事がない。家令の子や弟や従兄弟は大抵が町の名主や村の差配人達となる。
王家、貴族、準貴族とそこにくっつく身内達は合計1万人にも満たず、残る特権のお零れに与れない7900万人強の平民達の内容は都市部に住む商人が5%、職人が8%ほどで、土地ごとに村落を形成して自治を行う自作農家が62%、25%が農奴だ。
商人や職人、自作農家が自らの土地を所有する権利を有するのに対し、農奴は荘園に付随し、土地を所有する権利がない。
また農奴には賦役義務があり、移転と職業選択の自由も有さない。しかし彼らは奴隷と異なり、財産保有権や婚姻権を有する。
奴隷については農奴よりも権利のないものだという事くらいしか教えられなかった。
家令は、バケーション期間中に各地を点々と旅行する御貴族様が当地にいらした際には、彼らの世話をする。
重ねて言おう! オディロン様は、そんな大変な役目を担う血筋の、家督相続人であらせらる!!
クソ田舎のド農民達からすれば超・超・とっても・畏れ多い・雲上人の御跡取様である!!!
そしてこの世界でのコーラルはというと、貴族でもなんでもない。ザ・庶民! 正に典型的ド農民!!!
賦役のない自作農という比較的恵まれた家庭の生まれではあるが、そんなもん準貴族に比べりゃ誤差だ!!!
片や姓にフォンを冠する準貴族。片や姓のないド農民。なにこれー。身分差が歴然としすぎてるー。むしろ燦然と煌いてるー。
現代なんて甘っちょろすぎて比較にならないくらい超格差社会ー。
ってな訳で正式な夫婦となるのは無理ー。むぅーーーりぃーーー。
オディロン様が跡目を継ぐ際にはそれなりに格式の高い女が宛がわれるに違いない。
だから旦那様(仮)なのだ。
コーラルなんてせいぜい現地妻がいいとこだろう。
そんなこんなで時間稼ぎはそろそろ終了して、笑顔全開な旦那様(仮)と向き合わねばなるまい。
「ああ、しかし僕らの愛の結晶は何と美しいのだろうか」
目の前の青年は、準貴族の坊ちゃんにありがち……か、どうか分からないが、夢見心地といった表情の芝居がかった表現方法でオレの腕から赤ん坊を奪い上げてクルクル回った。
おいやめろ乱暴に扱うな。
駄目だ、今世での使用人根性が邪魔をして叱責できない。悔しい。
「鮮やかなすみれ色の髪。刺すように冴えた雄黄色の虹彩」
オレの手がうろうろと赤ん坊へ伸びるのに構わず続ける。
……ん? あれ、今なんつった? すみれ色? 刺すような?
ゴーイングマイウェイな坊ちゃん様は混乱するこちらに気も付かず「この純化した髪質は硫黄と呼ぶには可憐すぎる」だの「カコクセナイトでも聊か」だの「いやしかし慣例が……」だのと何かぶつぶつ呟き続け、パッと顔を上げてにこやかに宣言した。
「決めた、この子はフリージア。さあコーラル、僕らの子供は咲き誇る花の化生フリージア=イーリスだ!」
え。
え。
えええーーーーー。