06話:前世の自分の死を願ったり前世の姉ちゃんの幸せを願ったりする来世のオレ。時系列仕事しろ。
あの瞬間が、脳の中で一つずつ切り取ったように甦る。
タイヤの鳴る音と、エンジン音が重なって、奇妙な不協和音が蕎麦屋の駐車場に劈き亘る。
反射的に首を振ると、胸を押さえて顔をしわくちゃに歪めた中年の運転手が、フロントガラスの奥に見えた。
姉ちゃん、オレ、母ちゃん、父ちゃん。
ゲームみたいに一列で歩いていたオレ達家族に向かい、鉄の塊が横から突っ込んでくるんだと瞬時に理解した。
あの時のオレの頭脳の回転速度は世界一だったと確信してる。
咄嗟だった。先頭で立ち竦んでいた姉の腕を引いて、オレの後ろを歩く母の方へ引っ張る。
姉がぶつかった母が父にぶつかって、尻餅ついた父の上に姉の腹を守る母が重なる。
急に転ばされたから三人は置き上がれない。
オレ一人だけが立ったまま、迫り来る長いボンネットを眺めた。
運転手がハンドルを右に切って、進路が家族から遠ざかる。
左のヘッドライトが股下に潜り込んで、腰がガツンと折れて、それで、そこで、終わった。
苦痛を実感する前に死ねたんだろうか。まあぶつかって以降は覚えちゃいない。
気付いたら出産の真っ最中だった衝撃で色々とぶっ飛んだんだろう。
家族は無事かな。無事だといいな。
冷静に新しい自分の身体を見下ろすと、なんというか、大人だな。
正確な年齢はまだ分からないが、これだけの年月が経過してると考えると、オレはあの事故で死んだんだろう。
夢でなくてー? ほんきなのー? とか思わなくもないが、実際問題としてセダンにドーンされた状態で死んでなかったら逆にヤバい。
だって多分この肉体具合、どうも二十歳くらいっぽいもん。
もしこれがオレの夢で、事故った後の昏睡状態が二十年も続いてたとしたらなんて考えるだけでゾッとする。
オレあの時点でアラサーよ? つー事は目覚めたらアラフィフじゃん? もーやだー。
父ちゃんと母ちゃんは間違いなく定年だし姉ちゃんのお腹の子供ももう直ぐ成人式だ。
そんだけ長い期間、幸せなはずだった家族の大事な時間がオレのせいで無駄になるなんて絶対嫌だ。
しかも、もしも、だ。仮にここが浦島太郎的時空間としたら? ここで一晩過ごしたと思ったら現実じゃ何十年。
うおお。知り合い全滅じゃん。つーか超未来じゃん。
コールドスリープされてるレベルって逆に夢があるわ。超ウケるー(呆気)
いやー、まーね、でも面白そうだけどそんな特殊費用払える甲斐性ねえよウチ。
セダンに撥ねられた元オレくんの即死を信じて……!
って、……あっ、いてえ!?
いって、イテテテテ……!!?!
股下に思考が及んだせいかオマタがイテエ……!
出産で裂けたんだから当たり前だけどひでえイテエ!!
常にパニックのピークだから現実逃避してんのに激痛ゴラア! やめろオラァ!!!
ああごめんなさいごめんなさいやめてください怒ってないです痛いのやめてぇ。
麻酔とかそういうのねーのか。クソックソッ。
脂汗ひでえよー。
誰かー。来ねえ。
タオルくださーい。くれねえ。
助けてー。無視か。
いてえ。気でも失ってしまいてえ。
バナナ食べれば治る気がするぅ。イテテ嘘です超イテエ。痛すぎて頭クラッときた。
願いが通じたのか、産婆っぽい……もう産婆さんでいいや。が、来た。
その産婆さんが、赤ん坊を放置したままとても耐え切れそうにない下腹部の痛みで途方に暮れるオレのおっぱい(初絞り済み、渋い痛み継続中)をポローンと出して赤ん坊の口を宛がって出て行った。
?
あれっ。
産婆さん出て行っちゃったよ。
えっひどい。
助けてくんないの???
でも赤ん坊のお陰で痛さから少しだけ意識が逸れた気がする。基本痛いけど。
横抱きにしたちっちゃい存在は、短くて熱い鼻息で、一生懸命おっぱい吸ってる。
なんやこれー。ンクンクツウツウゆうとるー。
関西人でないから怪しすぎるエセ関西弁だな自分。イントネーションとか腹立つに違いない。ごめんなさい関西のひと。
オレこの子産んだんかー。えーと、昨日……? 昨日だよな。うん。もう朝かーって思ったし。暗かった窓の外が明るくなったし。
まあ、昨日だ。泣き言超叫びながらひり出したけど実感わかねえなあ。
赤ちゃん暖けえ。おしり暖けえ。
つーかなんかくせえ。
湿っぺえ。
……うおおおお産婆さーん! どうすりゃいいんだ産婆さああああん!!!
産婆さんによる俊敏なオシメ交換。うんこ黒緑色で超衝撃。新生児には普通らしいよ黒緑色のうんこ。
いやーん。神秘ィー。
おニューな赤ちゃんプレゼンツによる新鮮おしっこうんこ。アンドそれにビビるオレ。フィーチャリング精密機械の如き産婆さん。
そして狼狽するだけのオレは産婆さんにフンッと呆れられた上で再度となる放置をされてしまった。
事故ったと思った次の瞬間に出産とかいうよく分からない現状で色んな所の居心地が悪いオレを尻目に赤子グースカである。
わーいどーしよー。どーしたらいーの、この超絶怒涛ダイナミックマイペースベイベー。
こちとら満身創痍よ? 選択肢なく勝手に産まさせられたのよ?
なんだよここどこだよ家に帰してくれよ。
事故る前に戻りてえよ。
あー。あー。気分沈んできた。これアカンやつや。
むしゃくしゃを他所へぶつける前に頭にアンコ詰まったヒーローのお言葉に従おう。
自信を無くして挫けそうになったら良い事だけを思い出すのだ。
溜息を吐いて一呼吸。
器用にも寝ながらぐずる赤ん坊を抱きかかえる。
色々と混乱していて何とも言えないが、これは柔らかくて温かい、弱いモノだ。不満をぶつけていいもんじゃない。
頭の中で妊婦の姉ちゃんが笑う。
オレ抱けなかったな。姉ちゃんの子。つーか甥っ子か姪っ子かも教えてもらってないし。
今抱っこしてる子については、産婆さんから「女だね」なんて言われたけど。
つーかオレ(彼女居ない暦=年齢)がお父さん通り越してお母さんじゃん。何それー。何この状況ー。
いや今世での記憶も都合よく引き継いでて女だった過去も覚えている訳ではありますけれどもね。
意識が遠退いたり、のたうちまわりそうな激痛で目の端に火花が散ったり、おっぱい吸われたり、産婆さんがオシメ換えるのを横目で眺めたりしてるうちにまた夜が来て、熟睡できないまでも少しずつ意識が途切れて、空が白んできた。
産後二日目ともなると割とエグめの鈍痛が基本にあって、そこに時折痙攣する程度の激痛が襲ってくるくらいに収まる。
明け方の、痛みの和らいだ隙に、怒涛の産湯やらウンチ処理やらのレクチャーを受けた。
そうして帰宅した産婆さんではあったが、オレが一息ついている内に娘さんを伴って再度襲来。
いや襲ってはいないけど。気分的に。だってオールタイム仏頂面でなんかこえーんだもーん。
産婆さんは上半身を起こしたオレをグイと寝かせ、マタをパッカーンさせて「塞がったね」と呟く。
服と布を抱えた娘さんがそれを聞いてこちらに近寄ると、テキパキとオレを脱がせ始めた。
抵抗する間もなく腕を引かれ、ベッドに腰掛けると、昭和のオバチャンのシュミーズっぽい下着みたいな服を剥かれる。
おおう、ケツんとこ結構血塗れスプラッターやないかい。
つーかオレ裸じゃい。やだー恥ずかしいー。
でもいくら若かろうと女というモノは強くて、羞恥で固まってるうちに新しい下着と、その上にコットなる長袖のワンピースに着替えさせてもらっていた。早業。
赤子と抱いた中腰のまま椅子に移動させられ、テキパキと働く母子を眺める。
娘さんがシーツと毛布を剥がせば、産婆さんはその下に積んである藁の汚れた部分を抜いて全体を均す。
汚れた物を外へ置いてきた娘さんが戻り、二人で新しいシーツの両端を持ってフンワリと敷く。
最後に軽く部屋を清掃して、ただ見てるだけだったオレに挨拶をする。
「できるだけ座るようにしな」とは産婆さん。
産婆さんの背後に立つ娘さんは無言を貫いたまま小さく会釈をして、二人とも足早に出て行った。
これは俗にいう身分差ってやつなのかね?
分からんけど。オレ庶民だし。
何にせよ距離感あるわー。ずっとここで暮らすとしたら近所付き合いを考えるべきかもしれないわー。
言われた通りに椅子で大人しくしていると、いつのまにか微睡んでいたのか、人の気配で目が覚めた。
物取りかと脳裏に浮かんだが、不思議な事に身体の方はちっとも身構えない。
少しだけ不安交じりの、安堵した気分が湧き上る。
「コーラル?」
呼ばれたそれが自分の名だと、疑問にすら思わず受け入れる。
「はい、ここに」
口が勝手に返事をすると、寝室の出入口に垂れ下がった簾的な革のカーテンが持ち上がり、若い男が入ってくる。
ここでようやく、オレに赤子を孕ませた張本人である旦那様(仮)と対面したのである。