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白鳥の翼色

「リール! 終わった?」

「舞の稽古なら終わった。」

「子守を手伝え! 人手がいない。」

「分かった。ちょっと待ってよ。衣装のままなんだから。」


 わたしとリーヴァは、ブロダーネという地方の教会の孤児院で双子のように育った。二人とも物心ついたときには孤児院にいた。だれの子とも知れぬ二人は、ずっと一緒に育った。あるときは姉と弟のように、またあるときは兄と妹、そうして、今では双子のようになっている。


「お待たせ! 待ったでしょ。」

「おせえよ。姉様たちが、働きに出てから人が足りないのは承知の上だろ。」

「ごめん、ごめん、でも、わたしだって十五になったらここを出て働くんだよ? あんただってね!」

「……誰かが引き取りに来ない限りはな。」


 今思えば、リーヴァはあの時、すでに何かを予感していたのかもしれない。理屈では説明できない方法で。


「あんたはともかく、わたしを引き取る人なんていないよ。」

「そのとおりだな。」


 自分で言ったことだが、リーヴァに言われるとさすがにバカにされたような気分になる。


「悔しい。」

「だろうな。」

「あっと、それ、食べちゃ駄目!」


 慌ててわたしは、小さい子が口に入れようとしていたものを取り上げた。


「なんでこんなのがあるのよ。危ないじゃない。」


 それは、どこかから外れた、ネジだった。


「うるせえよ、俺が知るか!」

「なになに、どうしたのです?」


 姉様たちが帰ってきた。


「こんなネジが落ちていたのです!」

「ネジが落ちていたぐらいで、リールが騒ぐんです。」

「危ないじゃないですか。」

「そうですね、でも、騒ぐほどのことではありませんよ。」


 姉様は優しく微笑みながら、ネジをさっとわたしの手から取り上げた。


「神官様にはお伝えいたしますから、自分の仕事をしっかりなさい。わたしも、ヘルナも、ファスも、あなたらの面倒まで見ることは出来ませんよ。」

「……大変申し訳ございません。出過ぎたことを申し上げました。」

「僕もです。ナリア姉様にご迷惑をおかけしました。」

「分かったなら良いのです。さあ、リール、夕食の準備をしましょう。リーヴァは、引き続き子守をしていなさい。」

「たまには、僕も夕食の準備を……。」

「いいえ、料理は女の仕事です。男は、十五になったら、徴兵されるのですから、料理をする必要などありません。」

「そうですか。では、僕は務めを。」

「ええ、それがいいですよ。」


 夕食を作りながら、わたしは、ナリア姉さんにたずねた。


「どうして、男と女で、役割があるのでしょう?」

「そんなものですよ。この世界なんて。」

「……納得がいきません。」

「手元を見なさい。やけどをしますよ。」


 話題をそらされて、わたしは仕方なしに野菜を切り始めた。玉ねぎや、人参を次々と放り込む。


「リール、玉ねぎを入れるのはもっと後ですよ。」

「はい、申し訳ありません。」


 男女の役割について考えていたせいで、順番を間違えた。


「リール、下ごしらえはいいです。かまどの火を見ててください。」

「かしこまりました。」


 大きく息を吸い込んで、竹筒で吹き込む。ぼぉっと火が燃え上がった。


「ちょうどいいです。その火加減を保持してください。」

「はい、かしこまりました。」

「リール、終わりましたよ。食事をしに行きましょう。」

「はい、ナリア姉様。」


 灰の付いたエプロンを軽く払い、わたしは立ち上がった。火種をすくい取ると、水を入れて火を消す。


「只今参ります。」


 廊下を歩いて、食堂に着く。エプロンを脱いで、たたむと、わたしは席に着いた。


「ああ、リール、エプロンを貸してください。洗濯籠に入れておきます。」

「姉様、ありがとうございます。」


 食事を終えると、リーヴァが自慢げに模様のついた紙を見せた。


「何? それ。」

「字だ! ようやくお前に勝てた。」

「そうなんだ。誰に教えてもらったの?」

「ファス姉様さ。お前にも教えてやるって言ってたぜ。」

「分かった。でも、ナリア姉様に聞いてみないと。」

「よし、一緒にやれるのを楽しみにしてるぜ。さすがに抜け駆けはずるかったかもな。」

「その通り。今に見てなさい、一瞬で抜かしてみせるわ。」


 とは、言ったものの、そんなに上手くは行かなかった。


「ナリア姉様。わたし、明日から、ファス姉様に頼んで、文字を教えていただいてもよろしいでしょうか?」

「そうですねえ、子守を、リーヴァ一人で出来るのなら、よろしいですよ。」

「そんな! どうか、お願いいたします! リーヴァと一緒に勉強しないと、意味が無いんです!」

「あら、それなら、子守を一日交代でやればよろしいでしょう。進度は遅くなりますが、一緒にできるでしょう?」

「しかし、それでは……。」

「それが出来ないのなら、許可することはできません。」

「……考えます。」

「明日までに答えを出してくださいね。」

「かしこまりました。」


 きゅっと唇を閉じて、わたしはうなずいた。リーヴァに伝えると、リーヴァは、うなずいた。


「そうしようぜ。」

「でも、子守を一人でやるのは、大変だし。」

「いいよ。頑張ろうぜ。」

「いいの?」

「もちろんさ。」

「わかった。ナリア姉様に伝えておくから。」

「ああ、明日から早速やろうぜ。リールの番な。」

「おう!」


 そして、交代で子守をして、文字を習うことになった。わたしは、今、舞と文字と、機織りで、ものすごく忙しい。私が文字を習う日は、子守を全く手伝えない。


 冬の日、わたしが春に売るための布を織っていると、九歳のレルガが、慌ててわたしのところにやって来た。


「リール姉様、リーヴァ兄様がでかけちゃった!」

「嘘!」


 わたしは慌てて立ち上がると、子守部屋に行った。レルガの言った通り、リーヴァの姿がない。


「ナリア姉様! リーヴァは?」


 一度機織り部屋に戻り、部屋にいたナリア姉様に聞きに行く。


「ああ、リーヴァなら、応接室にいるわよ。迎えが来たの。」

「迎えが……来た?」

「ええ、今、面会中なの。なんでも、本当の両親は、貴族だったんですって。でも、愛人が産んだ子供だったから、捨てざるを得なかったらしいわ。正妻が亡くなられたから、引き取りに来たらしいのよ。」

「そ、そうなんですか……。」


 リーヴァの馬鹿。孤児院で双子みたいに育ったわたしをおいていくなんて。


「子守はレルガにまかせてもいいかもしれないわ。」

「そうですか。あとでお茶を出しておきますね。」

「ええ、よろしくね。」


 わたしは子守部屋に行って、レルガにナリア姉様の言葉を伝えた。


「分かりました。おまかせください。リール姉様。リーヴァ兄様の分もきちんと務めてみせます。」


 決意を秘めた目を見て、わたしはほっとして厨房に向かった。


 お茶を入れて、応接室に運ぶ。顔を伏せて、リーヴァを見ないようにした。そうすれば、きっと喜ぶ彼の顔が見えるから。わたしを孤児院においていくことをなんとも思っていないことが分かるだけだから。余計に悲しくなるだけだから。


「わざわざ迎えに来てくださって恐縮ですが、僕は、ここを出るつもりは……。」

「そこをなんとか。私達には、君以外、希望が残されていないんだ。」

「……分かりました。いいですよ。」

「お茶です。どうぞ。」


 手早くテーブルの上に並べると、わたしはさっと身を翻した。

「失礼しました。」

「リール……。」

「後で。お客様の前だよ。」


 後ろ手にドアを閉め、自分の個室に向かう。自然と、視界が滲んできた。


 このまま、孤児院で育っていくのだと思っていた。十五になったら、リーヴァと一緒に孤児院を出、やはり同じ屋根の下で暮らしていくのだと思っていた。


 だけど、迎えが来た。リーヴァは、孤児院を去る。声に出ない慟哭は、心の中に封じ込めた。その思いが何なのか。それを、あの頃のわたしはまだ知らなかった。


 次の日、わたしは、リーヴァと最後の日を過ごした。


「俺、父上と母上が迎えに来てくれたから、行くよ。リールも、喜んでくれるだろ? 笑顔で見送ってくれるよな?」

 リーヴァと、二人きり、近くの川原の土手に腰掛けながら、わたしは足をぶらぶらさせていた。リーヴァは、心配そうに、何度も、聞いた。

「笑って、『おめでとう』と言ってくれるよな?」


 と。正直に、『行かないで』と言えるとはとても思えなかった。けれど、『おめでとう』と笑って言える気もしなかった。どうして、どうして……その思いだけ山のように積もる。


 わたしは、リーヴァを見送らなかった。あの日、自分の心に嘘をついた。


 そのことは、一生後悔している。リーヴァに住所だけ聞くと、わたしは、あの時、


「ああ、そういえば、布を売りに行かなくちゃ。」


 と口だけ言って、市場に行ったのだ。思い返して、孤児院に戻ったときは、もう、リーヴァはいなかった。

 二ヶ月ほどは文通もしていたけれど、リーヴァに命の危機が及んでからは、それさえも途絶えている。



親愛なるリールへ

 元気か? 俺は、貴族の教育に辟易している。

 もう、別れてから二ヶ月も経った。俺も、貴族として、社交をするようになったよ。それで、父上から教えてもらった。俺以外に、子供がいないのは、それぞれが、何らかの人の手によって、次々と暗殺されているからなんだそうだ。つまり、俺も暗殺されかねない。そのときに、俺と親しいお前の存在が分かったら、お前も、俺に巻き込まれて死ぬかもしれない。

 だから、頼む。これから、手紙を送らないでくれ。分かってくれ。お前が大切だから、文通をやめるんだ。


                  いつまでも友達でいるリーヴァ・ヘルラドーラより



 最後の手紙を、わたしは破り捨てることができなかった。リーヴァとの思い出は、あの土手が最後だった。



 十三歳になると、わたしは孤児院を出た。リーヴァのいない孤児院には、何の魅力も感じなかった。リーヴァとの文通も、送った手紙は、全て


「住所が間違っています。」


 という無情な文面とともに送り返されてくる。初めてその手紙が来たときは、仕事がろくに手につかなかった。何度も、確認した。けれど、リーヴァが教えてくれた住所そのままだったのだ。


 リーヴァへの連絡手段を失って初めて、リーヴァの大切さが分かった。もう、何もかも嫌になって、その日はずっと沈んでいた。


 だけど、次の日、わたしは、リーヴァを探すしかないと気づいた。そして、貴族が使うような布を織ることを思いついた。それならば、貴族と関われる。そうすれば、リーヴァの噂も聞こえてくるだろう。リーヴァにつながる細い糸を見つけて、わたしは嬉しくなった。こうすれば、リーヴァと会える。遠くからでもいい。リーヴァの姿が見たかった。声が、聞きたかった。


 そして、わたしは次の日から、自分の織った布は、貴族に売ってくれるよう頼んだ。問屋のカルガは、笑って了承してくれた。


「当たり前だ。お前の織る布はすこぶる評判がいいんだ。貴族に売ったって、何の問題も無い。むしろ、許可が出て儲けが倍増するぜ。腕の見せ所だ。」


 さすがに商売人だけのことはあった。その日から、わたしは貴族の目に少しでも留まるようにと、必死で布を織った。


 いつしか、わたしは、白鳥の翼を織る女と呼ばれるようになった。あっと言う間に、貴族の職人になった。リーヴァのいるヘルラドーラ家のことが聞きたかったが、布を卸すのは商人だったので、出来なかった。


 貴族の職人となってから、四年が過ぎた。わたしは、十七になっていた。その頃から、舞を始めた。貴族が住むリャタル街にある食堂の余興として、舞うようになった。貴族の噂が聞こえてくるようになった。それだけでも、大きな進歩だった。


「王が、暗殺されかけたんだって?」

「いやはや、治安も悪くなったものだ。」

「本当だ。最近は、暗殺も珍しくなくなった。清い心は、もう、ほとんど無いだろうよ。俺だって、賄賂を受け取ってる。」

「このごろは、みんなそうだよ。ヘルラドーラ家なんて、息子が暗殺されまくって、最後の息子も今、暗殺未遂の後遺症が眠っているらしい。」


 その噂を聞いたとき、背筋が凍ったような気がした。きっとその息子というのは、リーヴァに違いない。


 その日の舞が終わると、わたしはいてもたってもいられず、薄いショールを羽織って、駆け出した。走る、走る、走る。リーヴァがどこにいるのか分からないけれど。それでも、リーヴァは、ずっと眠ったままなのだ。わたしが行かなくちゃ。夜風がわたしの髪をなぶる。ひんやりと腕が冷たい。どこにいるのか。走る。走る。


 ふと、一つの屋敷が目についた。ドアを開けて、わたしと同じぐらいの女性が出て来た。貴族の方だ。


「おや。あなた、平民でしょう。どうしたのです?」


 わたしは慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ありません……。」


 とっさに言い訳を考える。


「わたくしは、舞い手でございまして。明日の夜に、貴族の方の館で舞を披露するので、打ち合わせをしようとおっしゃられたのですが、わたくしには、それがどこの館か全く分からず……このような時間になってしまったのです。」

「まあ、そうなのですか。それはお気の毒に。それならば、わたくしが案内して差し上げましょう。どなたにご依頼されたのです?」


 チャンスだ。これでリーヴァの館が分かる。


「た、確か……ヘルラドーラ家とおっしゃておられましたような……。」


 すると、その女性は顔をこわばらせた。そして、今、自分が出て来た館を指す。


「あ、あら……その館なら、こ、ここでございましてよ。明日来るのが良いですわ。今日いらしたって、時間が遅いですから。」


 女性は、さっとわたしを拒絶した。


「ご案内ありがたく存じます。でも、打ち合わせは今日とおっしゃっていたのですが……どうすればよいでしょうか?」

「それならば、きっと何かの間違いですわ。ヘルラドーラ家は、息子様が暗殺の傷でお眠りになられていて、舞などの行事をするひまはないと思います。」

「そ、そうなのですか。でも、わたくしも人づてに聞いた話でございますから、もしかしたら、他の家と間違えたのかもしれません。お時間を頂き、大変お世話になりました。」

「いいのよ。お気になさらず。」


 女性は、優雅に微笑むと、踵を返して、館の中に入っていった。


 女性のあの態度、何かある。ああ、もう! リーヴァの家が分かったというのに、入れないなんて。どうしよう。


 結局、わたしはリャタル街を出た。諦めたわけじゃない。明日、しっかり計画を立てて忍び込むのだ。


 家に帰ると、わたしは早速考え始めた。


 どうすればいいだろうか? 布を織って、売りに行くしかないだろう。裏口から正々堂々と入れる。それなら、カルガに頼まないとだめだ。だが、この方法が一番確実で、しかも見つかって怒られる心配がない。よし、そうしよう。


 わたしは、心に決めて眠りについた。


 次の日、わたしは早速行動を起こした。着替えて、朝の準備をすると、早速問屋へでかける。


「すいません、いつもお世話になっております。布職人のリールと申します。」

「ああ、リールか、どうしたんだい?」

「ええ、あの、ヘルラドーラ家に眠ったままの息子様がいらっしゃることをご存知ですか?」

「聞いたことはあるが、それがどうしたんだい?」

「あの、おかわいそうに思いまして、わたくしの布を差し上げたいのでございます。」

「なるほど。うちも、ヘルラドーラ家には商品を寄贈しようと思っていたのだ。ちょうどいい。」

「ありがたく存じます。それで、ヘルラドーラ家にわたくしの布を持っていくときに、わたくしも同行したいのでございます。」

「なぜだ?」

「わたくしが、孤児院にいた頃の親友が、そこにいるからです。」


 カルガは絶句した。


「は? 孤児院育ちが貴族になったていうのか?」

「もともと彼は、ヘルラドーラ伯爵の愛人の子でして。正妻が亡くなったので、引き取られていきました。」

「なるほど。お前は、そいつに会いたいというわけか。」

「そうです。眠ったままでもいいですから、会いたいのです。」

「いいだろう。明日だ。明日、一緒に来い。服は貸してやる。」

「ありがとうございます。布は、この前納めたものでよろしいでしょうか?」

「ああ、今、染めさせている。」

「かしこまりました。それでは、失礼致します。」


 次の日、わたしは、自分の持っている中で特別上等な服を着て、問屋へ行った。


「ああ、来たか。行くぞ。」


 カルガの服は、わたしが恥ずかしくなるぐらいに豪華だった。昨日の女性も、暗くてよく見えなかったが、もっと豪華な衣装を着ていたのだろうか。


 屋敷に着くと、カルガは、おとないを告げた。


「布売りのカルガが参りました。」


 すると、使用人らしき人が出て来た。


「ああ、ようこそいらっしゃいました。ご主人様がお待ちです。ご案内致します。」

「ありがとうございます。」


 使用人の人についていくと、豪華なシャンデリアが飾られ、色とりどりのステンドグラスがはめ込まれた応接間に通された。前に座る老人に向かって、カルガは即座に顔を伏せて、ひざまずく。わたしもそれに習ってひざまずいた。


「……カルガか。顔をあげよ。随分と久方ぶりだな。そちらの女人はどなたかな?」

「わたくしの店で、一番美しい布を織る職人で、名を『リール』と申します。本日は、ヘルラドーラ伯爵の息子様に、布を贈らせていただきたいので、同行させました。」

「なるほど。ありがたいことだ。喜んで頂こう。直接渡してやれ。だが、カルガ、そして、リール、これから見るものは、絶対にだれにも漏らしてはならぬぞ。そなたらを信頼するから、リーヴァに会わせるのだからな。」

「かしこまりました。命に賭けて絶対に秘密は守ります。」

「わたくしも、神に誓って、口は開きません。」

「よろしい。」


 ヘルラドーラ伯爵は、自ら立ち上がって、地下に続く扉を開いた。暗い階段を下っていくと、ぼんやりと明るい光が見えた。階段を降りると、木の扉の隙間から、光が漏れ出ている。


「ここだ。」


 わたしは、そっと扉の中に足を踏み入れた。天蓋のついたベッドに、安らかに眠るリーヴァの姿があった。わたしは、唇を噛んだ。


 眠ったままでも会いたいと思っていた。けれど、彼の声が聞きたいと思うのも本音だったのだ。


「わたしにとっては、これが、最後の息子なのだ。あとからよく考えれば、あの時、孤児院から引き取らぬほうが良かったのかもしれぬ。そうすれば、このように、眠ったままでいることも無かっただろう。孤児院で十五まで育ててもらえば、きっと、このようなことはならなかった。それに、今のリーヴァには、友人がいない。いや、いたのだろう。孤児院のころは。ときどき、話してくれた。だが……もう、この子のことなど、忘れてしまっているだろうな。今、この子と同い年の子供は、一七歳。四年前に別れた子のことなど、覚えてはおらぬ。覚えていたとしても、この子の立場からして、会える子がいるとは思えない。」


 そんなことない! わたしは、リーヴァと一緒に育ったわたしは、ここにいる。舞いや機織りが辛くても、それでも、わたしはリーヴァにもう一度会おうとして、やっと、ここにいるのだ。それなのに……それなのに。貴族となってしまったリーヴァとは、もう、あの頃のようには話せないだろう。


 すると、思いがけないことに、カルガが口を開いた。


「恐れながら、申し上げます。ここにいる、リールは、リーヴァ様と同じ孤児院で親友として、育った者でございます。リーヴァ様と同じ孤児院で育ったことは、名前がほとんど同じことからも、信じられると存じます。」

「なんだと! そ、それは……本当なのだな。」


 今度は、わたしが返事をした。


「はい……別れてから二ヶ月ほどは、文通もしておりましたが、ある時、急に、途絶えたのです。ここまでして、やって来たのです。リーヴァ様、いえ、リーヴァと話せないことが、残念でたまりません。」

「そうか……。しばらく、リーヴァとともにいるが良い。少しは、リーヴァの心の慰めにもなるだろう。」

「よろしいのですか。リールが、リーヴァ様を暗殺するかもしれません。」


 突然、カルガが、尖った声で口を挟んだ。


「いいさ。どうせ、このままでは、リーヴァは目を覚まさない。医者が、そう言っていた。それも、ヤブ医者などではない。領主様から派遣された名医が言っていたのだ。これは、もう体の問題ではなく、心の問題だと。現実に戻れないのではなく、戻りたくないのだそうだ。」

「……出過ぎたことを申し上げました。」


 カルガがうつむいた。影になって、表情が見えない。わたしが、仕方なく返事をした。


「ありがとうございます。」

「では、カルガ、行くぞ。鍵は、わたしが持っている。夕方になったら開けるから、それまではいるが良い。」

「かしこまりました。」


 カルガと伯爵は、リーヴァの部屋を出て行った。


「リーヴァ、リーヴァ。」


 何度も呼びかける。


「リールだよ。ねえ、リーヴァってば、いつまで寝てるわけ? ずっと待ってたのに、手紙が来るの、待ってたのに。」


 言いながら、涙が落ちた。最初のしずくが溢れれば、あとからあとから涙が溢れてくる。


「も、もう、安全だって、い、言って、手紙を、いつか、いつか、送ってきてくれるかもしれないって思って、だけど、それが待ちきれなくて、一生懸命さ、探したのに……ようやく、やっと、見つけたのに……それが、こんな形だなんて……ひどいよ。リーヴァの馬鹿……。」


 心の内も、涙と一緒に溢れ出る。そうだよ、やっと会えたのに……。


 顔を、リーヴァのベッドに伏せた。唇がわなわなと震える。怒りとも悲しみともつかない感情が、心の内から次々と吐き出されていく。


「なんで、ずっと……のんきに寝てるのよ……こっちは、懸命になって探したのに……。」


 ふと、自分の頭を撫でる手に気がついた。


「ごめん、リール……。俺、駄目だったな。もう、現実には戻ってきたくないって思っちまって。その間、お前はずっと俺に会うために、努力してきたんだもんな……。」


 おそるおそる顔をあげると、リーヴァが、体を起こして、きゅっと唇を引き結んでこちらを見ていた。


「リーヴァ……。」

「そうだよ。リーヴァだよ。お前の、兄弟のリーヴァだよ……。」


 わたしは、ふっと力が抜けて、リーヴァの胸元に倒れ込んだ。やっと会えた。やっと、やっと会えた……。その思いは、喜びとなる。


「リールだよな? お前こそ、リールだよな? ものすごい変わってて、びっくりしたぜ。」


 気づいたときには、リーヴァの目元も、うっすらと光を受けて、光っていた。


「やっと会えたのに、俺は、もう、貴族なんだもんなあ。」


 遠い目をしてリーヴァは、ため息をついた。


「それでも、リーヴァはわたしのことを忘れなかったでしょう? それが大切だよ。わたしたちの絆は変わらない。」

「そうだな。俺らの絆は変わらない。俺は、これから、いつだってリールの布を使う。白鳥の翼を身にまとうさ。」

「ありがとう。もう、時間だから。」

「ああ、元気でな。」


 地上へ通じる扉が開き、ヘルラドーラ伯爵が降りてきた。


「り、リーヴァ……目覚めたのか。本当にそなたには申し訳ないことをしてしまった。孤児院にいたままでいれば、このようなことにはならなかった。」


 ヘルラドーラ伯爵は、リーヴァを見るなり、その場に跪いた。


「父上、そのように謝っていただかなくても、これは全て僕が至らなかったためです。どうか、お気に病まないよう。」


 リーヴァは朗らかに笑うと、ベッドを滑り降りた。


「見てください。外は本当に美しい緑があります。父上は、襲撃を防ぐことも出来なかった自分の無能な息子にしか目を向けないなんて、損ですよ。ほら、ピクニックは無理でも、バルコニーでひざしをたっぷり浴びて、久しぶりに食事をしたいです。父上とご一緒に。」

「……ああ、そうだな。そうしよう。本当だ。そなたが眠っている間に、色々なことがあった。失った時間を取り戻そうではないか。」

「親子の戯れに口を挟むのは大変心苦しいのですが、失礼致します。これからも、何かあったら、呼んで下さいませ。すぐに伺います。」

「ああ、済まなかった。この布は、リーヴァのために仕立てるとしよう。」


 もう、十分だ。貴族となったリーヴァと会って、言葉を交わせた。手が届いたのだ。これで十分だ。リーヴァの言うとおり、外には美しい緑がある。前を向かなくてはいけない。孤児のリーヴァが、貴族となったように、孤児のリールも、もう、孤児ではない。わたしは、機織りのリールなのだ。自分が生まれ変われたことに満足して、空を見上げれば、眩しいくらいの初夏の青空があった。



 リーヴァと会えた日の晩、わたしは今までの中で一番美しい布を織り上げた。新しい白鳥の翼。生え変わった白鳥の翼は、これまでのどんよりとした冬の湖に泳ぐのではなく、空を飛び、太陽の光をさんさんと浴びて真っ白に輝いていた。


 次の日の朝、カルガにそれを渡すと、とても驚かれた。


「ああ、これほどまでに美しい布は見たことがない。正直言って、王様に献上しても問題無い出来だ。だが、俺にはつてがない。ああ、残念だ。」

「もったいないお言葉、ありがたく存じます。」

「ああ、本当に、白鳥の翼だ。綺麗だ……。」


 光に透かして、カルガはうっとりとわたしの布を眺めた。


「これならば、今までとは違い、高位の貴族にも売れる。どれだけの儲けがあるか……。王宮のオークションにかけても、高値がつく。これだけで、お前は一生生きていかれるぞ。」


 まさかそんなにとは思わなくて、わたしは目を瞬いた。


「本当ですか。」

「まあ、売ってみないことには分からないがな。」


 カルガはにやりと笑ってこちらを見た。


「リール、素晴らしかったぞ。」

「それほどまでにご満足いただけて、光栄の至りです。」


 家に戻った私は、糸を手にとった。綺麗な絹糸だ。この糸が、リーヴァとの再会を導いてくれた。今はただ、それが嬉しかった。

好評でしたら、続きを書くことも考えております。もしよかったら、評価いただけると嬉しいです。

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