孵化
キトラはボロボロの体を支えながら宙に浮きあがる。
「鳳凰風情が…油断していたな。」
独白しながらキトラは妖夢を睨みつける。
その目は露骨な殺意に満ちていた。
ゆっくりとキトラは両手を広げる。
目に見える変化はないようだが、妖夢は自分の身が圧迫されるような感覚を感じた。
「私と君の周りを高密度に固めた酸素で覆った。これで味方はいないし、いたとしてもこの物理結界を破るのは不可能だ。」
キトラは血にまみれた笑いを浮かべながら剣を生み出す。
妖夢は正眼に「鈴音絶辰 心流」を添える。
「ユイさんの代わりにこの場で斬り捨ててあげます。」
「それは結構。私は君の首を斬って『殺戮の魔天』の檻にでも吊るしておくとしよう。彼のことだ。きっと喜ぶに違いない。」
その言葉を合図に戦闘は開始された。
「はぁ!!」
妖夢の鋭い一撃。
スペルカードも弾幕も使わない刀のみの一撃だ。
それをキトラは左手を上げただけで防いだ。
右手に持った剣で妖夢の腹を狙う。
それに対して妖夢は腰から白楼剣を左手で引き抜くと逆手に持って剣を防ぐ。
右手に握った刀をキトラの腕の上で滑らせるように動かして外すと腹に向けて鋭い突きを放つ。
キトラは軽く後ろに下がると妖夢の下に潜り込み、後ろを取ると剣を妖夢の背中に振り下ろした。
それに気が付いた妖夢は素早く回転して、剣の柄を狙って蹴りを入れた。
「ぐっ!?」
予想だにしていない攻撃にキトラが驚く。
妖夢はそのまま回転しながら腹を狙って刃を滑らせる。
「くっ!」
焦ったキトラは再び後ろに下がると剣を持ち直した。
対する妖夢も落ち着いた様子で二振りを持ち直して再び正眼に構える。
「あなたの太刀筋…随分ときれいですね。とても基礎に忠実です。」
妖夢は軽く笑いながらキトラの攻撃を分析する。
「でも、基礎に忠実なだけで応用までは幅が効かず、こういった汚い手の対応策はとっていないみたいですね。」
「……ッ!」
妖夢の挑発ともとれる行動にキトラの瞳孔は分かりやすく見開かれた。
「図に乗るんじゃないぞ!」
そう叫ぶとキトラは視認が出来ないほどのスピードで空間を走り回る。
それを見ると妖夢は目をつむり太刀を鞘に納めると一閃の構えに入る。
妖夢の周りには黒い風が吹き荒れている。
それを妖夢は感覚ですべて見切っていた。
「さよならだ!」
妖夢の上にキトラが現れる。
剣が首筋に伸びる。
次の瞬間、妖夢は壁にキトラの作った物理結界にぶつかっていた。
妖夢の太刀は抜刀されていた。
キトラは笑いながら剣をもてあそんでいる。
その目は残酷に輝いていた。
「あの時点でよく対応できたものだな。」
あの一瞬の間にキトラが何をしたのか妖夢は分かった。
キトラが斬りかかった瞬間、妖夢は抜刀して確かにキトラが斬りかかった。
頭上にあるものを何の躊躇いもなく妖夢は切り捨てたのだ。
そして、胴体を蹴られ壁に叩きつけられたのだ。
キトラの足元には「キトラの竜」の死骸が転がっていた。
その体は袈裟斬りされており、内容物が結界を赤く染め上げていた。
「…クズが。」
普段の妖夢からは考えられないほどの憎悪感と鮮烈な言葉が発される。
「人のことを言えた義理かな? 私は生き残る。たとえ1人でも被支配者がいるのならば私はそれを支配する。」
キトラは妖夢の目の前にナイフを出現させるとそれを高速で飛ばす。
妖夢はそれを小回りの利く白楼剣で弾き飛ばした。
キトラは次々とナイフを生み出して妖夢に飛ばしていく。
時には炎や雷を纏ったナイフも投げてきた。
身を捻ったり、弾いたりして妖夢は接近するがそのたびにキトラは「人形」を使ってその場を凌ぐ。
結界のいたるところに血と「人形」の残骸が散らばっていった。
「はぁ…はぁ…」
妖夢は赤い体を震わせる。
白い髪は赤く染まり、所々でまだら模様になっていた。
「すっかり血で汚れたな。それを見て君の恋人は喜ぶとでも?」
「どうでしょうか…もう自分でも分かりませんよ…」
妖夢は荒い息を無理矢理整えると何度目かの構えを取る。
「…なぜだ。なぜ、そこまで生き足掻く?」
キトラは心底理解できないと言わんばかりに首を振る。
手に持っていた剣を軽く投げる。
(とどめか…)
妖夢は不思議とその結果を受け止め、ゆっくり落ちてくる剣を眺めていた。
剣がキトラの手に戻る。
それを握った瞬間、妖夢の構えを嘲笑うかの如くキトラが結界の中を黒い旋風のなって駆け巡る。
妖夢の体から斬撃の衝撃による血飛沫が飛ぶ。
斬撃をすべて目で追いながらも妖夢は自分の体に出来ていく傷を実感していた。
目で追えても体がもう動かなかった。
約10秒にも及ぶ斬撃が妖夢を襲った。
「……。」
妖夢は言葉も発さず、どこを見るともなく、結界の中でただ落下した。
酸素の床が妖夢を迎え、血の中に血が沈む。
「…つまらんな。目で追えたのにその衝撃を和らげるようなこともせず、悲鳴を上げることもせず、ただただ黙って倒れるとは…」
キトラは指を鳴らす。
妖夢は「人形」達と共に地面へ落下していった。
それを受け止める者は誰もいない。
ハルヴィアすらも自分のことに手いっぱいで妖夢を受け止める暇はなかった。
ゆっくりとキトラは下降する。
「さて、とどめを刺すとするか。」
そう言ってキトラが竜の爪を妖夢の喉に添えた瞬間、キトラの後ろで何かが砕ける様な音が鳴り響いた。




