いつもの日常―1
ありきたりな感じの時間遡行設定で始めた悲恋小説ではございますが、がんばります
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マンションの一室、モノクロなデザインで統一された部屋に目覚ましの音、続いて着信音が鳴り響く。朝だと言うのに、いったい誰からだろうと疑問を抱き、僕――白石恵太はスマホに手を伸ばす。
会社からだろうか。…遅刻も問題も起こしていないので別段心当たりがあると言うわけでは無いのだが。
ベッドに横たわりながら少し恐る恐る画面を見ると――写っていたのは懐かしい友の名前。とりあえずホッとするが、なぜ高校以来…もう4年前、いや成人式の時に会ったからそれを起点とすると2年前か、それほど音信不通だった友人から何の前触れも無く電話がかかってきたのだろうか。
いざスマホを手にしたと言うのに、僕は通話ボタンを押せずにいた。2年間日々の仕事に追われ一度も話さなかった旧友にどう話を切り出せば良いかが解らないのである。
しかし、無視するのも気が悪いので意を決して電話を取る。
『…お、やっと出たか』
「ご、ごめん…久し振り…」
久し振りに聞いた声は、本当に懐かしく自然と口元が緩んでしまう。これから身支度をし、出社するのだが何とも引き締まらない顔をしたものだ。
くり出た言葉は「久し振り」だった。それ以外に何をどう話せば良いのだろう。思えば18の時から2年経って20の成人式を迎えたときも同じフレーズで、今と同じ心情だった。
旧友との声だけの再会で懐かしい思いを噛み締めつつ僕はベッドから起き上がり、洗面所に歩みつつ話を切り出した。
「どうした?急に電話なんかかけて…」
『ああ、悪い悪い。いやなに、ちょっと久し振りに皆で集まらないかと思ってさ』
皆というと、学生時代いつもつるんでいたメンバーだろうか。確かに成人式のときは会っただけで特別なにかをしたと言うわけでは無かった。
だが僕は生憎今日も仕事だ。
「ああ、ごめん。今日仕事」
『あー、そうか…。休みの日っていつ?』
投げられた問いに対し、僕は歯ブラシを手に取ると踵を返して壁にかけたカレンダーを見る。
休日は赤ペンで丸を書いているため一目で解った。
「えっと、休みの日は…」
『ああ!ちょっと待って!』
「お、おう…」
待てと言われ、しばらく沈黙が続いたのでカレンダーを取り外して耳にスマホを肩で押し当てたまま歯ブラシとカレンダーをそれぞれ片手に、再び洗面所に向かう。カレンダーとスピーカーに切り換えたスマホを洗濯機の上に置くと蛇口からコップに水を汲み、歯ブラシに歯磨き粉をつけて歯を磨きながら空いた片手で鏡を見ながら寝癖を軽く直す。
そんなときだった。旧友の声が再び聞こえたのは。
『他の人たちの都合で行ける日がいくつか決まってて…』
「あ、おう」
『…なんかしてるなお前。まあいいや。で、その日ってのが今月の10、11、25なんだけど』
スマホから流れる声に合わせてカレンダーを一瞥する。10、25は休みだが…25は他の人とオーケストラの鑑賞に行く予定があるので必然的に10日だ。
…僕には昔、好きな人がいた。いや、大方の学生はいるだろう。その人が音楽家を目指して毎日練習していて、それがきっかけでオーケストラをよく聴きに行くようになったのだ。
そうやってその人と同じ話題を作りたかったから。理由としては不純かもしれないが、それも今となっては完全に趣味として行っている。
…いや、そう理屈付けて虚しさを慰めているだけかもしれない。そうなってしまったのは、高校卒業式前日のあの出来事が原因だろう。
と、少し感傷に浸ってしまって黙り混んでしまった。早々に答えるとしよう。
「ごめん、ちょっと昔のこと思い出してて」
『…そうか。無理なら…』
「そんなことは無い。10日なら何とか行けそうだよ」
『おっ!マジか!よしよし、じゃあいつもの場所で。じゃあな。朝イチから電話かけて悪かった』
そう言って彼は電話を切った。ツーツー…と通話後の音が響く。
いつもの場所、それは多分僕たちにしか解らない所、ある種の暗号みたいなもの。…少し恥ずかしいけど、高校生ともなってなお残し、遊んでいた所謂秘密基地と呼べる所のことだろう。
だが少し憧れはある。ありきたりだが、それは大人になった今、皆で集まって埋めたタイムカプセルを開けて駄弁るという少し童心に戻った遊びだ。…タイムカプセルなんて埋めて無いが、気持ちはそれに近いものがある。
淡い期待を胸に、僕は歯を磨き終え、髪も整えて顔を水で洗い、寝室に移動してハンガーにかけていたスーツを身に纏う。腕時計をはめ、ネクタイもしっかりと締め、台所にてコーヒーを一杯。
買い置きしておいたサンドウィッチを頬張りつつ壁掛けの時計で時間を確認する。今は午前7:20。
いつも通りの時間、パターン化されたいつも通りの行動を終えて会社鞄を左手に持ち、僕の住んでいる部屋から出て扉の鍵を閉める。
恐らくここから先も何も代わり映えのない、普段通りの日常を過ごすのだろう。それが一番なのだが。
唯一違う点があるとすればそれは、僕の心がいつもより晴れやかである事だろうか。この蒼く澄んだ空と同じように。
旧友たち――それも一際仲の良かった人物達と再会するのだ。それに僕の心は踊っていると伺える。
マンションから出るとまだ人通りが多くなっていない街道を駅に向かって歩く。左手には会社鞄を、ポケットにはスマホを、耳にはスマホに繋がっていてアップテンポな洋楽の流れるイヤホンをお供に引き連れて。
* * *
駅に着くとすぐに腕時計で時間を確認する。午前7:30だった。
いつもより僅かながら早い。明後日に起こるであろう事柄に嬉しさで気分が高揚し、自然と動きが機敏になっていたようだ。
改札を通り、ホームへ降りるといつもは座らない椅子に座る―と言うのも、いつもより少し時間があるためだ。
行動事態は大差無いが、細かい部分は違う日常。ふと駅の外を見ると春先の暖かい陽射しが植えられた木々を、統一して生え揃ったビル群を優しく照らしていた。
通勤・通学で出歩く人が闊歩する様子も見える。
植えられた木々も、そこらかしこにあるビルも美しい。機械的な・人工的な美と自然の美、その二つが丁度良い案配で調和している。それぞれの長所を損なわず、且つ景観も悪くない。
改めて見てみると何か感じるものがあるな。
『間もなく2番のりばに、7:50発 普通…』
「さて、今日も一日仕事を頑張るか」
鞄の取っ手を今一度強く握り締め、到着した少し人の多い電車内に足を運ぶ。
――今の日常は失敗なんかじゃない。悔いは無い。後残りは無い。その筈なのに、あの電話を受けてからというもの、虚空を掴むようにどうも釈然としない悲愴感が込み上げてくる。
嬉しさとは裏腹に、何を今さら未練がましく引き摺っているのだろうか。
縁談も恋慕も無い。故に順風満帆な生活とは言えないかもしれないが、不自由のある生活でも無い。至って普通だろう。
それなのに、包み隠していた何かが心のドアをノックする。旧き日の恋心なんてもの、もう意味を持てるはずも無いのに。