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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
電海のフラガラッハ
8/60

断片 -5-

 食事中、私はふと思い出して、店に来る前にいくつか購入した菓子をテーブルの上に積んだ。どれも量販店で購入できる、大して高級ではない代物だった。


「何だそれ」


 私と色とりどりの菓子。似合わない取り合わせだ、と兼城が思っているのは手に取るように分かった。


「被害者は娘を同伴していて、彼女はほとんど無傷で生き残った。今は知人の家で保護されている」

「それが調査の依頼人?」


「知人の方がな。娘はまだ高校生ってとこだ。甘いものが欲しい年頃らしい。買いすぎたからいくつかやるよ」

「面倒くせぇ仕事」


 そう言いつつ、兼城はナッツ菓子を手に取った。私は三十路越えのむさ苦しい男が選ばなかったものを、少女への土産としてビニール袋に戻した。


「さっきの、黑社会ヘイシャーホェイの話」

 皿の料理を粗方空にしてから、兼城が再び切り出した。


「心当たりか」

「ああ。こないだの話、覚えてるか?」


 そんな話を聞いた気もするが、私は覚えていなかった。


「ウチの商売敵だよ。最近あちこちに手を出すもんだから、小競り合いが絶えないっていう」


 そこまで聞いて、私は一昨日に兼城が、香港マフィアとの関係がこじれていて慌ただしい、という話をしていたことを思い出した。抗争相手はあまり聞き慣れない名前の組織だった気がする。


「『黑色女人ブラック・レディ』」

 私が口に出す前に、兼城が答えを言った。


「そのブラック・レディが、なぜ日本人エンジニアを殺すんだ」

「そこまでは知らん。ただ、ここ何週間かで動きが活発なんだ。もし調べるなら気を付けろよ」


 有名どころの組織ならば、私の頭にも入っている。覚えがないということは、名前を変えたか、ごく最近力を付けた組織なのだろう。近頃の私はおおむね真っ当な仕事をしていて、反社会勢力に関わる機会があまりないから、今の黑社会ヘイシャーホェイ界隈の情勢については、兼城の方がよほど詳しかった。


 しかし黑色女人ブラック・レディは謎の多い組織らしく、直接敵対しているはずの兼城も、詳しいことまでは知らなかった。


 話をしているうちに時刻は午後六時を回り、店内に客が多くなってきた。兼城もあまり長居するつもりはなかったらしく、我々は早々に会食を切り上げることにした。


 支払いを済ませて外に出る。繁華街ニュー・ベイジンの盛況はこれからの数時間がピークだが、私は寄り道せずに帰るつもりだった。


 しかし我々が店から離れようとしたとき、裏手から広東語で怒声が聞こえてきた。盛り場の例に漏れず、繁華街ニュー・ベイジンでも喧嘩は茶飯事であり、いつもならば関わり合いになることはないはずだった。しかしこのとき私の耳は下品な言葉の中に、「娘」「日本人」という単語を聞き取った。兼城も同じ単語に引っ掛かったらしく、我々二人は顔を見合わせた。


 面倒を考えて無視しようかとも思ったが、今は少しでも事件に関する手がかりが欲しかった。私は店の横から狭い小路に入り、怒声の出所へと歩いて行く。


 声がしていたのは、店の裏にある勝手口付近だった。廃棄食材を入れる金属のボックスがあり、今私が通ってきた小路に比べれば開けた空間になっていた。声の主はチンピラ風の男二人で、店主らしき男性をほとんど脅すような口調で尋問している。店主が二人越しに私を見て、助けを求めるような顔をした。


「日本人ならここにいるぞ」

 声を掛けると、チンピラ二人は振り返り、私に険のある視線を向けた。


「誰だテメェ」

「今、日本人と言ったな」


 チンピラ達は口々に言い、敵意の対象を私に移した。両方ともまだ二十代か、もしかするともっと若いだろう。ジャージのような服を着ていて、見たところ武器は持っおらず、闘争の熟練者といった雰囲気もなかった。身長は二人とも似たようなもので、おそらく彼らが分類されるであろう漢民族の平均に比べて高くも低くもない。片方はやや太っていて、もう片方は痩せている。


 店主は自分から注意が逸れたのを幸いに、そそくさと勝手口から店内に入り、扉を閉めてしまった。


「忙しいとこ悪いな。聞きたいことがあるんだ」


 私は路地の出口を塞ぐようにして立ち、まずは穏やかに相手の出方を窺った。しかしその態度が気に入らなかったらしく、太った方が大股で近付いてきて、右手で私を小突こうとした。店主が警察を呼んだかもしれないので、こういう手っ取り早い展開は好ましい。彼の判断が正しいかどうかはともかく。


 私は彼の腕が突き出されるタイミングに合わせて半歩踏み出し、左手で素早く相手の腕を取った。男の体勢を崩しつつもう右腕を相手の背中に回し、自分の腰を支点にして耐食コンクリートの路面に放り投げる。太った男は一瞬身体を浮かせ、声を上げる間もなく仰向けで落ちた。肉を打つ鈍い音が路地に響き、男は肺から空気を叩き出されて悶絶した。


 痩せた方の状況判断は中々見事なもので、相棒が無力化されたと見るやすぐに背を向け、私が塞いでいる方とは別の出口に走った。


 インタビューには一人いれば足りるだろう、と私が追跡を諦めたところで、男が走って行った先で小さな悲鳴が上がった。気付けば、私の背後にいるとばかり思っていた兼城がいない。痩せた方の男はとりあえず放っておき、私は地面に転がったままの太った男を転がして、うつぶせの状態で抵抗できないよう押さえつけた。


「クソが」


 毒づいた男の背中を片膝で圧迫し、その腕をねじり上げると、すぐに情けない声が上がった。

「質問するから答えろ。日本人の少女を探していたな?」


 答えないので、もう一度強くねじり上げる。可動の限界を越えた肩関節がぎしぎしと軋み、男はまたくぐもった悲鳴を上げる。


「俺も早く帰りたいんだ。肩が外れるとメシを食うのにも苦労するぞ」

「そう、そうだ。探してた。……ちゃんと言うからやめてくれ!」


 先ほど痩せた男が逃げて行った先から、兼城が歩いてくるのが見えた。ノックアウトした男の脚を持ち、ぐったりその身体を引きずってきていたが、そのうち面倒になったと言わんばかりに放り出した。


「ちょっとやりすぎたわ」

 私は太った男に注意を戻し、質問を続ける。


「誰の命令で探してた? お前達のボスは誰だ?」

「……ブラック・レディ」


 なるほど。ただのチンピラだと思っていたが、立派なマフィアの一員だった訳だ。まさか本当に事件に関わっていて、ここまで早く遭遇するとは思わなかった。調べていれば多少の衝突は避けられなかったかもしれないが、厄介な因縁を持ってしまったものだ。


「アップタウンで日本人を殺したな?」

「知らない、知らない! 本当だ」


 私が腕に力を入れると、男はほとんど懇願するように言った。


「少女を探している理由はなんだ」

「それも知らない! 知ってるのは、高校生ぐらいだってことと、瀬田陽花って名前だけだ」


 肉体を痛めつけられながらの尋問でも、この男が嘘を付くことは十分考えられた。しかしあまり長い時間を掛ける訳にもいかない。彼らの仲間が来る可能性もあるし、警察が来ると事態がこじれる。私が潮時を判断し、男を拘束していた腕を離して立ち上がると、太った男は潰れた餅のようにぐったりとした。


「コイツ見た目より怖いだろ? 悪かったな。お菓子やるから元気出せよ」


 兼城は先ほど私から受け取ったスナックの袋を、男の傍に放った。私に対しては、身振りで現場からの離脱を促す。


 我々は再び店の表に出て、言葉少なにしばらく歩いた。既に陽が暮れた空はいつの間にか分厚い雲に覆われ、空気は湿っぽさを増しつつあった。


「さっきのヤツ、殺してないだろうな」


 私は痩せた男の安否を確認するのを忘れていた。肩を外されたり殴られたりしたぐらいで警察に駆け込むマフィアはいないが、死んでしまうとまた話が違う。


「大丈夫大丈夫。それよりも自分の心配をしたらどうだ、探偵さん」


 兼城は真剣味のない口振りで私の身を案じる風に言った。黑色女人ブラック・レディとの因縁で私の身がどれくらい危険に晒されるかは、さっきの二人が我々をしっかり覚えているか、上にどのように報告するかによる。


 しかし双方が関わっているのは警察も追っている事件であるし、それほど露骨に手を出してはこないだろうという直感もあった。どのみちこの程度のことに委縮してしまうようでは、シティで探偵として喰っていくことはできない。


「なんか五年前を思い出すよな」

 頭の回路が変なところで繋がったらしいヤクザは、面白そうに言った。


「別に」

「いやいや、デブ問い詰めてるときの目とか、昔に戻ってたから」


 そして私と兼城は近くのタクシー乗り場で別れ、各々のねぐらに戻った。道中尾行を警戒したが、今のところ怪しい人影は確認できなかった。



 部屋に戻った私はシャワーを浴び、運動でかいた汗と、多少残っていた興奮を洗い流した。それから部屋の中型端末パソコンを起動し、いくつかのブラウザと検索サイトを立ち上げた。寝る前に、ネットワークセキュリティに関する基本的な知識と、瀬田英治、レベッカ・リー両名についての情報を得ようと思っていた。


 まずネットワークセキュリティに関連するキーワードを打ち込んで検索すると、あっという間に数万件の情報がヒットした。私の頭でも消化できそうな情報ものを選別し、自分なりに咀嚼していく。


 ネットワークセキュリティのシステムは、少し前まで防火壁ファイアーウォールと呼ばれていた。ネットワークを害するマルウェアと、それを防ぐためのファイアーウォールは長らくいたちごっこを続けていた。


 しかし十年以上前、プレートメイルと名前が付けられた、革新的なセキュリティソフトがリリースされた。もちろん、完璧な防護というものはあり得ないが、旧世代のソフトに比べて遥かに堅固だったプレートメイルは急速に普及し、今ではファイアーウォールに代わって、セキュリティソフトの代名詞となっている。


 それは業界において、エポックメイキングと評してもいいような出来事だったが、それを開発するための基礎研究は、かなり少数の研究者グループによってなされたようだ。いくつかの古い資料アーカイブを漁ると、輝かしい経歴を持ったエンジニア達の名前が挙がる。その筆頭にいる人物が、レベッカ・リー。そしてグループメンバーの一人に、瀬田英治。


 私は一旦ブラウザを閉じ、検索と読字で疲れた目頭を揉みながら、椅子の背もたれに寄りかかった。どうやらリー女史、そして英治は、私が思った以上に優れた業績を上げた人物だったようだ。休憩を挟んで検索を再開した私は、二人の名前が著者として載っている論文を見つけたが、これについては内容が高度すぎて全く理解できなかった。


 このあたりでいい加減頭痛がしてきたので、私はその日の勉強を切り上げることにした。


 二人の天才エンジニア。警察組織の不可解な動き。暗躍する香港マフィア。ピースは徐々に揃いつつあるが、果たして私の手に負えるかどうか。パズルを完成させようとして、巨大なピースに潰される羽目になってはつまらない。


 とはいえ現状、依頼を放棄するつもりはなかった。私は端末の電源を落としかけて思いとどまり、後輩のチャオに予定を尋ねるメールを送った。返信を確認するのは明日でいいだろう。私は歯を磨いてベッドに向かい、そのまま就寝した。屋外では雨が降り始めたようだった。


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