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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
電海のフラガラッハ
7/60

断片 -4-

 臨時収入に顔をほころばせた運転手と握手を交わし、私は適当な場所でタクシーを降りた。記憶を辿りながら、死体発見現場近くまで歩いて行く。私があの日、リー女史の家へ向かうために通った表通りの途中、陽花と遭遇した場所を見つけるのに、それほど時間は掛からなかった。


 私は横路の入口に立ち、事件当日に英治が取った行動を想像してみた。彼はリー女史が住むアパートから少し離れた場所でタクシーから降りたあと、なぜあの場所で死ぬことになったのか。


 巡回している警察に会いたくないとき、私なら適当な店に入ってやり過ごすだろう。表通りであれば、居住区アップタウンにもそういう店はたくさんある。わざわざ横路に入っていくのは少しやり過ぎで、下手すれば余計に目立ってしまう。しかし彼はそうしたのだ。もしかすると、もっと切羽詰まっていたのかもしれない。もう目の前まで迫っていたとか、既に追われていたとか、そういう状況が想像できる。


 もしかしたら警察の他に、何か英治を追いたてるような存在がいたのかもしれない。この区画ではほとんど見かけないが、悪漢や犯罪者の類。あるいは、香港から彼らを追ってきた何者か? 


 私は自分を追いかけてくる架空の敵をイメージしながら、横路に足を踏み入れた。英治が私と同じ道を辿ったかどうかは定かではないが、とにかく彼は表通りから、路地の奥へと進んだ。


 多分彼は、横路に入ったのが悪手だったとすぐに気付いただろう。助けを呼ぼうにも人がいないし、逃げる方向も限られている。反対側に先回りされれば、挟み撃ちになりかねない。第一土地勘がないから、どこに出るのかも分からない。


 しかし、今更戻るわけにもいかない。迷路を走らされる実験用マウスのように、右に曲がり、左に折れる。もう少しエクササイズをしておくべきだった。娘を置き去りにするわけにもいかない。なぜ自分がこんな目に。混乱と恐怖はどれほどのものだったか。追手の目的について、英治には見当がついていたのだろうか。


 私はやがて、英治が死んでいた路地に出た。車一台分の幅しかない、見通しの利かない薄暗い通りだ。ついに迫ってきた追手が銃を構えて、私に狙いを付けるさまをイメージした。しかし、眉間を撃ち抜かれる位置関係とはどういうものだろう。逃走を完全に諦めて開き直ったか、回り込まれた先で不意を突かれたか。あるいは胴体を撃たれて死んだあとにとどめを刺されたか。


 おそらく陽花は発砲の現場を見ていただろう。運よく逃げおおせ、私と出会った。単独犯でなかったのだとしたら、随分と脇の甘い追手だ。


 英治の逃走と殺害までを一通りイメージはしてみたが、この路地に入ってからはどうもしっくりこない気がした。まだ随分、足りないピースがありそうだった。それに、すんなり現場に立ち入ることができるのもおかしい。進入禁止を示すパイロンもなければ、捜査員がうろついている訳でもない。


 確かに殺人事件であっても、現場検証が短時間で終わることはある。しかしそれはごく単純で、犯人も既に捕まっているような事件の場合だ。


 私は現場の周辺を少し詳しく見て回った。さすがに取りこぼした証拠が転がっているようなことはなかったが、私は現場から十メートルばかり離れた場所に、いくつか弾痕らしきものを見つけた。死体があった場所を挟んで反対側にも、同じようなものがあった。もしこれらが本当に弾痕だったならば、拳銃が双方向から発射されたということになる。


 しかし壁面は堅牢な素材であったため痕跡は小さく、今の時点でこれ以上判明しそうな事実はなかった。私はしばらくそこで物思いに耽ったあと、元来た路の反対側に抜けた。そこはそれなりに大きな通りで、もしかすると英治はあと少し逃げれば、生き残ることができたのかもしれなかった。


 次に私は殺害現場近くのアパートを訪れることにした。英治が殺された場所は小さな通りで、左右には十数階建ての高層アパートがあった。日当たりの悪い場所だから現場が見下ろせるような大きな窓はなさそうだったが、普通は銃声がしたら覗いてみるぐらいはするだろう。事件の目撃者か、叫び声を聞いたような住民が見つかれば重畳だ。


 このあたりもまた、リー女史ほどではないにせよ、それなりに経済的余裕のある人々が住む区画である。セキュリティ上、部外者が敷地内に進入することはできないようになっているため、各戸を直接訪問するのは難しい。宅配業者や修理業者を装う手もあったが、嘘を付いて中に入ってくるような人間を信用して話をしたりはしないだろう。


 私はあまり不審な雰囲気を出さないよう気を付けながら、アパート入口の近くで待つことにした。建物に入るか、出てきた住民に話を聞くつもりだった。なるべく地上に近い低層階の住民に話を聞ければいいが、そればかりはコントロールできない。


 十分ほど張り込んでいると、夕食の買い出しにいくような様子の中年女性がアパートから出てきた。私は女性が驚かないように声を掛ける。


「なんですか?」


 女性は怪訝そうに私と距離を取っている。私は相手の警戒を解くため、名刺を取り出して身分を明かした。


「昨日このあたりで殺人事件があったと思いますが、私は被害者の知人から依頼を受けて調査をしているんです。当日、何か変わったことはありませんでしたか?」

「知りません」


 女性は冷淡に会話を拒否した。


「本当ですか? 銃声とか……」

「お話しできることはないと思います」


 取りつく島もない、といった口調だった。どういう理由か知らないが、この相手はハズレだ。私は呼び止めたことを女性に詫び、また別の住民がアパートに出入りするのを待った。


 その後三、四人に声を掛けたが、回答は似たようなものだった。しかし最後の一人は親切そうな若い女性で、申し訳なさそうにあることを教えてくれた。


「警察が来て、このことは警察以外に話してはいけないと言われたんです」


 つまり、事件について口外しないよう言われているのだ。一般市民にとって警察は権威の象徴みたいなもので、ある程度の利益があっても逆らいたくはない相手だ。この女性に一〇〇ドルか二〇〇ドル渡したところで、何も話してはくれないだろう。


 それにあまりにしつこく食い下がると、警察に告げ口されてしまう恐れさえある。そうなると、今後の調査に支障が出てしまうだろう。このあたりでの聞き込みは一旦、諦めた方がよさそうだった。


 しかし先ほどのタクシー運転手が口止めされているという様子はなかった。事情聴取とは別に、情報の拡散をよく思わない人物がいるということだろうか?


 私は違和感を抱きつつあった。しかし今はともかく親切な女性に礼を言い、その場を離れることにした。



 陽が傾いてきていたので、私はトラムに乗って繁華街ニュー・ベイジンへと向かった。シティ中で最も賑やかなこの区画は、今から深夜にかけて人出が多くなる。


 目抜き通りの左右に立ち並ぶビルには、上から下までぎっしりとテナントが入っていて、ひっきりなしに人を吸い込み、また吐き出していた。映像を流す広告用のディスプレイが各々勝手に主張するせいで、景観は完全に統一感を欠いている。


 たまにいる欧米の観光客などは、この猥雑さにアジア的な旅情や、旺盛なエネルギーを感じることもあるらしい。しかしこの街で長く過ごした私には、それがほとんど理解できなかった。


 大通り沿いにあるのは飲食店や小売店、比較的健全なクラブが主だが、一本道路を入れば性風俗店も多く存在している。ナイトクラブという名が付いたもの、看板もかかっていないビルの一室でおこなわれるもの、露骨さや値段は様々だが、そのほとんどはシティの法律に違反している。ただ厳格に摘発がおこなわれている訳ではなく、よほど目立たない限りは黙認されているのが現状であった。


 私が人ごみの中軽い買い物を済ませ、兼城に指定された中華飯店に着いた。時刻はまだ午後四時半で、夕食時にはまだ早い。大通りから二本ほど裏に入ったところにあるその店は、映像が流れるディスプレイも、色とりどりに光るネオンの看板もない、薄汚れた地味な外観をしていた。建物は家族経営の店より少し大きい程度で、三十人も客が来れば一杯になってしまうだろう。


 店に入ると、ハキハキした口調の女性店員に迎えられた。香辛料と油のにおいが壁にも天井にも染みついていて、いかにも料理を食べさせる店、といった雰囲気だった。


 兼城はまだ来ていない様子だったので、壁に区切られた半個室で待つことにした。そういえば広東料理の店だったか、と思い出しながら、私は席に備え付けられた端末で、烏龍茶と叉焼チャーシュー、大根餅を注文した。


 それらが運ばれてきて、皿を半分ほど空けたころ、店の入口に大柄な男が姿を現した。兼城は店内を一瞥して私の姿を認め、まっすぐ席に近づいてきた。


「悪いな。今日も忙しいのか?」

 私はそう言いながら、注文用の端末を彼に差し出した。


「まあ色々な、それで」

 兼城は迷うことなく端末を操り、飲み物といくつかの料理を注文した。

「何を聞きたいって?」

「ああ」


 私は一度烏龍茶で唇を湿らせ、念のためこちらを監視していたり、聞き耳を立てていたりする人間がいないか確かめてから話し始めた。


「昨日、アップタウンで殺しがあった。殺されたのは、日本人のコンピューターエンジニアだ」

 私はすぐ本題に入った。殺しという言葉に、兼城は眉をひそめた。


「知らないな。ニュースになったか?」

「俺も一日出てたから全部はチェックしてないが、お前が知らないなら、なってないんだろう」


 店員が愛想よくビールを運んでくる。兼城はそれを受け取ってから一口飲み、店員が去るのを待ってから私に続きを促した。


「被害者は銃で撃たれていた。胴体に多分二発と、眉間に一発」

「胴体を撃ってから、念入りにとどめ、って感じだな。銃の種類は?」

「分からん。拳銃ではあると思う」


 兼城は軽く鼻を鳴らした。

「シティの堅気が銃で死ぬのは珍しい」


 彼は訳知り顔で言うが、私もそれは重々承知している。


「裏のマーケットで出回ってるのは大体がノリンコだ。ロシア製もあるっちゃあるが、数は少ない。警察で使ってるのはコルトだな、お前には説明するまでもないが」


 中国北方工業公司、通称ノリンコは、かつて中華人民共和国の国有企業であった。内戦に際してはノリンコ製の自動歩槍アサルトライフル手槍オートマチックが多く使われ、内戦終結後は大量のそれらが闇市場に流出した。


 シティ警察もノリンコ製の拳銃を使用していた時期があったが、私が警察官になるころには、アメリカの老舗銃器メーカーであるコルト・ファイアーアームズ社のものに換っていた。


「コルトはいい。あのいかにも拳銃っぽい感じが……」

 兼城は銃について語るのを好むので、あまり勝手に話させておくと本題に戻れなくなる。


「出回ってる拳銃は、普通の人間でも買えるのか?」

「欲しいのか?」

「そうじゃない。犯人はなんで拳銃を使ったのかが気になってるんだ。人を殺すだけならナイフでいいだろ。銃だと音が出るし、痕跡も残りやすい」

「まあ、あんまりお前みたいに、合理的に考えるヤツばっかじゃないと思うけど。……最初の質問なんだっけ?」


 この程度で苛立っていては、兼城と会話することはできない。


「一般人でも銃が買えるのか」

「ああそうだった。カネとコネがあればそんなに難しくない。ただどうしたって海路での密輸に頼るから、粗悪品でも一五〇〇ドルからする。もちろん弾もタダじゃない。それでも売れるのは、やっぱりメリットがあるからだな」

「射程?」


 私の答えに、兼城は頷く。


「根本的にはそういうことだ。あとはそこから生じる恐怖とか制圧力とか。平たく言えば、反撃できない位置から『動いたら撃つぞ』ができるから強いんだ」

黑社会ヘイシャーホェイらしい使い方だ」


 私は半ば軽蔑を込めて呟いた。『黑社会ヘイシャーホェイ』とは、裏社会やそこで暗躍する犯罪組織を抽象的に表現する言葉だ。兼城は自身が所属する海虎一家がこう呼ばれるのを好まず、あくまでヤクザを自称している。


「そうだな。本気の殺し合いなら軍や警察には敵わないし、規模に関わらず戦争なんて損が大きすぎる。あくまで弱い人間を脅かすための道具だよ」


 グラスを傾けながら、兼城は自嘲気味に言う。別段、機嫌を損ねた様子はない。


「エンジニアを殺したのも、黑社会ヘイシャーホェイの人間かも知れないって訳か」

「可能性は低くない。ただ、少なくともウチじゃないとは言っておこう」


 いくつかの料理が運ばれてきたので、物騒な相談は一時中断となった。


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