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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
電海のフラガラッハ
6/60

断片 -3-

 中央街区セントラルを時計の中心として十時の位置。他の区画に比べ開けた場所である港湾地区ダイユー・ポートには、少々の客船と多くの貨物船・輸送船が発着する。港には荷の積み下ろしや他区画への輸送をおこなうための様々な港湾施設もある。この場所は港であると同時に空の玄関口でもあり、香港を初めとした多くの国々と繋がっている。


 バスを降りた私がまず訪れたのは、港湾地区ダイユー・ポート付近でよく見かける大手のタクシー会社だった。陽花は空港からタクシーを使ったと言っていた。私は、生きていた時の英治がどのような様子だったか、そしてなぜ女史が住むアパートのすぐ前に車をつけなかったのかということを、当時の運転手に聞くつもりだった。


 道路行き交うのはほとんどが大型車両で、歩道に人の姿は少ない。空港施設や船着き場からバスかタクシーに乗り、直接ほかの地区へ向かう人間が多いからだ。


 目的の会社は広い表通り沿いにあった。巨大な立体駐車場を通り過ぎた私は、その隣にある建物の看板を見上げた。そこに記された『GULL TRANSPORT』という文字の脇では、カモメ(gull)を模したマスコットキャラクターが片目をつぶり、親指を立てている。gullにはだまし取るという意味もあるが、経営者は知っているだろうか。


 看板をくぐって屋内に入ると、手前に来客用のカウンター、奥には事務員や出勤前の運転手が立ち働くフロアが見えた。カウンターの近くでは今の流行らしい電子音楽が、客とのやりとりを邪魔しない程度の音量で流れている。私は角のないカウンターに備え付けられた液晶パッドに触れ、従業員を呼び出した。


 カウンターの奥で小さな音が鳴り、若い女性の従業員が柔和な笑みを浮かべながら近付いてくる。


「お忙しい所すみません。この近くで探偵をしている者なんですが」

 私は財布から名刺を取り出して、カウンターの上に出した。女性はそれを手に取り、少しの間珍しそうに眺めた。


 探偵という言葉は一般的だが、実物と関わりがある人間は少ない。格好のいい職業だと好意を持っているか、色々と嗅ぎまわる胡散臭い輩だと思っているか、人によって抱くイメージも様々である。


 探偵という職業自体に、法律的な権威や権限はほとんどないと言っていい。一般人が入れないところには探偵も入れないし、一般人に教えられないことは、探偵にも教えられない。開業するにあたっては認可が必要だが、認可の外で似たようなことをやっている人間もいるだろうし、そうしたからといって罰則もない。


 だからこういった地道な情報収集にあたって重要なのは、本人がどれだけ誠実で真摯に見えるか、ということだった。初対面の人間にどれだけ信用されるかが、探偵の基本的な素養の一つなのである。私はといえば、決して人当たりの良い人間ではないが、長く探偵生活を送っていれば、必要な能力はおのずと身に付くものだ。


「どのようなご用件でしょうか?」


 あまり歓迎されない種類の客と判明してからも、従業員は柔らかい態度を崩さなかった。彼女は彼女で、接客に必要な能力を身に付けているようだった。


「おととい、居住区アップタウンで事件があったんです」


 私は声を落とし、彼女にだけ聞こえるよう、「殺人事件なんですが」と囁いた。従業員はハッとして、少し身を固くした。


「まだ報じられてはいないみたいですね。でも私は被害に遭った方の関係者から依頼を受けて、事件について調査をおこなっているんです。当日、被害者を乗せた運転手さんから話を聞ければ、と思ってこちらに」


 英治がここのタクシーを利用したかどうかは分からないが、間違っていれば別を当たればいい。私はさも確信を持っているような態度で、従業員に視線を送った。彼女は少し迷っていたが、どうやら自分の手に余る案件だと判断したらしく、少々お待ちくださいと言い置いて、奥にいる上司らしき男に指示を求めた。


 二人で何ごとか話し、上司の方がこちらを見る。私は自分が怪しい人物ではないことを示すように会釈し、そのまま大人しく待っていた。やがて女性従業員が戻り、小さな声で私に言った。


「多分、お力になれると思います。昨日、警察の方が事情を聴きに来られたときに対応した者が、先ほど出勤してきておりますので……」


 彼女らの協力は、調査の出だしを幸先の良いものにしてくれた。これで、港湾地区ダイユー・ポートやシティに散らばるタクシー会社をしらみつぶしせずに済みそうだった。私は彼女の協力に感謝を述べ、その運転手と話をしたいと頼んだ。従業員は私に、カウンター近くの座席に掛けて待つよう勧め、内線で誰かを呼び出してくれた。


 しばらくして目の前にやってきたのは、五十歳ぐらいの男性だった。本人も制服もややくたびれてはいるが、いかにも長く務めているといった風の落ち着いた所作で、愛想もそれなりによさそうだった。私は立ち上がり、勤務中に時間を取らせたことを詫びる。


「昨日は警察の聞き取りで大分かかりまして。ぐったりして、今日の午前は休みを取ったんです。探偵さんなんですって?」

「ええ。おとといタクシーに乗せた日本人について、話を聞きたいんです」


「会社の方に許可を貰ったんでそれは構わないんですが、空いてる部屋が無くてね。車の中でも構いませんか?」

 盗み聞きされる心配がない場所は、私にとっても好都合だった。


「そうしましょう。料金はちゃんとお支払いします」


 そうして我々は隣にある立体駐車場に向かい、カモメを思わせる配色の白いタクシーに乗り込んだ。


「シティを適当に一周してください。一時間もあれば十分だと思います」

「かしこまりました」


 車両は滑るように駐車場を出て、港湾地区ダイユー・ポートの通りを南下し始めた。私は流れる景色を眺めるともなく眺めながら、話を始める機会を窺っていた。


 タクシーに限らず、シティを交通するほとんど全ての車両は、汎用人工知能(スマートAI)によって高度に自動化されている。それらは常時ネットワークに接続されていて、交通手段としての目的を効率的に遂行するため、まるで一つの意志に命令されているかのように動き回っているのだった。


 その自動化とネットワーク化の最たるものが、『パシフィック』と呼ばれるシティの行政システムである。シティでなされるあらゆる活動の情報を収集し、処理し、分析し、問題解決への方策を導き出す。そう言われてはいるものの、その全容を知る者はほとんどいない。シティにおける重要な意思決定を担っているという噂もあるが、どこまで真実なのかも解らなかった。


 とはいえ普通に暮らしている人間にとっては、あまり関わりのない話だ。


「近頃はなんでも自動化自動化で、私もいつ職を失うんじゃないかと冷や冷やしてるんです」


 走り始めてすぐ、運転手は話の枕といった調子で切り出した。私もしばらくはそれに応じて、相手の舌が滑らかになるのを待つことにした。


「子どものころは『人間が働く必要のない時代が来る』なんて言われてましたが、そんなことはなかったですね」

「そりゃそうですよ」


 運転手はやや強い口調で応じた。


「機械が何でもできるようになっても、得をするのはそれを持ってる人間だけなんです。テクノロジーの恩恵を受けられるのも、金のある人間だけ。私みたいに資産も才能もない人間は、機械と競争させられて息をつく余裕もありません」

「大変ですね。私も他人事ではありませんが」


 今のところ探偵業を代替するAIは出てきてはいないが、私は話を合わせておくことにした。しかし実際、機械に仕事を奪われた人間はシティに溢れている。貧民街ブロッサム・ストリートにはそんな連中が、文字通り掃いて捨てるほどいるのだ。


 花咲く(ブロッサム)と名付けられた区画は、昔は観光施設が多くある場所だった。しかし中国内戦のあおりを受けて観光業は衰退し、廃墟になった建物に失業者や犯罪者が住みついた。シティ独立以降もそれは止まず、元々の役割を隣接する繁華街ニュー・ベイジンに奪われ、今では立派なスラムと化している。目抜き通りに植わっていた樹木も、ずいぶん昔に枯れ果ててしまった。


「自動化といえば、殺されたのはコンピューターエンジニアだったそうです」

 車が工業地区メタン・コンプレックスに入るころ、私は本題を切り出した。


「そうだったんですね。まあ、開発する人間が悪いわけじゃない」


 運転手は自分の発言が被害者を貶めたように感じたのか、弁解するように付け加えた。私は念のため、当日に乗せた男の容姿を尋ねたが、運転手の答えは私の記憶とおおむね一致していた。高校生ぐらいの少女と一緒にいたというから、瀬田父娘に間違いないだろう。


「彼らはどの場所から乗ってきましたか?」

「空港ですよ。二人はあんまり喋りませんでしたけど、父親と娘なんてそんなもんでしょうね」

「様子はどうでした」

「不安そうな感じはしましたね。観光じゃないなというのは分かりました。友人を訪ねるとか言って、居住区アップタウンのあたりに行ってくれと」


「そこなんですよ」

 私は話を遮って、気になる部分について掘り下げることにした。

「何がです?」


「被害者は、その友人の家から少し離れたところで死んでいました。といっても、二〇〇メートルかそこらですが。住所が分かっていたならば、建物の前に着けないのは妙な感じがしますね」

「ええ、ええ。その通りです。最初はそうでしたよ。アパートの住所を指定して。でもね、これは警察にも話したんですけど、建物の前にパトカーが停まっているのを見た途端、やっぱり通り過ぎてくれって言ったんです」


「警察が待ち構えていたんですか?」

「そういう様子じゃなかったですね。パトカーがいたのは偶然だと思いますよ。でも、その人はあんまり、警察の目に付きたくなかったのかもしれません」

「ドラッグでも運んでいたんでしょうか」


 運転手は首を傾げた。

「そういう人には見えませんでしたけど。確かに子連れで密輸っていうのは、警察を油断させるのに悪くないと思いますが」


 ドラッグは他愛ない冗談として、瀬田英治は何か、後ろ暗い立場にあったのだろうか。万が一にも、警察に声を掛けられたくないような。この推測は何か、事件の重要な部分に関わっているような気がした。


「それで、少し離れた場所に降ろしたんですね」

「そうです。私はすぐにその場を離れたので、その後は分かりません。そういえば、娘さんは無事だったんですか?」

「幸運にもね」


 それから私は、父娘が何を持っていたのかとか、他に何か気付いたことはなかったかといった事項をいくつか尋ねたが、特別手がかりになりそうな情報は得られなかった。気付けば車はぐるりと反時計回りにシティを巡り、居住区アップタウンに差し掛かりつつあった。


 私はもう一度死体発見現場を見てみようと思い、タクシーを降りることにした。話を終え、車を停めてくれるよう運転手に頼む。


「分かりました。調査、頑張ってください。私にも中学生の娘がいるんで、境遇を想像すると可哀そうで」

「ええ。力を尽くしますよ」


 出発してからの時間は四十分ほどで、運賃は三十ドルに満たなかった。私一〇〇ドル札で料金を支払い、あまりを謝礼として受け取ってもらうことにした。


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