オペレーション -5-
「アイツらもなんとか囲みを突破したらしい」
なんとか追手を撒き、逃げ込んだ路地。通信を介し、他メンバーの脱出を確認した兼城が言った。屋内で屍食鬼を食い止めていた海虎一家の構成員達も、殲滅されずに退避することができたようだ。さすがに犠牲は出ただろうが、兼城はそれに言及しなかった。
「現状、そっちはどうなってる」
私はヘッドセットに手を当て、ジュリアに尋ねた。
『良くない。まだ足止めを喰ってる。空軍海軍、それに警察は混乱してるけど、華南軍閥の兵にパシフィックの不調は関係ない。このまま動けなければ、計画は失敗ね』
「夏大偉だけを殺害することは?」
『行政庁舎の守りは固いから、爆撃機かミサイルでも使わないと』
爆撃機はともかく、艦載ミサイルならば海軍が保持しているはずだ。しかし庁舎を爆破すれば、政治的な正当性が無辜の市民ごと吹き飛んでしまう。とてもではないが使用することはできないだろう。
「いや」
そのとき、黙っていた陽花が口を挟んだ。
「夏は行政府にいないと思う」
『根拠は?』
「勘。だけど、フラガラッハにマーカーを付けてある。それで確かめられるはず」
『攻撃の集中している場所が本当の敵司令部、って訳ね。一応、やるだけやってみるわ』
「お願い」
通信が終わり、静寂が戻る。司令部に封じ込められた味方。我々を殺すために徘徊する屍食鬼達。フラガラッハによる停電の中、なんとも気持ちの悪い停滞感が漂っていた。
「弾、まだあります?」
喬が言う。先程はあまり派手な撃ち合いにならなかった。残弾にはまだ余裕がある。手りゅう弾は残り四つ。
「今の所は問題ないが、どこに移動するかな」
私は路地の壁にもたれて腕を組んだ。脱出するなら港湾地区に行く必要がある。しかし現状でシティ外への渡航手段を確保するのは難しい。
潜伏するならばこのあたりでも構わないが、昼になれば当局に発見されるリスクが上がる。我々の自宅に戻った場合でも、住所が抑えられている可能性が高く、長くは居られそうにない。
となると再び朱を頼るため、アメリカ領事館に向かうべきか。現在地から領事館までは二キロ程度。徒歩でも十分行ける距離だ。
我々はひとまず、路地から路地へと潜みながら北上することにした。警察の目が多い中央街区内を避け、その縁に沿うような形で慎重に移動する。通りや建物の中では、非常用のライトを点けながら途方に暮れる市民の姿があった。
「陽花、一つ聞いていいか」
領事館への道中、私は尋ねた。
「何故、夏が行政庁舎にいないと?」
陽花は少しの沈黙を挟んで答える。
「今回のやり方から言って、夏は正面から敵を倒す人間じゃない、と思った。堂々と行政府に構えるよりは、どこか安全なところに潜んでる気がする」
彼女は続ける。
「可能性は低いけど、行政府が爆撃されたら危険だし、人が多いと内通者がいるかしれない。慣れない場所は避けたいはず。陸軍が動いて行政府を脅かすっていう想定は、当然してると思うし」
パシフィックさえ掌握していれば、何も執務室にいる必要はない。市長の椅子に座るのは、政敵を排除してからで構わない、ということか。
「静かに。一旦止まれ」
先を行っていた兼城が鋭く囁いた。路地の出口を注意深く覗いている。
「警察が多い」
「検問か?」
私は尋ねた。
「そうかもしれん。この辺りには何かあったか?」
今我々がいるのは、商業地区と居住区の境界付近だ。西に進むと中央街区で、そちらには重要な施設がいくつかある。ただ、この付近を特別警戒する理由は思い当たらない。
「ジュリア。俺たちの位置は把握してるか。警察が集まってる」
『ええ、こちらでも確認した。でもその先は住宅街よ。月島さんの方が良く知ってると思うけど、……いえ、待って』
彼女は何かに気付いたらしい。いくつかの手がかりを組み合わせた推測。そして直感。
『フラガラッハの攻撃分布に偏りがある。偽装されてるけど、不自然なポイントが』
「位置は?」
『今から言う。ええと……』
告げられた住所を、私は脳内の地図と照らし合わせる。確かその場所には、表通りに面した特徴的な集合住宅があったはずだ。我々の現在位置からは一〇〇メートルと離れていない。
「確証はないが、行ってみる価値はある」
そこが夏大偉の私邸であるとすれば、人員を割いての警戒も納得がいく。
「行こう」
陽花が躊躇なく言った。
「行くのはいいですが、もう少し慎重になりましょう」
それを喬が押し留める。
「ただ忍べば通れるほど簡単じゃない。囮が要ると思うんです」
「悪くない作戦だが、誰がやる」
私は全員の顔を見渡した。
「陽花ちゃんは端末の操作に必要でしょう。月島さんは彼女と組んで黒幕の所に向かって下さい。囮は僕と兼城さんが」
喬は兼城の意思を確認するように視線を向けた。
「刑事と組むのは不満だが、我慢してやろう。お仲間が殺されても文句言うなよ」
「今は元刑事です。大目に見ますよ。今日だけは」
役割分担は決まった。ベストかどうかは分からないが、長く議論している時間もない。私は最近で何度目かの決意をして言った。
「いいだろう。作戦はまだ失敗してない。〈電海のフラガラッハ〉、ここからサドンデスだ」
互いの生還を祈りつつ、我々は各自の行動を開始する。手筈としては、まず喬と兼城が現在地から東に迂回し、騒ぎを起こして警察の目を引き付ける。私と陽花はその隙を縫い、監視が薄くなった通りを横切る。そして件の集合住宅がある区画に侵入し、黒幕を急襲する。
「では、今から五分後に」
残った手りゅう弾を二人に持たせ、私と陽花は今の場所に留まる。監視は非常に厳重というほどではないが、常に複数人の目が通りを見張っていた。屍食鬼ではなさそうだ。あるいは、市民の目を欺くために偽装しているだけかもしれない。
「来るところまで来たな」
路地の出口を注意深く窺いながら、二人からの合図を待つ。
「うん。ありがとう、ここまで付き合ってくれて」
陽花は言った。彼女が持つ拳銃はその手に比べて大きすぎた。
「気にするな。趣味だ」
「私も何か趣味持とうかな」
「例えば?」
「ゲームぐらいしか思いつかない」
「無いよりマシだ」
それにずっと平和だ。どんな残虐なゲームでも、現実の戦いに比べれば。
「ジュリア。そろそろ動くぞ。詳細な場所のナビゲートを頼む」
『了解』
銃の消音器を確認する。邪魔だからといって捨ててしまわなくてよかった。
私は大きく息を吸い、吐いた。もうすぐ五分経つ。
耳を澄ませる。やがて通りの東から、手りゅう弾の小さな爆発音が聞こえた。
「行くぞ」
監視の目が逸れた瞬間を狙って、私と陽花は密やかに路地から飛び出した。姿勢を低くし、暗がりの中を駆ける。距離十メートル。時間にして四、五秒。兼城と喬が作った隙のおかげで、なんとか気付かれることなく、向こう側へと到達することができた。
二人がどこまで時間を稼いでくれるか分からないが、この機はできるだけ利用したい。我々はそのまま建物の間を進み、特定された住所まで一気に近付いた。
やがて目の前に見えたのは、中庭を囲んだ回廊のような形をした集合住宅だった。シティに多くある無機的なデザインではなく、福建あたりに存在した近代以前の建築様式が取り入れられている。
この建物には大通りに面した表口のほか、反対側に裏口がある。普段は当然、両方に厳重なセキュリティが施されている。電力とネットワークに依存したセキュリティが。
人の気配に注意を払いながら、私は旧時代の門を模した裏口に取り付く。窪みに取り付けられているのは、硬質な木で出来た扉だ。
「陽花。念のため銃構えとけ」
電子ロックの機能していない扉を、私はゆっくりと手前に引く。周囲の安全を確かめると、陽花と共に敷地内部へと滑り込んだ。




