オペレーション -3-
朱の運転で向かったセーフハウスは、上陸した地点から車でたった数分のところにあった。セーフハウス付近に到着すると、私と陽花はコートのようなものを被せられ、人目を忍びながら車を降り、どこかのマンションに入ることになった。午前三時過ぎの居住区は静まり返り、我々を見咎める者は誰一人としていなかった。
用意されていたのは家族で住めるような広さの一室だった。私はウェットスーツを脱ぎ、陽花と順番にシャワーを浴び、用意してあったバスローブを羽織る。ドローンに掴まってきたとはいえ、体力の消耗は大きかった。重い身体をソファに沈め、受け取ったグラス入りの水を飲み干す。
「ドンは?」
人心地がついてから、私は尋ねた。彼はこのセーフハウスではなく、車に乗ったままどこかに運ばれていった。
「中等度の失血とのことです。処置さえすれば、命に別状はないでしょう」
朱は事務的に答えた。仲間に対する態度としては淡泊すぎる気もしたが、もともとこういう人間なのだろう。そうでないとスパイなど務まらないし、冷徹な人間はどんな組織にも少なからず必要だ。
「グウィディオンと雷富城の連携は、思ったより良いようだな」
私は素直な賞賛半分、皮肉半分で言った。
「昨日今日できたパイプではないですからね。パシフィックとオートマタが、両者をつなぐ経路です」
岱輿城市を遍く覆うパシフィックは、オートマタが主導して開発したシステムだ。その導入にあたっての取引は、極めて政治的な事項でもある。
オートマタと雷富城に利害の一致がなければ、そもそもパシフィックの導入はあり得ない。その過程で、雷は必然的にグウィディオンと接近することにもなる。あるいは逆に、まず両者の接近があったのかもしれない。
「雷市長、グウィディオン、それにアメリカ?」
陽花が口を挟む。彼女の保護者であるレベッカ・リーは、アメリカ政府とのパイプを持っている。それは彼女個人だけのものではないだろう。グウィディオンも同様だと考えるのが自然だ。
「その通り。結局のところ、これは合衆国と華南軍閥の争いなんです。それでも首を突っ込みますか?」
「もう突っ込んでる」
間髪を入れず、陽花が答えた。
「そういうことだ。大国の思惑は関係ない」
「まあ、いいでしょう」
朱は我々の気が知れない、といった様子で軽く肩をすくめた。
「それで、確認しますが」
「なんだ?」
「あなた達の役割ですよ。後方での攪乱」
「一応、そういうことになってる」
朱はため息をついた。こういう仕草はジュリアに似ている。裏方特有のものだろうか。
「あとから前線に行って死ぬのは勝手ですが、合流地点までは連れていきますよ。海虎一家の事務所です」
「ああ。知ってる場所だ」
半年前には、その近くに私の事務所があった。黑色女人とのトラブルがあった後には移転を余儀なくされ、今はそこにも戻れないのだが。
「それと、先ほど連絡がありました。兼城陣、喬小龍の両名が無事に上陸したようです」
よかった、と小さな声で陽花が言った。
「劉少佐が行動を起こすのは、午前五時半の予定になってます。一時間後には合流地点まで送りましょう」
「そうか。ありがとう」
私が礼を言うと、朱は少々意外だ、という顔をした。
「半年前に比べると丸くなりましたか」
「何?」
「お嬢さんの影響でしょうかね」
「休むから静かにしててくれ」
知った風な口を利く朱をあしらい、私はわざとらしく疲労をアピールした。
「では、ごゆっくり」
その後、私と陽花は一室をあてがわれ、しばし身体を休めることにした。
「今日も長い一日になりそう」
二つあるベッドの片方で、うつぶせに寝転がった陽花が言う。
「運が良ければすぐ終わるさ」
私はそう応じて、仰向けで目を閉じ、少しの間眠った。
◇
午前四時半。作戦の第二フェーズ開始があと一時間に迫った。部屋の扉がノックされたのは、私が目を覚まし、時計を確認したのとほぼ同じタイミングだった。
「そろそろ出発します」
仮眠を取ったのか取っていないのか。現れた朱の顔に疲労の色は見えない。彼は手に持ったいくつかの品を、私と陽花のベッドに置いた。それは通信用のヘッドセットと、黒光りする自動拳銃だった。銃の先端には消音器が取り付けられている。
「シティ警察が採用しているものと同じです。足はつきませんが、失くさないように」
私は懐かしい手触りの銃把を握る。使い込まれていない、新品の銃だった。陽花の手にはやや大きいようだが、至近距離で撃つのなら、サイズの適合はあまり関係ないだろう。
ヘッドセットは片方の耳に掛けるだけの、ごく小さなものだ。常時装着していてもさほど気にはならない。
私と陽花は素早く支度を済ませ、セーフハウスを出た。再び朱の運転する車に乗り込み、商業地区にある海虎一家の事務所を目指す。
朱の運転で居住区の通りを南下する。夜明け前の街を走る車はほとんどない。当局の目を忍ばなければならない現状、それは不穏な静けさに思えた。一時間後にはシティが戦場となる。このあたりが前線になる可能性は低いが、住民は銃火の音を聞くことになるだろう。
物思いに耽る間もなく、車は目的地に到着した。かつて見慣れた四角い形の商業ビルは、その濃さを減じつつある紺色の空に向かって伸びていた。
「では、グッドラック」
朱はそっけなく言うと、車を降りた我々を残して去っていった。無味乾燥な男だ。忙しいだけなのかもしれないが。
「……さて」
私がビルの玄関に近付くと、中から監視カメラか何かで見ていたのだろう、すぐに迎えの人間がやってきて扉を開けた。
「月島さん、瀬田さん、どうぞ中へ」
海虎一家の若い構成員だ。状況が状況だけあって、それなりの緊張感と殺気を纏っている。私と陽花は彼に導かれるままエレベーターに乗り、海虎一家の事務所がある五階まで上った。
廊下の先にある事務所の入口からは、わずかに内部の灯りが漏れていた。音は聞こえないが、静かな気配が満ちているように思える。構成員はすりガラスのドアを開き、私と陽花を招き入れた。
フロアを占有する事務所スペース。入り口付近に照明はついておらず、ブースやパーテーションで区切られた奥の方に人が集まっているようだ。私と陽花がそこまで歩いて行くと、兼城をはじめとした十数人の構成員が待機していた。
「月島さん。無事でしたか」
ヤクザたちの中にあって、少々居心地悪そうな喬が言った。
「そっちもな」
私と陽花は事務用の椅子を引っ張ってきて腰かけ、集団の輪に加わった。その場をぐるりと見回すと、いるべき人物がいないような気がした。
「篠原支部長は?」
私は兼城に尋ねた。彼は事務机の上で無作法に胡坐をかいている。
「当局に拘束中らしい。ついさっき聞いた」
まいった、という風に片手で頭を撫でる。
「何が困るって、支部長が一番システムに強いからな。見様見真似でやってはいるが」
「どういうシステム?」
陽花が敏感に反応した。
「システムというか、主にハッキングだ。普段はパシフィックにちょこっとだけ侵入して、警察の動向なんかを探ってる。そういやお嬢ちゃん、専門家だったな」
構成員の何名かが意外そうな顔で陽花を見た。彼女はその視線を受け、困惑と得意が混じった複雑な表情で言った。
「見てあげようか」
「そうかい。じゃあお願いしよう」
兼城が苦笑しながら、陽花を奥の部屋へ招く。そこは普段、支部長の篠原が使用している部屋で、今は誰かが端末と格闘しているようだった。兼城はハッキングを陽花に任せ、また我々のところに戻ってきた。腕時計をちらりと確認する。
「今が四時四十分。港湾地区の司令部が動くまで、あと五十分だ。俺達はその五分前に動き始める」
具体的にどのような行動をするのか、私は確認する。あまり過激な悪事にはできれば参加したくない。
「トラムの軌道にちょっとした破壊工作をする。警備システムを作動させるのが目的だ」
「重大犯罪ですね」
喬がとがめた。無論、本気で非難するつもりではないだろうが。
「通勤時間帯に爆破しようって訳じゃないんだ。大目に見ろ」
兼城は鼻息で応じる。
トラムの軌道に異常があれば、すぐさま警報システムが作動する。公共交通機関が重要な移動手段であるシティにおいて、トラムは体内を巡る動脈のようなものだ。
それが営業時間外に破壊されれば、まずテロリズムが疑われる。当局は相応の人数を動員して、急ぎ対応に乗り出すはずだ。予想される人的被害の少なさという点でも、比較的無難な方法と言えた。
「お前と喬は俺について来いよ。お嬢ちゃんはここにいた方が安全だと思うが、もし何か――」
兼城は言いかけて、右手を耳にやった。ヘッドセットに通信が入ったのだ。その瞳がほんの少し剣呑な光を帯びた。
「車が三台、こっちに向かってるらしい」
通信を終えた彼が告げると、周囲の十数人がざわめいた。
「誰だ?」
私は尋ねた。兼城はさっぱりと答える。
「敵だ」




