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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
魂のサウダージ
56/60

オペレーション -3-

 シュの運転で向かったセーフハウスは、上陸した地点から車でたった数分のところにあった。セーフハウス付近に到着すると、私と陽花はコートのようなものを被せられ、人目を忍びながら車を降り、どこかのマンションに入ることになった。午前三時過ぎの居住区アップタウンは静まり返り、我々を見咎める者は誰一人としていなかった。


 用意されていたのは家族で住めるような広さの一室だった。私はウェットスーツを脱ぎ、陽花と順番にシャワーを浴び、用意してあったバスローブを羽織る。ドローンに掴まってきたとはいえ、体力の消耗は大きかった。重い身体をソファに沈め、受け取ったグラス入りの水を飲み干す。


「ドンは?」


 人心地がついてから、私は尋ねた。彼はこのセーフハウスではなく、車に乗ったままどこかに運ばれていった。


「中等度の失血とのことです。処置さえすれば、命に別状はないでしょう」


 シュは事務的に答えた。仲間に対する態度としては淡泊すぎる気もしたが、もともとこういう人間なのだろう。そうでないとスパイなど務まらないし、冷徹な人間はどんな組織にも少なからず必要だ。


「グウィディオンと雷富城レイフーチェンの連携は、思ったより良いようだな」

 私は素直な賞賛半分、皮肉半分で言った。


「昨日今日できたパイプではないですからね。パシフィックとオートマタが、両者をつなぐ経路です」


 岱輿城市ダイユー・シティを遍く覆うパシフィックは、オートマタが主導して開発したシステムだ。その導入にあたっての取引は、極めて政治的な事項でもある。


 オートマタと雷富城レイフーチェンに利害の一致がなければ、そもそもパシフィックの導入はあり得ない。その過程で、レイは必然的にグウィディオンと接近することにもなる。あるいは逆に、まず両者の接近があったのかもしれない。


レイ市長、グウィディオン、それにアメリカ?」


 陽花が口を挟む。彼女の保護者であるレベッカ・リーは、アメリカ政府とのパイプを持っている。それは彼女個人だけのものではないだろう。グウィディオンも同様だと考えるのが自然だ。


「その通り。結局のところ、これは合衆国ステイツと華南軍閥の争いなんです。それでも首を突っ込みますか?」

「もう突っ込んでる」


 間髪を入れず、陽花が答えた。


「そういうことだ。大国の思惑は関係ない」


「まあ、いいでしょう」

 シュは我々の気が知れない、といった様子で軽く肩をすくめた。


「それで、確認しますが」

「なんだ?」


「あなた達の役割ですよ。後方での攪乱」

「一応、そういうことになってる」


 シュはため息をついた。こういう仕草はジュリアに似ている。裏方特有のものだろうか。


「あとから前線に行って死ぬのは勝手ですが、合流地点までは連れていきますよ。海虎一家の事務所です」

「ああ。知ってる場所だ」


 半年前には、その近くに私の事務所があった。黑色女人ブラック・レディとのトラブルがあった後には移転を余儀なくされ、今はそこにも戻れないのだが。


「それと、先ほど連絡がありました。兼城陣、喬小龍チャオシャオロンの両名が無事に上陸したようです」


 よかった、と小さな声で陽花が言った。


リウ少佐が行動を起こすのは、午前五時半の予定になってます。一時間後には合流地点まで送りましょう」


「そうか。ありがとう」

 私が礼を言うと、シュは少々意外だ、という顔をした。


「半年前に比べると丸くなりましたか」

「何?」


「お嬢さんの影響でしょうかね」

「休むから静かにしててくれ」


 知った風な口を利くシュをあしらい、私はわざとらしく疲労をアピールした。


「では、ごゆっくり」


 その後、私と陽花は一室をあてがわれ、しばし身体を休めることにした。


「今日も長い一日になりそう」

 二つあるベッドの片方で、うつぶせに寝転がった陽花が言う。


「運が良ければすぐ終わるさ」

 私はそう応じて、仰向けで目を閉じ、少しの間眠った。


 ◇


 午前四時半。作戦の第二フェーズ開始があと一時間に迫った。部屋の扉がノックされたのは、私が目を覚まし、時計を確認したのとほぼ同じタイミングだった。


「そろそろ出発します」


 仮眠を取ったのか取っていないのか。現れたシュの顔に疲労の色は見えない。彼は手に持ったいくつかの品を、私と陽花のベッドに置いた。それは通信用のヘッドセットと、黒光りする自動拳銃オートマチックだった。銃の先端には消音器サイレンサーが取り付けられている。


「シティ警察が採用しているものと同じです。足はつきませんが、失くさないように」


 私は懐かしい手触りの銃把グリップを握る。使い込まれていない、新品の銃だった。陽花の手にはやや大きいようだが、至近距離で撃つのなら、サイズの適合はあまり関係ないだろう。


 ヘッドセットは片方の耳に掛けるだけの、ごく小さなものだ。常時装着していてもさほど気にはならない。


 私と陽花は素早く支度を済ませ、セーフハウスを出た。再びシュの運転する車に乗り込み、商業地区ダウンタウンにある海虎一家の事務所を目指す。


 シュの運転で居住区アップタウンの通りを南下する。夜明け前の街を走る車はほとんどない。当局の目を忍ばなければならない現状、それは不穏な静けさに思えた。一時間後にはシティが戦場となる。このあたりが前線になる可能性は低いが、住民は銃火の音を聞くことになるだろう。


 物思いに耽る間もなく、車は目的地に到着した。かつて見慣れた四角い形の商業ビルは、その濃さを減じつつある紺色の空に向かって伸びていた。


「では、グッドラック」


 シュはそっけなく言うと、車を降りた我々を残して去っていった。無味乾燥な男だ。忙しいだけなのかもしれないが。


「……さて」


 私がビルの玄関に近付くと、中から監視カメラか何かで見ていたのだろう、すぐに迎えの人間がやってきて扉を開けた。


「月島さん、瀬田さん、どうぞ中へ」


 海虎一家の若い構成員だ。状況が状況だけあって、それなりの緊張感と殺気を纏っている。私と陽花は彼に導かれるままエレベーターに乗り、海虎一家の事務所がある五階まで上った。


 廊下の先にある事務所の入口からは、わずかに内部の灯りが漏れていた。音は聞こえないが、静かな気配が満ちているように思える。構成員はすりガラスのドアを開き、私と陽花を招き入れた。


 フロアを占有する事務所スペース。入り口付近に照明はついておらず、ブースやパーテーションで区切られた奥の方に人が集まっているようだ。私と陽花がそこまで歩いて行くと、兼城をはじめとした十数人の構成員が待機していた。


「月島さん。無事でしたか」

 ヤクザたちの中にあって、少々居心地悪そうなチャオが言った。

「そっちもな」


 私と陽花は事務用の椅子を引っ張ってきて腰かけ、集団の輪に加わった。その場をぐるりと見回すと、いるべき人物がいないような気がした。


「篠原支部長は?」

 私は兼城に尋ねた。彼は事務机の上で無作法に胡坐をかいている。


「当局に拘束中らしい。ついさっき聞いた」

 まいった、という風に片手で頭を撫でる。


「何が困るって、支部長が一番システムに強いからな。見様見真似でやってはいるが」


「どういうシステム?」

 陽花が敏感に反応した。


「システムというか、主にハッキングだ。普段はパシフィックにちょこっとだけ侵入して、警察の動向なんかを探ってる。そういやお嬢ちゃん、専門家だったな」


 構成員の何名かが意外そうな顔で陽花を見た。彼女はその視線を受け、困惑と得意が混じった複雑な表情で言った。


「見てあげようか」

「そうかい。じゃあお願いしよう」


 兼城が苦笑しながら、陽花を奥の部屋へ招く。そこは普段、支部長の篠原が使用している部屋で、今は誰かが端末と格闘しているようだった。兼城はハッキングを陽花に任せ、また我々のところに戻ってきた。腕時計をちらりと確認する。


「今が四時四十分。港湾地区ダイユー・ポートの司令部が動くまで、あと五十分だ。俺達はその五分前に動き始める」


 具体的にどのような行動をするのか、私は確認する。あまり過激な悪事にはできれば参加したくない。


「トラムの軌道にちょっとした破壊工作をする。警備システムを作動させるのが目的だ」


「重大犯罪ですね」

 チャオがとがめた。無論、本気で非難するつもりではないだろうが。


「通勤時間帯に爆破しようって訳じゃないんだ。大目に見ろ」

 兼城は鼻息で応じる。


 トラムの軌道に異常があれば、すぐさま警報システムが作動する。公共交通機関が重要な移動手段であるシティにおいて、トラムは体内を巡る動脈のようなものだ。


 それが営業時間外に破壊されれば、まずテロリズムが疑われる。当局は相応の人数を動員して、急ぎ対応に乗り出すはずだ。予想される人的被害の少なさという点でも、比較的無難な方法と言えた。


「お前とチャオは俺について来いよ。お嬢ちゃんはここにいた方が安全だと思うが、もし何か――」


 兼城は言いかけて、右手を耳にやった。ヘッドセットに通信が入ったのだ。その瞳がほんの少し剣呑な光を帯びた。


「車が三台、こっちに向かってるらしい」

 通信を終えた彼が告げると、周囲の十数人がざわめいた。


「誰だ?」

 私は尋ねた。兼城はさっぱりと答える。


「敵だ」


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