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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
魂のサウダージ
53/60

発火 -5-

 この船らしき場所に運び込まれてから、三十分前後は経っただろうか。私が周囲を満たす不穏な静寂に耳を澄ませていると、部屋の外で誰かの気配があった。扉のロックが解除され、複数の人間が中に入ってくる。私は倒れたままの姿勢で目を閉じ、相手の出方を窺う。


 靴音からしておそらくは三名。入ってすぐ、彼らのうち一人が何かを命じた。女性の声だ。


 別の一人が私の傍に屈みこむ。その身体で照明が遮られた。脇腹のあたりに何かが押し付けられる。拳銃? 違う。


 次の瞬間。火花の散る音がして、私の身体を激しい苦痛が襲った。意志とは無関係に筋肉が収縮し、硬直し、麻痺する。私の口からも呻き声が漏れた。スタンガンによる電撃だった。


「目隠しと猿轡を取ってあげて」


 女が指示し、部下がそれに従う。私の目と口が解放され、眼前にいるマフィアたちの顔が確認できた。


「久しぶりね。探偵さん。それに、瀬田陽花」


 私は声を掛けてきた女を見上げる。予想した通り、女は半年前に我々を拉致し、尋問したのと同一人物だった。彼女が黑色女人ブラック・レディのトップ、紅媚娘ホンメイニャンに違いない。


 私はスタンガンのダメージを身体に残したまま、落ち着いてホンとその取り巻きを観察する。彼女は以前に見たときと同じく、身体のラインを強調するような、黒いマンダリンドレスを纏っていた。


 部屋の中にいるのはホンの他、私にスタンガンを当てた男。あとは扉の傍で控えている男。彼は手に大きなビニール袋を持っていた。透明なそれの中には、バレーボール大の何かが入っている。


 内容物の正体はすぐに分かった。人間の頭部だ。


「これ、誰だと思う?」


 私の視線に気づいたホンが、首だけで扉を振り返りながら言った。控えていた男が私に五歩六歩と近づき、ビニール袋を目の前に置いた。


 袋の中身がゴロリと転がり、その恨めしげな眼が私を見た。生首は成人男性のものだった。血で汚れた脂っぽい髪が、不健康を通り越して蒼白になった肌に張り付いていた。殺されてから、まだそれほど時間は経っていないだろう。


 それは孫友仁スンヨウレンだった。黑色女人ブラック・レディの情報を我々に提供したジャーナリスト。彼なりに色々と探るうち、黑色女人ブラック・レディの網に引っ掛かってしまったのか。


 私と陽花は身を起こし、ホンと向かい合った。改めて生首を見た陽花が息を呑む。


「彼はあなたの名前を言ったわよ」

餐廳ツァンティンで少し茶飲み話をしただけだ」


 ホンは私の答えと態度が気に入らない、といったような表情をした。


「半年前といい、今回といい、一体何のつもり?」


 彼女は以前会ったときに比べて、随分と余裕のない状態であるように思えた。シティを巡る状況が流動しているからか、我々にデータを抜かれた件を、早く収拾しようと焦っているからか。


「俺たちの目的が気になるのか?」

「秘密と心中したいなら、それでも構わないわよ」


 私は陽花を顎で促した。彼女が言った方がいい。


「復讐をしに来た」


 彼女の言葉を聞いたホンが目を細める。


「私はお前に、お父さんを殺した報いを受けさせに来た」

「…………」


 ホンは黙ったままでいた。陽花の真意を推し量っているようだった。ホンの立場からすれば、陽花が言っていることは不可解だ。復讐が動機というのはまだしも、ここへは無理やり連れてこられたのだし、自信があるような様子も妙に感じるだろう。


 しかし事情を知っている人間からすると、陽花の言葉選びは少々踏み込みすぎだった。私はこちらの意図を読まれてしまうのではないか、と少々ひやひやした。だが、ここまでくれば言いたいことを言ってしまおう、という気にもなった。


「納得したか? 俺達が狙ってるのはお前らだけじゃない。共犯者にもちゃんと責任を取らせる」


 私がそう言うと、マフィア達の表情に殺気が宿った。この男は知りすぎている、と考えているのがありありと分かった。


「まだ頭が朦朧としてるのか、立場を理解できてないのか。今すぐ誰の差し金か吐かないなら――」


 ホンの声が怒気を孕み、暴力による尋問が予感されたそのとき、どこかにある放送設備から微かなノイズが響いた。その直後、急迫を感じさせる肉声でのメッセージが、部屋の内外から大きな音量で響き渡った。


『船内に侵入者。船内に侵入者。対処可能な者は各自持ち場で応戦せよ。繰り返す。船内に侵入者。数は不明。銃で武装している。対処可能な者は各自持ち場で応戦せよ』


 どうやら、救援は私の予想より早くやってきたようだ。ホンは恐ろしげな顔で私を睨みつけたが、辛うじて冷静さを保ち、部下に状況を把握するため、外に出るよう鋭い声で命じた。それを聞いた二人の男は素早く姿勢を正し、スンの生首を置いたまま部屋から出て行った。


 どこかから散発的な銃声が聞こえてきた。既に戦闘が始まっている。


「何をした?」

 ホンが憎悪に歪んだ顔でこちらを睨む。


「これからするのさ」

 彼女を見据えたまま、私は答える。


 そして腕と脚に力を込めて、拘束を引きちぎった。全身を使って跳ね起き、強く足を踏み込んでホンに肉薄する。相手の服装は掴むのに適さない。勢いのまま、右拳をまっすぐ突き出す。


 しかしホンの反応は、私が予想していたものと違った。彼女は私から目を逸らしも、狙われた顔面を庇いもしない。驚くべき速度で反応し、右掌で私の拳を逸らした。そのまま手を払うようにして私の眼球を狙ってくる。四本の指で目を打たれた私は、束の間視覚を奪われた。


 次なるホンの動作を、私は捉えきれなかった。鳩尾みぞおちに重い中段突きが入る。鋭くはないが、内臓を震わせるように浸透する一撃だ。せいぜい五十キロほどと思われるホンの体格からは、到底想像できない威力だった。


 強烈な勁を受けた私は、三、四歩とよろめいた。長く動かずにいた筋肉の強張りと、先ほど受けたスタンガンのダメージも無視できなかった。


 彼女は明らかにただのマフィアではなく、冷徹なだけの管理職でもなかった。もしかすると私が予想した通り、華南軍閥から送られてきたエージェントなのかもしれない。私が追い打ちを覚悟したそのとき、ホンに向かって金属のスツールが飛び、それが彼女の太腿に命中した。


屁孩クソガキ


 妨害されたホンが忌々しげに吐き捨てる。スツールを投げたのは陽花だった。負傷させるまでには至らなかったが。私は相手が怯んだ隙に、なんとか体勢を整えることができた。


 打撃ではホンに分がある。多少の損害は覚悟してでも、組技に持ち込むべきだ。一度捕まえてしまえば、体重と膂力と人数がモノを言うからだ。


 私が油断を排し反撃の体制に入ったことで、ホンは不利を悟ったらしい。あえて戦闘を続けることはせず、大きく間合いを取り始めた。彼女は先ほどのスツールを掬い上げるように投げ飛ばし、私の前進を阻んでおきながら、部屋の入口まで素早く後退した。叩くように扉を開閉させるボタンを押し、退路の確保を試みている。


 私はホンの逃走を阻もうと走りかけたが、突然胸部の痛みと吐き気に襲われ、足を止めてしまった。先ほど鳩尾に受けた打撃が思いのほか効いている。私が膝を着きかけている間に、ホンはその場から逃げ出してしまった。


「月島さん!」

 駆け寄る陽花を、私は手で制した。気分は悪いが、そこまで重篤な損傷ではなさそうだ。

「クソ」


 千載一遇のチャンスを無駄にした私は、思わず渋面を作った。格好をつけておきながら、肉弾戦で後れを取っていてはどうしようもない。しかしとりあえずは、五体満足で生きている。私は数回深呼吸し、気分を切り替えた。


 船内には既に海虎一家の手勢が入っていて、不意の強襲で拠点に損害を与えつつあるようだ。我々は囮としての役割を果たしたから、あとはどうしなければならない、ということもない。ホンを追うか。ならば武器が欲しいところだ。


 ともあれ、まずは現在位置を把握するため、私と陽花はドアから僅かに頭を出して、外の様子を窺った。このフロアでも戦闘が発生しているようで騒がしい。


 私がとりあえずの安全を確認したそのとき、右手の角で大きな銃声がして、マフィアと思しき男が後ろ向きに倒れるのが見えた。彼の後頭部から飛び散った脳漿が、背後の壁に朱とピンクの染みを作る。

 直後に角から突き出された銃に、私は見覚えがあった。あんな前時代的な回転式拳銃リボルバーを使う人間など、そうそういるものではない。


「よう。やっぱり生きてたな」


 予想通り、兼城が姿を見せた。彼は似合わぬヘッドセットのようなものを着けていた。軍や特殊部隊で使われるような、爆音から耳を保護する役割も果たす通信機器だ。


「カワセから本部。月島と瀬田を発見、ドーゾ。…………了解、オーバー」

 彼はどこかに我々の確保を報告しているようだ。


「軍隊の真似事か?」

「最近の極道組織には特殊部隊も必要なんだ」


 兼城はそう言いながら、先ほど射殺した男から銃を回収し、私に手渡した。


「今、どうなってるの?」

 陽花が死体を一瞥し、顔をしかめながら尋ねた。


「味方が侵入して敵を適当にぶっ殺しながら、今頃は機関部と船底に爆薬くっつけてるとこだろ。ボスはどこにいるか知ってるか?」


「さっき逃げた。多分こっち」

 陽花は兼城が出てきた方と反対の通路を指差す。


「よっしゃ。追おうぜ」

「私の銃は?」

「次にできた死体から拾え」


 我々の現在地はおそらく左舷前方付近。合流した兼城とともに、船尾の方向へ移動する。


 中甲板を慎重に進んでいると、前方の階段から二人の敵が現れた。兼城が先に上ってきた方の肩あたりを吹き飛ばすと、もう一人を巻き込んで下に転がり落ちていく。


「ふぅ……、たまらねえぜ」

 兼城が半ば恍惚としたような声で言った。


「抑えろ。陽花が引いてる」

「うるせえ。後ろもちゃんと見てろよ」


 兼城は普段から落ち着きのない男だが、今は興奮していて、なおのこと度し難い状態になっていた。


ホンは上かな」


 私と兼城のやり取りを遮って、思いのほか冷静な陽花が言った。船底にある搬入口は当然味方が固めているだろうから、ホンが脱出するなら甲板からである可能性が高い。私は彼女に同意する。


 そして兼城が先頭、私が殿しんがりになり、甲板への階段を上る。いきなり頭を吹き飛ばされないよう、最低限の安全を確認してから外に出た。


 今は大体、午前零時かそこらだろう。空を見上げる余裕はないが、天候は良く、風の穏やかな夜だった。しかし甲板上は当然のことながら、鉄火入り乱れる修羅場と化していた。襲撃を受けて点灯させたらしい明かりが周囲を照らし、動き回る人影を浮かび上がらせている。


「ボスはいるか?」

 兼城が船首方向を牽制しながら、私に尋ねた。


「少し待て」


「船尾近くに小型のクルーザーがあった。脱出にはそれを使うはずだ」


 私は注意深く周囲を見回す。すると艦橋ブリッジの近くに佇む二つの人影を見つけた。甲板上の戦闘に加わるわけでもなく、その場所を守るように銃を構えている。


「いたぞ。アレだ」


 おそらくあのあたりに梯子はしごが掛かっていて、ホンがクルーザーに乗り込んでいるのだろう。彼女を逃がす前に、追いつかなくてはならない。


「俺が行く。兼城、援護しろ」

了解(Roger)


 甲板上は味方が制圧しつつあるので、背後はそれほど心配しなくてもよさそうだった。私はその場から飛び出し、不意を打つような形で敵に弾丸を浴びせる。そのうち一発が命中し、腰を撃たれたマフィアがよろめいて海に落ちた。


 姿勢を低くした私の頭上を、敵の放った銃弾が通り過ぎる。それと行き違うように、大口径の強装マグナム弾が飛来し、残るマフィアの胸に風穴を開けた。


 私は陽花と兼城に先んじて左舷から顔を出し、暗い水面を窺う。クルーザーの明かりが見えたが、同時に手元で火花と金属音がはじけ、私は慌てて顔を引っ込めた。


 エンジン音が響く。クルーザーが発進するのだ。私は危険を冒して再び身を乗り出す。移動し始めたクルーザーに向かって、拳銃に残った全弾を撃ち込む。


 クルーザーの上、私は照星サイト越しにホンの姿を見た。ホンもまた私の方を見ていた。私の放った銃弾が、いくつも彼女の近くで跳ねた。しかしホンは身じろぎもせず、まっすぐ私を睨みつけていた。


 やがてクルーザーは拳銃の射程を外れ、夜の港を沖へと離脱していった。


 陽花と兼城が追い付いてくる。


ホンは!?」

 陽花が舷から身を乗り出すようにして、クルーザーの光を目で追う。


「すまん。逃がした」


「いや、追い込んだのさ。目的は達成だ」

 兼城が言った。私は彼の意図が分からず眉をひそめた。


「こちらカワセ。ホンがクルーザーに乗った。準備ができ次第やってくれ。ドウゾ」


 ヘッドセットで何事かを指示してから、兼城は私と陽花に対して、遠ざかるクルーザーの光を顎で指し示した。


 直後、クルーザーから爆炎が上がった。一秒遅れて爆発音が聞こえてくる。


「クルーザーを残しておいたのはこういう訳だ。直接復讐したかったか? お嬢ちゃん」

 兼城は陽花を振り返る。


「ううん。これでよかった。やれるだけのことはやったから」

「そりゃよかった」


 我々がホンを始末する間、甲板はすっかり制圧されたようだった。私が銃の握りを緩めて空を見ると、いくつかの星が天球に瞬いていた。それはどこか不吉な印象を与えるような光だったが、昂った私の神経を多少なりとも落ち着かせた。


「これからの行動は?」

 私は兼城に尋ねた。


「とりあえずは急いで撤収だ。五分後にはこの船もホンと同じ運命を辿る。それからも休暇はないぞ。この隙を縫ってシティまで移動するからな」

「上等だ」


 私は沖の炎を見つめ続ける陽花の肩に手を置いた。彼女は振り返り、その拳で私の胸を叩いた。まずは一つの達成。しかしまだ気を抜くなよ、ということらしい。


 黑色ブラック・レディは陰謀の末端に過ぎない。夏大偉シァダーウェイを倒すことなしに、元の生活に戻る訳にはいかないのだ。


 そして私は次の標的に思いを馳せながら、爆沈する運命さだめの船から退去することにした。


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