発火 -3-
「エッジワース君も、それで問題ないかね」
我々がシティへ戻ることについて、雷はジュリアに確認を取った。
「彼らの友人としては心配ですが、もとより止めて止まる人達ではありませんから」
彼女の発言を聞いて、雷は愉快そうに笑う。
「君も彼らを扱いかねているようだな。確かに興味深い面々だ」
狙われていた雷が自身の安全を確保する上で、グウィディオンとどのような取引をしたのか定かではないが、おそらくはなんらかの政治的な対価を支払ったのだろう。その意趣返しという訳ではないにせよ、雷はジュリアが困らせられることに、何か痛快さを感じているようだった。
しばらくして場が静かになると、雷は一仕事終えた、といった様子で大きく息を吐いた。
「さて、私はそろそろ失礼しよう。ここ数日の冒険は老骨に堪えた。それとも、まだ何かあるかね?」
私はその場の全員に目線で確認してから答えた。
「いいえ」
「よろしい」
雷に頷きかけられた兼城が合図すると、後ろに控えていた構成員二人が雷を伴い、部屋から出て行った。
彼らが完全に退去すると、兼城は私の冷ややかな視線を気にすることなく、心底楽しそうな笑い声を漏らした。
「……さて、どこから始める?」
少しして感情が鎮まったのか、兼城は姿勢を崩し、その場にいる全員を見回した。
「何? 知り合いなの?」
先程からの態度で何か感じるところがあったのか、ジュリアが私に尋ねる。
「まあな。まずは自己紹介したらどうだ」
「そうだな。そうしよう」
兼城はスーツの胸元を緩め、まだどこか浮ついた声で言った。
私は兼城を良く知っているが、陽花は一度しか会ったことがなく、喬もおそらく直接の面識はない。ジュリアに至っては前情報すらほとんどなかったはずだ。兼城はざっくりと自身の身分を明かし、我々もこれまでの経緯を大まかに彼と共有した。
「この間、月島さんが見た知り合いっていうのは、彼のことですか」
「ああ」
喬は胡散臭げに兼城を観察している。この二人、シティで出会えば敵同士というだけあって、相性はあまり良くなさそうだ。
「海虎一家がなぜ、雷富城と香港にいる?」
私は尋ねた。
「それについては、若干複雑な事情がある」
兼城がほんの少し真面目な表情になって、説明を始める。それによると、海虎一家はシティが計画していた貧民街の再開発に、かなり深く関与していたらしい。その利権を確保するため、政府主流派、ひいては雷富城ともある程度のコネクションを持っていた。
「稼業の倫理的なアレについては、とりあえず置いといてくれ」
しかし香港派が台頭すると、再開発計画の前提も怪しくなってくる。必然的に海虎一家と、香港派およびその息が掛かった組織との衝突は激化し始める。これまでは政府主流派の後ろ盾で勢力を拮抗させていたが、夏大偉が急速に権力を掌握することで、警察が海虎一家へ掛ける圧力も、以前に比べてかなり強くなった。
雷富城が身の危険を感じ、シティ脱出を決断したのは今からおよそひと月前。彼は秘密裏に事を進めるため、海虎一家を利用した。兼城達にしてみれば、雷の失脚は自分達の破滅にも繋がりかねない事態だ。それにここで恩を売っておけば、この後も何かと美味しい思いができる。となれば、今から香港派にすり寄るよりも、雷の復権に賭ける方が良い。
「と、そんな訳だ。ここまでで何か質問は?」
一通りの話を終えると兼城は大きく息をつき、椅子の背もたれにだらしなく身を預けた。
「時間が経つほど夏大偉の権力基盤は強固になる。今すぐシティに戻らない理由は?」
腕と脚を組んだジュリアが尋ねた。それに対して、兼城は苦々しい表情で答える。
「港が固められてる」
誰に、という心当たりについて、我々は既に情報を得ていた。
「黑色女人か」
私は言った。
「さすがによく調べてるな。目下、ヤツらがシティ帰還の大きな障害になってる。軍の動きは掴みやすいが、黑色女人は小回りが利く。それに連中は香港とシティ両方にいて、密航についてのノウハウもある」
かといって戦況が劣勢である以上、海虎一家の大部分を動員して排除する訳にもいかない。実質足止めされているような状態なのだ、と兼城は語る。
「だから俺達にとっても、グウィディオンの協力はありがたい。お前達も一枚噛むんだろ?」
「黑色女人が相手ならな」
私は陽花の方を確認してから、半ば彼女を代弁するように答える。
「お前ならそう言うと思った」
兼城は満足そうだった。私と陽花が持つ黑色女人との因縁については、彼も半ば当事者として把握している。
「そこの喬君も問題ないな?」
「異存はないです」
喬の声は少しだけ不服そうだったが、それは方針に対してというよりも、兼城への印象があまり良くないせいであるように思えた。
「それで、何かプランはあるのか?」
私は尋ねた。グウィディオンと我々が加わったからといって、黑色女人を自動的に排除できる訳ではない。
「アイデアはあるが、具体的じゃない。あとで相談させてくれ。だが、まずは休憩しよう。俺もこのところ、気を張りっぱなしだからな」
◇
我々は別室で休憩を挟んでから、どうやって黑色女人に打撃を与えるか、少々時間をかけて協議した。いくつかの可能性が検討されたあと、私は一つのプランを提案した。
「言いたいことは分かるけど、本気?」
私が大枠を話し終えると、ジュリアが私の正気を疑うような視線を向けた。もちろん私は冗談で言った訳でも、狂気に陥っている訳でもない。ただ、後者については、他者の評価こそが正しいのかもしれないが。
「ほぼ同感ですが、美味しい役回りかもしれませんねえ」
喬は言った。彼はジュリアより幾分肯定的だ。
諸々の条件を勘案したうえで、私が考えたのは次のような計画だった。
動員できる人数で劣る我々が黑色女人を大きく混乱させるには、彼らの重要な拠点を攻撃し、指揮系統に損傷を与えなければならない。先日侵入した拠点は所詮出先のようなものであって、中枢ではあり得ないから、改めてその場所を特定する必要がある。
再度蜜壺を使ってもいいが、同じ手に引っかかるほど、敵も迂闊ではないだろう。もっと大胆な囮。データではなく、例えば人間で相手をおびき寄せる。
人間とは、つまり私だ。半年前、瀬田英治の事件に関与して真相に迫り、現在も進行形で黑色女人を嗅ぎまわっている男。ビル侵入の犯人として特定されているかどうかまでは分からないが、容疑者候補にも挙がっているはずだ。
だから私を囮に黑色女人に接触し、その中枢に入り込む。危険はともかく、人員と時間が限られる中では、それなりに有効な策だと私は考えた。
「そのまま殺されるかもしれないわよ」
ジュリアがごく常識的な懸念を口にするが、私はそれに反論する。
「その危険はおそらく大きくない。最終的に殺すとしても、ヤツらは必ず背後関係を探ろうとするはずだ。事実、バックにはグウィディオンと雷富城がいる。時間稼ぎには困らない」
「その間に場所を特定して襲撃か。胸が躍るね」
兼城は危険に麻痺しているからか、最初からこの案には反対しない。
「私もやる」
そのとき、ずっと何かを考え込んでいた様子の陽花が声を上げた。
「私も月島さんと一緒に行く」
彼女が積極的な関与を希望するのは、以前にも何度かあったことだ。私はもはや彼女を止める気はなかった。しかし喬とジュリアは、陽花の身を案じて反対する。
「二人で行ったほうが絶対にいい。もし失敗したら、今までやってきたことが全部無駄になる。私はこれまでだって十分役に立ってきたんだから、今更危険だからってだけでやめさせたりしないで」
陽花は断固たる口調で言った。彼女の主張はある程度妥当に思えた。情報源としての価値で言えば、私より陽花のほうが高いからだ。彼女自身が一流のハッカーであり、グウィディオンに連なるオートマタやレベッカ・リー、そしてフラガラッハとの関わりも深い。相手の喰いつきは良くなるだろう。
それとは別に、作戦上の意味もある。中身はどうあれ、陽花は年頃の少女だ。進んで来るはずがないと、相手の油断を誘うことができる。
陽花の強硬さに押されたのか、ジュリアは私に視線を送った。自身への賛同を期待しているのは明らかだったが、私は腕を組んだままあえて黙っていた。
その様子を見て、兼城はまた面白がるように言った。
「お嬢ちゃんにここまでさせるんだから、気合い入れてやるしかない。あと忘れてもらっちゃ困るが、囮以外も大概危険だからな」
結局、大筋では私が提案したものに沿って、黑色女人に対する計画を実行することが決まった。兼城が相手組織に接触を図る間、詳細を詰めておかなければならない。我々は一旦解散し、必要な準備をするため各々の拠点に戻った。




