表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
魂のサウダージ
49/60

発火 -1-

 黑色女人ブラック・レディのビルに侵入し、活動の痕跡と思しきデータを入手することに成功した我々は、そのまま車で香港中心市街を通り抜け、拠点となるホテルまで戻ってきていた。


安全な部屋で空調の冷気を浴び、危うい探索行で昂った神経が鎮まると、生温い眠気がまた忍び寄ってくる。屋外はまだ暗く、データの解析には清明な状態の脳が必要だ。気疲れした我々は寝室の快適なベッドまで撤退し、また仮眠を取ることに決めた。


 私が再び目を覚ましたのは、午前九時を少し過ぎたころだった。顔を拭いながらリビングに出ると、陽花が難しい表情で端末のディスプレイを睨んでいた。


「何か分かりそうか?」


 キッチンでグラスに水を汲み、陽花の対面に腰掛ける。彼女は顔を上げ、作業の進捗を報告してくれた。


「データの容量はそれほど大きくなかった。それでも一々見るのは非効率だから、気になる言葉を抽出してみたんだけど」


 陽花は侵入したビルの端末にあったデータを、丸ごと彼女の端末に転送したらしい。文章ファイル、メールの履歴、操作のログ。彼女はそれらの中から、先立つ盗聴によって判明した、黑色女人ブラック・レディが捜している人物のコードネームをピックアップしていた。そしてコードネームに付随する単語を抽出し、相互の関連を検討する作業までを、既に完了させていた。


 数百の断片とその関係を総合した結果、捜索対象について、黑色女人ブラック・レディの目的について、陽花は先ほど、一つの結論に辿り着いた。


黑色女人ブラック・レディはこの香港で、雷富城レイフーチェンを捜してる」

「何?」


 私は思わず聞き返す。追っているのはシティの要人だろう、という推測はしていたものの、まさか市長その人とまでは考えていなかった。


雷富城レイフーチェンが香港に来てるのか」

「多分、一カ月以上前には」


 雷富城レイフーチェンは謎の多い人物だ。二十年前、彼は岱輿城市ダイユー・シティの四代目市長に就任した。中国内戦における立ち回りを通じて、シティの独立性を守り、また自らの権力基盤を強固にした。以降、シティにおいては長らく政治・軍事のトップに君臨し、混迷の東アジアで都市の舵取りをしてきた。


 彼の強権には批判的な意見も存在する。一方で、華南軍閥に対抗する力として彼のリーダーシップを歓迎する向きもあり、シティ内でも政治的な評価は分かれていた。


 また、レイはメディアへの露出が極端に少ない人物としても知られている。市民が映像で彼を見る機会は皆無と言ってよく、WEBや紙面上で言論を発表することはあるものの、本人の画像が添えられた記事さえほとんど見られない。人々の間では、雷富城レイフーチェンは既に死んでいて、オートマタ社の作ったAIが成り代わっているのだ、という噂が流れるほどである。


レイがシティを離れた。ということは、もうシァのクーデターが完了してるのか?」

「すぐ対岸の香港にいるなら、まだ負けたと思ってないのかも」


 言われてみれば、確かにそうだ。もし亡命するならば、華南軍閥の支配地域は最悪の選択肢である。しかしレイ自身が謎めいた人物であるため、可能性は色々と考えられる。元々香港を拠点にしていた、というケースもなくはない。


雷富城レイフーチェンは、ネイザンロードの五つ星ホテルにいる。……ってことを、黑色女人ブラック・レディはもう掴んでる」


 陽花が示したのは、アメリカ資本の高級ホテルだ。いくら勢力範囲内にあるとはいえ、黑色女人ブラック・レディや華南軍閥にとって、手の出しづらい場所となる。対象とする人物が政治的な権力を持つ大物であれば尚更のことだ。


 しかしレイ本人にとっても、動きづらい状況なのは間違いない。一歩ホテルの外に出れば、どこで襲撃・拘束されるか分からないからだ。それでも香港を離れないのは、陽花が言う通り、権力の座に返り咲くことを諦めていないからだろうか。


 私と陽花が神妙な顔をしていると、チャオが起き出してくる。


「成果はありましたか」

 のんびりした口調で尋ねる。


「ヤツらが捜してるのは雷富城レイフーチェンだ、ということが分かった」


 私の言葉を聞くと、さすがにチャオも眉根を寄せた。それがどのような意味を持つのか、彼にもなんとなく理解できたようだ。


「本当ですか」

「陽花によれば」

「はあ……」

 チャオは考え込むような仕草をしつつ、陽花の隣に腰掛けた。


「大きな話になってきましたね。僕らはこれからどうします?」

 彼は私に尋ねた。


「場所が分かっても、俺達ではおそらく接触できない。それに情報が抜かれたとなれば、黑色女人ブラック・レディはコトを急ぐだろう。強引な手段に出る可能性もある」


 もし雷富城レイフーチェンが拘束されれば、夏大偉シァダーウェイのシティ支配は盤石なものとなる。それは我々にとってかなり望ましくない展開だ。しかし探偵、元刑事、ハッカーという立場で、潜伏中の大物政治家に接近するのは不可能に近い。


「ジュリアに話してみよう。グウィディオンと雷富城レイフーチェンには、利害の一致があるはずだ」


 私は提案した。有力者に対してアプローチするならば、こういったコネクションを利用するのが最も効率的だ。志を同一にする両者ではないが、夏大偉シァダーウェイ打倒という一点においては協力関係を築き得る。陽花とチャオも私に同意した。


 急ぎジュリア宛に作成したメッセージでは、黑色女人ブラック・レディの拠点で得た成果についてほのめかしておく。緊急である旨の文を添え、直接会って相談したいという要望も併せて伝える。鋭敏な彼女であれば、我々が手に入れた情報の重要性はすぐに察するだろう。


 メッセージを送り、ジュリアからの返答を待ちながら、私は直接見たことのない、雷富城レイフーチェンという男についての想像を膨らませていた。



 メッセージを送ってから二時間後、ジュリアが我々の部屋を訪れた。彼女を招き入れ、四人でリビングのテーブルを囲む。


「無茶なことをする前には、ちゃんと相談してほしいんだけど」


 しかし開口一番、ジュリアは我々が敢行したビルへの侵入を咎めた。


「ちゃんと一報を入れた」

 私は言い訳を試みる。


「あれはただの連絡で、相談とは言わないの。……まあ、いいわ。あなた達の無茶には慣れたから」


 結果として、早めに突入したことは良かったし、事前の相談で行動に反対される可能性もあったから、我々の判断はおそらく正しい。ただ、今それを議論してもあまり生産的ではなさそうだ。それにこれからジュリアを頼るのだから、彼女の困惑にはきちんと侘びを入れる。


「それで、データを解析した結果、早急に対処した方がいい事柄が分かりました」


 非難の矢面に立っている私の横から、チャオが本題を切り出した。


「メールで言ってた件ね」


「はい。雷富城レイフーチェンが香港にいます。そして黑色女人ブラック・レディは、彼の居場所を特定するに至っている。レイ本人がそれを察知しているかは定かじゃないですが、事態は急を要します」


 ジュリアは少し沈黙した。言葉が自分に染みこむのを待っているようだった。過去と未来を見るように目線を動かしてから、彼女は再び口を開いた。


「初耳ね」

「無茶をするだけの価値はありましたよ」

雷富城レイフーチェンに危険が迫っている?」

「滞在しているのはアメリカ資本の一流ホテルですが、もちろんセキュリティには限界があります。華南軍閥がなりふり構わないなら、どうとでもなるでしょう?」


 ジュリアはソファに深く身を沈め、腕を組む。

「……彼が華南軍閥の手に落ちるのは困るわ」


「なんとかコンタクトを取って、警告できるか?」

 私は尋ねた。


「可能。必要ならセーフハウスの用意も」

「ねえ」

 それまで話を聞いていた陽花が、身を乗り出してきた。


「これは月島さんと、チャオさんと、私が頑張って調べたこと。情報提供の代わりに、聞いて欲しいお願いがあるんだけど」


 いきなりの提案に、ジュリアが不意を突かれたような表情で陽花を見た。


「……どういうこと?」

レイ市長に会わせて」


 その要求は、私が半ば予期していたものだった。組織同士の情報戦に発展したとして、自分達がはじき出されてはたまらない。陽花はおそらくそう考えているのだろう。


「本気?」

「はじめから、私は本気」


 ジュリアは陽花の目をじっと見つめて、やがて大きく息を吐いた。


「向こうが承諾するかは分からないけど、一応、持ちかけてはみるわ」


「それでいいよね?」

 陽花は私とチャオに同意を求める。


「いいだろう。単純に恩を売っておくだけでも悪くない」

「仕事の斡旋も頼みましょうか」


 我々の言葉を聞いて、ジュリアは呆れたようにこめかみを押さえた。


「とにかく、色々と手は尽くしてみる。安全が確保できたら、あなた達を引き合わせるわ」

「ありがとう。いつも悪いな」


 私は彼女の苦労について、少しだけ申し訳なく思う。しかし我々も、置物のように大人しくしている訳にはいかないのだ。


「いいのよ。これで給料もらってるんだから」


 ジュリアは席を立ち、今度無茶をするときはちゃんと相談するように、と我々に言い含めてから、相変わらずの生真面目な足取りで部屋を出て行った。


「大丈夫かな?」

 陽花が雷富城レイフーチェンの保護について、心配を口にする。


「政治とか計画みたいなことは、グウィディオンの得意分野だろう。俺達に心配されるまでもない」


 私は答えた。そうでなければ、華南軍閥の目を掻い潜りながら、香港で活動することなどできはしないだろう。


 彼女から呼び出しがあるまで、どれくらい待てばいいのかは分からない。しかし我々がこのホテルで過ごす時間は、もうそれほど長くないような気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
感想専門サイト 雫封筒で匿名で感想・評価できます
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ