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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
魂のサウダージ
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再始動 -5-

 先程の葵青クワイツェンもそうだったが、隣接する電気街にしても、どこかうらぶれた雰囲気が漂っていた。このあたりは繁栄に浴する香港にあっても、幾分か貧しい地域のようだ。とはいえ過剰と言えるほどの住民が公共住宅に詰め込まれていて、商品の需要と供給も多量に存在している。やや煤けたような看板も、奇抜な配色と文字の大きさで盛んに自己を主張していた。


「このあたりはよく来るのか?」


 我々は電気街の端に車を置いて、雑然とした通りを歩いていた。陽花はプログラミングだけでなく、機械工作一般にも明るい。


「最近はあんまり。でもどこに何が売ってるかは大体覚えてる」


 私は首を巡らせて辺りを見回した。限られた区画に所狭しと並ぶのは、間口を広く取った量販店、パーツをバラ売りしている怪しげな個人商店、どうみても違法なコピー商品を扱う露店などだ。


 慣れない人間が必要なものを探すには骨が折れるだろうが、幸い我々には陽花のナビゲートがある。私とチャオは自作の端末デバイスに凝ったり、電化製品に拘ったりする習慣がないから、香港でなくともこういった場所は不案内だ。


 私はほんの少し前に、公安に追われシティで右往左往していたことを思い出す。そのときは私が先導していたが、今は陽花がその役割を担っている。完全に立場が逆転しているのが妙な気持ちで、私は離れないよう陽花を追うチャオの後姿を見ながら、思わず苦笑を漏らした。


「色々買いたくなりますね。使わないんでしょうけど」

「そもそも置く場所が無いだろ」


 我々が件のビルで得るべきは、その場所を拠点にしている集団が黑色女人ブラック・レディなのか、どういった活動をしているのか、侵入できるようなタイミングはあるか、といった情報だ。そのためには音と映像の両方をデータとして収集しておきたかった。この要求に適うのは、小型で隠蔽が容易な盗聴器とカメラだ。


 そういう機器が売られている店は、一般に見つけにくい。普通の店でも集音器やカメラは置いてあるが、それらは主に防犯用で、我々の目的にはそぐわない。盗撮や盗聴に使用する機器を手に入れるには、ネットショップを利用するか、電気街のいかがわしい店で購入する必要がある。


 我々の立場上、ウェブでの電子決済は履歴が残って都合が悪い。多少面倒でも、足を使って探した方が安全である。


 いくつかの店舗を回った我々が購入したのは、暗視機能が付いた小型のカメラと、レーザー式の集音器だ。カメラの解像度はあまり重視しなかった。建物からの出入りさえ把握できれば、ひとまずは十分だ。


 集音器は薄い樹脂やガラスなどの滑らかな面にレーザーを投射し、その内側で発せられる音を感知する仕組みとなっている。どちらも原理自体は旧式だが、それほど高価でなく、使い捨てても問題のないものを選んだ。


 黑色女人ブラック・レディのビルにこれらを設置する前に、ホテルに戻って簡単な工作を施しておく必要がある。しかし三人で車に戻ろうとしたとき、私は通りの向こうに気になる人影を見た。


 それは短髪の、大柄な男だった。遠くからでは判りにくいが、私にはその人物が兼城であるように思えた。黑色女人ブラック・レディと権益を奪い合う彼が香港に居ていけない理由はないが、人影が兼城であるとすれば、何か特別な仕事をしに来ているのではないか、という気がした。


「どうしたの?」

 私の様子を見て、陽花が尋ねる。

「いや」


 そう答えつつ、私は男を追うようにして進路を逸れた。何人かにぶつかりかけながら、通りを横切る。しかし雑踏を縫っているうちに、いつの間にか人影を見失ってしまった。周囲を見回すも、それらしき人物はいない。


「誰かいたんですか」

 先行する私に、チャオが追いついてきた。


「知り合いを見たような気がした」

「知り合い?」


 とはいえ、今の状況でどうしても兼城を見つける必要はない。私がそれ以上の追跡を諦めようとしたとき、目前の路地から若い男がよろめき出てきた。動揺した様子で、何かから逃げてきたようにも見える。


 男の顔には見覚えがあった。我々が先日尋問したスリだ。


「おい、どうした」

 声を掛けると、若者は肩を震わせてこちらを見た。


「お、俺は関係ない。面倒はゴメンだ」


 私が腕を捕まえる前に彼は身を翻し、雑踏の中へと紛れてしまう。路地を覗いてみると、また別の男が二人倒れていた。私は彼らに近づき、しゃがみ込んで脈を図る。どうやら失神しているだけのようだ。流血もほとんどしていない。


「スリの仲間ですかね。あるいはマフィア」


 チャオが私の肩越しに男達を見る。服装からして、ビジネスマンや観光客ではなさそうだ。しかし彼らが実際に何者であるかは、起こして聞いてみないと分からない。私は彼らを尋問するかどうか少し迷ったが、この場所は人通りが多い。騒ぎになると面倒だ。


 場所からして、先程の兼城らしき人物がこれをやった可能性も高い。だが、あえてそれを確かめる手間を掛ける意味は薄いように思えた。今は無理に彼を追わなくてもいいだろう。我々の調査に兼城が関係してくるのであれば、そのうち顔を合わせることになるはずだ。


 私は陽花とチャオに勝手な行動を詫び、改めて車に戻るべく通りに出た。



 我々は一旦ホテルに戻り、購入品の調整と簡易な偽装を施した。偽装といっても、風で飛ばないよう重しを入れた空き缶の中に、カメラと盗聴器を仕込んだだけの単純なものだ。これを道路の反対側にあるビルの陰に設置して、遠隔で情報を収集するつもりだった。


 そして日が沈んだあと、我々は再び葵青クワイツェンに移動した。繁華街の方は常に明るいが、港湾周辺はまばらな街灯が照らすのみとなる。我々は目立たないよう件のビルに近付く。建物の様子を窺うと、室内にはまだ照明が点いていた。


 我々は人通りを気にしつつ、仕掛けを施した空き缶を設置した。データは任意の端末デバイスで受信できるから、この場所で待機する必要はない。少し離れた場所で確認すると、カメラはビルの正面入り口を捉えており、盗聴器は室内の音をしっかり拾っていた。


「うん。こんなもんかな」


 何度か微調整を繰り返したあと、陽花が納得の声を出した。用が済めば長居は不要だ。あとはゆっくり、ホテル内で待てばいい。二、三日も監視すれば、ある程度の行動パターンは把握できるだろう。やや慎重すぎる気もするが、いかんせん慣れた場所ではない。シティの情勢が間もなく動くのではないか、という焦燥を抑えつつ、我々はその場から撤退した。



「何か分かりました?」


 拠点のホテル。ヘッドセットを着けてソファに寝そべる私に、チャオが声を掛けた。我々はカメラと盗聴器で収集したデータを、ときにまとめて、ときにリアルタイムでチェックしていた。映像の解析はともかく、音声の精査には時間が掛かる。今の私は言葉が聞き取れる程度に音声を早送りして、気になる単語や会話がないかを確かめていた。


「誰かを探しているのは間違いないようだ」


 私は答えた。まず、組織が非合法な活動をしていることはほぼ間違いない。ならばビルを使用しているのは、黑色女人ブラック・レディと判断してよさそうだ。


 また彼らの会話には、人名らしきものが頻繁に登場していた。しかしコードネームが用いられていたため、その個人が誰なのかは判らなかった。話しぶりからすると、シティの要人である可能性が高い。


「亡命してきた政府主流派ですかね」

「香港派内部の裏切り者かもな」


 機器を設置してから、既に二日が経っていた。もう少し情報を集めるか、さらに踏み込んでみるか、そろそろ判断する必要がありそうだ。


「建物の中に侵入はいるなら、準備するけど」


 いつの間にか、陽花が対面のソファに座って足を揺らしていた。映像で見た限り、ビルの玄関はカードキーで開閉するようになっている。彼女のハッキングに頼れば、困難なく突破できるだろう。もちろんそれは、人がいない時間帯におこなう必要がある。


 映像や音声のパターンからすると、行動を起こすのは午前二時から夜明けまでがよさそうだ。この時間帯であれば、鉢合わせの可能性が最も低くなる。


「武装はどうします?」

「いや。武器を持てば一般人に紛れにくくなる」


 現在の時刻は午後四時。今から仮眠を取れば、夜半から明け方にかけての行動で支障をきたすことはないだろう。


「分かりました。さて、何が出てくるか……」



 ホテルで身体を休め、午前一時過ぎ。我々は三度みたび葵青クワイツェンを訪れていた。吹き抜ける海風は微かに涼しさを帯び、どこか不穏なにおいをも運んできていた。


 我々はレンタカーを少々離れた場所に置き、静まり返った夜の港を行く。闇に佇む建物群からは人の気配も感じられず、道路を走る車さえほとんどない。


 端末デバイスで監視カメラの映像を確認すると、件のビルでも照明が落とされている。五〇メートルの距離まで近づくと、肉眼でもそれが判った。


「誰もいないかな?」

 囁き声で陽花が呟く。

「そのはずだ」


 出入りした人数や電気の消えたタイミングからして、中に誰かが残っていることは考えにくい。万が一も想定しておく必要はあるが、一人二人ならなんとでもなる。


 腹を括った我々はさらに歩を進め、目的地である水色のビルに到達した。分厚い灰色の樹脂パネルでできた玄関扉。はめ込まれたガラスの内側に明かりは見えない。外側にあるカードキーの読み取り装置だけが、赤いランプでごく小さな光を放っていた。


 マフィアが警備会社と契約しているとは思えないが、警報装置がないと考えるのは早計だ。それに侵入の痕跡がないにこしたことはない。警察ならば両手持ち(スレッジ)ハンマーで扉を叩き壊すか、散弾銃ショットガンで錠を破壊するところだが、それは権力と法律の裏付けがあってこその荒業だ。我々はもっとスマートな方法を採る必要がある。私は手筈通り陽花にハッキングを任せ、チャオと共に周囲を見張った。


「万が一見つかったら、カップルの真似でもしますか」

「少し黙ってろ」


 軽口を叩いている間に、陽花がセキュリティを突破した。彼女に促され、私が先陣を切る。扉越しの気配に注意を向けながら、取っ手を内側に引くと、留め具が軋む小さな音とともに、屋外よりも一層濃い闇が我々を迎えた。


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