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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
魂のサウダージ
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再始動 -3-

黑色女人ブラック・レディの動向。これがとりあえずのキーワードになる」


 ホテルの部屋に戻ってきた私は、リビングのソファに深々と身を沈めていた。テーブルの上では、冷水の入ったコップが汗をかいている。


「とはいっても、検索エンジンでは出てこないでしょうね」


 フロントから借りてきたノート型端末を設置しながら、チャオが言う。スリを捕まえるときは陽花に手伝ってもらった。今度は私が補佐に回る。端末での作業だからと怠ける訳にはいかない。


「それなんだが、陽花、黑社会ヘイシャーホェイ関連の記事を集められるか? なるべく低俗なヤツがいい」


「できるけど、そこにマフィアの情報が載ってるの?」

「いや、書いたライターを当たる」


 黑社会ヘイシャーホェイ専門のライターを当たれば、たとえ記事にするほどの詳細は掴んでいなくとも、それなりの事情は知っているはずだ。その人物を見つけて、情報を提供してくれるよう交渉すれば、何か有益な手がかりを得られるだろう。こちらは夏大偉シァダーウェイの陰謀について重大な確証を得ているから、取引の材料に困ることはない。


 いまどき、あらゆる記事は電子的に資料アーカイブ化されており、検索するのこと自体は容易だ。しかし記事の内容を吟味する作業には、どうしても人間の読解力が必要となる。我々は記事を掘り起こしては内容を読み込み、ライターの名前をピックアップしていく。全てを仔細に読む訳ではないにせよ、記事の数はかなりの量になる。我々は休憩を挟みつつ、結果的に午後一杯を作業に費やした。


 そして沈みゆく太陽がランタオ島に隠れたころ、我々は一人のライターに目星を付けた。


 孫友仁スンヨウレン黑色女人ブラック・レディに関する情報を聞き出すならば、この人物が最も適している。


 名前さえ絞り込めば、公開非公開に関わらず様々な個人情報が判明する。四十四歳、男性。香港大学で社会学を専攻。七年前に発生した『ガイ・フォークスの行進』において、公共秩序騒乱罪で当局に拘束歴あり。この男は黑社会ヘイシャーホェイ専門のライターであると同時に、かつて政治的な活動にも参画していたようだ。華南軍閥の野心についても、興味を持っているに違いない。


 集めた孫友仁スンヨウレンに関する情報の中には、当然連絡先も含まれている。我々は彼が喰いつきたくなるような、かつ当局の検閲に引っかからないような文章を捻り出し、スンに対して直接メッセージを送ることにした。


「これで反応があれば、次はまた人間相手だ」


 私はディスプレイの凝視で強張った目頭を揉みながら、ソファの背もたれに身体を預けた。陽花も端末を閉じて立ち上がり、大きく伸びをする。情報検索には慣れていても、長時間の作業はさすがに堪えたようだ。


「信用できる人だといいけど」

「ビジネスライクにやれば問題ないでしょう。僕、ジムに行ってきます」


 チャオは腰を捻ってボキボキと鳴らし、早々に部屋から出て行った。


 我々はそれほど長く待たされなかった。メッセージを送ってから二時間後、スンからメールで返信があった。彼は我々と我々が持つ情報に関心を持ったようで、九龍カウロンの一角にある喫茶店を会談の場所として指定してきた。


 あとは、スン黑色女人ブラック・レディと、夏大偉シァダーウェイに連なる情報を持っているかどうかだ。そうでなくとも、事情通として何らかの助けにはなってくれるだろう。私は調査の進展に思いを馳せながら、スイートルームの柔らかいベッドで眠りについた。



 翌朝。窓から外を見ると、空は厚い雲に覆われていた。湿度の高い、不快な一日になりそうだった。待ち合わせの時間までやることがない我々はゆっくり朝食を摂り、午前九時半ごろに拠点のホテルを出発した。前日同様、タクシーに乗って指定された場所へと向かう。


 ニューロポートがある香港島から、ビクトリア湾を挟んだ本土側。その南端が九龍カウロン市街である。このエリアと香港島北岸とがほぼ一体となり、大都市香港の中心部を形成している。九龍カウロンを縦に貫くネイザンロードと呼ばれる大通りは、今やニューヨークのタイムズスクエアや、パリのシャンゼリゼ通りと並び称されるほどの賑わいを見せる。車窓を流れる街並みには、観光客だけでなくビジネスマンの姿も多くあった。


 我々が目的地とするカフェは、九龍カウロンの北西部にある。繁華街の華美と電脳が、徐々に生活感と入れ替わっていくような区画だ。


 白桂餐廰バイグイツァンテン、というのが店の名前らしい。餐廰ツァンテンとは、香港様式のカフェを指す言葉である。洋風のカフェに比べて食事のメニューが充実しているという特徴はあるが、厳密な定義はおそらくない。


 運転手に店名を伝えただけでは場所が分からなかったので、端末でのナビゲーションに頼る必要があった。このあたり、狭いシティとはやや勝手が違う。辿り着いた餐廰ツァンテンは地下にあり、所在を知らなければ訪れることが困難だと思われるほど、ひっそりと店舗を構えていた。チェーンではなく、個人経営であるようだ。我々は地上に口を開けた階段を下り、その突き当りにある、彫刻の施された木製のドアをくぐった。


 金属製のドアベルが控えめに音を立てる。若い人間が寄りつかなさそうな、懐古趣味が感じられる内装だ。調度や装飾は安っぽいが、雰囲気を出す為にあえてそうしているのだろう。


 妙に明るい蛍光灯で照らされた白い店内を見回すと、奥にいる中年の男と目が合った。おそらく彼が孫友仁スンヨウレンだろう。私が男に近付くと、向こうは軽く手を挙げて挨拶を寄越した。


「あなたが月島さん?」

「そうだ。こっちの二人は協力者」


 私は陽花とチャオを簡単に紹介した。そしてスンに勧められ、小さなブースのようになっているテーブルについた。


 スンは小太りの、どこか鈍そうな印象を与える人物だった。勢いのない頭髪と無造作な口髭が、血色の悪い肌にへばりついている。しかしその瞳だけは鋭く光り、我々の素性を抜け目なく観察していた。


「情報交換をしたい、という話だった」

 スンは眠たげな声で言った。


「そうだ。黑色女人ブラック・レディについて知りたい」


 我々は用心して、組織の名前をメッセージに書いてはいなかった。私の言葉を聞いて、スンは眉をひそめた。


「話せることはある。もちろん、ただという訳にはいかない」


 始めから、無条件で教えてもらえるとは思っていない。しかし彼が会談を承諾したのは、我々が持つ情報に興味を持っているからだ。交渉の可否については合意が取れていると見ていいだろう。


「こちらが持っているのは、華南軍閥と内通しているシティ要人の情報だ」


 スンは先ほどより強く眉をひそめた。この男は他に感情表現の方法を知らないのだろうか。彼はしばらく黙りこんでから、おもむろに口を開いた。


「推察するに、君達はかなり危険な橋を渡っているようだ」


 黑色女人ブラック・レディとシティの内通者。一見関係のない両者を結び付けるためには、黑色女人ブラック・レディが華南軍閥の後ろ盾を持った組織であること、そして華南軍閥が、岱輿城市ダイユー・シティへの野心を具体化させていることについて知っていなければならない。


 スンは我々の行為を危険と評したが、この寝ぼけたような顔のライターにしても、十分に知りすぎた人物だと言える。


「まあいいさ。俺に火の粉が掛からなければ」


 そう言うと、スンは若干表情を緩め、我々に飲み物を注文するように勧めた。それから陽花を気にしているのか、何度もチラチラと窺う素振りを見せたので、彼女も居心地悪そうに身じろぎした。


「何?」

 視線に耐えかねた陽花が言った。


「ああ、君のような女性が、どうしてここにいるのか、聞こうとしたんだ」

 スンが自身の無礼をそう弁解する。


「因縁があるの」

「マフィアに?」

「そう」


 強い調子の陽花に若干気圧されたようで、スンは軽く肩を竦めた。


「陽花はネットワークセキュリティのプロフェッショナルだ。彼女の助けなしで、我々はこの場所に立つことができなかった」


 彼女はこの場所にいる資格のある人間だ。私は言外にそう強調した。


「俺と、こっちのチャオは元刑事だ。今置かれている立場については、これから説明しよう」

「元刑事とハッカーか。中々、刺激的な組み合わせだ」


 スンはそう言ってから、私に話を促した。彼にとって最も重要なのは、造反を企図している香港派の首魁が誰なのか、ということだ。主だった政治家の動きはおそらくスンもチェックしているだろう。


 しかしどのような手段やコネクションを使ったところで、公安出身の警察副長官に接近するのは容易でない。私と陽花にしたところで、夏大偉シァダーウェイという名前に行き当たったのは、第一線の刑事であるチャオの情報網があったからだ。


 その前提を踏まえて、私は自分達が香港に来た経緯を説明する。消えたオートマタの社員、無思慮なエンジニアが掴んだデータ、特殊部隊と危険な逃走劇。それらが真実である証拠は提出できない。しかし非公式な情報提供の場合、必要なのはむしろ説得力だ。


 気だるげな様子のライターはほとんど相槌も打たず、私の話を黙って聴いていた。ぼんやりしているようでいて、脳内での情報処理に大きな注意力を割いているのが分かった。


 私が語り終えるとスンは腕を組んで瞑目し、たっぷり一分はそのまま沈黙していた。そしてようやく開いた彼の口からは、率直な驚きが語られた。


「シティ警察所属の秘密部隊、という話は耳に挟んだことがある。しかしその創設者が、影の実力者だとは思わなかった」


 どうやら我々が提供した情報は、彼にとって少なくない価値と意外性があったようだ。


「彼の行動はかなり過激です。少なくともシティにおいて、事態はもう不可逆的に進んでいる。香港ではどうなんでしょう?」


 チャオが言った。彼は夏大偉シァダーウェイの影響下で警察官として働き、目の前で同僚を殺されてもいる。その言葉には強い実感が籠もっていた。


「華南軍閥の息が掛かったメディアは、雷富城レイフーチェンを強権的な独裁者に仕立て上げようとしている」


 そう言って、スンは失笑した。いくらプロパガンダとはいえ、軍事政権が独裁を非難するというのは確かに滑稽だ。メディアの動向については、先日出会ったカフェの老人も同じような内容を話していた。どうやらこれは、ある程度まで市民に共有された感覚らしい。


「しかしそれ以上のことは起こっていない。少なくとも俺が知っている範囲ではそうだ。今聞いた話が本当なら、シティ政府の内部分裂を待つ、ということだろう」


「では、なぜ黑色女人ブラック・レディが香港にいる?」

 私は尋ねた。


「分からない。葵青クワイツェンのあたりにいるらしいが、ヤツらの動きはあまりに散漫だ。俺が推測するに、何かを探してるんじゃないかと思う」


「何か?」

 ピンと来るものがなく、私は思わずおうむ返しにした。


「あるいは、誰かだ」


 黑色女人ブラック・レディは香港において、何か、あるいは誰かを探している。もしくは何かを持っている誰かかもしれないし、複数の物品や人間かもしれない。葵青クワイツェンというのは、確か港湾がある地区だったか。スンは私の反応を見ながら、もったいぶるように付け加えた。


「もちろんまだある。ヤツらのボスについて」


 先程に比べれば興味を引かれる話題だ。黑色女人ブラック・レディのトップは、海虎一家の兼城も、現役刑事のチャオも詳細を知らない謎めいた人物だ。


紅媚娘ホンメイニャンと呼ばれている。だが、これは偽名だろう」

「女なのか?」

「そのようだ」


 もしかしたら、私はホンに出会っているかもしれない。陽花と共に捕われた貨物船の中。我々を尋問した二人の片割れが女性だった。あの若さでトップなのだとしたら、彼女はマフィアでなく、華南軍閥から派遣されたエージェントなのかもしれない。何にせよ、我々がおこなう調査の対象としては、現時点で最重要の人物だと言える。


「俺が教えられるのはこれだけだ。君達の情報をこっちでも深掘りすれば、もっと分かるかもしれないな」


 我々が知ったのは、黑色女人ブラック・レディ葵青クワイツェンで何かを探していること、そして組織のトップが紅媚娘ホンメイニャンと呼ばれる女性であることだ。大収穫とは言えないが、リスクを侵さずに得られるのはこの程度だろう。


「ああ。情報提供ありがとう」


 私はライターに礼を言い、陽花とチャオともども餐廰ツァンテンを出た。食事をするにはまだ早かったし、ゆっくりと考えたいこともある。我々はとんぼ帰りするような形で、早々にホテルへと戻った。


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