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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
魂のサウダージ
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再始動 -1-

 ホテルの外に出ることができない現状において、我々はかなり制限された生活を送らざるを得なかった。すなわち寝るか、ジムで汗を流すか、テレビを見るか、ルームサービスのメニューを眺めるか。陽花はそれほど苦にしていないようだが、私とチャオは、三日目にして早くもこの滞在に飽き始めていた。


 もしかすると、我々は保護という名目で放置されているのではないだろうか。確認のためジュリアに連絡を取り、今後の方針を尋ねようとした夕食どき、部屋のチャイムが上品な電子音で来客を告げた。

 ディスプレイで外の映像を確認すると、ジュリアの姿があった。私はドアを開けて彼女を室内に招き入れる。


「忘れられたのかと思ったよ」

「色々忙しくて連絡できなかったの。でも諸々の手配は済んだわよ」


 ジュリアはそう弁解しつつ、早速フロントに電話して食事を注文し始めた。それからバッグを探り、一人一人にカードを配る。


「はいこれ、新しいID」


 手渡されたのは、市民の情報を管理するためのIDカードだ。当然、もともと自前で持っているものはあるが、現在の我々は指名手配犯も同様で、使用すれば即座に追跡が掛かってしまう。安全なIDカードを持っていれば、提示が必要な場面でも比較的安全に対処できるはずだ。オートマタが持つ技術力と情報力の面目躍如、といったところか。


「ただ、あまり目立つ行動はとらないこと。事件があれば、そこから監視カメラの映像が解析されるかもしれないから」


 ジュリアはそう忠告したが、絶対に大人しくしていろ、とは言わなかった。我々が調査の為に行動することについては、よほどの危険がない限り黙認してくれるのだろう。もっとも、止められて止まる我々ではないが。


「助かるよ。今、シティはどうなってる?」


 私は礼を言ってから彼女に尋ねた。ニュースにはなっていないが、水面下で情勢が動いているのは間違いない。


「まだ決定的な動きはなし。でも一昨日から通信量の増大が見られる。夏大偉シァダーウェイが計画の実行を急いでいるのは確かだと思う」


「いつ動くか、どう動くかはまだ分からないってことか」


「パシフィックの警戒レベルも密かに上がってるみたいだし、情報収集が思うようにいかないの」

 ジュリアは肩を竦めた。


「でも、通信傍受だけが手段じゃないですよ」

 話を聞いていたチャオが口を挟む。


人的な情報収集ヒューミントだって十分役に立ちます。プロもいますしね」

 そう言って、彼は私をちらりと見た。


 グウィディオンにどれだけの人材がいるのかは分からないが、おそらく彼らはエリートの集まりで、地道に聞き込みをするようなタイプの人間は少ない。チャオが言う通り手段を変えれば、新たに得られる情報があるかもしれない。ただ、問題が一つ。


「土地勘がないな」


「私はわかるよ」

 陽花が言った。そういえば彼女は、五歳ごろから香港に住んでいたのだったか。


「じゃあ、案内を頼むことにしよう。観光じゃないのが残念だ」


 私は陽花の言葉に甘えることにした。一人で部屋に籠もっていない方が、彼女の精神衛生にもいいだろう。


 しばらく話しているとチャイムが鳴り、先程注文した料理が届いた。鶏のグリル、ミラノ風ピザ、サワークリームが添えられたベイクドポテト。それぞれが人数分あって、夕食にしても結構な量だ。それから瓶入りのビールとワインが数本。仕事がひと段落したので、多少羽目を外そうというジュリアの意図が見て取れた。


 これ以上の具体的な行動を決めるには、ある程度足がかりになる情報を掴む必要がある。我々は明日からの行動に備え、壮行の意味を込めてささやかな酒宴を催すことにした。



 岱輿城市ダイユー・シティを脱出してから四日目。朝日に煌めく島々を眺めながら準備を整え、我々はニューロポートの外れにあるホテルを出発した。すぐの通りでタクシーに乗り、まずは香港島の市街西端を目指す。


 時刻は午前八時を少し回っていた。車窓を通して見る街並みに、観光客の姿はまだ少ない。


「このあたりも観光地だけど、どちらかといえば地元の人向け、かな」


 タクシーに乗っていたのはほんの十分ほどだ。降りたあとは陽花の案内を受けながら、地理を確認しつつ朝の通りを歩く。道の左右に並ぶ建物は、上部に派手な彫刻や瓦を乗せているものが多い。しかしその大半は伝統的な建材で造られたものではなく、強化樹脂で造形された模造品イミテーションだ。


「それで、聞き込みするの?」

「とりあえずはざっくりと、だな」


 ただ、今の我々が身に付けているのは、グウィディオンの協力者がホテルに届けたものだ。それ自体妙なものではないが、三人とも似通った格好になってしまっていて、並んで歩くには少々不自然である。まず我々は気分転換と変装を兼ねて、いくつかの店頭に並ぶ衣服を物色した。


 それから少し、地元民風か観光客風かで議論になったが、結局は個々の美的感覚に任せるということに落ち着いた。それぞれが別個に衣服を購入し、着替え、再集合する。短時間でのコーディネートは困難だったが、美的なアピールはこの際重要でない。


 気を取り直した我々は、ようやく聞き込みを開始することにした。路地を一本入り、地元住民が入り浸っているようなカフェを探す。


「あそこはどう?」


 陰気な色の服に身を包んだ陽花が見つけたのは、繁体字のみが書かれた看板を掲げた、一見そうとは判らないようなカフェだった。テーブルや椅子が道にはみ出していて、常連と思しき男性客がぼんやりと座っている。


「三人で行っても警戒されるでしょう。僕は土産物屋でも見てきますよ」


 アロハシャツを着たチャオの提案に従い、私と陽花は二人でカフェに入ることにした。店の中と外を隔てるのは透明なビニールのカーテン。その切れ目をくぐって薄暗い店内に足を踏み入れると、過剰な空調が我々の身体を冷やした。


 カフェの室内にはカウンターといくつかのテーブルがある。カウンター席には禿げた老人が座っていて、その奥から店主と思しき中年の女性が我々に目を向けている。私はさりげなく老人の右隣に座り、メニューを見てアイスコーヒーを注文した。陽花も私の隣に座り、烏龍茶を注文する。老人はくたびれたタンクトップを身に付けており、いかにも地元民といった風体である。


「あんたたち、日本の人かい」

 私が話しかける前に、老人の方からそうしてきた。


「ええ。育ちは岱輿城市ダイユー・シティですが。こっちは姪っ子です」

 陽花が二人分の飲み物を受け取りながら、老人に向かって軽く会釈する。


「やっぱりそうか。昔、よく日本人と付き合ってたから、何となく判るんだ」

「お仕事で?」

「そうさ。会社を経営してた」


 老人は昔を懐かしむような調子で言った。確かに服装自体はだらしないが、話し方や歯並びからは、どことなくきちんとした印象を受ける。


「今は隠居ですか」

「まあね。内戦までは羽振りが良かったんだが、今はそうでもない。一部の財産を海外に逃がして、家族を養うぐらいはなんとか、って具合さ」


 彼はそう自嘲する。しかし当時のことを考えれば、まだ幸運な方なのだろう。被害の酷かった内陸の諸都市では、財産が丸ごと焼けてしまった、というケースも少なくなかった。


「お気の毒に。ですが、最近またきな臭くなってるようで」

 老人の舌が滑らかになってきたところを見計らい、私は少し探りを入れてみることにした。


「内戦からこの方、いつもどこかで喧嘩したり睨みあったりで、感覚が麻痺しちまうね。テクノロジーだかネットワークだか知らないが、人間がいる限りどうしようもねえ」


「そんなもんですか」

「そんなもんさ。だが、確かに最近は、メディアでもシティへの風当たりが強いかもな。レイ市長がエネルギー市場に介入、とかなんとか」


 私は老人が言ったことの意味を考える。我々が目の当たりにしたように、シティ政府内では主流派と香港派が対立している。この場合の風当たりとは、雷富城レイフーチェンと政府主流派に対してのものだろう。


 となれば、シティで政変が起こり、香港派が権力を奪取した場合、華南軍閥がそれを支持する下地は既に整っている。つまり、世間に吹聴しても問題ないレベルまで、工作は進行しているということだ。


「シティと仲よくしたい政治家はいないの?」

 私越しに陽花が口を挟んだ。


「政治に興味があるのかい、お嬢ちゃん」

「まあ……」


「今どき政治家なんてのは全部操り人形さ。軍閥の言うことをハイハイ聞くだけ。共産党がいたときの方がマシだった」


 おおっぴらにするのはやはり憚られる意見なのか、老人は低い声で言った。穏健な志向を持つ政治家がいたとして、軍事政権下では多様性など認められるはずもない。それは市民にしたところで同じなのだろう。


 しかし彼らは政治を本職としてはいないから、こっそり口に出す程度ならさほど問題はない。老人の意見を香港市民の代表とする訳にはいかない。だが軍閥の支配に不満を抱きつつ、それを抑圧されている人間は多そうだ。


「俺が若いときには……」


 うっかり会話を切り上げ損ねた我々は、必要な情報を得たあとも、しばらく老人の昔話に付き合わなければならなかった。最終的に、観光の穴場を教えてもらう方向に会話を誘導し、早速そこに行ってみる、と言い残してカフェを出ることに成功した。


 再び蒸し暑い屋外。近くの店で待っていたのか、路地の向こうからチャオがやってくる。


「スリが多い、ということぐらいしか分かりませんでしたよ」


 どうやら彼の方は、あまり収穫が無かったようだ。そう考えてから、私は少々思い直した。犯罪常習者は横の繋がりが強く、その情報網は案外侮れない。彼らを利用してみるのも一つの手段だ。それに犯罪者相手であれば、少々過激なやり方をしても文句は言われない。


「じゃあ、スリに聞いてみるか」

「どうやって?」


 陽花が尋ねる。チャオは私が考えていることを、なんとなく察したようである。私は陽花を振り返って言った。


「囮捜査だ」


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