鋼鉄のバジリスク -3-
コルト・バジリスク。コルト社を創設したサミュエル・コルトが死んでから、ちょうど二〇〇年を記念して生産されたモデルだ。44口径で放つ強装弾は、熊や水牛でも十分殺せる威力を持っている。以前に借金のカタとして押収したものだが、オークションに掛ければ数万ドルの値が付く代物である。
これを人間相手に撃つなんてイカれてる、というのが万人の評。しかしこの時代に銃を撃つ人間なんてのは、多かれ少なかれイカれている。実用性を考えるなら、もっとお利口で便利な銃はいくらでもある。それでもせっかく人を殺すのだから、伊達や酔狂が無くてはつまらない。
予備を含めて弾は十発。ひとまずはこれくらいで十分だろう。俺はきしむベッドから立ち上がり、鞄を置いたまま部屋を出た。いくつかの個室には客がいるようだが、彼らも残念ながら贔屓の対象外だ。階段を下りて、受付に声を掛ける。
「おい。今からここは戦場になる」
俺はバジリスクの木製グリップで、受付カウンターを二度叩いた。
「巻き込まれたくなかったら裏口から逃げるか、上に避難してろ」
顔に傷のある女は眉をひそめて俺を見つめ、それでも最低限事情は察したのか、のろのろと立ち上がる。
「あんたらはいつも、余計なことばっかり」
階段の手前で、女はそう吐き捨てた。
「そうとも」
その背中に対し、俺は答えるでもなく呟く。
「必要なことだけじゃ、刺激が足りない」
俺は受付の後ろから、先ほど女が座っていた金属の椅子をひっぱり出した。受付の前に起き、腰を下ろす。左に玄関、右に裏口、背後に二階への階段という位置だ。
それから三、四分待つと、玄関の方で車の停まる音がした。応援にしては早すぎると思い、俺は座ったまま両手で銃を構えた。
十秒後、玄関ドアが勢いよく開き、数人が姿を現す。グラスローズに団体で訪れる客はまずいない。先頭の男がドアを開ききったタイミングで、俺はバジリスクの引鉄に力を込めた。
轟音とともに鋼鉄が火を噴き、入ってこようとした男の胸に大穴が空いた。高威力の弾丸は数十センチの肉を貫通し、背後の数人もまとめて無力化する。
悲鳴と怒号。生き残った男達は、思いがけない先制攻撃にすっかり動転し、後退していった。黄という言葉が聞こえたので、彼らが追手で間違いなさそうだ。
見た感じ、三人か四人来ていたようだが、危険を押して入ってくるヤツはいない。裏口から入ってくる気配もない。応援を呼び、体勢を立て直すつもりらしい。南海幇の拠点は貧民街にあるから、ウチの人員よりも早く到着するだろう。
玄関ドアには先ほどできたばかりの死体が挟まり、完全には閉まらない。その隙間から覗いた顔に、俺はバジリスクで一発お見舞いする。弾丸が壁の一部を盛大に削り取って、顔が引っ込んだ。
俺は椅子から立ち、背後の階段まで後退する。ちらりと上を見ると、二階から誰かがこちらを覗き込んでいた。
「部屋に入ってろ。死んでも責任取れねえぞ」
そう怒鳴ると、階段付近には誰もいなくなった。俺は敵の第二陣が来るまで、階段の下に腰掛けて待つことにした。
こういう立て籠もり的な状況では、進入してくる側が圧倒的に不利だ。相手がどこにいるか分からない上、出入口も限られている。グラスローズの二階には窓がないので、そこから俺の背後を突くのも不可能。俺はこの場所で相手を威嚇しつつ時間を稼げばいい。押されて来たら高所に上がって、狭い直線状の階段をキルゾーンにするだけだ。
手榴弾を投げ込まれると少々厄介だが、南海幇がそういうものを使ったと聞いたことはない。
それからしばらく、俺は主に裏口へと注意を向けていた。玄関に対しては受付カウンターが遮蔽となるので、多少散漫でも構わない。
やがて、玄関と裏口の双方から広東語が聞こえてきた。静かに突入すればいいのに、阿呆な連中だ。自分を叱咤しなければ、死地に飛び込むことすらできないんだろう。
そしてまず、裏口でドアが開きかける。劣化には多少強くとも、防弾性などない樹脂パネルのドア。通常の拳銃でも貫通は容易だ。俺は人間の胸がある位置に見当を付けて、ドア越しに敵を撃つ。
俺が発砲した直後、玄関の方から銃声が上がった。相手もドア越しに、室内へと弾を送り込んでいるのだ。そんなデタラメな射撃が当たる訳がない。いくらなんでもビビり過ぎだ。
ただし撃たれた裏口からは、俺の位置を推測できるだろう。あまりぼんやりしていると、ドア越しでも命中弾を喰らうかもしれない。
いい加減騒がしくなってきたので、俺は玄関に一発撃ってから、小走りで二階へと上がった。ポケットに入れていた弾丸を取り出し、バジリスクに素早く装填する。
残っていた客や娼婦は各部屋で息を潜めているようだ。俺は階段の脇で姿勢を低くし、敵を待ち構える。
さすがに相手も、あれで俺を殺せたとは思っていないだろう。突入はできるだけ慎重にしたいはずだ。しかし周囲の騒ぎを考慮すると、なるべく早く制圧すべきだとも考えているに違いない。危険と成果を天秤に掛けなければならない場合、どちらを重視するにせよ、判断の遅さは無能の証だ。
次に相手が行動を起こしたのは、俺が階段を上がってから二十秒後。移動とリロードの暇を与えているから、指揮に及第点は与えられない。
一階フロアを複数人が進む音。俺が隠れていないか確認してから、ヤツらは階段に目を付ける。階段の入口に立った敵を、俺はまだ撃たない。階段の七割まで上り、引き返せない地点まで来たところを殺す。
先頭が立てる足音の階数を数える。敵が十二、三段上ったところで、俺は遮蔽から飛び出して、階段を射界に入れた。
慌てた敵が発砲し、天井の一部が砕けた。ほぼ同時に放った俺の銃弾が、射手の脳漿を派手に飛び散らせる。
階段は狭く、数の利を活かすことができない。先頭には力を失った邪魔な肉の塊。バジリスクはそれを容易に貫通する。
俺は立ち上がり、二発、三発と階下に銃弾を送り込む。階段を上っていた三人がまとめて転がり落ち、階下にいたもう一人を押し潰す。
相手の動きに注意しながら、俺はゆっくりと階段を下りる。人体にのしかかられ呻き声を上げていた男の胴体を撃つと、フロアは静かになった。
硝煙と血と、死体から漏れ出た排泄物のにおいが空間を満たしている。香水と混じり合ったそれらと、ピンクの照明に照らされた眼前の光景が合わさって、極めてカオスな場を形成していた。
念のため、残りの銃弾を補充しておこうと思った矢先、足元にいた男が突然、唸り声を上げて蘇生し、俺の足首を掴んだ。
「うお」
その男は信じられない力で腕を引き、俺に反撃の暇を与えず、壁に衝突させた。後頭部の骨が強打され、脳が揺らされる。
男はそのまま起き上り、体勢を整える前の俺に組み付いてきた。改めて見るとかなりの巨漢である。前を進んでいた二人、そして自身の筋肉と脂肪で辛うじて致命傷を防いだのだろう。
俺は衝撃で銃を取り落したが、押し倒されるのはなんとか防いだ。姿勢を低くしてタックルを切り、その巨躯をいなす。力で対抗するのは難しい相手だ。
「殺してやる」
男が吼えた。わき腹あたりに大きな血の染みが見える。やれるものならやってみろ。
再び突進してきた巨漢の顔面を狙い、俺は右拳を振るう。相手の鼻柱に命中したが、突進の勢いは衰えない。俺は吹き飛ばされ、受付横の壁に叩きつけられる。
男の右腕が伸び、俺の首を万力のように締め上げた。極度に興奮した男の両目が、異様な光を帯びてこちらを睨む。頸動脈の圧迫によって、視界が黒く曇り始めた。
しかし次いで伸ばされた男の左手を、俺は辛うじて防ぐことに成功した。相手の親指を取り、力を込めてへし折る。
苦痛の声。俺は間髪を入れず、自分の首を絞めていた右腕を、両手で押し下げるようにして振りほどいた。半歩下がった相手の眼球を、軽く曲げた指で打撃する。
目に指を入れられた敵がひるんだ隙に、俺は背後に回り込み、足下に倒れていたスツールを持ち上げた。その脚を両手で握り、男の後頭部を殴る。
鈍い打撃音がして、巨漢がよろめいた。俺は全身を使った振り下ろしで、何度も何度も殴りつける。
相手が立っていられなくなったところで、俺は受付カウンターの下に落ちたバジリスクを見つけた。それを拾い、巨漢が二度と蘇生しないよう、至近距離から頭を撃ち抜く。
発砲の余韻がフロアに響いた。今度こそ全員を無力化しただろう。
俺が先ほど打った後頭部をさすっていると、また表が騒がしくなってきた。今度は日本語が聞こえてきたので、俺はひしゃげたスツールに座り、受付に背をもたれさせて一息ついた。
そのうち、穴の開いた玄関ドアが勢いよく開き、銃を構えた海虎一家の若い構成員が入ってきた。第一声を放つ前に現場を見て、眉をひそめる。
「もう終わったぞ」
俺はスツールから立ち上がって、入ってきた人員とすれ違うように外へ出た。陽光を浴びて、血の臭いがしない空気を吸い込む。あとの面倒な作業は、全部他の人間に任せよう。派手にやるのは得意だが、片付けは苦手だ。
俺は駆け付けた部下にエスコートされ、迎えの車に乗り込んだ。
◇
俺は一旦事務所に戻り、応接室のソファでうなだれていた。落ち込んでいる訳ではない。後頭部の傷を氷嚢で冷やすためだ。
商業地区、あるいは港湾地区で先ほどのような立ち回りをすれば、即刻警官隊が到着し、俺を囲んで射殺しただろう。あのあたりにいる住民は守る価値のある人間だと思われているし、監視カメラも随所に設置されている。
しかし貧民街で、しかもヤクザとマフィアの殺し合いとなれば、それはもう勝手にやってくれということになる。被害者となった南海幇は香港派に切り捨てられ、その敵である主流派にも疎まれているから、必然、捜査もおざなりになる。
もちろん、そういうことをじっくり深く考えてから、今回のコトを起こした訳ではない。それでも俺は、自分の直感に従い、流れにうまく乗れば、事態は案外うまく転がるものだと信じている。
だから物事を実行するときは、慎重さよりもスピードとスリルを大事にする。ある人間はこの行動パターンを『センスのある』と評価し、別の人間は『頭のおかしい』と評価する。それはおそらく、どちらも正しい。ちなみに篠原は前者。好きではないが、やはりいい上司だ。
俺の思考を感じ取ったのかどうか知らないが、応接室のドアが開き、篠原が姿を現した。先ほどは誰かに電話で指示している様子だったので、俺はまだ直接の報告をしていない。
「そのままでいい」
お言葉に甘えて、俺は後頭部を冷やし続ける。篠原は俺の対面に浅く腰掛けた。
「無茶をしていいとは言ったが、あれは多少じゃない」
「そりゃ、すいません」
形式的に謝罪する。それでも篠原の声は、俺を叱責するという風ではない。
「まだ事態は流動的だが、南海幇のボスは雲隠れ。組織は実質的に潰滅だな」
「どのみち長くはなかったでしょう」
あとは死にかけた獲物を、ゆっくり丸呑みにしていけばいい。その仕事には結構な戦略眼が必要なので、別の適任者がやることになるだろう。
「そうかもな。とにかく、今日はもう休んどけ」
篠原はまだ色々とやることがあるらしく、さっさと席を立ち、部屋から出て行った。
俺は氷嚢をテーブルに置き、携帯端末を確認する。月島からの返事は来ていなかった。多分、どこか遠い場所で身を潜めているのだろう。
誰も彼もこの街からいなくなる。だが魑魅魍魎のひしめくこの巷、安寧の地など中々見つけられるものではない。そういう不確実なものを探すぐらいなら、自らも怪物となり、地獄を楽しむ方が余程いい。目には目を、歯には歯を、毒には毒を。それが古来より続く、明快な世渡りの方法である。
行き着く先は行ってみないと分からない。悩む暇があれば脚を動かすべきだ。
銃撃戦の興奮は徐々に冷めてきていた。少々激しい運動もしたので、また眠気が忍び寄ってくる。篠原の命令通り、今日は休むとしよう。
俺はもうしばらく涼んでから、先程から慌ただしくなった事務所を出る。五分歩いて家に戻り、そのまま午後一杯を寝て過ごした。




