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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
幕間 鋼鉄のバジリスク
38/60

鋼鉄のバジリスク -2-

 商業地区ダウンタウンから中央街区セントラルを経由して、俺は貧民街ブロッサム・ストリートの入口までやってきた。通りの左右に並ぶ建物の外壁は、他の地区に比べて明らかにくすんでいる。再開発が実行されれば、こういう薄汚れた景色も一新されるだろう。


 スラムとなったブロッサム・ストリートに再び花を咲かせるためには、まずは現時点で生え散らかっている雑草を、根こそぎにしていく必要がある。廃ビルやバラックはともかく、邪魔な住民を芝刈り機でミキサーする訳にはいかないから、金に物を言わせて立ち退かせたり、再開発事業の労働者として雇ったりすることになるだろう。


 そうなれば金や仕事が貰えるから、今いる住民にとっても悪い話ではない。ただ、これは根回しや説得の為に作り上げた建前なので、実際にどうなるかは分からない。


 車を走らせながら、俺は街並みと道行く人の様子に目を配る。貧民街ブロッサム・ストリートで銃撃戦があったとは聞いたが、具体的にどこでという情報は得ていない。聞き込みはまず、現場を特定するところから始まる。俺は探偵ではない。だから繊細な調査は苦手だ。地道な作業も好きではない。これから人や店を一つ一つ訪問していくことを考えると、正直気が重かった。


 しかし広い通りを進んでいると、遠くの方に複数の警察車両と捜査員が見えてきた。どうやら検問ではなさそうだ。普通の殺人現場という可能性もあるが、もしかするとあそこが件の現場なのかもしれない。


 しかし仮にそうだとしても、警察官に事情を尋ねるのはリスクが高い。身元を怪しまれ、鞄の中を覗かれでもしたら面倒だ。


 幸い、ここからそれほど離れていない場所に、グラスローズがある。調査はそこから始めるとしよう。俺は警察官が溜まっている場所をそれとなく迂回して、過去の顔馴染みがいる娼館へと向かった。


 車二台がギリギリすれ違えるかどうか、という路を通って、スラムの奥へと分け入っていく。やがて茂みが途切れるようにして、少々広い通りに出た。グラスローズがある一帯だ。名前は付いていない。


 朽ちかけたポリネシア風のビル。死んだ弟分の愛した女が、未だに春を売っている場所。俺はグラスローズの裏手に車を停めて、表玄関から中に入って行く。


 ドアをくぐるとピンクの照明が目に入り、体臭と香水の混じった空気が俺を迎えた。臭いは夜より薄いが、それでも冷房の爽快さを酷く損なっている。俺はサングラスを胸ポケットにしまって、受付に声を掛けた。


「調子はどうだ?」

 顔に傷のある女は、伏せていた顔を上げて俺を見た。


「別に」

「昨日の夜、近くで銃撃戦があったらしいが、何か知ってるか?」

「知らない」

「ああ、そう」


 この店には南海幇ナンハイパンの息が掛かっているから、事件に関して口止めされている可能性もある。しかし俺には、そういう人間から暴力を使わずに情報を引き出すのが上手くない。俺は無愛想な受付の女に、これで女の子たちに差し入れでも買ってやれ、と一〇〇ドル札を渡した。


「マリアは?」

「二番にいるよ」


 せっかくここまで来たので、マリアに挨拶しておこう。俺は狭い階段を上って、左右に扉の並ぶ廊下を歩く。二番は最も奥にある部屋だ。ノックせずにドアを開く。


「よう」

 中に入ると、マリアが足を投げ出す格好でベッドに腰掛けていた。俺を見て一瞬ハッとするが、いつになく表情が暗い。


「どうした。久しぶりだってのに、元気ないな」


 俺はマリアの隣に腰掛ける。彼女が何か言おうとしてためらっている様子だったので、俺はその長い睫毛まつげを眺めながら、マリアが話し出すのを待った。


「月島さんが、連れて行かれちゃった。昨日の夜」

「ん? 月島が来たのか?」


 月島は五年前、ヒロヤスからマリアの行方を捜すという依頼を受けた。それがこじれて五年前の抗争が起こった訳だが、その過程で当然、マリアとも直接の面識を持っている。あいつは案外情の深い人間だから、マリアの様子を見るために訪問したとしても、別段おかしいことではない。


「本当は言っちゃいけないと言われたけど、月島さん、トラブルがあるって」

「あー……」


 あいつ、半年前の事件で懲りずに、また変なことに頭を突っ込んでたのか。


「警察に連れてかれたのか?」

 そう尋ねると、マリアは首を振って、小さな声で言った。

南海幇ナンハイパンの人」


 俺は首を傾げた。月島は南海幇ナンハイパンと何かコトを構えていたのだろうか。しかしそうだとすると、グラスローズを訪れるのは不自然だ。しかし何にせよ、マリアに直接の関係があるとは思えない。彼女は責任を感じているようだが、この娘は何でも自分が悪いと思い込む癖がある。俺はマリアを慰めるように、その背中を軽く叩いた。


「まったく迷惑なヤツだ。心配しなくていいぞ。あいつなら適当にやり過ごすだろ」


 マリアの表情は晴れなかったが、俺にはこれ以上、かける言葉が思い浮かばなかった。


 月島と南海幇ナンハイパンの間にトラブルがあったとすると、昨晩の銃撃戦はそれに関係している可能性が高い。銃撃戦というからには複数人が関係しているはずだが、月島の他には誰が関与しているのだろうか。


 そういう風に考えていると、ドアの開く音がして、部屋に誰かが入ってきた。


「取り込み中だぜ」

 俺はそう言って追い返そうとしたが、現れたのは意外な人物だった。


「兼城さん。何しに来たの?」


 黄永福ファンヨンフー。いつも不健康そうな顔の男だが、今はそれに輪を掛けてゲッソリしていて、頭に包帯まで巻いている。


「近くに来たから寄ったんだよ。お前こそどうした。消されたって聞いたが」


 俺の言葉に対して、ファンは自嘲するように鼻を鳴らした。閉めたドアに背を預けたまま腕を組む。


「実際に消されるところだったよ。話すと長いんだけどね」

「話してみろよ」


 ファンが語るところによると、月島は公安に追われて貧民街ブロッサム・ストリートに逃げ込み、公安から極秘裏に要請を受けた南海幇ナンパイハンが、グラスローズに居ると密告のあった月島を確保しに向かった、ということらしい。


「なんだお前ら、公安と繋がってたのかよ。香港派か?」


 俺にとっては意外な情報だったが、策謀渦巻く岱輿城市ダイユー・シティでは、誰が誰と繋がっていても不思議ではない。ファンは一旦それを肯定して、話を続ける。


「ボスの命令を受けた俺は、月島さんを連行して公安に引き渡すつもりだった。でも誰かがそれを妨害してきた。車でね」


「月島は死んだのか?」

「分からないね。少なくとも俺は殺してないよ。逆に頭を割られかけたぐらいでさ。死体は見てないから、その場は逃げたんじゃないかな?」


 さっき電話が繋がらなかったのは、どうやらそういう理由があったかららしい。しかし月島のことだ、それぐらいの修羅場は難なく切り抜けて見せただろう。


「で、なんとか脳味噌ぶちまけずに済んだ俺が目を覚ますと、死体が沢山あってね。詳しい説明は省くけど、公安の裏切りがあったらしいんだ。裏切りというかまあ、最初から、いつでも捨てられる駒みたいな扱いなんだろうけど」


 それについては、まったくざまあみろと言う他ない。ファンがこれほど萎れていなければ、実際に言っただろう。とにかく昨日の銃撃戦は、月島と公安のトラブルによって発生したものらしい。そしてとばっちりを食った形のファンは、現場からほうほうの体で離脱したということだ。


「で、お前はなんでここにいるんだ? 療養するならもっといいトコがあるだろ」

 俺が尋ねると、ファンは力なく首を振った。


南海幇ナンハイパンからも切り捨てられたんだよ。月島さんはかなりヤバい案件を抱えてたようだね。関係者は全員、こう」


 ファンは喉に手刀を当てた。切り捨てられて自暴自棄になっているからこそ、内部の事情もペラペラと話したのだろう。俺がマリアに目を遣ると、彼女はまた意味もなく申し訳なさそうにしている。


「だとすると、グラスローズもどうなるか分からんな」

「……そうかもね。多分もう、ヒットマンがここに向かってる」


 俺は考えを巡らせた。早速、現場での判断が迫られている。


 とりあえず、昨日何が起こったのかを調べる、という当初の目的は達成できた。しかし情報を総合すると、ここはもう少し欲張ってもいい局面だ。南海幇ナンハイパンが香港派と繋がっているならば、ウチとしては一応、ヤツらを潰す理由になる。それにファンの話からすると、南海幇ナンパイハン内部はもうグダグダになっている。大義名分の有無はともかく、攻撃するにはいいタイミングだ。


「オーケー。じゃあこうしよう」


 俺は考えをまとめ、胸の前で両手を握り合わせた。ファンに向かって言う。


「俺はこの店と、南海幇ナンパイハンの縄張りを貰う」

 ファンは眉をひそめ、狂人を見るような目で俺を見た。


「それは好きにすればいいけど、代わりに何かくれるのかい?」


 俺はポケットから車のキーを取り出して、ファンに投げて寄越す。


「貸してやる。一旦安全な所まで避難しろ。あとで事務所に一報してやるから、迎えを待って、フィリピンに逃げろ」


「兼城さんは?」

 ファンが尋ねた。


「俺はここに残って、追ってきたヤツらを適当にぶっ殺す。あと、もう一つ条件だ。マリアを連れて行け」

 傍らでマリアが肩を震わせた。


「兼城さん、私」


 俺は彼女の言葉を制して説得する。


「実はヒロヤスがお前の為に貯めてた金がある。フィリピンに着いたら送金してやるから連絡しろ。ファンに酷い目に遭わされたら、俺が追っかけて行って、コイツの金玉を引きちぎる」


 実の所ヒロヤスの貯金なんてものはないが、金のないまま放り出せば、ここと変わらない境遇が待っている。それではあまり意味がない。


「とことんお人よしだねえ」

 ファンが言った。呆れているようにも思えた。


「とことん不公平なだけだ。これから来るマフィアどもは、残念ながら贔屓の対象外ってことになる。いいから早く行け」


 ファンとマリアを促す。彼女は五年前と同じような、子どもっぽい顔を涙と不安に歪めて、小さな声でありがとうと言った。フィリピンとて楽園ではないが、彼女自身が貯めた金と、俺が送る金を合わせれば、ここよりも多少ましな暮らしを送れるだろう。


 マリアはしばらくためらいながらも、結局黄ファンに連れられて部屋を出た。俺はそれを見送ってから、事務所に電話を掛ける。一つ目の要件は、襲撃に備えての応援要請。二つ目の要件は、ファンとマリアのピックアップだ。


 これで諸々の手配はオーケー。以降は楽しくも面倒な仕事だ。俺は鞄から、銀色に光るリボルバーを取り出した。


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