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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
幕間 鋼鉄のバジリスク
37/60

鋼鉄のバジリスク -1-

 商業地区ダウンタウンにいくつも建つ、個性のない高層アパートメント。家具の少ない自分の部屋で、俺はいつもより遅く目を覚ました。白いタイル張りの床に落ちている携帯端末デバイスが細かく震え、音声通話のリクエストを知らせている。枕元に置いた腕時計を見ると、午前十時を過ぎていた。


 俺は寝転がったまま身をよじる。室内は空調で適温に保たれているが、真夏の屋外はもう、うだるような暑さになっているだろう。


 あくびを噛み殺してベッドから身を乗り出し、俺は振動を続ける携帯端末デバイスを手に取った。昨日は随分遅くまで起きていたから、俺の頭はまだ睡眠を必要としている。リクエストを無視しようかとも思ったが、表示された名前を見ると、若頭補佐の篠原からだった。


 若頭補佐は、岱輿城市ダイユー・シティにおける海虎一家のトップで、普段は支部長という役職名で呼ばれている。一般的な極道組織において、何人かいる若頭補佐の筆頭は次期若頭候補であり、若頭は次期組長候補である。だから篠原は、組の実質的なナンバー3か、ナンバー4ということになる。


 そんな偉い男からの電話を、眠いからといって放置する訳にはいかない。


「おはようございます。兼城です」

 身を起こして電話口に出る。覚醒したばかりの耳に、篠原の明瞭な声が響いた。


『よう。今起きたところか?』

「そんなところです」


 篠原は俺の眠たげな声に気付いたようだが、それを咎めることはしなかった。


『ちょっと頼みたいことがあるんで、事務所に顔出してもらいたい。一時間後でどうだ』


 内容を直接説明する必要がある仕事は、大体が複雑で厄介な要素を含んでいる。もちろんどのような案件であれ、拒否するという選択肢はない。俺は二つ返事で了解する。


「分かりました」

『よろしく』


 俺は電話を切って、伸びをする。よっぽど二度寝しようかと思ったが、働かざる者食うべからず。仕事をしない末端を飼っておくほど、組もユルくない。


 ただ、一口に末端と言っても色々ある。本家にしてみれば、シティの構成員は丸々末端だと捉えられなくもない。だが金を生み出し続ければ、枝はやがて幹になる。そういうことも起こり得るのが、この業界の面白いところだ。


 今のところ、シティにある支部はそこまで大きな金を産んでいる訳ではない。とはいえ、そのあたりは支部長の篠原が頑張っていて、軍資金や兵隊を上手いこと本土から引っ張ってきている。


 その優秀な支部長以下、シティで活動しているのは、正規の構成員が六十人程度、フロント企業や協力者などの準構成員がもう六十。俺は構成員五人をまとめる役職にあるので、普通の企業であれば、主任か係長ぐらいの偉さということになる。ただし収入として得る金銭は、当然俺の方が多い。


 収入が多いから、ある程度住居を選ぶこともできる。俺の自宅から海虎一家の事務所までは、歩いて五分の距離である。今回のように急な呼び出しもあるから、近くに住んでいれば何かと便利だ。


 だが職場が近いからといって、余裕を持って出勤する習慣が付くとは限らない。だらだらと身支度を整えた俺は、指示された時間の十分前に、自宅アパートを出発した。いつもはほとんど荷物を持たないが、今日は何やら予感がしたので、鞄に銃と予備弾を放り込んでおく。サングラスも忘れずに掛ける。


 俺は陽光が降り注ぐ商業地区ダウンタウンに下り立ち、灼熱した耐食コンクリートの上を歩く。通りの人出はそこそこあるものの、この時間に通勤しているのは俺ぐらいだ。


 毎朝七時や八時に起きることを考えると、つくづく普通の勤め人にならなくてよかったと思う。そういうビジネスマンの大多数は社会の道徳に従い、組織の規範に頭を下げる。それでも別に身分が守られる訳でもなく、死なない程度に搾り上げられ、その現状に甘んじる。金持ち連中にとっては、非常に都合のいい働きアリだ。そういう人間に果たしてまともな知性があるのか、俺はときどき疑いたくなる。


 とはいえ、ヤクザもそういった諸々の制約と無縁ではない。上納金という名の経済的な搾取は、下手な企業よりよっぽどえげつない。ただその代わり、金さえ払っていれば、ある程度好き勝手をしてもいい、ということになっている。上下関係も厳しいが、コツを掴めば世渡りも大して難しくはない。


 このあたりはもう、完全に相性だ。ある人間にとっては地獄だが、俺のような人間には居心地がいい。大学在学中から海虎一家の協力者として金を受け取り、その後正式な構成員となって十年以上。学歴と語学力を買われて岱輿城市ダイユー・シティ進出の尖兵となったのは、七年前だったか、八年前だったか。


 組織風土との相性に加えて、俺は今の暮らし自体もそこそこ気に入っている。日本の北九州を拠点にする海虎一家にとって、この街は経済的な未開拓地フロンティアである。その最前線で立ち回り、銃と口先で利権や縄張りを切り取っていく仕事は、しょぼくれた日本でサラリーマンをやるより遥かにエキサイティングだ。


もう少し休みが取りやすければ言うことはないが、南の島でバカンスを満喫するような身分になるには、独立するか、今の組織で相当偉くなるかする必要がある。もちろん、いつかはそうなるつもりだし、実際にそうなるだろう。巣にエサを運び込み続けるのは、長くともあと数年にしたい。


 俺は道中の露店でパック入りの焼きそばを買い、茹だって死ぬ前に、なんとか職場へと辿り着いた。


 ビルに入るとき、俺は半年ほど前のことをふと思い出す。お節介な探偵の月島と、父親を殺された陽花という少女。二人が作り出した混乱によって、商売敵だった黑色女人ブラック・レディは弱体化し、海虎一家はまた少し勢力を拡大した。


 黑色女人ブラック・レディとのゴタゴタのあと、月島は事務所を移転した。その場所は俺の家や事務所からは少し遠かったので、昼飯がてら寄るということも少なくなっていた。新しいコーヒーメーカーがあって、もてなしのレベルは上がっていたのだが。


 そんなことを考えながら、俺は事務所の入口までやってくる。すりガラスのドアに、組織名を示すものは何もない。旅行代理店か何かと間違って入ってくる人間も時折いるが、そのときは丁寧にお帰り願うことにしている。この場所に暴力的な襲撃があったことは過去に一度しかないし、それもごく個人的なものだった。だから過剰な防衛はしていない。


「兼城さん、おはようございます」


 ワイシャツに身を包んだ、若い構成員が俺に挨拶する。本部の事務所に詰めているのは大体が裏方なので、サラリーマン然とした雰囲気の人間が多い。俺は軽く挨拶を返して、いくつかあるブースの一つに着き、朝食兼昼食の焼きそばを食べ始めた。味の濃いそれを咀嚼しながら、呼び出しの内容に思いを巡らせる。


 俺と部下の五人はいわば遊撃隊のような位置づけで、専門に担当する仕事や地区を持たない。他のチームは例えば、北九州の本家と連絡調整をおこなうとか、繁華街ニュー・ベイジンにある店舗のコンサルタントをするとか、香港との密輸を手配するとか、それぞれ担当の仕事がある。


 しかし俺達は違う。遊撃部隊と言えば聞こえはいいが、実際は便利屋か、せいぜいが斥候だ。


 三分で食事を終えた俺は、島となったデスクの合間を通って事務所の奥に行き、支部長の篠原がいる個室の扉を叩いた。


「入れ」

「失礼します」


 促されるまま、俺は扉をくぐる。個室の中には、高価たかそうな執務机と応接セットの他に、瑞々しく茂る観葉植物がいくつか置かれている。中国本土や日本ではありふれた品だろうが、シティで手に入れるのは中々難しい。


 篠原はまだ四十代前半で、高級スーツを着こなした、インテリヤクザという表現が当てはまるような風貌の男だ。几帳面なオールバックの髪に、黒縁の眼鏡。それらは単なる見せかけではない。篠原は実際に頭の切れる男だ。政治や経済に関する知識が豊富で、それを背景にした状況判断や巧みな交渉で今の地位を築いた。


 正直に言うと、篠原は俺が好むようなタイプの人間ではない。しかし指示や評価は論理的で適切なので、上司としては中々に優秀だ。


「呼び出して悪かったな、兼城。座ってくれ」

「いえ」


 執務机についていた篠原はソファを勧め、俺が座ったあと、対面に腰掛けた。


「昨日の深夜、貧民街ブロッサム・ストリートのあたりで銃撃戦があった」

 話の枕にしては物騒だ。打ち合わせは早速本題に入っている。


「ニュースになってますか」

「いや、なってない。だからこそ重大だ。『これは隠蔽したい事実です』と言ってるようなモンだからな」

 篠原は苦笑いしつつ足を組む。


「あのあたりは南海幇ナンハイパンが仕切ってますが、その関係ですかね」

「そうだ。黄永福ファンヨンフーが消されたらしい」


 俺は眉をひそめる。黄永福ファンヨンフーという人物については、説明されるまでもない。五年前の抗争で海虎一家が対立組織を潰滅させたあと、その縄張りを引き継いだ南海幇ナンハイパンの幹部だ。その後発生した残党との小競り合いで、何度か共闘した覚えもある。ここしばらく、顔を合わせなくなってはいたが。


「誰に?」

「そのあたりが少し複雑だ」


 篠原はそう言って、自分の膝を右の人差し指で何度か叩いた。この男が何かを考える時の癖だ。説明が手短になるよう整理しているらしい。


南海幇ナンハイパンの縄張りで堂々とヤツらを殺せるのは、警察か軍か、あとウチの会社が精々だ」


 実力的にはそうだ。しかし深夜とはいえ、軍が街中で行動するとは考えにくいし、俺や篠原が与り知らないところで、海虎一家の関与があったとは考えられない。だから当然、南海幇ナンハイパンと警察がトラブルを起こした、ということになる。


「だが警察がヤツらを殺したなら、そう発表すればいい。警察がマフィアを殺すのは何の問題もない。にも関わらず大っぴらにしないのは、公安と、それに連なる香港派が関与しているからだ、と俺は睨んでいる」


 雷富城レイフーチェンをトップに戴くシティ政府主流派。それに対する抵抗勢力に付けられたのが、香港派という名称だ。彼らは文字通り、香港を支配下に置く華南軍閥と親密な関係を持っている。


 シティにおける雷富城レイフーチェンの権力は強大だが、近年力を付けてきた香港派の勢力も侮れず、敵対しているからといって、一気に粛清する訳にもいかない。シティ警察の公安が、香港派の影響下にあるというのがその証左だ。だから主流派と香港派はここ数年来、常に互いの弱みを探して、相手の勢力を削ごうとしている。


「香港派にとって何か都合の悪いことが発生して、それを揉み消したってとこですか」

 俺が言葉を継ぐと、篠原は満足そうに頷いた。


「香港派が台頭すれば、これまでせっかく積み重ねてきた仕事が崩れるかもしれない。ヤツらが何をしようとしてるのか、昨日の深夜何が起こったのか。そのとっかかりでいい。貧民街ブロッサム・ストリートで調べてくれ」


 話の背景にあるのは、近年持ち上がってきた貧民街ブロッサム・ストリートの再開発計画である。海虎一家はそれに参画し、利権に食い込むため、これまでに様々な工作を施してきた。しかし政治的な変革によって既得権益が動揺すれば、その計画にも綻びが出かねない。


「じゃあ、今日の午後八時に、一旦状況を報告します」

「ああ、よろしく頼む。それと」

「はい」


貧民街ブロッサム・ストリートの利権を追求するなら、やはり南海幇ナンハイパンとの対立は避けて通れない」

「そうでしょうね」


 俺が答えると、篠原は組んだ脚を解き、やや身を乗り出した。


ファンが欠けたのはある意味でチャンスだ。ヤツらに付け入る隙があれば、多少の深入りと無茶は許可する。早さが必要なら、現場で判断しろ。フォローはいくらでもしてやる」


「そういうのは好きですよ」

「だろうな」


 この男はやはり、部下の特性をよく把握した有能な上司だ。


 そこまで言うと、篠原は用が済んだといった様子でソファから立ち上がった。俺も同じようにして、部屋から退出する。


 事務所の入口近くで、俺は一本電話を掛ける。相手は月島だ。あいつには警察とのパイプがあるから、今回の件について何か知っているかもしれない。だが、残念ながら電話は繋がらなかった。緊急ではないので、とりあえず今は置いておく。連絡があったことに気付けば、そのうち折り返してくるだろう。


 ひとまず俺は、貧民街ブロッサム・ストリートに向かうことにした。部下は連れて行かない。余所の縄張りで、複数人が堂々と聞き込みすれば角が立つからだ。俺は車の鍵を借り、ビルを出て、近くの立体駐車場まで歩いて行った。


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