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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
泥濘のオートマタ
35/60

脱出 -1-

 屍食鬼グールの追撃を躱した我々は、いよいよこの昆龍城クンロンチャン、そして岱輿城市ダイユー・シティから脱出すべく、行動を開始することにした。私とチャオは幾度かの戦闘でかなり体力を消耗していたが、休憩するのはシティを離れてからにするほかない。ゆっくり寝転がっているところを、屍食鬼グールに襲われては本末転倒だ。


 私は室内をざっと探索し、使えそうな懐中電灯マグライトを一本発見した。それは警備用の重厚なタイプで、心もとないながら鈍器として使用することもできる。私はそれをジュリアに手渡した。


「他に使えそうなものはないな」

「冷えた瓶ビールでもあればいいんですがね」


 チャオが呟きながら、床に置いてあった箱をひっくり返す。何かがこびり付いたプラスチックのボトルや、すっかり黒ずんだボロ布のようなものが散らばった。私も喉が渇いていたが、気の利いたものは出てこなかった。


「香港に着いたら奢ってあげるわよ」

 ジュリアが懐中電灯マグライトの動作を確かめながら言った。


 簡単な準備と手当てを終えたあと、陽花がドアのロックを解除し、私が部屋の外を慎重に窺った。ひとまず、銃弾や手榴弾グレネードが飛び込んでくる気配はない。


 あたりは不気味なほど静かである。しかし待ち伏せへの警戒は常に必要だ。私とチャオが銃を構えつつ、部屋から出て周囲の安全を確認する。暗闇に照明が浮き上がる四階フロア。銃が見えないはずはないが、あくまで不干渉を貫く住人達。


 今のところ不審な人影はなく、付近で銃声も聞こえなかった。神経を尖らせつつ部屋を出た我々は、素早く密やかに壁際を進む。非常用エレベーターはすぐ近くにあるはずだ。


 管理室を背にして左側、十メートルほど進んだ先の突き当りに、目立たない灰色の防火扉があった。私が埋め込まれた小さな取っ手を引くと、重い軋みとともに扉が開く。中は縦横五メートルほどの暗い小部屋で、チャオが奥を照らすと、銀色のドアが光を反射した。他に複数の住人が寝転がっているものの、もぞもぞと身をよじり、胡乱な目付きで我々を見るだけで、何もしてこない。


 エレベーターは陽花の操作によって既に起動しており、私が背後のドアを閉めるのと同じタイミングで四階フロアに到着した。籠が開いて、中からの光が小部屋を照らす。大きな家具や機器を搬入しても問題なさそうな、広々としたエレベーターだ。我々はそれに乗り込み、一階フロアを目指す。


「うまく行けば、十分後には船上の人ね」


 ゆっくりと下るエレベーターの中。ジュリアが腕を組み、壁に寄りかかりながら言った。しかしそこまでが困難なのだ、ということはジュリアを含めて全員が理解している。


「合流地点について、連絡は?」

 私は尋ねた。


「位置は決まってるし、頭に入ってる。実際に使ったこともあるわ。もし致命的な支障があれば改めて連絡があるはず。でも、船と直接やりとりはできない。通信傍受で場所を知られたら全部水の泡よ」


 致命的な支障という言葉について、私は一階フロアに突入してきた運転手のことを考えた。ジュリアの要請が、誰にも伝えられないまま潰えたという可能性もある。ただ、それは今更言っても仕様のないことだ。


「スケアクロウ出現まで、あと一分」


 陽花はいつの間にか、タブレット型の端末を手にしていた。緊張しながらも、冷静な声で告げる。


 それから十秒後、我々は一階フロアに到着した。ドアが開き、先ほどと同じような小部屋に出る。敵はいない。その場で少し待機する。


 三十秒、四十秒。私は頭の中で、一階フロアの位置関係を整理していた。


 今我々がいるのは建物の北側。玄関から見て、ちょうどエスカレーターの陰になる位置だ。見張りのいる非常口には近いが、直接の視界には入らないはずだ。


 脱出に使う車があるのはフロアの中央やや南。今考えているのは、これに乗り込んで南側の玄関を突破するという方法だ。スケアクロウが起動し、見張りの意識が外に漏れた隙に、車の速度と質量をもって無理やり外に出る。


「スケアクロウ出現。西と東に二体ずつ」

 陽花が言う。ここからが勝負だ。


 スケアクロウは極めて高度なプログラムのようだが、実体がないため、いつまでも騙しておくことは不可能だ。作戦の成功率を高めるためには、陽動が看破されるまでの短い時間を利用しなくてはならない。文字通り、ある程度の見切り発車が必要だ。


 我々は屍食鬼グール達の移動を待たず、小部屋を出てフロアに進入した。


 一階フロア。目前に見えるのはエスカレーターの裏側である。ついさっき車が突入し、銃撃戦がおこなわれた場所にしては、異様なほど落ち着いている。しかし我々にとって、進行を遮るような混乱がないのは好都合だ。良心の問題を除いても、フロアを右往左往する住人を轢くのは避けたい。音も悲鳴も上がるだろうし、なにより速度が殺される。


 我々は無闇に姿を晒さないよう、エスカレーターに身を寄せながら迂回する。二階フロアで警戒している隊員に見つかる可能性はあるが、距離が離れている上、撃たれてもアクリルのチューブが遮蔽となるだろう。ずっと留まっているのでもない限り、大きな脅威にはならない。


 エスカレーターの表に回ると、近くに停まったままの黒い高級車がしっかりと視認できた。先ほどと位置は変わっていない。追われているときに付いたらしき弾痕が、リアガラスとドアに見える。しかし車体にはある程度の防弾性能があるらしく、ガラス粉砕には至っていなかった。我々は姿勢を低くしつつ、車の傍まで行く。


 私が右の運転席に、合流地点の位置を知るジュリアが助手席に、後部座席に陽花とチャオが乗り込むことにした。突入時に乗っていた運転手は、どうやら回収されたらしい。そのとき生きていたか、死んでいたか、今となっては分からない。しかし運転席周辺に付いている血痕からして、重傷を負っていたのは間違いないだろう。我々は音を立てないようにドアを開け、車内に滑り込んだ。


「動きそう?」


 陽花が後部座席から計器類を覗き込む。沈黙したままに思われた車両だが、人員の搭乗を感知して、いくつかの表示が点灯した。見る限り、運行不能な故障やエラーは生じていないようだ。


「できる限り安全運転で頼みますよ」

 私のすぐ後ろから、チャオが冗談めかした声で言う。


「死なないために、多少の事故は我慢しろ。フロントガラスに突き刺さりたくないなら、シートベルトはしっかりしておけ」


 車の作りは一般的なものとほぼ同じだ。電池の残量も十分。簡単な点検のあと、私は電気モーター(エンジン)を静かに起動させた。ヘッドライトさえつけなければ、玄関直前まで気付かれることはないだろう。


 私はまずゆっくりと車を旋回させ、頭を玄関に向けた。突入の際に散らばった瓦礫やガラス片がタイヤで踏まれ、ギシギシと音を立てる。


 玄関の敵が気付いた様子はまだない。エスカレーターの上にいる屍食鬼グール達は車の異常に気付いただろうが、今となってはもう遅い。


 私はアクセルを踏み込む。高性能のモーターが駆動し、車体を一気に加速させた。闇に慣れた目に、破壊された玄関が猛スピードで迫ってくる。


 そして我々は、昆龍城クンロンチャンを脱出した。段差で一度跳ねた車は、玄関前の広場に到達する。


 視界の端に、辛うじて轢殺れきさつを回避した隊員達が映った。車内にも彼らの怒号が聞こえてくる。出口付近は数台の車両で固められていたが、私は一台の後部を弾くようにして、包囲を突破する。複数の車体がぶつかる音が屋外に響いた。


 衝突による強い振動が我々を襲う。陽花が思わず声を上げる。安全装置が作動しかけるが、私はそれを手動で解除した。車のコントロールを力づくで保持し、進路を西に向ける。こういった荒業は、簡単に自動化できるものではない。


「まったく、なんて日なの」

 道路に出たあと、ジュリアが半ば叫ぶように言った。


「もうすぐ明日だ。切り替えていけ」


 目指すは港湾地区ダイユー・ポートの合流地点。この場所からは、直線距離にして約五キロ。多少迂回したとしても、四、五分で到達できる計算だ。私はアクセルをさらに踏み込み、深夜の貧民街ブロッサム・ストリートを疾走した。


 時間帯が時間帯だけに、通りを走る車はほとんどない。しかしそれは、追う側にとっても障害が存在しないということだ。


「何台か追ってきましたよ。やけに対応が早いですね」


 チャオが警告する。バックミラーを確認すれば、覆面の警察車両が追いすがってくる。先ほど昆龍城クンロンチャンを固めていた連中ではない。おそらくは、すぐ近くまで来ていた増援だろう。


 目視されていている状態では、スケアクロウによる攪乱も意味を成さない。もしヘリで上空から索敵されれば、どこにいようと見つかってしまう。幸いなのは、まだ警察全体が敵に回っていないらしい、ということだ。なりふり構わなくなった黒幕が刑事や交通に応援を求めれば、一〇〇では利かない数のパトカーに追われることもあり得る。もしそうなれば、逃げ切るのは不可能だ。


「場合によっては、もう一度銃撃戦をやるしかないですね。そうなると、ビールだけじゃ足りないな」


 チャオが軽口を言っているうちはまだ大丈夫だ。ただ今の状況では、大丈夫と死の距離が非常に近い。


「飲茶でも北京ダックでもフルーツ盛り合わせでもいいから、頼んだわよ、本当に」

 ジュリアがため息をついた。彼女はどこまでも、真面目で常識的な人物だ。


「みんなで食べよう」

 陽花が言った。


 私はそれに同意してハンドルを握り直し、暗い道路の先に目を凝らした。


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