昆龍城 -4-
再び竪穴区画に入り、暗く雑然とした階段をゆっくりと進む。過敏になった住人に対して、我々が危険な部外者だと思われてはいけない。それにいい加減疲労が大きく、全力で走り続ける元気もない。
「陽花ちゃん。ちょっと、将来が心配なんですが」
喬が先ほどの放送について感想を漏らした。
「ちゃんと計算した上でだろ。私怨が混ざってるのは間違いないが」
陽花の扇動は目的通り混乱を作り出し、我々を救った。屍食鬼達は全滅こそしないにせよ、一時的な撤退を余儀なくされただろう。その隙を縫って合流し、脱出の為に具体的な作戦を立てなくてはならない。
そして我々は四階フロアに到着した。今のところ下層の混乱は波及しておらず、敵の姿も見えない。
最上階は三階に増して魔境じみている、と私は予想していたが、意外にもそうではなかった。点灯している照明の配置にも、どこか街灯のような規則性があった。寺院への参道、あるいは城の本館に至る道のような感じさえする。
我々は端末の表示を頼りに、フロアの一角へと移動した。おそらくここが中央管理室だろう。店舗ではないため外観の派手さはないが、この施設で今、我々にとって最も重要な場所である。ドア上部に点いているランプは赤く、扉にロックが掛かっていることを示していた。
しかし携帯端末の信号で、私が近くまで来ていることが陽花達に分かったようである。じきにランプが緑に変わり、ロックが解除された。
私と喬はドアをスライドさせ、部屋の中に滑り込む。そこは他の場所と同様汚れていたが、まだかなりまともに機能しているように見えた。背後でドアが閉じられ、再びロックされる。
奥にある複数のディスプレイや並んだ端末、機器から判断して、ここが中央管理室で間違いなさそうだ。しかしそれ以外にも、家具として使用されていたらしき雑多な物品や、装飾らしい無益な代物が多く置かれていた。現に占拠している住人もおらず、昆龍城にある他の場所に比べ、どことなく特別な感じがした。
中を見回すと、物品の隙間から、陽花とジュリアの姿が見えた。陽花はこちらに気付きながらも端末を操り続け、ジュリアは座っていた椅子から立ち上がった。
互いに無事を確認し、私は陽花に声を掛ける。
「なんとか生きて会えたな」
彼女は一旦手を止めて、私を見る。
「うん……心配してた。顔、大丈夫?」
そう言われて私は自分の顔を触ってみる。先ほど屍食鬼の隊員と格闘した際に、大いに内出血したらしい。周囲が暗いときにはよくわからなかったが、喬の変貌は私より酷く、指摘されて確認した本人が思わず苦笑いするほどだった。とはいえ、なんとか軽傷の範囲ではある。
「ネットワークへの侵入自体はさっき済んだところ。映画館での騒動はこっちもカメラで確認してたけど、派手なことになってるわね」
ジュリアがディスプレイ群を指差す。いくつかの監視カメラは機能を停止しているが、昆龍城内の数か所から映像が配信されており、我々が先ほどまでいたシアターの様子も確認できた。ディスプレイは大勢の人で埋め尽くされているため、詳細を知ることはできないが、まだ混乱は収まっていないようだ。
「システムが死んでたら危なかったですね」
「結構いい状態に維持されてたわ。多分、誰かが使ってたんでしょう」
中央管理室を動かせる人間がいたとすれば、住人達にはかなりの影響力を持っていたはずだ。だとするとこの四階フロアは、その人物や仲間、あるいはそのグループに取り入った住人達が生活する、やや上等な場所だったのかもしれない。さながら昆龍城に住まう、王の執務室といったところか。
しかしおそらく数か月以上前には放棄されていて、時折立ち入る人間はいるものの、新しく住みつく者もなかったという状態だと推測できる。酷く荒らされなかったのは、住人なりの敬意だったのかもしれない。
「でも、まだ終わりじゃない。ここから逃げて、香港まで行かないと」
気の緩んだ我々をたしなめるように、陽花が言った。私も今一度、思考に鞭を打つ。
「ヤツらはかなり混乱してるが、立ち直るのは時間の問題だ。もう一度襲撃される前にどうにかする必要がある。次は何を持ち出してくるか」
今、昆龍城で我々を追っているのは、おそらく屍食鬼の隊員だけだ。しかし相手が苦戦を認め、警察官の増員を決断すれば、昆龍城ごと完全に包囲されてしまうこともあり得る。もちろんその前に、中央管理室が急襲される危険も大きい。館内放送をコントロールできる場所は多くないから、特定するのは簡単だ。
「脱出には『スケアクロウ』を使う」
陽花は端末の画面を見ながら、何やら自信ありげに言う。しかしシティにかかしなど存在するはずもなく、私は首を傾げた。
「なんだそれは」
「私が作ったソフトウェア。ここのネットワークとはもちろん別だけど、敵の暗視装置もネットワークで繋がってる。あと少しでシステムに侵入できるから、屋外にスケアクロウを立てて、私達がもう脱出したように誤認させる」
私は理解が追いつかず、喬と顔を見合わせた。今まで泥臭い銃撃戦や乱闘をしてきた私にしてみれば、はるか高次元の話である。ネットワークに多少詳しい喬にしてみても、ほとんど同じ感想のようだ。
「まるで魔法だな」
私がそう言うと、陽花はほんの少し顔を上げた。
「前にお父さんが言ってた。『ネットワークの進化によって、上級ハッカーは本物の魔術師になった』って」
私はまた、彼女への評価を更新する必要を感じた。
「陽動作戦には賛成ですが、降りるのはどうしましょうか。エスカレーターや階段だと、鉢合わせるかもしれませんよ」
「それなんだけど、非常用エレベーターが使えないかって」
ジュリアが説明する。非常用エレベーターは、施設を訪れる客が使用するものとはまた別に存在し、災害などの非常時に備えて設置されたエレベーターである。客用エレベーターは経年の劣化があってまともには動かず、また到着する場所が一階フロアから見えやすい位置であるため、脱出には適さない。
しかし非常用エレベーターは耐久力の高さや使用頻度の少なさから、現在まで機能が残存していた。この場所からも近く、到着の際に発見されるリスクも少ない。
ジュリアの説明を陽花が引き継ぐ。
「私達が一階に着くのと大体同じタイミングで、スケアクロウを起動させる。相手の気が逸れたら、その隙に脱出」
「その後はどうします? 港湾地区までの道は隠れる場所が少ないですからね。のんびり歩いていればまた襲われるでしょう」
喬がまた懸念を述べる。それについては私に考えがあった。
「一階の車が使えそうだ」
「あの突っ込んできた車ですか?」
「ああ。動かなくなったときの様子からして、壊れた訳じゃないと思う。安全装置が作動しただけで。陽花、敵の配置も分かるのか?」
屍食鬼達がネットワークで連携しているのならば、各個の位置関係もどこかで統括しているはずである。
「今出た。二階フロアのエスカレーター前に二人。南の玄関と北の裏口、これは外側に四人ずつ。暗視装置を着けてない敵は分からない。でも多分いないと思う。さっきの劇場にも二つあるけど、これはさっきから動いてない」
昆龍城内部にいる人間は案外少ないようだ。部隊を編成し直しているのかもしれない。脱出口となる玄関について、人が見張っているだけなら突破は難しくないだろう。
車を奪い、玄関から外に出る。そのまま港湾地区まで走り抜ければ、船はすくそこだ。しかしそれにあたって、まだ気にしておかねばならない問題があった。
「船はちゃんと来てると思うか?」
私はジュリアに尋ねたが、これは意地の悪い質問だ。今回のようなケースで、判断の材料などあろうはずもない。彼女は眉をひそめて、複雑な表情をした。
「私の連絡が午後八時ごろ。今が午前一時二十二分。三十ノットで香港から急行したとしても……、かなり、ギリギリかもね」
もちろん、これは問題なく手配が済んだ前提での話である。そもそも船が来ないというのならば万事休す。遅れてしまった場合でも、優雅にカフェで時間を潰すという訳にはいかない。
「どちらにせよ、行く以外の選択肢はないか。来なかったらそのときにまた考えよう」
「一応聞きますけど、僕も載せてもらえるんですよね?」
喬が深刻になりかけた空気を感じ取ったのか、おどけるように言う。
「ええ、乗り心地は保証しないけどね。陽花、準備は大丈夫?」
ジュリアが確認すると、陽花はコマンドの入力を終え、端末をリュックにしまった。
「今、非常用エレベーターを呼び出した。スケアクロウの発動は五分後」
彼女は椅子から立ち、その場にいる全員を見渡す。
「行こう、みんな。こんなところで死ねないよ」




