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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
泥濘のオートマタ
32/60

昆龍城 -2-

 この場所が家電量販店だと判るのは、外にロゴ付きの看板があったからだ。しかし一歩中に入れば、電器屋であることを示すものはもう何もない。


 テナントがどういう形で撤退したのかは知らない。昆龍城クンロンチャン自体が閉鎖するという段になって後に入るテナントもないだろうから、棚や設備なんかは多くがそのままになっていたのかもしれない。何が残っていたにせよ、おそらくそのすべては、流入した住人に略奪されてしまっただろう。


 ただ、何もない、というのは、元のテナントに存在していたであろうものが何もない、という意味であって、まったくのがらんどうであるという訳ではない。


 かつては家電や電気製品が陳列されていたであろう空間。今そこに立ち並んでいるのは、昆龍城クンロンチャンの外に並んでいるバラックよりも一層粗末な、仮設とも言えないボロボロの工作物だ。辛うじて空間を仕切るだけの、床に寝ても身体が傷まないだけの、本当に最低限の住居である。


 店の広さは大体二十メートル四方といったところだ。中にはどれだけの人がいるだろうか。照明で見える限りでは、おそらく数百。商業地区ダウンタウンで暮らす平均的な一人が使うスペースに、十人以上がいる見当だ。


 我々は敵に背中を撃たれないよう、廃材でできた林の奥に分け入った。それを追う屍食鬼グール達も、当然店に入ってくる。彼らは遠慮しない。する理由がない。昆龍城クンロンチャンの住人は、政府にとっていようがいまいが関係ない存在だ。殺したところで、文句を言う人間さえ出てこない。邪魔な工作物は蹴り飛ばされ、叩き壊される。


「月島さん、あと何発残ってます」

「さっき切れた」


「僕はあと二発です。奪ってみましょうか。追われるだけは嫌なんで」


 確かに、ろくに反撃できない状態で追い回されるのは気分が良くない。とはいえ、屍食鬼グール達を倒すのも決して容易な仕事ではない。ただ、開けた場所ならいざ知らず、このような暗く死角の多い場所であれば、不意打ちで肉弾戦に持って行くのも不可能ではないだろう。銃の撃てない間合いで襲えば、勝ちの目も見えてくる。私はリスクとリターンを天秤に掛け、素早く結論を出した。


「やってみよう。相手の気を引いてくれ」


 改めてあたりを見回すと、なんとなくこの空間の構造が解ってきた。無秩序なようでいて、住居となる工作物はいくつかの列を成している。列の間に人が通れるような空きがあり、我々はそこを通ってきた形だ。


 敵の行動パターンを見るに、屍食鬼グール達は二人一組で動く。今、店の中に入ってきているのは二組か三組だろう。うまく一組だけ襲い、銃を奪って逃走したい。


 先ほどの銃撃戦から受けた感触として、屍食鬼グール達は屋内での強襲や遭遇戦のスペシャリストという訳ではなさそうだ。単純に部隊が結成されてから日が浅く、経験の蓄積がないか、本来は容易周到な暗殺だけを専門にしていたか。むしろ刑事として、犯罪組織との交戦や、立て籠もり事件への対処を繰り返してきた我々の方が、熟練であるとさえ言えるかもしれない。


 しかし特殊部隊というぐらいだから、個々の戦闘力はかなり高いだろうと予測できる。正面から殴りに行くのは自殺行為だ。


 チャオは手近にあった大きめの空き箱を引き寄せ、遮蔽とするようだ。弾丸などすぐに貫通してしまうだろうが、多少なりとも身を隠すことはできるだろう。壁を背にして、正面から来る敵を迎え撃つ姿勢だ。


 私はチャオを残して、接近してくる屍食鬼グール達の視界から外れるよう回り込んだ。一応の通路となっていても、廃材やゴミの類はもちろん、生死不明な人間の脚が付き出ていたりして、歩行に気を使わなければならない。


 周囲からは、眠りを妨げられたことに対する悪態、互いに何事かをささやく声、意味不明の呟きなどが聞こえてくる。静寂とは程遠い雰囲気であるにも関わらず、私はここがまるで墓所のようであると感じた。屍食鬼グールとはまた別の、生きた死者達が住まう場所。


 人体を跨ぎ、住居に侵入しつつ、私は不意打ちに適した場所を探した。途中、落ちていた一メートルほどの鉄筋らしき金属棒を拾い、武器とする。


 移動に掛けたのはおよそ十秒。その間にも、屍食鬼グール達は速やかに、密やかに歩を進めてくる。チャオが気を引いてくれるとはいえ、下手な場所で待ち構えればいい射撃の的だ。私はロープに垂れさがっている毛布だかシートだかの背後に潜み、その隙間から相手の気配を窺った。


 一秒、二秒。慎重な足音が迫る。私は手に持った鉄筋を腰の辺りに構えた。


 三秒。私の視界に屍食鬼グールの二人が映る。その瞬間、七、八メートル離れた位置にいるチャオが発砲した。


 乾いた銃声が店内に響く。直前でチャオに気付いた屍食鬼グール達が回避行動を取り、進行を止めた。惜しくも弾丸は命中しなかったが、彼らは警戒して姿勢を低くした。その瞬間を捉え、私は近い方にいた隊員のこめかみを狙い、手に持っていた鉄筋を槍のように突き出した。


 相手にとっては、右側面からいきなり金属棒が突き出してきた格好だ。私の手に衝撃が伝わり、鉄筋を命中させた敵の身体が大きく傾いだ。素早く鉄筋を引き戻し、今度は力まかせに両足を払う。立て続けに攻撃を受けた屍食鬼グールの一人は、身体を支えきれず仰向けに転倒した。手持ちの拳銃が床に落ちて、硬い音を立てる。


 もう一人の隊員が私に銃を向けようとした瞬間、弾丸のように走ってきたチャオがその敵にタックルを喰らわせた。


 私とチャオは相手を分断し、それぞれと一対一で戦うことになった。銃の使えない、いわゆる近接格闘(CQC)の間合いである。


 私がこめかみを打った相手は地面に倒れ、衝撃を受けながらもまだ戦闘能力を残している。過酷な鍛錬に裏打ちされた、驚くべきタフネスだった。


 先ほど床に転がった銃。彼がそれを取ろうと手を伸ばしたところに、私は追撃の鉄筋を振り下ろした。しかし相手はそれを予期していたようで、素早く手を引き、全身のバネを使って立ち上がる。うまくフェイントに引っかかってしまった。


 本来武器ではないもので格闘するのは、この場合むしろ不利だと判断した私は、鉄筋を手放して、至近まで迫った敵に組み付こうとする。だが巧妙に捌かれて、どうにも有効な技が掛けられない。


 相手が突き上げるように繰り出した拳を、私はなんとか腕で防ぐ。まともに受けると、骨が軋むような衝撃である。


 目前にいる屍食鬼グールが使うのは、空手でもムエタイでも、シティ警察式の逮捕術でもなかった。もっと実戦的な、相手を殺傷することだけに特化した格闘術だ。私は的確に攻撃をいなされたあと、振り抜かれた肘で顔面を打たれてよろめいた。


 チャオがいる方向で発砲音。劣勢なのかもしれないが、今は手助けすることができない。


 この場の戦闘において、死なないようにするのはもちろんだが、長引かせるのもまずい。既にほかの屍食鬼グール達が、騒ぎを聞いて近づいて来ているだろう。しかし敵の実力がどうにも侮れなかった。

 私は息を吐き、焦りを押さえつける。決着を焦れば、致命的な反撃を食らいかねない。


 相手はダメージを追った私との距離を容赦なく詰めてくる。右脚で放たれる鋭い前蹴り。私は有効打を辛うじて避け、左脇腹あたりで相手の脚を抱え込む。そして半ば苦し紛れに、左の軸足を払った。


 私の足払いは威力という点で今一つだったが、相手は反応と踏ん張りが遅れ、バランスを崩した。おそらく、暗視装置ノクトビジョンを着けている分、視界がわずかに狭いのだ。私は抱えていた脚を、相手の身体ごと通路の横に投げ飛ばす。人ひとりが突っ込んだことで粗雑な工作物が破壊され、住人が抗議の声を上げる。


 床に落ちたままの拳銃を、私は素早く拾い上げる。チャオの方を向けば、先ほどから戦っていた屍食鬼グールに組み伏せられ、拳銃で顔面を撃ち抜かれそうになっていた。


 私は咄嗟に、チャオのマウントを取っている相手の横っ腹を拳銃で撃つ。弾丸が防弾衣越しに肋骨を叩き、屍食鬼グールの呻き声が上がる。その緩んだ手からチャオが拳銃を奪い取り、下から顎を撃ち抜いた。脳を吹き飛ばされた屍食鬼グールの身体は力を失い、本物の死体となって仰向けに倒れた。


 安心するにはまだ早い。私は店の出口に向かいつつ、チャオの手を取って助け起こした。


「おい、走れるか」


 チャオは私の手を強く握り、腕に力を込めて立ち上がる。撃たれてはいないが、何発か殴られたようで、ほんの少しふらついている。


「さすがに死ぬかと思いました」


 住人がまた少し騒がしくなり、屍食鬼グール達は我々を一時的に見失ったようだ。この場所で戦い続けるという選択肢もないではないが、少なくないダメージもあって連戦は厳しい。脱出するなら今の内だ。


 我々は店舗を飛び出し、今度はフロアの隅にある非常階段を使って三階に向かうことにした。陽花がシステムを掌握するには、まだ時間が掛かるらしい。

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