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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
泥濘のオートマタ
31/60

昆龍城 -1-

「今度は何よ!」


 深夜の昆龍城クンロンチャンに、暴力的な闖入ちんにゅう者。派手な音を立てて飛散するガラス片や瓦礫から頭を庇うようにしながら、ジュリアがほとんど泣き声で言った。昼過ぎからの危機続きで肉体と精神を酷使しているのだから、勘弁してくれという気持ちになるのはよく解る。


 突入してきた車は様々なものを跳ね散らしながら三六〇度スピンして、玄関から二十メートルほどの位置まで滑っていった。衝撃によって安全装置が作動したのか、じきにエンジンが停止、車体は完全に沈黙する。挙動からして、アクセルとブレーキを踏み間違えたという風ではない。


 無法地帯の昆龍城クンロンチャンであっても、車での乗り込みは珍しい出来事であるようだ。闇の中に潜んでいた住人がざわつき始め、点灯する照明の数が増えた。


 車両の型を見れば、それは白黒のパトカーでも、よく見るタイプの大衆車でもない。企業の幹部や官僚が乗るような、外国製の黒い高級車だった。誰かが降りてくる気配はない。運転手以外が乗っている様子もない。右の窓からかすかに見える人影は、運転席でぐったりして動かない。


 私にはその人物が、ジュリアやグウィディオンの関係者ではないか、という気がした。もしそうならば、脱出船の手配を勘付かれたか、そもそも失敗した恐れもある。


 私が運転手の身元を確認するために車へと近付こうとしたとき、外でまた、タイヤとコンクリートの摩擦音が聞こえてきた。荒っぽいがコントロールされた停止。突入してきた車を追ってきた何者かだろうか。玄関から差し込むヘッドライトが、闇に慣れた私の目を一瞬眩ませた。ドアが開く音と短く鋭い命令の直後、複数人の足音が聞こえてくる。訓練された集団だが、刑事や交通の警察官ではなさそうだ。非常に悪い予感がする。


 まもなく玄関から、六つの人影が速足で侵入してきた。ちらりと見えたのは、警察や軍で使用される最新鋭の暗視装置ノクトビジョンと、顔の下半分を覆う黒いマスク。


 屍食鬼グールだ。


 暗いモノトーンの都市迷彩服に身を包んだ屍食鬼グールの隊員達は、ヘッドライトに照らされてフロアに長い影を作る。彼らは互いをカバーしあい、素早く周囲を警戒しつつ、突っ込んだ車に接近する。我々と屍食鬼グール達の距離は、およそ十五メートル。


 私はなんらかの幸運で、屍食鬼グールの隊員達が我々を見落としてくれはしないかと期待したが、さすがに精鋭部隊とあって、索敵に粗雑さはなかった。


 屍食鬼グールの一人が、暗視装置ノクトビジョンの無機質な眼で我々の方を見て、その存在を仲間に伝える。すぐさま複数の銃口が我々の方を向き、機械的な殺意が照準された。


「走れ!」


 私が叫び、全員が走り出すのとほぼ同時、今までいた場所に銃弾が送り込まれ、背後の壁を容赦なく穿った。


 辛うじて死を免れた我々は、奥に向かって追い立てられる。そしてフロアを突っ切って裏口を目指すか、さらに上階へと行き、住人に紛れるかの判断を迫られた。我々がここにいることが露見した今、全ての出入口は速やかに封鎖されるだろう。すぐに昆龍城クンロンチャンを出なければ、脱出は困難となる。しかし裏口へと向かうためには、遮蔽のないフロアを何十メートルも走り抜けなければならない。


 先頭を走るのは陽花とジュリア。彼女らは上層への逃走を選択したようだ。それが正解かどうかは判らない。しかしどの経路がいいかを議論している時間はおろか、一瞬たりとも迷っている余裕もない。我々は突っ込んできた車を遮蔽にしつつ、フロア中央のエスカレーターに向かう。


 背後の気配からして、出入口からは最初の六人に加え、さらに複数人が侵入してきたようだ。我々に向けられた次弾は、車が邪魔になって命中しなかった。先ほどより発砲音が小さい。銃に消音器サイレンサーを装着したのだろう。


 追手が掛かるかもしれない、という予想はもちろんあったが、こんなに派手な形で遭遇するとは思っていなかった。初弾で死傷者が出なかったのは多分に幸運である。我々は落伍者を出すことなく、なんとかエスカレーターのもとまで辿り着いた。数十メートル続く上層への道。その先にあるのが得体の知れない場所でも、死にたくなければ進むしかない。心躍るショッピングにはなりそうもなかった。


 軌道に沿って配置されたLEDには電気が供給されているが、エスカレーター自体は稼働していなかった。我々は立ち止まることなく駆ける。


 動いていないエスカレーターを上るのは、普段の感覚もあって案外難しい。しかし転倒すれば怪我をするだけでなく、敵の足元に落ちる危険もあるため、我々は焦りを抑えて確実に足を運ばなければならなかった。幸い、エスカレーターを覆うチューブ状のアクリル板や、左右の手すり遮蔽の役割を果たし、遠距離から撃ち殺される危険はかなり減じられていた。


「で、このあとどうなるんです?」

 銃を片手にエスカレーターを上りつつ、チャオが尋ねる。


「私に考えがある。中央管理室はどこ?」

 陽花が息を切らせながら言った。


「大体見当は付くけど、行ってどうするの?」

 意図を理解できなかったらしく、ジュリアが疑わしげな声で言った。


 しかし私には、陽花が何か勝算を持っているらしいことが解った。電気が点くということは、昆龍城クンロンチャンの基本的なインフラが生きているということだ。今どきの配電はネットワークなくしてあり得ないから、それらを統括する機能も残存している公算が高い。中央管理室でシステムを掌握できれば、我々の脱出に有利な工作を施すことができるだろう。


「何分必要だ?」


 陽花が何をするにせよ、追手を背後に貼りつけたまま作業はできない。私は敵の足止めをするつもりだった。エスカレーターに到達した屍食鬼グールの隊員が発砲し、私の足元で弾丸が跳ねる。


「管理室に入れれば、七分か八分でなんとかする」


 ならば、最短で十分か十五分というところか。広い昆龍城クンロンチャン、数千からの住人。相手は暗視装置ノクトビジョンを着けているので、闇に紛れるのは難しい。しかし環境を利用し、うまく立ち回れば、人数で上回る特殊部隊を相手にして、時間を稼ぐことができなくはない。


 とはいえ、敵に発見されている状況で住人に紛れるという行為は、即ち人間を盾にするということだ。自由意志の尊重というご立派な理念を掲げながらも、我々はもう随分前から、綺麗ごとを言えない段階まで追い詰められていた。


 下からの銃声。跳弾がアクリルにヒビを入れる。


 無力な人々が犠牲になる。私にも当然、そのことに対する抵抗はある。若いころに叩き込まれた警察官の倫理は、そう簡単に消去できるものではなかった。それでも私の自我が持つ現実的な部分は、安易な感傷センチメントを跳ねのける程度には強靭であった。今この状況。ためらいは死に直結する。


 どちらにせよ、エスカレーターでの足止めは必要不可欠だ。追手の人数をまだ確認していないが、一人で応戦するのは明らかに無謀だろう。陽花はハッキングで何かするつもりだし、ジュリアも荒事向きではない。


チャオ、手伝え」

「無茶言うなあ」


 当然、この人選となる。彼には悪いが、巻き込まれてくれたのは僥倖だった。チャオも薄々覚悟はしていただろう。


 そして我々は動かないエスカレーターを上りきった。陽花とジュリアが中央管理室を探し、私とチャオ屍食鬼グールの進行を遅滞させる。どちらかが潰れれば、もう片方も危険に晒される。作戦とも呼べないような作戦だが、視界に捕捉され、もうこそこそ隠れ潜むことも難しい以上、積極的な行動に打って出るしかなかった。


「陽花、ジュリア。気をつけて行け」

「月島さん、チャオさんも、またあとで」


 暗いフロアに消える二人を見送り、私とチャオはエスカレーターの終点に残る。上ってくる屍食鬼グールの隊員達に向き直り、そろそろ一矢報いてやろう、と腹を括った。


「案外芯の強い子みたいですね。本当になんとかなるんです?」

「今回は知らないが、半年前はなんとかなった」


 一発、二発と敵方が発砲したので、私とチャオは頭を下げて飛来する弾丸を躱す。アクリルのチューブ一本の中に、エスカレーターが二列。上ってくる屍食鬼グールは四人。しかし彼らは我々がこの場に残ったのを見て、ほんの一瞬だけ躊躇を示す。反撃に対して、自分達が不利な位置にいることを理解したのだ。


 二列に分かれているとはいえ、一直線のエスカレーター。左右を手すりに挟まれ、LEDライトで照らされた軌道は、弾丸の回避を極めて困難にする。


 チャオが伏せた姿勢のまま、手にした制式の拳銃を発砲する。短い間隔で放たれた二つの弾丸は、エスカレーターの片側を走っていた屍食鬼グールの一人に命中した。 


 相手は仰け反るが、倒れない。特殊繊維の防弾衣を身に付けているようだ。それでも動きが鈍り、駆け上がる脚が止まった。致命傷は受けなくとも、亜音速で飛来する弾丸のエネルギーを殺せる訳ではない。ダメージは確実にある。


 もう片方の列。まず私は妨害のため、周囲に転がっていた廃材を手当たり次第投げ下ろす。紙袋に詰まったゴミ、家具の破片、壊れた電化製品、束ねられた鉄パイプ。それらは重力に従って通路を転がり落ち、銃弾を警戒する敵の足元を脅かした。スマートな攻撃ではないが、綺麗ごとを言っている場合ではない。


 相手の気が散ったところで、私は改めて射撃の姿勢を取った。片膝で立ち、身体を安定させる。逃げ場のない通路上の的ならば、たとえ照明が十分でなくとも、命中させるのは難しくない。


 かつて使い慣れたコルト製の拳銃で、私は一人の太腿を撃ち抜いた。懐かしい反動だ。チャオと肩を並べてくぐった、いくつもの修羅場を思い出す。それと同時に感覚も研ぎ澄まされ、動作の無駄も削ぎ落とされていくのが分かった。


 負傷者を出した屍食鬼グールの隊員達は無理な進行を諦め、その場所で伏せて応戦し始めた。自分や仲間が被弾しても意気が衰えない。不利な場所に飛び込む愚はともかく、士気は高い。


 相手はすぐに体制を立て直し、効率的な射撃をおこなってくる。我々は地の利を得ているが、銃口の数が倍違うと、圧倒するのは難しい。加えてこちらには、予備弾も防弾衣もないのだ。


「何人入ってきてると思う?」

「さっきいたのは、二個班十二人ぐらいじゃないですかね」


 出入口の封鎖に、あと最低一個班は割いているだろう。屍食鬼グール全体の規模がどれほどのものか知らないが、現在投入されているのは、民間人を殺すには明らかに過大な戦力だ。まるで自分達が、政府中枢に爆弾を仕掛けたテロリストにでもなったような気分だった。逆に言えばこれほどの編成、屍食鬼グールとそれを操る人物にとって、Xリストが爆弾以上に危険なものである証左なのかもしれない。


「長居はできないな」


 この場所の戦況は膠着している。しかしエスカレーターから四人しか上ってきていないのならば、先ほど大量に入ってきた隊員の残りは、エスカレーターを迂回して上階に向かっているということである。


 フロア中に散乱する雑多な物品と、それによる移動への障害を考えても、この場所で踏ん張れるのはあと一分以内だろう。とはいえ、下からの銃撃によって我々は半ば釘づけになっている。迂闊に動けば身体に風穴が空く状況下、後退にも気を使わなくてはいけない。


 そして案の定、我々の背後にあたるフロア北西、北東の隅から、住人たちの騒ぐ声や悲鳴が聞こえてきた。屍食鬼グールの隊員が上ってきたようだ。彼らが身に付けている暗視装置ノクトビジョンは、音声やデータを送受信したり、位置情報を投映したりと様々な機能を備えている。おそらく相互に連携を取り、我々を挟撃するつもりなのだろう。


 背後に注意が逸れた直後、私の耳を銃弾が掠めた。こちらも段々と押され始めている。


「俺の耳はまだついてるか」

「僕から見える方はくっついてますね。そろそろ下がりますか」

「ああ。あそこの電器屋に避難しよう」


 本当ならば、少々の軽口を言っている余裕さえない。ただ、元よりヤケクソのような行動であるし、容赦なく殺しに掛かってくる敵の圧力プレッシャーをはねのけるためには、あながち無意味な行為という訳でもない。


 先ほどエスカレーターを上ってきたときにもちらりと確認したが、フロアの東側には大手家電量販店のテナントが入っていた。誰でも知っているようなロゴが店舗の上部に掲げられているが、今はいくつかの粗末な照明が吊るされていて、暗がりの中どこか恨めしそうに浮き上がっている。店舗のスペースは広く、入ってすぐに袋の鼠ということにもならないだろう。少なくとも、開けた空間で挟撃されるのは防げる。


 私は威嚇射撃を続けながら、まずはチャオを後退させた。弾倉はもうほとんど空になっている。次にチャオが周囲を警戒し、私が後退する。


 銃を撃ちまくる我々や屍食鬼グールの隊員から逃げ出す住人で、フロアは騒がしくなってきていた。ここにいる者のほとんどが不法占拠者とはいえ、我々の闖入はさぞ迷惑だろう。しかし中には逃げない者もいる。近くで銃撃戦が発生しているにも拘らずその場に留まるというのは、一般的な感覚からすると驚くべき反応の鈍さである。


 騒ぎへの不干渉を貫いているのか、自身の危機さえどうでもいいと思っているのか、単純に病気か怪我で動けないのか。あるいは暴力沙汰が日常茶飯事で、いちいち騒ぐほどのことではなくなっている、ということなのかもしれない。


 住人の反応は置いておいて、私は視界の端に、接近してくる屍食鬼グールの隊員を捉えた。最新の暗視装置ノクトビジョンなら、色や解像度も肉眼とほぼ変わらない。とはいえ、人間や障害物を透過して見ることはできないから、混乱する人々の中で我々を素早く見つけ、肉薄するのには難儀するだろう。私とチャオは互いの死角と隙を補い合いながら、なんとか店先まで到達した。


 陽花、ジュリアと別れてから何分稼げただろうか。今は時計を見る余裕がない。一分後の見通しも立たない現状、とにかく次の十秒を凌ぐことに集中するしかなかった。私は飛来する銃弾を躱すように身を翻し、牽制の一発を放ってから、チャオと共に店の中へと飛び込んだ。

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