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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
泥濘のオートマタ
29/60

糸 -4-

 グラスローズに入って一時間ほど経っただろうか。午前零時ごろ、部屋のドアがノックされ、おずおずといった様子でマリアが入ってきた。


「月島さん。お客が来てる」

 客という言葉に警戒心を呼び起こされ、我々三人は緊張で身を固くした。


「警察か?」

「違う。南海幇ナンハイパンの人」


 パンとは団体や結社という意味で、海虎一家の一家にあたるような言葉である。南海幇ナンハイパンといえば、貧民街ブロッサム・ストリートを勢力範囲に置く地元マフィアだ。グラスローズの実質的な所有者でもある。


「どうもぉ、月島大哥(ダイゴー)

私が次の反応を返す前に、マリアを押しのけるようにして男が入ってきた。

ファンか」


 訪れた南海幇ナンハイパンの構成員は、名を黄永福ファンヨンフーという。痩せて青白い顔をした、いかにも不健康そうな人物だ。私とは同年代だが、ファンはやや卑屈な態度で、私の名前に目上に対する敬称である大哥を付ける。


 それでも、ファンは幇の中堅に位置する立派なマフィアである。彼は五年前に起こった抗争でうまく立ち回り、海虎一家に潰滅させられた組織に代わるような形で、グラスローズとその一帯に南海幇ナンハイパンの勢力を拡大することに成功していた。


「厄介ごとに巻き込まれてるんだって? 可愛い女性を二人も連れちゃって、案外隅に置けないね」


 耳の早いことだ。ファンはどこで知ったのだろう。彼のすぐ背後では、マリアが小さく首を振っている。彼女が積極的に注進したとは思えない。どちらにせよ、場所を選んだ私の判断ミスだ。ベッドがなくとも、そのあたりの廃屋に潜り込むべきだったかもしれない。


 私はひとまず、相手の出方を窺うことにした。あからさまに敵対している相手ではないが、油断はできない。


「まあ、そんなところだ」

 相手の言葉は肯定するが、詳しい説明は避ける。


「こちらもね。大哥ダイゴーがお困りとあれば助けるのにやぶさかじゃないし、ここにいると堅気にも迷惑掛かっちゃうからね」

 ファンは真意の読めない薄笑いを浮かべながら言った。


「顔、貸してくれる? ボスに相談してみようよ」


 そこで私は、Xリストに南海幇ナンハイパンの首魁である人物の名があったのを思い出した。リストはその存在を含めなるべく秘匿しておきたかったが、場合によっては交渉の材料になるかもしれない。どのみちここは窓のない部屋であり、脱出は不可能である。拒否や抵抗もあまり良い結果をもたらさないだろう。


「ああ、そうしよう」


 私は陽花とジュリアを見遣り、今は従うよう無言で促した。


 部屋の外に出ると、ファンの他にも何人かの男達がいた。私の傍らで、陽花が小さく身震いする。半年前、黑色女人ブラック・レディに拉致されたときのことを思い出しているのだ。


「安心しろ……と言いたいところだが、警戒しておいてくれ」


 私は彼女にだけ解るよう日本語で囁くと、陽花は気丈な顔で小さく頷く。


「気を付けて」

 グラスローズを出ようとする我々の背後から、マリアが消え入りそうな声で言った。


 受付の女性に恨めしい視線を送りながら建物の外に出ると、玄関の前に三台、黒い車が停まっていた。我々三人はファンの運転する一台にまとめて乗せられ、その前後を別の二台が挟む形で移動するようだった。私が助手席、陽花とジュリアが後部座席に座った。


 車は貧民街ブロッサム・ストリートの暗い街路を行く。


大哥ダイゴー、兼城さんはどうしてる? 海虎一家とは近頃あんまり関わりもない」

 静かな車内で、ファンがふと尋ねた。


「それなりに上手くやってるようだ。俺よりもよっぽど羽振りがいい」


「羨ましいことだね。ウチは最近青息吐息で、ボスも何か一発逆転を狙ってる。じゃなきゃこのまま窒息死だ、って」

 黄は右手で自分の首を掴み、苦しむような顔をしてみせる。


 やがて車は別の通りに合流した。直線に長い道路の先、赤と青のライトが見える。警察車両(パトカー)で間違いないが、通常の検問とはやや違う。


「避けられるか?」

 聞いているのかいないのか、ファンは答えない。


「おい」

「悪いね。俺も本当はやりたくないんだよ」


 前を向いたままそう言ったファンの横顔には、かすかに悲哀のようなものが浮かんでいた。Xリストがいつ時点のものだったかは分からない。しかしかつて貧民街ブロッサム・ストリートで自由を謳歌していた男の手足には、もう強固な糸が結び付けられていた。


「月島さん」


 後部座席で陽花が声を上げる。私は一瞬逡巡した。ファンを無力化して車を奪うこと自体は可能だろう。しかし前後の車、そして警察の車両をどう捌くか。


 しかし私が行動を起こす直前、今乗っている車両の前方を遮るようにして、横の通りから別の車が突入してきた。けたたましいクラクションが鳴り響く。南海幇ナンハイパンの車列は、衝突を避けてその場に停まった。


「なんだ?」


 ファンが右の窓から顔を出し、前方を見ようとする。その一瞬の隙を突き、私は彼の肋骨側面に右拳を叩きつけた。


 短い苦痛の呻き声が上がる、ファンが咄嗟に頭を車内に戻したところで、私は彼の襟首と脇あたりを両手で掴み、今度は自分の方に引きつける形で、閉じたままの左窓に勢いよく衝突させた。鈍い音がしてガラスにひびが入り、ファンの身体から力が抜ける。


「俺だってやりたくないよ」


 それから私は陽花とジュリアに指示を飛ばし、ドアから車外に転がり出る。いつ銃弾が飛来してくるか分からないので、身を低くしたまま素早くあたりを窺った。


 先ほど割り込んできたのは白いパトカーで、乗員はもう降りて銃を構えていた。私服の警官が二人。


「月島さん!」


 警官の片割れが声を上げた。それは私のよく知る人物だった。七年以上前にコンビを組んでいた、喬小龍チャオシャオロンという若手刑事だ。


 南海幇ナンハイパンはおそらく公安と内通し、我々およびXリストを確保しようとしていたのだろう。しかしそれを良く思わない跳ねっ返りの刑事がいて、無茶な横槍を入れてきたという訳だ。一応は味方であると考えていた警察に妨害されて、マフィア達は動揺している。リーダーであるファンも気絶してしまっているため、指示する人間もいない。


「敵なの? 味方なの?」

 頭を手で庇い、姿勢を低くしたままのジュリアが言う。

「俺の知り合いだ。刑事だから公安とは違う」


 組織として必ずしも味方とは限らないが、チャオ個人に関しては信頼できる。今この場を切り抜けるにあたって、彼らの存在は有利な要素だ。


 しかし脱出の希望を掴ませまいとするように、道路の先にいた警察車両が動いた。


チャオ。やっぱりヤツら公安だ」


 背後を窺いながら、チャオの傍らにいた警官が言った。次の瞬間、五十メートル以上先からマズルファイアが見え、チャオのパトカーに弾丸が命中した。


 加えて南海幇ナンハイパンのマフィア達は反撃を決意したらしく、隠し持っていた拳銃をチャオ達に向けた。我々三人、マフィアが四人、チャオとその相棒で二人、そしてまもなく公安が到着する。


 陽花とジュリアは自分達の判断で、左側の歩道に退避した。私は背後からマフィアに組み付き、地面に放り投げて銃を奪う。私に気をそらされたもう一人が、チャオに肩を撃ち抜かれる。


 連続する銃声と怒号が、夜の貧民街ブロッサム・ストリートに響きはじめた。


 私は奪った拳銃で、残るマフィア二人を狙った。しかし公安の車両が二台、三台と展開しはじめ、一人撃ったあとは頭を下げざるを得なくなった。


 そして降りてきた数人の公安によって、一斉に射撃がおこなわれた。チャオは辛うじて伏せたが、相棒は間に合わず、銃弾を受けてその場に倒れた。私の近くに立っていた最後のマフィアも、頭に一発喰らったようだ。銃弾で砕けた頭蓋が、力を失った身体と一緒に地面にぶつかり、ぐしゃりと音を立てた。


 遮蔽によって見えにくいが、車両から現れた人員は、全員がいわゆる台湾マスクと呼ばれる、黒い不織布のマスクを身に付けていた。意図的に個性が消された、不気味な集団だった。


 私はハンドサインでチャオに離脱を促した。敵は刑事さえ殺害するのを躊躇しない。こうなればもう一蓮托生だ。チャオは倒れたまま微動だにしない同僚を苦々しい顔で見つめてから、彼の拳銃を回収して私に従った。


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