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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
泥濘のオートマタ
24/60

失踪者 -3-

 「オートマタの岱輿城市ダイユー・シティ支社は、システムの運用と保守が主な業務ね。支社の本部では営業とマーケティングもやってるけど、今から向かう事業所はシステムのトラブルに対応できるよう設置されたものよ」


 我々はホテルの前からタクシーに乗り、社員が失踪した事業所のある商業地区ダウンタウンへと向かっていた。ジュリア曰く、シティにある出先の事業所は全部で七つ。それぞれに四人から十人程度の社員が常駐しているとのことだった。今回の事業所は最も小規模らしく、そうすると四人の社員と連絡が取れなくなったことになる。


「支社の人間は状況をどれだけ把握してるんだ?」

「正直、あまり。警察に任せようという方針もあったんでしょうけど」


 警察という言葉を聞いて、陽花は僅かに不快さをにじませた。

「警察なんて信用できないよ」


「そう言われるとOBとして微妙な気持ちだな。大多数は真面目な連中なんだが」


 とはいえ、陽花が経験した出来事を考えれば、警察に対する不信も当然である。一度信用を失墜させれば挽回するのは難しい。それは個人でも組織でも同じことで、権威の有無は関係ない。


「警察が信用できるかどうかはともかく、社員に失踪する理由があるかどうかの方が気になる。あるいは、失踪させられる(、、、、、)理由が」


 私の言葉に対して、ジュリアは考え込むような仕草をした。


「正直、そこの社員はかなり末端で、言葉は悪いけど代えの利く存在というか」


 ということは、事業所の機能にしても、働く社員にしても、それほど重要なものではないということだ。それでも、失踪が不審なものであることは変わりない。しかしこれ以上推論を進めるためには、実際に現場を調べてみる必要があるだろう。


 ホテルから事業所までは、車で十分も掛からなかった。我々がタクシーを降りると、目の前には角ばった白い八階建てのビルがあった。ジュリア曰く、この最上階に件のオフィスがあるようだ。大企業の事業所にしてはこぢんまりしているような気もするが、裏方はどこもこんなものなのかもしれない。


「管理者は事情を知らなかった。一応、支社からカードキーは借りてきたけど」

「ビルに入ってる他の事務所にも聞いてみよう。あまり期待はできないが」


 我々はエレベーターに乗り、八階にあるオートマタの事業所へ向かった。一つのフロアが占有されている訳でもなく、八階に入っているテナントの一つであるようだ。おそらく業務も高度にネットワーク化されていて、現地に大勢を置く必要がないということなのだろう。


 事業所の扉には小さな読み取り用の端末がついている。ジュリアがそれにカードをかざすと、電子音と共にロックが解除された。我々は重い扉を開け、オフィスの中に入る。


 予想されていたように、オフィス自体は小さかった。奥に窓があり、左右に灰色のキャビネットがあり、中央に島となった事務机がある。


「パソコンがない」


 陽花が言った。一目見て分かる異常はそれだった。ディスプレイやケーブルなどの周辺機器はそのまま残されている。しかし本体がない。


「誰かが持って行ったんだろう。少なくとも引越しじゃない」


 本体だけ持ち去ったということは、データにだけ興味があったということだ。私はフラガラッハの一件を改めて思い起こす。


 ジュリアは部屋の隅まで行って、床を見ながら腕組みをしていた。


「サーバもないわ。ここにあるのは多分小型のタイプだけど、一人二人で簡単に持ち出せるものじゃない」


 私は室内をぐるりと回り、キャビネットや窓を観察してみた。


 まず、警察による捜査はかなりおざなりだ。データの入った端末の本体やサーバを押収してはいるが、それ以外があまりに雑然としたままだった。ただその押収がかなり徹底されている。キャビネットの中には、いかなる種類の記録媒体も残されていなかった。走り書きのあるコピー用紙さえ見つからない。それらに表わされる捜査の異様な濃淡は、今回の出来事がただの失踪事件でないことを明確に示していた。


 私は部屋の中に目を戻す。弾痕や血痕はない。多少の暴力があった可能性は否定できないが、ここで血みどろの抗争がおこなわれた訳ではないようだ。とはいえ屈強でもなさそうなエンジニア四名。訓練された人員がいれば苦なく拘束できそうではある。


 私は窓際の壁に寄りかかり、腕を組んでジュリアに尋ねた。


「念のため聞くが、ここの社員がフラガラッハに関わっていたということは?」

「断言するわ。ありえない。フラガラッハの存在は決して表沙汰にできないものだし、本来オートマタとは関係がない」


「では、君が知っているのはなぜだ」

 私が疑わしげに問うと、彼女は眉をひそめた。


「……私がレベッカ・リーの協力者だからよ」

 私は真偽を確認するように陽花の方を見る。

「本当だよ」


 ジュリアが何か、私の不利益となる隠し事をしているのではないかという邪推は、どうやら思い過ごしだったようだ。私は腕を解いて壁から離れ、ジュリアに非礼を詫びた。


「いいえ、気にしないで。でもそうすると、どうして彼らはいなくなったの?」


 私は口元に手を当てて考え込んだが、妥当なアイデアは中々出てこない。


「誰とも連絡がつかないとなると……」


 私とジュリアが黙っていると、陽花が壁に取り付けられた小さな端末を弄り始めた。


「これ、何の読み取り装置?」

「それは多分、出退勤を管理するためのものね」


 出勤時と退勤時にカードをかざして、それぞれの時間を記録する仕組みだろう。自営業の探偵や学生にはあまり縁のない装置だ。


「例えば、ここの人が誰かに連れ去られたとして。社員の誰かが偶然休みだったら……」


 当日休んでいた人物が健在ならば、何かを知っている可能性がある。陽花が述べた可能性は十分考慮に値するものだった。しかしどうやって調べたものか。支社の総務は把握しているだろうか?


「ちょっと照会してみましょうか」


 ジュリアの提案を聞いているのかいないのか、陽花は自分のリュックからノート型の端末を取り出した。


「直接データを吸い出そう」


 手慣れていそうなのが少し気に掛かるが、それができるなら確かにスマートな方法だ。人間相手か、目に見える物証だけを対象に調べることの多い私は素直に感心した。


 しかし陽花に任せきりとなると、私のすることがない。出勤状況の照会は陽花とジュリアに任せ、私は同じフロアの人間に話を聞くことにした。締め出されないようカードキーを借りて、フロアの廊下に出る。


 私は深く考えず、まず扉を出て右隣にあるオフィスを訪ねてみることにした。社員達が失踪した当日に騒ぎが起こっていれば、そこの人間が何かに気付いたかもしれない。一つ一つの部屋が小さいので、オフィス同士の距離も近かった。フロアの中には六つか七つのテナントが入っているが、全部に話を聞く必要はないだろう。


 隣は小売チェーンの事務所であるようだ。オレンジ色をした掌大のプレートに、白抜きで社名が書いてある。扉には見たところロックが掛かっていたので、私は二度強くノックした。


 部屋の中で人が動く気配がして、重い扉が開かれた。怪訝そうな顔で出てきたのはワイシャツを着た、見るからに事務員風の男だった。私はオフィスの内部をさりげなく覗いてみたが、面白いものはなさそうだ。


「すいません、オートマタ本社の者なんですが。隣の事務所に居た社員、何処に行ったか分かります?」


 聞き込みに際しては、オートマタ本社の威光を利用することにした。疑われたときはジュリアを矢面に立たせればいい。


「いえ、知りませんね。特に挨拶もなかったし」


 事務員は部屋の中にいた仲間に声を掛け、何か知っていることがないかと確認してくれた。しかし有益な回答は得られなかったようで、彼は少し申し訳なさそうな顔をした。


「誰も知らないみたいですね。てっきり移転したものだと思ってたんですが、違うんですか?」

「違うようです。本社はともかく、シティの本部も把握してないんです」


 私がそう言うと、事務員は少し考え込むような仕草をした。


「三日か、四日前ですかね。荷物を箱詰めにして運び出してたのをちらりと見ましたよ。そういえば、引越し業者じゃなさそうでした」


 おそらくその人間達がデータを押収し、社員を拉致したのだろう。


「どういう人間でした?」

 私がやや身を乗り出して聞くと、事務員は肩を竦めた。


「ずっと見ていた訳じゃないですし、話もしてませんから」

「……そうですか」

「行方不明なら、警察に任せておけば大丈夫ですよ」


 落胆した様子を見かねたのか、事務員は親切そうに私を励ました。その警察が信用できないのだとは口に出さず、私は曖昧に微笑んだ。


「ご協力ありがとう。お忙しい所すいませんね」


 私は小売会社のオフィスを辞去し、陽花とジュリアの元に戻ることにした。フロアに入っている別のテナントに聞いても、多分同じような情報しか得られないだろう。


 扉のロックを解除して事業所の中へ入ると、陽花が事務椅子に腰掛けて端末に向き合い、ジュリアが立ったままどこかへの電話を終えたところだった。


「何か分かったか?」


「陽花が吸い出したデータをもとに、本社に照会してみたわ。社員が失踪したと思われる日の少し前から、欠勤している社員がいる。ただ、この社員が結構曲者みたいなの」

「曲者?」


 私がそう呟くと、ジュリアは手元の携帯端末デバイスで資料のようなものを表示させ、内容をかいつまんで読み上げ始めた。


袁剣峰(ユェン・ジェンフォン)。二十九歳、男性。採用時の身長一五四センチ、体重四十一キロ。かなり小柄で、顔も美形とは言い難いわ。正規の技術者エンジニアとして本社で採用されてるけど、一年半前に機密保持に関する違反を起こして停職三か月。その後、岱輿城市ダイユー・シティに転勤を命じられている」


 顔の画像を見せてもらうと、ユェンは普通の顔を上下から押しつぶしたような、特徴的な容貌をしていた。世界的IT企業の本社社員という身分は、控えめに言っても一流のコンピューターエンジニアである証拠だ。大きな失敗なく勤め上げれば、余裕のある生活ができただろうに。


「その違反っていうのは?」

「閲覧権限のないデータベースへの不正アクセス(クラッキング)ね。覗きが趣味なんでしょう、きっと」


 ジュリアは軽蔑をにじませながら言った。つまりこのユェンとかいう男はやらないでもいい馬鹿をやって左遷され、本来なら現地採用の下っ端がやるような業務を与えられて飼い殺しにされていたという訳だ。何年か我慢すれば本社復帰への道もあったのかもしれないが、起こした違反から考えて、そこまでの忍耐も持ち合わせていないだろう。


「たとえばその人が、何か危険なデータを盗んだとしたら?」

 事務椅子を回転させながら、脇から陽花が口を挟んだ。


 あまり重要ではない事業所。企業の中枢からは遠い社員達。そういった要因を鑑みると、ユェンの行為が失踪事件の引き金になったという陽花の推理は、十分考慮に値する。


 シティの機能をあまねく覆う内政システムであるパシフィックと、それを護るプレートメイル。その向こうにあるデータの内容はともかく、暇を持て余したエンジニアにとっては、歯ごたえのある獲物だったのかもしれない。盗むのは他社の顧客データぐらいにすればいいものを、愚かな社員はうっかりシティの機密に触れてしまったに違いない。


 そして下手を打って追跡され、特定される。次に彼を訪問するのは公安の連中だ。


「で、事業所の社員も全員巻き添えか」

 他の社員はいい迷惑どころの話ではない。今頃拘束されて、過酷な尋問を受けているかもしれない。


「ただそうすると、ユェンも捕まってるんじゃない?」

 ジュリアが懸念を口にする。


「いや、理不尽な話だが、ユェンが犯人なら、危機に気付くのもコイツが一番早いはずだ。それに経験上、周りに多大な迷惑を掛けた本人は意外と無事でいることが多い」


 根拠となるのは私の経験だけだ。しかし真相解明の可能性があるとすれば、ユェンの足取りを追うしかない。我々は彼の無事を前提として調査を進めることにした。ジュリアが端末から再びデータを呼び出す。


「本社からのデータには住所もあるわ。ユェンの家はここからそう遠くない」


 ジュリアが目的のアパートを管理する会社に問い合わせ、立ち入りの許可を得る。それが終わると陽花が端末をリュックにしまい、椅子から立ち上がった。ここでの調査はおおむね済んだと見てよさそうだ。我々はがらんとした事業所をあとにして、袁剣峰(ユェン・ジェンフォン)の自宅へ向かった。


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