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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
泥濘のオートマタ
23/60

失踪者 -2-

 新旧の事務所はほとんど同じ間取り、同じつくりになっている。私が意識してそうしたという部分もあるし、そもそもシティの物件が判を押したように同じようなものばかり、という事情もある。すなわち入口の扉に貼ってある金属のプレート、自由に出入り可能な待合室、応接室と事務室を兼ねた奥の部屋、そして観葉植物に潜ませた監視カメラ、といった具合だ。そのほか、まだ使える家具はそのまま持ち込んである。


 あえて違う点を挙げるとすれば、今までなかったコーヒーメーカーがキッチンに置いてあること、海虎一家の拠点から離れた場所のため、兼城の訪問頻度が減ったことぐらいである。


 冷房をつけ、奥の部屋にあるソファで一時間ほど仮眠してから、梱包されたまま半年前から置き場所が決まっていない荷物を眺めていると、事務机の上に置いた携帯端末デバイスが音声通話のリクエストを知らせた。


「はい。月島探偵事務所の月島です」

『コンニチハ、月島さん。ジュリア・エッジワースと申します』


 ジュリアと名乗った人物は流暢な英語を喋ったが、コンニチハの部分だけは日本語だった。おそらくは若い女性で、電話でビジネスの話をするのに慣れている。私は椅子に腰かけて、メモ用紙を手元に引き寄せた。


「コンニチハ、エッジワースさん。ご用件をお伺いします」

『ええ。簡単に言うと、人探しです。事業所の社員が突然失踪してしまって』


「夜逃げでしょうかね」

『それが、どうも違うようです。原因を調べるために、事業所へ行くのに同行してもらうのと、行方を辿る手伝いをして欲しいんです』


 私は自分が仕事に飢えているのを認識していたから、危険な仕事に首を突っ込まないよう、かえって敏感になっていた。しかし現時点で、依頼を断るほどのあからさまな危険を読み取ることはできない。


「分かりました。詳しい話を聞くために直接お会いしたいんですが、ご予定は?」

『私は元々、それを調べるためにシティに来てるんです。なので月島さんがよければ、今からでも』


 今後の予定はないので、待たされることがないのは好ましい。


「すぐに伺いましょう。どちらに向かえばいいでしょうか」


 私がそう尋ねると、彼女は中央街区セントラルにあるシティホテルの名前と部屋番号を告げた。それは先ほど、陽花が滞在していると話していたホテルでもあった。私自身泊まったことはないが、場所は把握している。今の時刻を確認すると、もうすぐ午後の三時になるところだった。


「では、三十分後に」

『ありがとう。よろしくお願いします』


 私は通話を終え、インスタントではないコーヒーを一杯飲んでから出発した。


 ◇


 中央街区セントラルは文字通り、岱輿城市ダイユー・シティの物理的・政治的な中心である。面積は他の区画よりやや小さいが、行政庁舎、警察本部、裁判所などの重要施設が集中している。シティ内外の大企業や、金融機関の本社もほとんどがここにある。


 工業地区メタン・コンプレックスがシティの心臓ならば、中央街区セントラルはシティの脳にあたる部分だと言える。昼間人口の多さにも関わらず、猥雑さを感じさせない小奇麗な雰囲気が、区画全体に漂っているような場所であった。


 件のホテルは駅の近くにあり、トラムから降りた私は歩いてそこまで向かった。少し遠くからでも見上げるほど高いホテルは、ビジネス目的にも観光目的にも使える種類のものだ。宿泊施設としてはかなり高級な部類に属していて、宿泊料金は二〇〇ドルからといったところだろう。依頼人は一流企業の社員か、新興企業の幹部か。


 私は広い玄関前エントランスの脇を通り、煌びやかな照明で装飾されたロビーに入った。柔らかいカーペットの上を歩いて受付まで行き、教えられた部屋番号を呼び出してもらう。


 間もなく確認が取れたので、私は礼儀正しいホテルマンに案内されるまま、依頼人が待つ部屋へと向かった。ホテルマンが去ってから呼び鈴を押すと、ドア小さく開かれた。


「先ほど連絡を頂いた月島です」

「お待ちしておりました。中へどうぞ」


 ドアチェーンが外されて、私は室内に招かれた。


 依頼人は三十歳か、それよりもう少し若いぐらいの女性で、黒く長い髪、細い縁の眼鏡、白いブラウスにパンツスーツの、いかにも仕事ができそうな人物だった。女性にしては背が高く、顔立ちは気の強い美人といった感じだ。


「私のことはジュリアと呼んでください。それからちょっと追加で、同行者がもう一人」


 私がやや怪訝に思いながら部屋の中に入ると、黒いリュックを傍らに置いた陽花がベッドの上に座っていた。


 泊まるホテルが同じだったのは知っていたが、部屋まで同じとは聞いていない。私は説明を求めるようにジュリアを見た。


「お知り合いでしたよね?」

「知り合いは知り合いですがね」


 陽花は私とジュリアのやり取りを眺めながら、気まずいような、悪戯っぽいような顔をした。私は勧められた椅子に座り、不意打ちに対して抗議するように脚を組んだ。ジュリアはそんな様子を見て苦笑し、自らも椅子に腰かけた。


 改めて部屋の内装を見れば、家具の数こそそれほど多くないが、それぞれが高級品で、またスペースも十分に取ってあった。やはり一般的な出張ではないようだ。


「まず依頼の詳細を話します。それから陽花のこともちゃんと説明します」

「ええ、お願いします」


 私は当然そうしてくれ、という口調で話を促した。


「名刺をお渡ししておきましょう」


 ジュリアはケースから名刺を取り出し、私に差し出した。私も自分の名刺を渡す。彼女の名刺には、所属する企業の名前が記されていた。


 Automata(オートマタ)


 私はジュリアと陽花の繋がりが、なんとなく解った気がした。陽花の父親である瀬田英治、そして現在の保護者であるレベッカ・リーは、かつて香港に本社を持つ世界的大企業であるオートマタで、主力商品の開発に携わった技術者エンジニアだった。


 名刺によれば、ジュリアは秘書室付きの社員ということになっている。


「秘書をされているんですか?」

「仕事の内容は調査に近いですね。役員の直属で、細かな情報を収集するような人間だと思っていただければ結構です」


 私は大企業の組織構造にあまり明るくない。しかし役員の意思が働くということであれば、今回の依頼にまつわる一件は、オートマタにとってそれなりに関心を引く出来事であるようだ。


「ことの発端は、三日前に来た支社からの連絡です」


 ジュリアは椅子に掛け直し、話し始める。彼女の説明によれば、世界的大企業であるオートマタは世界の各都市に支社があり、この岱輿城市ダイユー・シティにも二〇〇人規模の支社を持っている。地域の業務を統括する本部の他にも、いくつか小さな出先の事業所があり、今回社員が失踪したのはその一つであるとのことだった。


「理由について見当はついてるんでしょうか」

「いいえ。行方不明として警察にも届けましたが、まだ見つかっていません。そもそもちゃんと捜査をしているのか、怪しいものですが」


 ジュリアはやや棘のある口調で言い、話を続けた。


「支社からの報告では詳細が分かりませんでしたし、命じるにしても彼らに調査のノウハウはありません。だから私が派遣されたんです。月島さんには地理に詳しい人として、そのお手伝いをしてもらいたいと思ってます」


「失踪した社員の行方を追う、ということですね」

「そうです。見つけられれば最良。そうでなくとも、失踪の理由が知れれば十分です」

 

 私は頷いた。

「お受けしましょう」

「ありがとう。そう言ってくれると思ってました」


 ジュリアは私に手を差し出した。やや唐突な印象を受けたが、私は一瞬ためらってから彼女の手を握った。するとジュリアは途端に砕けた雰囲気になって、椅子の背もたれに身体を預けた。気が抜けた訳ではない。どうやら彼女はこういう風に仕事をする人間らしい。


「長くなるかもしれないし、ずっと丁寧だと疲れるでしょう?」


 そう言って彼女は微笑んだ。フランクな対応を求める依頼人は稀であるが、これまでにいなかったという訳でもない。英語を話す欧米や国際企業の人間に多い印象だ。急に切り替えるのは難しいが、慣れるまでそう時間は掛からないだろう。陽花の知り合いでもあるようだし、まったく無縁の人物でもないと考えればいい。


「じゃあ、細かいことはまたあとで確認するとして、陽花との関係を教えてくれ」


 私が請うと、ジュリアは陽花の方を見て説明を促した。陽花は頷いて背筋を伸ばし、ベッドの上で胡坐を組んだ。


「ジュリアさんは元々お父さんとレベッカさんの知り合いで、シンガポールに引っ越すとき色々お世話になったの」


 つまりはここ半年ぐらいの付き合いということだ。私は脚を組み替えて、陽花の更なる説明を待った。


「でもジュリアさんがここに来てたのを知ったのはついさっきで、同じホテルだっていうから話をしてたら、この仕事でしょ」

「でしょ、と言ってもな」


 私が咎めるように眉をひそめると、陽花も反発するように口を尖らせた。


「月島さんは気にならないの?」


 陽花は半年前に英治が殺された事件と、今回社員が失踪した一件に、不穏な共通点を見出しているようだった。当然、私もそれを考える。しかし陽花を調査に関わらせるかどうかというのはまた別の話だ。


「半年前の事件については、私もレベッカから聞いてるわ。あなたが優秀な人間だということも」


 ジュリアが横から口を挟んだ。どこまで真相を聞いているのか分からないが、彼女と英治が知人同士であったなら、知る権利はある。私が黙っていると、陽花が言葉を重ねる。


「私からジュリアさんにお願いしたの。調査の手伝いをさせてって」


 陽花の気持ちは私にも解る。生来の好奇心だけではなく、彼女はシティで起きた不審な事件に関わりたいのだ。特にマフィアや公安が関わっていそうな事件に。


「それで許可を?」


 ジュリアが許さなければ同行は実現しない。陽花がここにいるということは、ジュリアがYESと答えたのだ。


「私は陽花の自由意志を尊重したの。それに、プログラミングに関することなら彼女は私よりはるかに有能よ」

 ジュリアは悪びれた様子もなく言う。


「危険があるかもしれない」


 私が粘っても、陽花は譲らなかった。力のこもった眼で私を見返す。


「解ってる」


 私は腕組みをして考える。ここまで頑強ならば、もう言うことはない。調査に支障ありとして依頼を断っても良かったが、陽花にまた勝手をされては困る。


「分かったよ」


 私はややなげやりに言って、鞄から契約書を取り出した。事務的な説明をしたあと、ジュリアにサインを求めた。契約に関するやり取りは彼女も相当に慣れていて、詳しい説明は必要としなかった。


 それから私はジュリアに詳細な情報を教えてくれるよう言ったが、結局それは道中で話そう、ということになった。私が時計を確認すると、時刻は午後四時を過ぎていた。確かに今から出発すれば、日暮れまでには現場を一通り見られるだろう。


 ジュリアが歩きやすい靴に履き替え、必要最低限の荷物をまとめるのを待つ間、私は陽花に話しかけた。


「リーさんには、君に無茶させないようお願いしてあるんだが、当の俺が調査に同行させるんじゃ仕様がないな」

「あとでちゃんと説明しておくから大丈夫。そうでなくても、私はもう大人なんだから」


 高校ハイスクールを卒業したからといって、まだ無力な少女には変わりない。しかしそう言いかけてから、私は半年前に陽花が見せた意志の強さと勇敢さを思い出し、それ以上の説教を飲みこんだ。かといって、自由意志という言葉を盾に責任を放棄するつもりもなかった。私は陽花に何か危険があれば、身体を張るのもやむなしだと腹を括ることにした。


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