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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
泥濘のオートマタ
22/60

失踪者 -1-

 陽花からそのメッセージが来たのは、彼女の父親が殺されてから半年後のことだった。


 私と陽花が黑色女人ブラック・レディというマフィアに拉致され、命からがら脱出したあと、新しく陽花の保護者となったレベッカ・リーは、アメリカ領事館とフラガラッハの力を借りて岱輿城市ダイユー・シティを脱出した。


 事件のほとぼりを冷ますため、一時カリフォルニアに移住した彼女達は、一か月後、今度はシンガポールに転居し、そこで腰を落ち着けることになった。その間、二人の身柄がどうなったかについて私は陽花から連絡を受けていたが、それ以外にも月に一度か二度、彼女の生活について、ちょっとしたメッセージのやりとりをすることもあった。


 それによると、陽花はリー女史のもとでプログラミング技術の研鑽に励み、八月に高校ハイスクールを卒業したとのことだった。彼女はまだ十六歳だが、父親と住んでいたころに通っていた学校で優秀な成績を修め、二学年分飛び級していた。


 父親に卒業を報告したい。陽花は私に、『明日、岱輿城市ダイユー・シティに行く』と連絡してきた。


 一方、事件から半年後の私はどうにも不調だった。我々を襲った黑色女人ブラック・レディは、当時の騒ぎによって多くの構成員を検挙されていた。私は繊細な立ち回りで法律的な厄介ごとの回避に成功していたが、残党による報復のリスクは無視できなかった。


 私は仕方なく、自宅と事務所の引越しをすることにした。場所は同じ商業地区ダウンタウン内で、規模、賃料共に前と似たような物件だ。しかし事件当時リー女史から受け取った報酬はたった一〇〇〇ドルだったので、決して多くない蓄えを取り崩して移転費用に充てざるを得なかった。


 それに加え、どうやら私は公安の監視対象となってしまっているようだった。危険なサイバー兵器であるフラガラッハと、その開発者である瀬田英治。彼を確保したい黑色女人ブラック・レディの襲撃に遭った英治は、マフィアと公安の銃撃戦に巻き込まれて死亡した。


 確固たる証拠こそないものの、小競り合いが終わったあとにまだ生きていたであろう彼に止めを刺したのは、公安の連中で間違いない。後ろ暗い真相に限りなく迫った私が、彼らに警戒されるのは無理もないことだった。


 私の行動を確認しているらしき人影、郵便物やゴミを荒らされた形跡などが、性質たちの悪い出来物のように私の平穏を邪魔していた。仕事に直接の支障が出るようなものではないが、決して気分のいいものではない。


 おまけにこの半年間、依頼人が報酬を払わないまま失踪したり、仕事が長く入らなかったりということも何度かあった。生活に困るほどではないが、帳簿の黒はここしばらく薄くなっている。先の移転と併せると、経済的にも芳しくない状況が続いていた。


 特別に困窮している訳でも、酷く落ち込んでいる訳でもない。それでも私は半ば腐ったようになりながら、夏に向かうシティで、もやもやとした日々を送っていたのだった。


 陽花から連絡が来たのは、そんな折である。私は色々な不調に区切りをつける意味で、彼女に同行することにした。その旨を連絡すると、シティの空港で落ち合おうということになった。


 ◇


 季節は八月。香港よりさらに南にある岱輿城市ダイユー・シティの夏は、温度も湿度もまさに熱帯のそれである。屋外では日差しのせいで、路面の耐食コンクリートが靴底を焦がすほどになり、そこから放射される熱で、気温はさらに上昇する。辛うじて、方々から吹く海風が新鮮な空気を供給することで、人間が活動できる環境に留まっているという具合だ。


 この日は雲一つない快晴であった。自宅を出た私は、日差しが降り注ぐ外と、空調の効いたトラム車内との温度差に辟易しながら、港湾地区ダイユー・ポートの端にあるシティ唯一の空港に向かった。


 トラムを降り、改めて空を見上げる。最近はそういうことさえあまりしていなかった。都市の明るさがあるため星は見えないが、シティの空は案外澄んでいる。工業地区メタン・コンプレックスからの排気はあるが、ガスは滞留することなく海上に流されていくからだ。


 私はトラムの駅前から、空港行きのシャトルバスに乗った。周囲には今からシティを出るのだろう、浮ついた姿の観光客がちらほら見える。私にはほとんど縁のない習慣だが、そういえば学生や中流の人間は夏季休暇を取る時期だ。ポールにつかまり、味気ない風景を眺める。


 乗車して数分もしないうちに、私は空港前に到着した。建屋の向こうにある発着場からは、ちょうどシティを飛び立つ大型旅客機が見えた。


 この空港は決して大きなものではないが、それでも多くの国や都市と繋がる空の玄関口である。中国の内戦が発生してからその混乱が落ち着くまでの時期、岱輿城市ダイユー・シティはほとんど鎖国状態になっていた。本土工作員の潜入や、難民の流入を防ぐためだ。


 状況が落ち着いたあと、まず香港や台湾、次いでフィリピンやタイといった東南アジア諸国と行き来する定期便が復活した。シティは徐々に開放され、今ではアメリカとオーストラリアにも直通便がある。日本やヨーロッパの国々に行く場合でも、香港を経由すれば問題なく渡航できるようになっている。今の時期は観光客も少なくないが、普段はどちらかというとビジネス目的で訪れる者が多い。


 ただ個人的な話をするならば、私は頻繁に外国へ行く人間ではなく、起点・終点(ターミナル)としての空港にはそれほど馴染みがない。香港へはごくたまに仕事で行くが、それ以外の地域だともっと若いころのことになる。確か日本に二度、それから台湾に二度か三度、といった程度だ。


 私にとってオセアニア以東や中央アジア以西は火星と同じくらい遠い場所で、辛うじてニュースだけで存在を意識するような場所だった。過去に陽花が画像で送ってきたカリフォルニアの街並みも、どこか非現実的なものとして映った記憶がある。ただ別段、郷土愛の強い地元志向の人間という訳でもない。単に出不精で、気楽に旅行をする習慣がないだけだ。


 時刻は午前十時前。私は再び強い空調の効いた旅客ターミナルの中に入った。天井の高いロビーは広々としており、行き交うビジネスマンや旅行者で賑わっている。私はロビー内に並んだプラスチックの長椅子に座り、携帯端末デバイスで陽花に位置を知らせた。


 彼女を待つ間、私は設置されたテレビから流れるニュースを漫然と眺める。フラガラッハにまつわる事件以降、私は大規模なサイバーテロがどこかで起こりはしないかと気掛かりだったが、この半年間、明らかにそれと分かるようなニュースはなかった。ただ、私には軍や警察のような広域の情報網がある訳ではないので、何も起こっていないのか、単に報道されていないだけなのかは判断できない。


 しばらくぼんやり待っていると、搭乗ゲートの方向から歩いてくる、陽花らしき少女の姿が見えた。私が座ったまま軽く手を上げると、彼女はすぐそれに気付き、同じく片手で応じた。歩いてくる姿は、半年前に比べて大人びていて、ほんの少し背も伸びている気がした。


「月島さん、久しぶり」

 

 陽花は黒いリュックを背負い、Tシャツに七分丈のジーンズ、スニーカーというラフな格好だった。つばの広い帽子を片方の手に持ち、もう片方の手で灰色のキャリーバッグを引いている。


「変わりないか?」

「とりあえず、高校は卒業したよ」


 陽花はあまり大したことではない、という風に報告した。確かに彼女の能力からすれば、高校の勉強など簡単すぎて退屈だっただろう。あるいは、差し出がましい見立てだが、父親の死が与えたインパクトがまだ彼女の情緒全般に及んでいて、高校生活の最後を楽しむような気分ではないのかもしれない。


 とにかく、陽花が高校生活の想い出を滔々と語る、といった雰囲気ではなかった。彼女は冷たい飲み物を買ってきて、私の隣に腰を下ろした。


「大学へは行くのか?」

 私が尋ねると、陽花はかぶりを振った。


「レベッカさんを説得して、もう一年考えさせてもらうことにした。研究者になるのも一つの道だけど、大学で基礎から勉強するのはつまんなそうだし」


 陽花がプログラマーとしてどれくらいの水準に達しているのか、私には分からない。しかしその分野について師事するのであれば、リー女史以上の人材はいないだろう。技術の向上という点で言えば、必ずしも陽花が大学に行く必要はなさそうだった。


 ただ、研究施設や企業に雇用されて働く、というリスクの少ない人生を歩むには、学位を取得するのが無難な進路ではある。多分リー女史はそれを見越して陽花に進学を勧めているのだろうが、当人はまだ迷っているようだった。


「少し整理するよ……。もう少し」


 陽花は飲み物を口に含み、窓の外に広がる港湾を眺めた。その目は今ここではない遠い場所を見ているようで、私には彼女が父親の死と、それをもたらした者に対する復讐について考えているのが分かった。今日シティを訪れたのは、彼女自身の気持ちに区切りをつけるためか。それとも恨みを忘れまいとするためか。


 そのうち陽花は飲みかけのボトルをしまい、椅子を立った。

「そろそろ行こうか」


 ◇


 我々は空港の前でタクシーに乗り、居住区アップタウンへと向かった。陽花は半年前にリー女史を訪れる際、同じような道を通ったはずだ。事件当時を思い出しているのか、彼女は黙って窓の外を眺めていた。私もまた当時の場所を思い出しつつ、現場の近くでタクシーを停めた。


「花を買いたいな」


 タクシーから降りた陽花は、そう言ってあたりを見回した。しかしシンガポールや香港ならいざ知らず、土地が貴重なシティで生花を扱う店は少ない。結局我々は道を少し戻り、英治が死んだ場所に供えるために白いユリの花を買った。


「大学に行かないとすると、この一年はどうするんだ」

 花屋を出たあと、通りを歩きながら私は尋ねる。


「ソフトウェアの開発。自分で百万ドル稼いだら、大学に行かなくてもいいってレベッカさんが」

 

 十六歳でソフトウェアの開発というのもそうだが、百万ドルという金額はあまりに現実感がなさ過ぎて、本当なのか冗談なのか、私には判別できなかった。


「疑ってるでしょ」

 そんな思考を見透かしたのか、陽花は私の顔を見て言った。


「別に」

「そのうち、ちゃんと見せてあげるよ」


 それから彼女は自分の見識を示すように、ソフトウェア開発について色々と難しい用語を並べたてた。私には話の内容が二割も理解できなかったが、適当に相槌を打ちながらそれを聞いていた。


 しかし一方的な会話は長く続かなかった。私と陽花が初めて出会った路地に差し掛かると、互いに何となく神妙な雰囲気になった。しかし我々は立ち止まらず、昼なお薄暗い横路へと、そのまま足を踏み入れた。


 表通りよりも若干ひんやりとした路地。私は以前通った経路をはっきりと覚えていた。何回か角を曲がり、陽花にとって忌まわしい記憶のある小さな通りへ出る。


 高い建物に挟まれた、人気ひとけのない場所。私と陽花は何も言わず、あのとき英治が倒れていたあたりまで、ゆっくりと歩いていった。彼女は無言でしゃがみ込んで花を置き、しばらくの間目をつぶって手を合わせた。私も立ったまま同じようにする。


「あのあと、ちゃんと全部思い出したの。事件のこと。襲われたときのこと」

 黙祷のためにうつむけていた顔を上げ、陽花が呟いた。

「だから今度は、忘れないようにしないと」


 私は彼女の横顔を見る。触れない方がいいとは思いつつも、訊かずにいられなかった。

「復讐のことも?」 

「うん。どういう方法になるか、まだ分からないけど」

 

 彼女は迷いのない声で言うと、おもむろに立ち上がる。

「お腹空いたね」


 我々は入ってきた方向とは反対側の通りに出るため、その場所を離れることにした。歩きながら、一度だけ陽花が振り返る。私もつられて背後を見ると、通りの真ん中に置かれた白いユリの花束が、周囲から切り離されたように浮かび上がって見えた。


 再び表通りに出た我々は、手近な喫茶店に入った。陽花はハンバーガーが食べたいと言ったが、そういう庶民的な店があるのは商業地区ダウンタウンのあたりだ。


 注文した食べ物が来るまでの間、私は自分の近況を陽花に報告した。


「そっか……。ごめんなさい、私のせいで」

 私の羽振りが悪いことについて、彼女は責任を感じているようだった。


「君が謝ることじゃない。それに、元々その日暮らしみたいなもんだ」


 私がフォローすると、陽花の表情は若干和らいだ。確かに不景気の発端となったのは陽花にまつわる依頼だが、償うべき人間はもっと他にいて、彼女が負い目を感じる必要はまったくない。


「宣伝用のホームページ作ってあげようか。格好いいヤツ」

「考えとくよ」


 そのうち、飲み物と料理が届いた。大きな皿に乗った、小洒落たパスタ類。我々は冷えたジンジャーエールを飲みながら、その後はとりとめなく話をした。陽花は中央街区セントラルのホテルに滞在していて、明後日までシティにいるようだ。この街で見るべき場所はあまり多くないが、私は比較的安全で、それなりに見物しがいのある場所を教えた。


 リー女史との生活は、どうやらうまく行っているらしい。陽花にとって彼女は母親代わりとなり、師となり、良き友人となったようである。それは私にとって安心できる知らせだった。たとえ小さくとも、この世界に陽花の居場所が確保されたということだからだ。


 普段することのない優雅な昼食を終えた私は、陽花とトラムの駅まで歩き、そこで別れた。陽花はタクシーに乗ってホテルへ帰り、私はトラムに乗って商業地区ダウンタウンに戻った。ここ最近の沈滞した気分が多少上向いてきていた私は、何か依頼が入ることを期待しながら、新しい事務所の扉をくぐった。


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