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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
電海のフラガラッハ
16/60

黑色女人 -5-

 窓からは甲板が一望でき、その先には灰色の海が広がっている。室内には計器類や船の運航に関わると思われる装置類が並び、いくつかは今も稼働していた。私自身、船に乗った経験はそれほど多くないが、この貨物船が比較的新しいものであるということは判った。計器は全てネットワークで接続され、この場所で一元的に管理されているはずだ。


 以前話をしたことのある船主は、これらをイージスシステムに似たようなものだと話していた。もはや旧世代の兵器とはいえ、かつてそのシステムが搭載された戦闘艦には、十億ドル以上の建造費が掛かった。


 艦橋には、先ほど我々を尋問したドレスの女とスーツの男がいた。他に二人のマフィアがこの場所に残るようだ。ドレスの女は武器を持っていないが、下っ端二人はあからさまに拳銃で武装しており、スーツの男もおそらくジャケットの内側に銃を隠し持っているだろう。


 スーツの男は傍らにある備え付けの中型端末パソコンを顎で指し示した。陽花の近くにいた男が拘束をナイフで断ち切り、彼女は両手を解放された。そのまま強引に連れられ、座席に着くように指示される。陽花はそれに大人しく従った。


「お前もだ、探偵。通訳しろ」

 背中を突き飛ばされ、私はよろめきながら陽花の後ろについた。


「俺の手は?」

 私を無視し、スーツの男は端末を起動した。ドレスの女は軽く腕を組んで、我々の様子を見ている。



 座席に着いて端末に向かう陽花。右にスーツの男。左にドレスの女。座席のすぐ後ろに私。そのさらに背後に男二人。もちろん意図してのことだろうが、囲まれているようで気に入らない。


「データにはパスワードが掛かっている。心当たりのある言葉を入れろ」


 スーツの男は端末を操作しながら要求した。やがてディスプレイに、パスワード入力を求めるポップアップが表示された。男は身を引いて、無言で陽花に入力を促す。私が軽く覗きこんでみると、ポップアップの上部には『心を込めて入力すること』というよく分からない文言が表示されていた。


「当たりなら無事に解放してやる。そこの探偵もな」


 履行されるとは思えない、空虚な約束だ。しかし恐怖した人間は、どんな小さな希望にも縋りたがる。このマフィアどもは無暗に人を痛めつけるよりも、こういう方法で犠牲者を翻弄してきたのだろう。


「デタラメな入力はアウトだ。解るな? ログも取っている」


 陽花は一度スーツの男を睨んだあと、両手を液晶キーボードの上に乗せた。息を吐いて、入力を開始する。


 彼女のタイピングは非常に速く、目で追うだけでは何を入力したか分からない。画面にも文字列は表示されないが、いくつかの文章を入力し、その都度拒否されているのを、私は陽花の背中越しに見ていた。


 そして五回目の入力をした直後、これまでとは違う反応が返ってきた。ポップアップが消え、何かの処理が進行していることを示す進行バーが示された。バーは何秒もしないうちに100%近くまで達し、マフィア達全員が身を乗り出してディスプレイを覗き込んだ。


 しかし私はそうしなかった。一つには彼らが隙を示していたからであり、もう一つは第六感が告げたからだ。専門家が自らの命を賭すほど重要なデータに掛けたプロテクトは、そんなに単純なパスワードで解除されるものだろうか?


 陽花の行動も同様だった。彼女は多分父親の性格や、プログラムの知識などから違和感を抱いたのだろう。


 何か危険なものが出てくる。私はそう直感した。


 進行バーが満たされた次の瞬間、ディスプレイが暗転し、白く太い字体フォントでアルファベットの文字列が浮かび上がった。それはプログラム言語ではなかった。英語の初学者でも簡単に理解できる、平易な一文だった。


DO NOT(私の子) HARM(どもに)  MY CHILD(手を出すな)


 ここに至って、マフィア達も遅まきながら異変を確信したようだった。二秒ほどで文字が消えると、ディスプレイは明らかな異常を示すブルー一色となり、下から上へと高速で文字列を流し始めた。


 端末には明らかな過負荷が生じ、システム全体が破壊に向かって加速している。周囲の計器もカタカタと異様な駆動音を吐き出し、高く耳障りな警報を振りまいていた。何かがネットワークに侵入し、その神経網を斬り裂いて狂乱させているのだ。


 黑色女人ブラック・レディの連中は、瀬田英治からフラガラッハの研究データ(、、、、、)を奪ったものだと思っていた。それ自体はおそらく間違いではなかっただろう。彼らが入手したものの中には、確かに研究データも存在していたに違いない。


 しかし彼らは、中身が研究データだけだと思い込んでいた。パスワードだけで守られている、容易い獲物だと油断していたのだ。だから厳格な安全策を講じずに、焦って迂闊なアクセスを試みた。しかしそこには、致命的な罠が仕掛けられていた。


 抜き身のフラガラッハそのもの(、、、、)が、不埒な侵入者に致命の一撃を加えるため、その鋭い切っ先を向けて潜んでいたのだ。


 マフィア達が虚を突かれているさなか、陽花は弾かれたように立ち上がった。私も判断を迷わなかった。鼓動が加速し、全身の筋肉に血液を送り込む。


 警報と点滅で巻き起こされた混乱からマフィア達が立ち直る前に、私は一旦低くしゃがみ込み、ディスプレイに向かって身を乗り出していた下っ端の一人に頭突きを喰らわせた。顎を下から打撃され脳を揺さぶられた男は、たたらを踏んで転倒した。しかしまだ意識があるようで、呻きながらも起き上ろうとしている。


 私は間髪を置かず、もう一人に蹴り掛かった。銃を構えかけた相手の手首を、高く振り上げたつま先で狙う。相手がさほど大男でなかったことが幸いし、蹴りは精確に命中した。ダメージはさほどでもないが、私に向けようとした拳銃が手から離れて高く跳ね上がり、天井にぶつかって陽花の足元に転がった。


 頭突きを受けた男が頭を上げたので、復帰を防ぐために追撃の膝蹴りを頬骨に叩き込んだ。男は今度こそ完全にノックアウトされ、そのまま仰向けに倒れた。私は陽花に指示を飛ばす。


「銃を拾え!」


 彼女の動きも素早かった。逃走のチャンスは今しかない。陽花が落ちた拳銃を拾うと、指がトリガーに掛かって暴発した。


「わっ」


 陽花は驚いたようだが、拳銃はしっかり掴んで放さなかった。発射された弾丸は金属の床で跳ね返り、蹴られた手首を押さえている男の膝あたりに命中した。姿勢を崩した男の腹に、私が前蹴りを叩き込む。


 視界の端でドレスの女が床にしゃがみ込み、スーツの男も同様にしながら懐に手を入れるのが見えた。彼らは体勢を立て直しつつあり、今にも反撃してきそうだった。


「出口だ! 甲板へ!」


 我々の目的は船の制圧や幹部の暗殺ではなく、あくまで無事に脱出することである。下っ端二人は多分まだ死んでいないし、スーツの男とドレスの女も健在だ。私の手が自由にならない状態で銃撃戦になれば、明らかに分が悪い。それにまだ大勢の敵が船内にいるはずで、彼らが増援に来た場合、艦橋に立て籠もって絶望的な籠城戦を展開しなければならない。少なくとも艦橋からは、今すぐ離れた方がいい。


 陽花が何ごとか叫びながら、マフィアに向かって拳銃を乱射した。計器が破損し、窓ガラスにヒビが入り、処理を続けていた端末が粉砕する。姿勢も照準も滅茶苦茶な彼女の銃撃が敵に当たることはなかったが、牽制としてはまずまずの効果を発揮した。我々はほとんど反撃を受けずに後退し、なんとか艦橋の出口に飛び込んだ。


「急げ!」


 陽花を叱咤しながら、甲板に繋がる階段を降りて行く。激しい運動と興奮で、二人とも息が上がっていた。私は背後を警戒するが、まだ追って来る様子はない。


 しかし敵も部屋の隅で怯えているということはないだろう。システムが攻撃を受けたからといって、指揮系統までが都合よく断絶するとは限らない。艦橋に残った誰かから部下に連絡が行けば、船内のマフィア達は臨戦態勢になるはずだ。そうなれば、見つけ次第撃たれるものと考えた方がいい。


「陽花、俺の手首を撃て」


 階段を下りきったところで、私は彼女に背を向けて、後ろに拘束された手首を差し出した。


「なんで?」

「テープをちぎるんだ。多少肉が削れてもいいが、骨は撃つなよ」


 陽花は一瞬ためらったが、時間の切迫が否応なしの決断を促した。彼女は跳弾が私に当たらないよう位置を工夫して、手首が交差したあたりに銃口を押し当てる。


「いくよ」


 発砲。あらかじめ少しテープを伸ばしておいたこと、ノリンコが小口径の銃であったことが幸いして、私の手首はそこまで激しく損傷しなかった。それでもマズルファイアが皮膚を焦がし、弾丸が肉を一、二ミリ削り取っていった。どこかに当たった弾丸が、あたりに金属音を響かせる。


「ふぅー……、よし」


 私は肩の筋肉を動員して、残ったテープを無理やり引きちぎった。これで両手は自由である。手首からは流血しているが、銃を撃つ程度なら問題ないだろう。


「さっきの、当たったかな?」

 彼女は階段の上部に目を向けた。その口調にはほんの少し動揺の色があった。復讐を誓ったとはいえ、人を殺したかもしれないという事実は重い。しかし私が確認した限り、殺害はおろか人体に命中してもいなかった。


「いや。度胸はいいが、まだ練習が必要だな」


 相手が無法者で、陽花にもそれなりの正当性はあるが、思春期に人を撃つのは情操に悪い。彼女の将来を想えば、命中しなくてむしろ良かったのかもしれない。


「銃をくれ」

 陽花がまだ硝煙を上げる拳銃を手渡した。受け取った私の手首を見て顔をしかめる。


「ごめんなさい。痛い?」

「大丈夫だ。助かった」


 もちろん痛いは痛いが、あまり悠長にしてもいられない。上甲板に出る前に、私は残弾を確認した。このタイプには十五発か十六発の弾丸を装填できる。先ほど陽花が撃ったので、今は七発まで減っていた。難局を乗り切るには少々心もとない数である。途中で敵から補給する必要がありそうだ。


 それでも今あるものでやるしかない。艦橋構造物の出入り口にある電子ロックは、デタラメなランプの点滅で異常を示している。私が手を掛けると、重くはあるがなんとか横にスライドした。


 しかし外に出ようとしたところで、銃を持ったマフィアが二人、こちらに近付いてくるのが見えた。距離は十五メートル内外で、相手はともかく私にとっては難なく人体に命中させられる距離である。陽花を声で制し、扉の内側に下がらせる。


 銃を持った私を見つけ、慌てて止まった二人を狙う。両手で構えた拳銃のトリガーを二回引くと、乾いた音を立てて鋼製弾芯スチールコアの徹甲弾が発射された。敵に向かって亜音速で飛翔した二発のうち、一発は片方の胴体に吸い込まれ、もう一発はもう片方の太腿に命中した。我々は扉から飛び出し、倒れた男達を横目に走って右舷まで到達した。


「ここからジャンプするのは無理だな」


 我々はまだ艦橋近くにいる。先ほど見た通り、上甲板は岸壁や海面からの高さがありすぎて、飛び降りるのは自殺に近い。


「下に行こう」

 陽花が言った。


「それだと出られないかもしれない」


 船体や船倉の造りからして、船尾には車や貨物を運び入れるための搬入口があるはずだ。そのような船が貨物の積み下ろしをする際には、搬入口が架橋ランプウェイで岸壁と繋がるようになっている。ただフラガラッハが暴れ回っている現在、架橋ランプウェイが使用できる状態にあるかは判らない。もしそこで行き止まりということになれば、追いつめられて万事休すとなることもあり得る。


「大丈夫」

 それでも陽花の言葉は力強かった。

「私を信じて」


 その口調と表情には決意と自信があり、とても少女のものとは思えなかった。私はそろそろ陽花に対する認識を変えなければならないと感じ始めたが、今はそれどころではない。船の外側を安全に降りるためのロープやタラップも見つからず、それらが使えたとしても地面に着くまでは無防備だ。少しでも見込みがあるとすれば、やはり船倉ということになる。


「分かった」

 私は銃把グリップが滑らないよう、手首から流れる血を服で拭った。

「付き合おう」


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