表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 天神大河
3/4

三ノ幕

 木山と大川が入り口の前までやって来ると、其処では既に大量の蚕の幼虫が跋扈していた。更に両開きの扉が少しずつ開かれると、女物の和服を着た蠶人が一匹、また一匹と現れる。そんな蠶人に付き従うかのように、蚕の大群が扉の隙間から溢れ出た。この光景を前に、大川は小さく呻き声を上げたかと思うと、胃の中から湧き上がって来る物を地面へ勢い良く吐き出す。そんな彼の背中をそっと摩りながら、木山は蠶人達へ目線を向ける。

「大川さん。先程も申し上げたように、僕はこれから貴方の娘さんを助け出して来ます。然し多大な危険も伴いますので、大川さんは今すぐ門の外から桑場村まで走って下さい。僕が連中を足止めします。御安心下さい、奴等を一匹足りとも外へは出させません」

 木山が小声でそう告げるのを聞いて、大川は背中を震わせながら徐々に身体を起こす。そのまま木山の顔を向き直ると、大川は時折噎せながらも口を動かした。

「何を言うんだい、木山さん。言っとくが、俺は帰らねえぜ。カイイだかカイコだか知らねえが、こんな状況でセツの無事を確かめずに帰れるか。俺にしてみれば、唯一人の血の繋がった家族だ。こんな時に親としての面子を見せてやらなきゃ、男が廃るぜ」

 涎で汚れた口元を自身の袖で思い切り拭うと、大川もまた眼前の蠶人達へと目線を向けた。彼の言葉を聞いた木山は、左手でシルクハットのつばを目深に被せると意を決したように告げる。

「分かりました。ならばこれ以上僕が何を言っても野暮という物でしょう。ですがこれだけは言わせて下さい。決して僕から、離れないで下さいね」

 口走るや否や、木山は右手を眼前に翳す。黄金の輝きを纏うそれを蚕達へ向けると、右腕で思い切り空を切った。その瞬間、二匹の蠶人は甲高い悲鳴を上げながら塵に変わり、蚕の群れも一瞬にして消え去る。その様子を見届けた木山と大川は、蚕の居ない開けた道を進み、真っ直ぐに中村製糸所の入り口へと駆けていった。

 両開きの扉を潜り抜け、二人が製糸所内部に突入すると同時に、白い灯りに薄らと照らされた大量の蚕が再び現れる。木山は、輝きを失っていない右手を三度蟲達の前へと持って行く。蚕達は同様に眩い光の中で蒸発した。すると、大川の視界にその中に映る一つの影を捉えた。よく目を凝らして見ると、それは洋装をした蠶人だった。黄金の光に紛れて木山へ猛接近するそれは、大きな鍬を携えていた。

 木山が再び右手を構えるより先に、洋装の蠶人は木山目掛けて鍬を振り下ろそうとする。しまった。心の中で木山が漏らすと同時に、鈍い音が辺りに響く。蠶人はその場に崩れ落ち、持っていた鍬もまた小さな手から呆気なく零れ落ちる。鍬の鋭い刃先が床に突き刺さり、蠶人も俯せに斃れ込む。その骸から流れ出る灰色の血の海を前に、木山が何事かと目を向けると、洋装の蠶人の傍で大川が息を荒げながら立っていた。彼が持つ鍬の刃先には、既に事切れた蠶人と同じ灰色の血が付着している。木山と大川はどちらからともなく安堵の溜息を漏らすと、木山が口元に微笑を浮かべながら告げた。

「有難う御座います、大川さん。御陰で助かりました」

「お互い様さ。助けられっ放しなのも癪だったからよ」

 大川もまた口角を吊り上げる。隙間から黄ばんだ歯を覗かせながらも、彼は持っていた鍬を身体の前で構えた。乾いた土が付着していたその刃先からは、粘着性を帯びた灰色の雫が音も無く滴り落ちていた。


―――――


 製糸所の入り口から続く廊下の先、その奥にある両開きの扉を木山が思い切り開く。そこは、先程彼が外の窓から覗き見た作業場だ。窓の外はすっかり夜になり、黒い闇だけが広がっている。対して作業場の中は天井に一定間隔で設置された電球の灯りが中を仄かに照らしていた。その中で跋扈する白い蟲達は、山吹色の灯りを俄かに反射しつつも、床の上や繰糸機を覆い尽くしていた。

 木山達が眼前の状況に驚く間もなく、中に居る女物の和服を着た十数匹もの蠶人もまた、木山達を一斉に向き直る。そして、彼等は息を合わせたかのように同時に木山達の元へと歩み寄り始めた。

「出たな、化け物ども」

 眼前の光景を前に、大川は改めて手に持った鍬を構え直す。角ばった刃先を前へと伸ばしたその瞬間、天井から何かが落下し、それにへばり付いた。大川が何事かと凝視すると、そこには蚕の幼虫が一匹、鍬の上でその身をくねらせていた。更にもう一匹、二匹、天井から蚕の幼虫が床のあちこちに落下する。大川が恐る恐る天井へ顔を動かそうとした時、木山の金切り声が作業場全体に響いた。

「上を見てはいけません、大川さんっ」

 言うが早いか木山は右手を思い切り振り翳し、作業場に蔓延る蚕達を払い除けた。作業場を照らさんばかりの光を前に、床や天井に居た蚕の幼虫は殆ど一掃される。然しそれに因り斃れた蠶人は二匹程度であり、残った蠶人はそのまま木山達との距離を詰め始めていた。

「大川さん、来ます。気をつけて」

 木山がぽつりと言葉を漏らすのを聞いて、大川はあいよ、と一言だけ応じる。そして木山は再び黄金の光を纏う右手で空を切った。その瞬間、五匹の蠶人と側にいた蚕が塵と化す。一方の大川もまた、木山の異能の隙間を縫うようにやって来る蠶人の頭を自らの鍬で容赦無く潰していった。蠶人の頭は人間のそれと比べて非常に軟らかく、少しの衝撃でも刃先が直ぐに身体の奥深くまで沈んでいく。やがて、女物の和服を着た蠶人は脳天から灰色の血を大量に噴き出しながら、次々にその場で斃れていった。

「へへっ、こんな形でも外面は所詮蚕の幼虫だ。こんな使い古しの鍬一本でも簡単に殺れちまう。ちょろい物だぜ」

 そう呟く大川の瞳は不敵な輝きを放ちつつも、木山が放つ黄金の光の隙間から現れる蠶人の頭だけを狙い、そして確実に仕留めていった。やがて、二人の前に残った蠶人は一匹だけとなった。大量にいた蚕の幼虫は木山の異能により全て消滅し、辺りには所々に穴が開き、一部がやや腐敗した桑の葉だけが残っている。木山が黄金の輝きを持つ右手を再び操ろうとした瞬間、大川の腕がそれを制する。木山が腕の主の男の顔を覗き見ると、その顔には不気味な笑みが張り付いていた。

「木山さん。あそこに居る蠶人は、俺が始末しますよ。コツはもう掴んだ。取り敢えずあいつさえ殺ってしまえば、後はもうセツを助け出すだけなんだ」

 そう言うと、大川は木山の制止を振り切り、ゆっくりと前に歩み寄る。大川の前に居る小柄な蠶人は、瑠璃色をした女物の和服を纏っていた。だがこれまでの蠶人とは異なり、特に攻撃を仕掛けてくる気配は無い。一風変わった大川は心の内で違和感を覚えながらも、直ぐにそれを振り払った。これは俺を欺く為の罠かもしれないのだ。迂闊に騙されはしない。大川は鍬の柄を握った両手にぐっと力を籠める。そして、己の頭上から鍬を思い切り振り下ろした。既に多くの蠶人の血を吸ったその刃は、眼前の怪異の頭にも難なく減り込む。粘り気のある灰色の血を大量に噴き出しながら、蠶人が後ろへ斃れると同時に、瑠璃色の袖が衝撃と共に生じた風に揺れる。そして蠶人が床に背を付けようとする瞬間、大川の耳に少女の言葉が聞こえてきた。

「父上」

 不意に聞こえてきたその声に、大川は思わず目を見開いた。何故ならそれは自身の一人娘、セツの声であったからだ。だが大川が驚いたのは、その声を発した者が先程彼が刃を振るった蠶人だった事だ。何だ、どういう事だ、これは。大川の頭の中で様々な感情と思いが渦を巻き、それは次第に混沌と化す。だがそれでも彼の唇は自然に動き、身体もまた勝手に動いていた。

「セツ。おい、セツッ」

 大川は仰向けに斃れた蠶人の傍に座り込むと、その顔を覗き込んだ。顔の所々が黒い点で覆われており、口がどの辺りにあるのか、大川には分からなかった。だが、今息絶えようとしている蠶人からは、確かにセツの声が聞こえたのだ。灰色の血を頭から流す蠶人の前で、大川は涙声でその名を呼ぶ。

「セツ、セツよお。お前、如何して。如何してだ」

 大川の問いに、蠶人は頭を微かに蠢かせる。やがて微かな声で、そして大川が普段聞き慣れた娘の声で、蠶人が弱々しく口にする。

「チチウエ、来テ下サッタ、ノデスネ。父上。チ、チ、ウエ」

 そこまで言った所で、蠶人は白い頭を床に預けると、そのまま動かなくなった。大川の両目から大粒の涙が幾つも溢れ出る。湧き上がる感情のまま、大川は喉を震わせながら獣の如き慟哭を作業場全体に轟かせた。

 親子の最後の遣り取りを黙って見ていた木山は、静かに俯きながらきつく歯を食い縛った。彼の耳に響く悲痛な声は、鼓膜の奥を強く刺激した。程なく、大川は木山へ涙と鼻水で濡れた顔を向けると、低い嗚咽混じりに青年へと尋ねた。

「木山さん、教えてくれ。俺達が今まで殺してきた蚕の化け物。あいつ等、元は全員人間だったのか。俺達と同じ」

 大川の問い掛けに、木山は少し間を置いてから無言で頷いた。青年の返答を目の当たりにした大川は、半ば頬を紅潮させながら畳み掛けるように質問を続ける。

「お前は知ってたのか。知ってて、殺したのか。此処に居た連中をッ」

 一瞬、広い作業場に静寂が訪れる。やがて、木山は意を決したように大川へと向き直り、淡々と答えた。

「ええ、分かってました。蠶人の正体が、蚕の怪異に寄生された人間だという事も。然し蠶人にされてしまったが最後、元の人間には決して戻る事は出来ません。殺すしかないんです。僕達の為にも、蠶人にされた人達の為にも」

「黙れッ。これ以上、ふざけた御託を抜かすんじゃねえッ」

 淡々とした木山の言葉を、大川が遮る。その時、作業場の出入り口から洋装の蠶人が三匹、大量の蚕の幼虫を引き連れて現れた。新手か。木山が一言だけ呟き、右手を振り翳そうとしたその瞬間、彼の前を一つの影が駆けて行った。その正体が大川だと木山が悟った時、彼と蚕達との距離はほんの僅かな所まで詰まっていた。

「畜生。許さねえ。セツの仇め、化け物の畜生共が。お前等全員殺してやる、死ねえッ」

 彼は単身蠶人と白い蚕の群れへ突進しながら、手に持った鍬を思い切り振り翳した。涙で頬を濡らした男の腹の奥底から、野太い鬨の声が上がる。

「大川さん、いけないッ。連中の前に、一人で突っ込んじゃあ駄目だッ」

 木山が止める間もなく蚕の幼虫は大川の足元へ迫り、彼の身体へと駆け上がり始める。そのまま数秒と経たずに、大川の全身は白い芋虫達によって覆い隠された。やがて、そんな彼の唇の隙間を縫って蚕の幼虫が数匹、強引に割って入る。大川はそんな蟲達に抵抗出来ないまま、彼等の口内への侵入を許してしまった。

 程なく、大川の黄ばんだ歯と歯の間に挟まれた一匹の蚕から溢れ出た液体が、彼の喉奥深くへ音も無く流れていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ