12月24日 ⑤
シナのお願いに、私が許可を出したのは言うまでもない。
これより、人間の家に神様がホームステイする、少し変わった日々が始まった。
なぜ昼にあれだけ食べておいて晩も食べることができるのか、神の胃袋は実に不可思議なものだが、シナは母が作ったカレーを3杯ペロリと完食した。確かに、七福神に代表されるように、神様はふくよかに描かれることも多い。ひょっとしたら本当に皆シナのように大食いで太っているのかもしれない。
ということを考えているうちにシナは皿を空っぽにして、誰に言われるでもなく食器を流し台に運んでいった。その様子を目を細めながら見ていた母は、
「本当にシナちゃんはいい子ね。あんな美味しそうに一杯食べてくれるから、作り甲斐もあるわ。しかも食器を自分で運ぶなんて、あんたとは大違いね」
と、親戚の子を褒める婆ちゃんのようなコメントを残していた。そう言えば、母は親戚の子だと思っていたのであった。実際は年齢不詳の神様なのだが。
「そうだな、俺のちっちゃい頃よりもよっぽど可愛いだろ」
少し拗ねたような口調を意識して、母に返す。まあ客観的に考えたら、都会から逃げて帰ってきて、田舎で引きこもり一歩手前の私より、シナの方が可愛いのは当たり前だろう。この歳で妬いても恥ずかしいだけだ。
でも、今日は久しぶりに母のカレーを食べることが出来た。シナに感謝しなくてはいけないな。
女性と風呂に入るという経験は、縁結びの神様から絶縁状を突きつけられているらしい私にとっては、今まで経験したことのないことであった。
見た目は1桁、実年齢は3桁以上のシナを女性とカウントしていいかどうかは非常に議論の余地があるが、今は置いておこう。その前に、目の前の現実を受け止める方が大切であろう。
私は断固拒否の構えを見せたのだが、シナが「別にいいじゃないか、普通のことだろう?」と言うので、渋々彼女と風呂を共にすることとなった。
「はあー、いい湯だねー。神様はみんな温泉が大好きでね、腰とか肩こりに効く温泉は神様たちに大人気だよ」
シナは浴槽でおじさんみたいなことを言っている。背中に羽でも生えていないかと確認してみたが、彼女の身体は普通に人間となんんら変わりはなかった。
「背中を流してあげようか?」
「いや、別にいいよ。一人で洗える」
「そうかい」
その後シナは無言で、温泉に入ったタレントがよくするようにお湯を腕にかけたりして、湯船を満喫していた。私もしばらくは己の身体を清めることに集中していたが、
「なあ」
沈黙に耐えきれなくなった私は、シナに気になっていたことを尋ねる。
「なんでうちをホームステイ先に選んだんだ?」
返事はない。ただシナは、こちらをずっと見つめていた。そして……、
両手で輪を作り、そこに水を入れて私の顔に向かって飛ばしてきた。いわゆる水鉄砲というやつだ。一体どこで学んだのやら。
水鉄砲は見事私の顔面にクリーンヒットし、目に水が染みてしばらく目を開けることが出来なくなる。再び目を開けた時に映っていたのは、ニッコリと太陽のように笑っていたシナであった。
「へへへ、秘密だよ」
そう言うとすぐにまた水鉄砲を発射してくる。私はシャワーで応戦。風呂場はたちまち幼女のような神様といい歳した大人の二人による水遊びの場となってしまった。
風呂から上がり、私は特にすることもないので眠りに就くことにした。シナも私の自室についてこようとするが、入れるわけにはいかない。
「空き部屋となっている和室があるからシナはそこを使ってくれ」
私の部屋に入ろうとするシナを制してお願いする。
「一緒に寝ちゃ駄目なのかい?」
「ああ、駄目だ。部屋が散らかっているし、片付けるのが面倒臭い」
それに女子供に見せてはならぬ逸品も幾つか部屋の中にあるのだ。
シナは「ふうん」と納得するそぶりを見せ、
「じゃあ僕はそこで寝ることにするよ。でも、僕は君が部屋の引き出しの一番下の段の奥に隠している本や、特殊相対性理論の本のカバーをかけているあの本とか、パソコンの中に入っているあの動画のことなんて、全然気にしないよ」
さすが神様と言うべきか、部屋に一度も入ることなく埋蔵品の場所を言い当てられた。どうやらシナに隠し事をするのは冬のK2に全裸で登ることと同じくらい不可能なことらしい。
ただ、私の部屋は狭い上に色々なものが所狭しと領有権を主張している有様なので、とても布団を敷けるような場所はない。だから、どちらにしろシナには和室で寝てもらわなくてはいけないのだ。
シナを和室へ案内して、布団を敷き、暖房がないので寒いといけないので湯たんぽを持ってくる。
シナはその度に初来日の外国人のようにオーバーリアクションで驚きを表現していた.
「じゃ、早いとこ寝ろよ」と言って電気を消そうとすると、私の顔に枕が飛んできて、見事クリティカルヒットした。
その犯人は、もちろんシナ。私が安保理事会に掛け合って緊急避難決議を出すべくとりあえずシナを睨みつけると、彼女はにっこりと笑いながら次弾の準備を始めていた。
「日本の伝統的な遊びとして、枕投げというものがあるそうじゃないか。ぜひ体験してみたいものだね。どうだい、ひと勝負?」
枕投げ、か。学生時代、修学旅行でした記憶がある。一番楽しくて、もっと良い未来への分岐点があったかも知れないあの頃からやり直す事が出来たらな、と叶うはずもない事を思ってしまう。
保護者であれば止めるべきところであろう。が、私はこの神様の保護者ではない。どういう関係なのかイマイチ分からないが、売られた勝負を買わないような間柄ではない。
私は先程顔面に危害を与えた枕を拾い、シナの方角へ狙いを定める。
神様、あんまり人間を甘く見てもらっては困る。私は先手必勝とばかりに全力で枕を投げつけた。