表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

私の嫌いなもの

作者: ひろ

 

 私の嫌いなものは



 ひとつめ、オクラ



 ふたつめ、残業



 みっつめ、―――……自称Sな男。










「俺さ、Sなんだよね」


「そうですね、よくよく存じ上げておりますよ」


 私の大嫌いな文句をさらっと言った男の言葉を

 適当に流してからウィスキーをあおる。

 銘柄は知らない。横の男が勝手に頼んだからだ。



「つまんない女。もっと噛み付いて来いよ」


 大して仲良くもないのにいちいち癪にさわる言い方をする男だ。

 これでまだ会って数回目だと言うのだから

 この男の品性なんて知れたものである。

 本当にこっちが嫌がっていることは分かっているだろうに。……いや、だから良いのか?なにしろSなようだし。



 どっちみちSを免罪符にすれば何を言っても良いと思っているような男は嫌いなので、イライラしながらもう一口ウィスキーを飲んだ。

 苦い。イライラする。



「……美也子、お前鼻息荒い」


「だってお兄ちゃん!! この人ムカつく!」



 泣きそうな目を持ち上げて、カウンターを挟んでこちらに呆れ混じりの眼差しを向ける兄を見る。



 ここが大好きな兄が経営しているバーでなければ、きっとこの男に会った時点で来てない。1秒だって居たくない。

 更に言うなら、信じられないことに、この男が兄の友達でなければ

私は完全無視を貫いていただろう。



 ブラコンと言いたければ言うが良い。兄は結婚して家を出てしまったため

ここに来ないとほとんど会えないのだ。



「ほら、智也も呆れてるよ。ブラコンも大概にしたら?」


……前言撤回。こいつにだけはブラコンって言われたくない。


 だいたい、言葉を言うのに何故いちいち鼻で笑わなければいけないのか?

 なぜいちいち上から目線なのか?

 あなたはそんなに偉いのか?


「もーやだアンタ大っ嫌い!どっか行ってよ!」



 胸の中のイライラを叩き付けるように言うと思いの外声が大きくて、途端にシン…とした空気が流れた。

 目の前の彼の表情が、笑顔から真顔に変わる。





……ヤバい。言い過ぎた。





 それが感じられて

 ヒヤッとしたものが心を撫でた。



「あ、ごめん……」





 確かに本当に嫌いだとはいえ

 子供じみた酷いことを言ってしまった。


 凄く嫌いだけれど

 本気で傷付けるつもりはなかったのだ。




 私はあまり人をこういう風に思ったことがないからか

自然な遠ざけ方や意思表示がよく分からない。それが裏目に出た。





 彼は静かに席を立った。

 席から扉まで移動していく足音がやけに大きく聞こえる。



 そしてバタン…と扉が閉まった瞬間、本気でやってしまったと後悔した。

 張り詰めていた空気が緩んで大きなため息をついてしまう。



「私……言い過ぎた?」


「言い過ぎだ。お前もっと気を付けろ」



 肯定されるとは思っていたけれど

うんざりしたような声音で間髪入れず返ってきた兄の言葉にため息が零れる。

 どうして、人を傷付けるとこんなに後味が悪いんだろう。




 本当に嫌いだから、多分、傷付けようと覚悟を持って発した言葉なら

こんなに気にすることは無かったと思うけど、いつものやり取りの延長のような気持ちで言ってしまったものだから罪悪感が半端ない。

 無意識に言ってはいけない言葉を躊躇いなく言ってしまうようになるなんて、あの男の影響を何かしら受けているような気がしないでもなかった。


 自覚したら

二重の意味で落ち込んだ。



「もう来なくなったり、しないよね……」



 あいつへのものだと思うだけで嫌だがこの罪悪感は大なり小なり、店に来る度に思い出すだろう。

 出来ることなら謝ってすっきりしたい。

 そしてちゃんと話し合って2度と話し掛けないで貰いたい。



 そう思って兄に視線を移すと

 凄く複雑な顔をしていた。



「美也子、あのな……」



 兄が何かを言おうとしたとき

来客を告げるベルが鳴る。

 顔をしかめた兄の反応が不思議で振り返ると、入ってきた姿に驚いた。




――S男である。




 忘れ物だろうか?

 もう来ないかもと思っていたから

あまりにも早い登場に肩透かしを喰らってしまう。



 でも、いつもは美也子を見付けてニヤニヤと嫌な顔で笑っている男は今は一切笑っていない。

 そのまま美也子の前に立って見下ろしていると

元が綺麗な顔をしているだけに妙な威圧感が有る。



―――忘れ物っていうか、まさか。




 やり返しに来たり、とか?




 プライドの高そうな男のことだ。

 充分にあり得そうな気がする。


 そう思い付いたとき、いきなり男が身を屈めた。



 反応しきれなくて目をつむる。

 頭突きならば相当痛いような気がした。


 いや、頭突きだけで終わるだろうか?

 本当にこの男が正真正銘のサディストで

 殴る蹴るまでされてしまったらどうしようと、そこまで考えた。



……が、いつまで経っても痛みは無い。


 うっすらと目を開けば、男の顔が存外近くてぎょっとした。

 そのまましげしげと見つめられると、免疫が無い身としては非常に居心地が悪い。



「……何だ、泣くかと思ったのに」



 ポツリと呟かれた声が頭で反響して反復される。



 え。“何だ、泣くかと思ったのに?”



 泣くかと、思ったのに?



 なく、かと……




――――騙された……っ!!!



 理解した途端に、頭の血が沸騰する。


 つまりさっき真顔になったのも、今までの無表情も、全部私を泣かせたいが為の布石だったのだ。



 何だそれ、何だそれ腹立たしい!!



 やっぱりコイツ大っ嫌いだ!!!!



 そう思った私の行動は早かった。



 まず、足を振り上げ相手の靴の爪先を踏む。

 屈んだ所で、お兄ちゃんがウィスキーと一緒に出してくれたお冷やを男の頭から被せてやった。


 お兄ちゃんの声が聞こえるが、正直冷静な判断が出来る状態じゃない。



「このクズ。2度と私の前に現れないで」


 人って、本気で嫌いな相手にはこんな声が出るんだと思った。

 今まで出したことのない声のトーンにびっりする。


 けど私はそのままカウンターにお金を叩き付けると、店を飛び出して行った。

 まだイライラは残っているが、ちょっとだけスッキリした。



 もういい。あの男が傷付いたとかもどーでも良い。次もし会うことが有ったとしてももう2度と遠慮なんかしてやるものか。

 決意をして、家路についた。












「ほら、拭けよ」


 こちらを見ていた他の客の視線が逸れた所で

店の奥からタオルを取ってきて

いまだに蹲っている男の頭に投げた。

 タオルは良い具合に男の頭に引っ掛かる。



 それでも微動だにしない男を横目で見た。



「俺の店をお前のプレイの場にするな。この変態」


 そう声を掛けるとタオルを片手で押さえて、男がこちらを見る。

 その目は爛々と輝いていて、口元は笑んでいた。



「……美也子に似た顔に言われるのも興奮するけど、やっぱり本人が良いな」


 髪の先から水が落ちるのも絵になる男だが、言っていることはド変態だ。



 しかしこの男の手にかかればどちらかというと八方美人タイプの妹も、今では嫌いだのクズだの正面から言ってしまうのだからある意味恐ろしい。



 こいつのことを、人を虐めるのが好きな側の人間だと思っている美也子は、少し言葉を真に受け過ぎである。



「お前さっき外で何してたんだ?」


 出て行ったときの氷のような顔を思い出す。

 大体の人間が、怒っていると勘違いしそうな顔だ。



 でも俺は知っていた。



「どうやったらもっと怒って軽蔑した目で俺を見てくれるか考えてた」



……こいつのあの顔は、悦んでいる時の表情である。




「……あのな、美也子が好きなら普通に告白しろよ」



 今となっては絶対に伝わらないと思うが。


 もし出会った頃の段階で口説いていれば、勝算は有っただろう。

 だが今の可能性は0だと断言できる。

 美也子の嫌いぶりは本物だ。




「お前の足をなめさせてくれって?」



 それは告白じゃない。

 つーか止めろ。人の妹に何聞かせるつもりだテメェ。



 斜め上過ぎる回答を受けて、そう言いたい気持ちをグッと堪える。

 変態っぷりを見ると本当に何でコイツと友達をやってるのか分からなくなるが、美也子さえ関わらなければ痛みと逆境に異常に強いだけの真っ当な人間なのである。


 なにより男には大きな借りが有った。



「あのなぁ……あんまりアイツが嫌がることはすんなよ」



 こいつと出会った場所は、俺が店を始める資金を貯めるために就職した会社でだ。


 営業成績不動のNo.1。

 特にトラブルの処理に関しては右に出るものがなく、難しい案件も涼しい顔でこなしていた男が目の前のこいつである。

 綺麗な顔でみんなが嫌がる仕事を進んで行うため、社内外にファンが居た。



 その本性を知るまでの一時期、店のことや今の嫁について相談に乗って貰っていたのだが

今となってはあの頃の自分に、我に返れと言ってやりたい。


 まさかこんな性癖だとは思わなかったし、それが俺の妹に向けられるとは想像もしていなかったのである。




「分かってる。……でもまぁ、あそこまで嫌いにさせたらもうすぐだろ。大丈夫だ」



 もうすぐって、何がだ。


 まさかとは思うが、この状態で落とせるとでも言うのだろうか。




 何も安心出来ないまま、さっきまで

妹が使っていたグラスを片付ける。






 そう言えば男は、会社に居た頃から本当に欲しいものは何が何でも手に入れていた。


 しかも、理想通りの形で。





「本当に、もっと気を付けてくれ……美也子」



 久し振りに家に帰って、多分まだ分かっていない妹に、さりげなく忠告しようと思った。


―fin―

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] すごくいい! すごくいいです!(大事な事なので二回言いました 出きれば美也子さんが狙われてしまった 経緯、美也子さんは元々素質があったのか? "もうすぐ"のどれかでも読みたいです! 男性…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ